#2-2.ガラードVS黒竜姫 -模擬戦-
「よし、それじゃ、始めようか」
突然の事にオロオロするレスターリームを尻目に、兄と妹は中庭で対峙する。
「……構えないのか?」
かちり、と曲刀を構えるガラードに対し、黒竜姫は完全なる無防備な姿勢であった。
「構えなんて必要だと思ってるの? いいから来なさいな。二度と手合わせなんてしたいと思わないようにしてあげるから」
笑わずに頬だけ緩め、黒竜姫は相手を侮蔑する。
戦う時、相手は兄であろうと父であろうと蔑すべき敵となる。
「いい眼だ。死の境地とやらを感じさせてくれそうだな」
対して、ガラードはにやりと笑った。じりじりと間合いを詰め――跳んだ。
「遅いわよ」
一瞬で肉薄してくる兄に、黒竜姫はその場で右手の拳に力を入れ、振りかぶる。
「チィッ」
轟音をあげ放たれた拳の一撃は、ガラードの頬をかすめ、風圧は後方の草木を根こそぎ薙ぎ払った。
当たれば同じ黒竜族ですら即死しかねない威力のパンチである。
妹の殺意に、ガラードは頬に汗が流れるのを感じた。
「これが……恐怖、かっ!?」
肩が震えるのを押さえ、ガラードは即座に飛びのく。
そして、次の瞬間には横に跳躍。本能が身体を動かした。
秒おかずしてガラードの立っていた位置に鋭い蹴りが放り込まれるのを見て、ガラードは戦慄した。
手合わせ開始からほんの数十秒。たったそれだけの短い時間彼を生かしたのは、彼の培った技術ではなく、彼の中に流れる黒竜の血である。本能である。
攻撃時以外、黒竜姫は微塵も動いているように見えない。静止しているのだ。
しかし、わずかばかり存在がブレたと思った次の瞬間には、鋭く急所めがけての攻撃が繰り出されていた。
元来、黒竜族はその頑強さ、力の強さ故にすばやい戦闘は好まない。
がっちりと組み合って力を競ったり、正面から相手が死ぬまでひたすら殴りあうのが彼らの『同族との戦い方』なのだ。
そういった意味ではガラードも黒竜姫も異色ではあるが、長きに渡る努力の末そうした戦い方に至ったガラードに対し、黒竜族的な戦い方でも十分強い黒竜姫がそれをせずこうした戦い方をするのは、ガラードにとって驚きであった。
最早呟く事すらせず、できず、ガラードは跳ぶ。
止まれば死が待っている。そう感じ、止まっていられない。
直進的な動きは先を読まれるだけと思い、曲線的な動きで隙を窺う。
必然的に動きは円を描き、驚異的な速度で繰り出される手刀や蹴りをギリギリの間合いでかわし続ける。
かわしても尚、体幹を狂わせんとばかりに身体を掠める暴風圧。
叩きつけ一つかわしただけで、その場がクレーターのように圧し潰され、破壊される。
手刀が頬を掠り、遅れ髪の一房も持っていかれたかと思えば、実際には頬の骨がへし折られ、平衡感覚が崩されてしまう。
それでもぎりぎり身体を動かし無様に転がるように避ければ、元居た場所は空間ごと切り裂かれているではないか。
「は……はははははっ!!」
圧倒的過ぎる暴力の嵐に、ガラードはもはや、笑う事しかできなくなっていた。
――我が妹の、なんと恐るべきことか。
一体どれほどの時間が経ったか。
幾度かわしたか、幾度目の攻撃が繰り出されようとしているのかも曖昧な中、彼の目に、妹がすべるように地面を駆け抜け、地面ごと抉りながら鋭い蹴りが放たれるのが見えた。
――目が慣れたのだ。どれだけ早い動きだろうと、ずっと見ていればいずれは追いついてくる。
並の生物では不可能な事も、黒竜族である彼ならば可能であった。
「これがお前の隙だ!!」
ガラードは哂った。曲刀のような自身の動き。
