#2-5.無限図書館と迷子
「やあ、相変わらず無駄に広いな……」
広大な魔王城の地下面積のほぼ全てを使っての大図書館。
広さのみで言うならばグレープ王立図書館を遥かに凌ぐ世界最大級の書庫がそこに広がっていた。
入り口から見ただけで奥行きが見えず、数多の棚が複雑に入り組み迷宮さながらのパズルルーム。
全自動化された本棚には、一定時間経過する度に新たな書物が増え、代わりに古い書物の場所が奥へ奥へとずれていく。
魔法の光によって明るさは一定に保たれ、室温も湿度も清潔さすら管理され居心地は抜群にいいが、どこか無機質さを感じ、入り浸ろうとする者は少ない。
利用者自体はたまに見かけるが、同じ人物を見かけることが無いのもここの特色である。
「……とりあえず奥の方でも目指すか」
本棚迷宮の最奥を目指し、魔王は歩く。
途中、幾人か利用者とすれ違い、その度に会釈をされるが気にしない。
魔王が一々気にしないことが、彼らにとっても一番気楽なのだと考える故にそうなっていた。
「広いのはいいが、構造が複雑すぎるのはなんとかならんものか。ショートカットできる転送装置でも作ってくれれば良いのに」
古の魔王城建造に携わった者達の不親切さがじわじわと感じられる。
一体何を考えてこんな広さにしたのか。何故こんな不便な構造にしたのか。
作ったものの悪意すら感じられる程に機能性の悉くを排斥したような造りに、魔王も唸らずにはいられない。
しかし、どれだけ一人ごちろうとも先は見えず、まるで代わり映えの無い本棚ばかりが目に入るのだ。
目当ての本を探そうとすればするほどこの本棚地獄に深入りする羽目になる為、ここを常用する者の多くは目的なく訪れることが多いらしい。
欲しいものを探す為に苦労するより、なんとなしに読んだ本が面白い方がお得だから、というのが良く聞く意見である。
魔王もそれには同意するが、気が向いてしまった以上仕方なく、魔王はひたすらに歩いていた。
そんな中、クスン、クスンという鼻声交じりのすすり声が聞こえ、魔王は足を止めた。
声は右側の棚の後ろ。通路の向こう側から聞こえる。
魔王が記憶する限り、それは最奥へのルートを大幅にずれた、外れルートの先にある通路を曲ってようやく辿り着ける道である。
大方のところ迷子で戻れなくなった者がいるのだろうが、そんなのを相手にする義理も無いので、魔王はさっさと立ち去ろうとした。
『……れちゃう……は、早く……ないと……』
しかし、泣き声を聞く限りどうにも若い娘のものらしく、中々に切羽詰ったものらしかったのも察する。
「……はぁ」
溜息が出た。棚の向こうに居る相手は恐らく魔王とは何の関わりも無いはずなのだが、ほんのわずか気を向けてしまったが為に、今では見捨てるのはどうにも可哀想だと感じてしまうようになっていたのだ。
結局、魔王は早足で棚の向こうに回ることにした。ツカツカと。
「大丈夫かね? 迷子か?」
曲がり角の出会い頭で丁度出くわす。
腿の辺りを押さえながら涙目になって歩いていたのは、黒竜姫の侍女であった。
「あっ……」
それは彼女にとって希望とも言える出来事だったのか。切羽詰った顔を少しだけ緩め、微笑んだ。
「名をなんと言ったか……レスター……すまん、今一思い出せんな。黒竜姫の侍女なのは覚えているが」
「あ、あの、レスターリームですっ」
「そうか、で、レスターリーム。大丈夫かね?」
「す、すみません……その、恥を忍んで、お願いが……」
最早、相手が魔王であることを躊躇っても居られないらしく、青髪の侍女は口早に続ける。顔を真っ赤にしながら。
「あの、この、この図書館に、その……おトイレは……」
「……ついてきなさい」
はあ、と、何度目か解らない溜息をつく。
たまに居るのだ。広大すぎて迷子になる者が。
迷子になった者はどうなるか。魔族は種族にもよるがしぶとい者が多いので、数日の間帰れない位では死ぬ事は無い。
所々本棚に紛れてフードスペースもあったりで、彷徨っている中偶然でもこれらを見つけられれば飢える事無く、いずれは出られるようになっている。
