#1-4.タンポポとイルカの奮戦
その頃、カルナディアスの丘の陣では、突然の敵軍の攻撃を受け、防戦を余儀なくされていた。
「グレゴリー様!! 敵の攻撃が激しくなっております。このままだと――」
「なんとしても押さえ込め!! ここを奪われれば友軍が撤退する場所がなくなる!!」
各自必死の形相である。既に何名かの部隊指揮官が敵スナイパーの狙撃に倒れ、グレゴリー自身も幾度となく狙われていた。
しかし、離れた位置に居るスナイパーを狩れる余力はなく、目の前の敵を叩くのに精一杯なために被害はどんどん深刻なものとなっていった。
「65ゴブリン小隊全滅!! 132リザードマン分隊全滅!!」
「全滅の報などいらんっ!! これ以上兵の士気を下げるなっ!! いい情報だけ流すようにしろっ」
「いい情報など何もありません!! ぐぁっ!!」
激昂するグレゴリーであるが、伝令が口答えの最中に狙撃を受け絶命したのを見て、「これはいよいよまずいな」と思うようになっていた。
精鋭ともいえる部隊は主力本陣にほとんど持っていかれ、現状このカルナディアスに布陣している後衛陣の兵士は主力未満の二線級であったり輸送部隊担当だったりワイバーンの飼育係であったりで色々苦しい。
平時はそれでも問題なく機能していたものの、このような状況下では混乱も落ち着く様子が無い。
それであっても退く訳にはいかないのが解っているからこそ、グレゴリーは焦っていた。
「敵軍、北より更に増援……グレゴリー様、このままではカルナディアスは囲まれます!!」
「ここで我らが退がって見ろ、ここを目指し撤退している同胞はどうなる!? 魔王陛下もまだ戻っておられんのだぞ!!」
絶望と理性と義理の境界線であった。
恐らく彼らの総司令たるベェルならば早々に切捨て被害のないうちに撤退の命を下したであろうが、グレゴリーは良くも悪くも現場の指揮官であった。
「死守だ。なんとしてもここを死守しろ!! 消耗を抑えつつ、敵を蹴散らせ!!」
それが無理であろうとやらなければいけないのだ。
「私も最前線で戦う!! ダルガジャよ、ついてこい!!」
「ははっ!!」
両手武器のような巨大なメイスを片手で持ち、グレゴリーは護衛のリザードを引きつれ前線へと走り出す。
「人間ども恐怖しろ!! 『ダンテリオンのグレゴリー』推参じゃぁっ!!」
「同じく『ドールフィニアのダルガジャ』参るっ!!」
絶叫さながらの叫び声と共に自称タンポポとイルカは勇ましく敵陣に突撃していくが、その名乗りが人間達に珍妙な違和感を感じさせ、一瞬だけ隙が生まれた。
「ダンテリオンがなんだって!?」
「ドールフィニアって……どうみてもトカゲじゃねぇか!? どこがドールフィニアなんだよ!?」
思わず突っ込まざるにはいられないのは人の性か。
緊張感が解けてしまった兵士達は、目の前の敵の存在を忘れてつい顔を見合わせ、その隙に刺し殺されてしまう。
「くくくっ、流石魔王陛下よ。この二つ名で人間どもがここまで動揺するとはな!!」
「我ら勢いを得たり!! 兵よ我らに続けぇっ!!」
何故人間達が動揺したのかを知らない二人は、その隙をいい事に反撃ののろしをあげた。
「なんだ……? 急に押され始めたぞ?」
敵陣からわずかな距離の森林地帯。
樹木の上にて、二人のスナイパーが戦況を眺めていた。
「どういう事だ、友軍は何をやってんだ?」
「解らん。さっきから狙おうとしてた敵の指揮官らしき蛙野郎が突撃かけて、そこから何か狂ったみたいだ」
観測手と狙撃手の二人一組でスナイパーは構成されていた。
その観測手が、戦況に不可解なものを感じたらしい。
「よく解らんが、その蛙頭の所為だっていうなら、奴を狙い撃ちにしてやるぜ」
狙撃手が手に持つのは長弓。
北部国家のスナイパーは単独行動の上で短弓での近接距離での暗殺に特化しているが、中央諸国では専ら長弓での超長距離からの狙撃に特化させている。
「勘のいい奴。何度かかわされてるが、いい加減しとめてやるぜ!!」
威勢良く言い放ちながら弦を引く。目標は蛙男。
狙いを定め、山なりに――放った。
「おい、どこに飛ばしてるんだ!?」
一撃必殺のはずのその矢は、しかしあさっての方向に飛び、力も足りずかかなり手前の位置で落ちてしまう。
どさり、という音に驚き、観測手が下を見ると、そこには落下した狙撃手の姿が見えた。