円を意識した自由度の高い戦闘。
これらが実を結び、防戦に徹していた彼に千載一遇のチャンスが見えたのだ。
蹴りをかわし、妹の懐に入り込むガラード。
「もらっ――」
「っ!?」
肉薄する。した。
妹の驚愕したような顔が見えた。
攻撃の為、曲刀で斬りつけようと腕を動かし――
「喋りすぎよ」
――ズドン、と、蹴りの姿勢からの右拳での強烈な振り下ろしを受け、ガラードは顔面から地面に叩き付けられた。
更にとどめとばかりに目一杯力を込めたスタンプが後頭部に直撃して地面にめり込み、彼は動かなくなった。
「……フェイントすら読めないなんて。手加減してあげてこれじゃ話にもならないわ。もう少しは動けるかと思ったのに」
びっくりよ、と小さく息をつく。
汗一つ流さず、黒竜姫は惨めな兄を見下していた。
ガラードはというと、そんな妹の言葉に、ビクリ、と、痙攣したように震え、そしてそれが収まるとめり込んでいない両腕を地面に這わせ、肩にぐぐ、と力を入れた。
まるで冗談のような絵面ながら、ガラードはめり込んだ頭を自力で引き抜き、頭をふらふらと揺らしながら立ち上がった。
「いやあ、流石姫だ! 最強の黒竜だけある。俺程度ではまだまだ相手にもならんか」
まるで堪えた様子がなかった。黒竜姫の手加減が利いてか、はたまた彼が規格外に頑丈なのか。
戦う前とほとんど違いなく、ガラードは悪びれもせず笑っていた。
「当たり前よ。いい事? 私がお慕いする陛下は兄上の数倍は速かったわ。それだって、不意を打たれなければ私はかわせる自信があるのよ」
ふん、と、不機嫌そうに胸の下で腕を組み、恋してやまない理想の男性を比較対象に持ち出す。
「……陛下はそんなに速いのか。話に聞く限り、ものすごく動きが鈍い老人のような方だと思っていたが」
「馬鹿なこと言わないで。私の見立て通りなら、あの方は魔界随一の技の使い手。身のこなしで勝る者はそうはいないと思うわ」
魔王は、普段の動きこそトロくさくマイペースであるが、本気で動いた際の動作は、黒竜姫ですら遅れを取ってしまったほどのすばやさである。
大変忘れられがちではあるが、魔王は魔王になる前から、魔界でも名の知れた猛者ではあったのだ。
まあ、そんな本気での戦闘はまず滅多な事ではしないので、ほとんど意味の無い実力なのだが。
「大体、そんな曲刀なんかで私に傷がつけられると思ってるの?」
「もしかしたら、いつの日かドラゴンスレイヤーが俺の手に渡るかもしれん。そうなれば話は別だろう?」
「手にしたって私に傷一つ負わせられないじゃない……とにかく、こんな無駄な努力する暇があったら、さっさと見切りをつけて勉学にでも励みなさいな。こんな昼間から奇声あげて、みっともないったらないわ」
「まあ、そう言うな。俺にとっては目標が一つ増えただけだからな」
まるで子供に対する言い様であるが、兄は怒る訳でもなくそれを笑って流していた。実にマイペース。実にポジティブである。
「……もういいわ。頭が痛くなってきたもの。レスターリーム、行くわよ」
これ以上何か言っても無駄という気がしてきた黒竜姫は、また小さく溜息をつき、中庭から立ち去っていった。
「あ、はいっ。あの、それでは、失礼致します」
「うむ。そうか。ではまたな」
礼儀正しく頭を下げ立ち去るレスターリーム。
ガラードは爽やかに笑ってそれを見届けた。
「うむ。やはり我が妹は可愛いな。強く賢く美しい。黒竜族の姫である以上はああでなくては」
一人ごちる。彼は、自分が負けたことなど微塵も気にせず、一族特有のすばらしさを体現している妹の姿に、誇らしげに笑っていた。