だが、トイレは決められた場所にしかない。
迷った者にとって一番の重要事項はトイレの確保であり、その有無で天国と地獄が分かれると言っても過言ではなかった。
そして、今このレスターリームは、まさしくその地獄を彷徨っている最中だったのだという。
「すみません。あの、どれ位で……」
歩き出した魔王についてきてはいたものの、レスターリームは苦しげに身体をゆすり、必死に迫り来るモノに耐えていた。
「ここからなら……二十分程だな」
「そ、そんなに!?」
「これ以上恥をかきたくないなら耐えたまえ。私としても、女性のそういうシーンを見るのは趣味ではないからな」
子供ならまだしも、年頃の娘がそれをしてしまえば、一生消えない心の傷になること請け合いである。
流石にそれは魔王としても居た堪れないので、我慢を促す。
「うぅ……が、がんばりますぅ……」
健気に耐えながらも、もぞもぞと腿をすり合わせる。限界は近いらしい。
「君は何しにこんな所に来たのかね?」
「あの、おひい様……黒竜姫様が図書館で借りた本を返す為に来たのです……」
気を紛らわす為に雑談を振ると、レスターリームも意図を察してか、おっかなびっくり答える。
「ここの本は無くなったら自動で補完されるから、別に返しに来なくても良いのだがな」
「そ、そうなのですか? どおりで、返却する棚が見つからないと……」
まあそれを知るのは魔王を含め極わずかな利用常習者のみで、知らない者が図書館と言われれば、借りたものは返すものと思ってしまうのも無理からぬ話である。
「ここの図書館、司書もいなくて、なんというか、とても不思議な場所です」
「そうだね。私もこんな所はここ位しか知らない。実に不思議だ」
全自動で補完される本達。
追加されていく書物はどれも自動的に書き記されたもので、そのいずれもがとても魔族的な価値観の元書かれている。
ところどころ見かけるフードスペースでは暖かな食事が本棚に置かれていて、魅力的な香りを漂わせている。
実は、この図書館には、終わりが無い。
壁際の棚伝いにひたすら歩き、いくつもの書庫を抜けていくと、理論的には最奥の書庫に辿り着けるはずだが、行けども行けども終わりが見えないのだ。
魔王城の敷地を遥かに超える距離を歩いても、それでも辿り着けない最奥の書庫。
そこに辿り着く為には、幾通りかのフラッグ棚を曲がり、正しいルートを進むことを要求される。
そうして辿り着いた最奥の書庫には、16世界それぞれの最古の時代を記した書物やら、16世界の創世に関わる事柄を記した書物やらが置かれた本棚が無数に存在する。
だが、そうして辿り着けた最奥の書庫の、その一番奥の本棚に何があるかは魔王にも解らない。
辿り着けないからだ。魔王が知る限り、この『最奥の書庫の最奥』に辿り着けた者は誰一人としていない。
魔王も度々この最奥の最奥に挑戦しているが、その都度気分を害して途中で投げ出してしまう。
そもそも、16世界の創世という、全ての始まりを記した書物すらこの最奥の書庫の手前部分にある本棚で手に取れてしまうので、それより奥に何があるかと言われても魔王には想像だにできなかった。
ただ、古い書物程奥に行くという慣例が適応できるならば、最奥の最奥に存在する書物は、あるいは16世界が存在する前の、ありえない話ではあるが、『前の世界』というものが存在した場合の事柄が記されているのではないかという仮説は立てられる。
矛盾に満ちた仮説ゆえに誰も信じてはいないが、そもそも存在そのものが矛盾の塊であるこの無限書庫は、そういった事の上成り立っていても不思議ではない、そんな奇妙な説得力を漂わせていた。
「まあ、不思議が一杯なのはいい事だと思うがね、ほら、ついたぞ」
雑談タイム終了。本棚にとても不自然に開かれた下り階段が見えた。
「あぁっ……あの、降りればいいんですね?」
「そうだ、早く行きたまえ」
「は、はいっ、ありが……とうございましたっ」
最早我慢の限界か、身体をびくりびくりと震わせながら、走り出すことも出来ず階段を降りていった。