#2-3.湯浴みす乙女
「ほんと、あの兄上と話すと調子が狂うわ。まあ、ガラード兄上に限らないんだけど」
自室に戻ってのこと。黒竜姫は先ほどの事を愚痴りながら、ベッドに置かれたクッションを抱きしめる。
広く自由度の高い私室の中であっても、ベッドの上が一番の安息所である黒竜姫は、部屋に戻った時に腰掛けるのはベッドの上と決めていた。
部屋には三人の侍女が控え、黒竜姫の為にお茶を淹れたり、部屋着を用意したり、湯を沸かしたりとセカセカ動いていた。
全員が同じ整った顔、同じ濃い蒼色の長い髪と蒼色の瞳、同じ調度の白いエプロンドレス。
チョーカーの色もタイツの色も三人同じチョコレート色。名前も同じレスターリームである。
黒竜姫と違って青竜族である彼女達は、生まれた時より黒竜姫の侍女として仕えることを定められた五つ子の娘達である。
三人しかいないのは、残り二人は所要で外出していたり、黒竜姫の借りた本を返す為に魔王城に登城していたりする為である。
背も高く、顔立ちも黒竜姫に似ており、髪の色も光の加減次第では黒に見えなくも無いので、いざという時には黒竜姫の替え玉としても有用。
ただ、性格だけは致命的に似ておらず、五人が五人とも竜族らしからぬ小心者で、落ち着きもなく、些細なことで怯えたり泣き出したりととても心許ないので、黒竜姫としては侍女兼妹のような存在でもあった。
「私の事、子供だと思ってるのかしら? 人の顔みるなりにやにや笑って、まるで子供の機嫌取るみたいに」
そんな侍女達の動きは気にも留めず、黒竜姫は愚痴を続ける。
黒竜姫の不機嫌は、自分に対する扱いの甘さである。
相手が怒るような事を平然と言う彼女ではあるが、思ったとおりの反応をしない相手には相応にストレスも感じるのだ。
怒らせるために挑発してるのに笑って済まされた時などは彼女の苛立ちは募るばかりであり、悔しさについクッションを強く握ってしまう。
ぼす、という気の抜けた音がして、クッションに穴が開く。
黒竜姫はつまらなさそうに破れたクッションを放り投げ、別のクッションを手にとって抱きしめた。
すぐにレスターリームの一人がクッションを拾い、どこからか裁縫道具を取り出し、チクチクと縫い始める。
別のレスターリームは部屋の入り口近くにある収納棚から新たなクッションを取り出し、そっとベッドの上に配置した。
黒竜姫は気づいていないのだ。自分が姫として兄達に可愛がられている事には。
父親の欲望ないまぜの偏愛とは違って、彼女の兄達は初めての妹をとても大切に思い、可愛がっていた。
それこそ、目に入れても痛くないほどには。どれだけ罵倒されようと笑って済ませられるほどには。
わがままで身勝手、自分の感情最優先な黒竜族において、彼女の存在は例外中の例外なのだ。
だからこそ何をやっても笑って許されているのだが、黒竜姫はそんな事はまるで知らないので軽視されているように感じてしまっていた。
「おひい様、ご機嫌が優れない時には、湯浴みなどされてはいかがでしょうか? 丁度お湯も沸いて、いい湯加減ですよ?」
三人目のレスターリームが、機嫌を取ろうと黒竜姫ににこやかぁに話しかけた。
「……入るわ。準備なさい」
むすっとした表情の黒竜姫ではあったが、侍女の提案を素直に受け、ベッドから立ち上がった。
「整っておりますわ。さあ、こちらにどうぞ」
手際よく手筈を整え、レスターリーム達は主の為に道を空ける。
隣の部屋は黒竜姫専用の浴場になっていて、熱い時は水浴びを、それ以外では湯浴みができるようになっていた。
黒竜姫不在の時のみレスターリームの使用も許されているこの浴場は、ただ単に湯浴みをするだけでなく、マットを使ってのマッサージや肌の手入れ等ができるスペースも併設していて、個人用としてはかなり広い。
「おひい様、右腕を」
「ん……」
言われるまま右腕をあげると、そのままするりとブラウスの袖が抜け、右の半身が露になる。
「では左を」
また言われる通りあげ、そのまま左の袖も抜ける。
「スカートも失礼致しますわ」
すぐにスルリとスカートが脱げ、下着姿になる。
「……下着くらいは自分で脱ぐわよ?」
流石にそれは思うところあってか、黒竜姫はそれ以上のレスターリームの世話を断った。
「ふぅ……」
湯加減は最適な温度で。湯気の舞う浴室は、しっとりと乙女の肌を茹だたせる。
身体と髪を洗い、のんびりとハーブの香り漂うバスタブに浸かるのだ。
身体から力が抜けていくのを感じて、頬は自然に上気していく。
「おひい様、お加減はいかがでしょうか?」
湯浴みの世話担当の侍女がにこやかに尋ねる。当然ながら、バスタオル一枚で。
「ん……いい心地ね。湯浴みって本当に素敵だと思うわ」
黒竜姫も、いい湯心地に機嫌を直し、ほんのり赤らめた頬で笑った。
マイペース万歳。こうしたゆったりとした時間も、迷える乙女には必要なのだ。
「それはようございました。湯浴みが済まされましたらマッサージの仕度も整っておりますわ。お肌の手入れもなさいましょう」
「そうね……そうして頂戴」
至れり尽くせり。ただぼんやりしているだけで全てが整っていく。それはとても心地よい事だった。
日々に疲れている訳ではないが、若さゆえか種族ゆえか、事あるごとに腹を立て苛立ち不機嫌になる彼女は、この一連の流れにすっかり機嫌よくなってしまっていた。
これも、彼女の扱いを知り尽くしたレスターリーム達の手際のよさがあってこそである。
小心者であっても、些細なことが元で機嫌を悪くする短気な黒竜姫の侍女を今までやっていて命が続いているのだから、相当に優秀な侍女達なのだ。
「お肌の手入れが済みましたら、甘いものなど頂いてはいかがですか? 最新の人間世界の水菓子等がありますが」
またレスターリームが提案する。
魅惑的なその単語に、黒竜姫は姿勢を変え、侍女を見た。
「……太らないかしら」
少しだけ戸惑いげに、小さく呟く。
「太らないような食材を使って作っているのもございますわ。とても美味しい果肉入りの水菓子ですのよ」
「そういうのがあるのね……頂こうかしら」
「はい。では後をお楽しみに」
バラの花ビラやハーブの入ったバスケットに入ったベルを取り、侍女がチリリ、と鳴らした。
すぐに浴室の外からチリリ、と了解の意を示すベルが鳴らされ、侍女は微笑んだ。
「……陛下は元気かしら。会いたいわ」
ぼーっと、湯船から突き出した足先に湯をあてながら。
そんな事を思い呟き、乙女は上気した目元を細めていた。