「なっ――」
何事かを覚る間も無く、観測手の胸元に激痛が走る。
「おぉっ――」
地面に落ちる直前に彼が見たのは、灰色の壁だった。
「ふん、こんな所にまでネズミがうろついているとはな」
つまらないものを見るように、その灰色の壁は二人の死体を見て鼻息をつくのだ。
「我らが勇者よ、丘の部隊は未だ健在。奮戦しているらしい」
ほどなく、付近の斥候に向かっていた灰色の戦士たちが現れる。
「ほう、よく粘っているようだな。我らが到着するまで持ち堪えられるものかと思ったものだが」
「指揮官の男が良く動いているらしい。魔族にも中々勇ましい漢がいるようだな」
にかり、と善く笑い、戦士たちは健闘する者達を讃えた。
「よし、我らも急ぐぞ。オークの戦士らよ、魔族の戦士達に遅れを取るな!!」
「「「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!」」」
天を突くような雄たけびが聞こえ、戦場の勢いはどんどんと傾いていく。
蛙男とリザードの奮闘は、増援として到着したオークの男達の士気を大いに奮い立たせ、戦闘狂の乱入に脅威を感じた人間の軍勢は、その勢いを眼に見えて落としていった。
元々戦闘狂気質で殺し合いに特化した身体能力を持つオークは、その逞しい腕から繰り出される強力な一撃によって次々と人間の兵士達を撃破していった。
中でもオークの勇者ジャッガは、その手に鉄のバトルアックスと、異常に鋭い切れ味の両手剣を持ち、斧と剣の二刀流という異例の戦闘スタイルにより、多大な戦果を挙げた。
劣勢を感じ取った人間の軍勢は、いつしか撤退行動に入り始め、魔王軍側も追撃するだけの余力が無い為に陣地の再構築に専念する事となり、この度の戦は終結を迎えた。
「随分ボコボコにやられたわねぇ……戦死者総数一万ちょっとって、洒落にならないわよこれ」
「陛下と人形兵団のお力で要塞の戦力五千ちょっと倒した所を差し引いても、キルレートは半分以下……作戦失敗にしてもひどすぎる結末ですわ」
参謀本部では、現場から戻ったウィッチより直の被害報告を受け、ラミアが頭を抱えていた。
大規模な合戦が減ってきているとは言え、まとまった人数がこうして削り殺されたのはかなりの痛手である。
今までは大損害と言いながらも自軍以上に敵軍に大損害を与えたり、後方の都市を占拠せしめたりできたものだが、今回は眼に見えた成果は一切ナシでこれである。笑えない。
「とりあえず各地で臨時の志願兵募って兵力増強しましょ。野良キメラも活用したほうがいいかしらね」
「大規模戦はいけませんね。しばらく人的資源を大切にしないと供給が追いつかなくなりそうです」
ウィッチの指摘するとおり、現在魔王軍は人的資源の供給が消費に追いつかなくなり始めている。
人と比べ長命で強力な者が多い魔族ではあるが、その分一人前の戦力になるまでの年数は人間と比べ十倍以上必要な上、黒竜族の女性のように、生涯で産める回数や人数が固定化されている種族もいる為、頻繁に消費される下級兵士レベルでの替えが利きにくくなっている。
それだけ人間側の技術が進歩し、人間が強くなり、そして人間の数が増えているという事である。
純粋な身体能力の差を越える何かを、人間は手にしているのだ。
「それでラミア様、ベェルの後任の方面軍司令官、いかがなさいますか?」
「うーん、そうねぇ、後任って言っても、中央は嫌がる奴が多くてねぇ」
ベェルはともかくとして、腕利きのレイドリッヒが敗れたのが大きかった。おかげで後任のなり手がいない。
魔界随一の剣の使い手を一騎打ちで撃ち破る勇者が居る地域など、みすみす死ににいくようなものではないかと嫌がられている。
各方面軍の総司令官クラスともなると、魔界でも名の知れた上級魔族達があてがわれるはずなのだが、残念な事にそんな彼らをして人間の勇者一人に物怖じしている有様であった。
「ですが北部は進軍停止、南部は吸血族の単独軍ですから……」
「そうなのよ。折角の強い駒を使わないのってすごく無駄な気がするわ。でも、責任者にはなりたくないって奴が多いのよねぇ」
普段は偉そうに好き勝手言う癖に、その実野心より生存欲の方が強いらしいのだから、小者くさいのはベェルだけではない気もする。
「上級魔族相応の実力者、という条件を除けば、相応しそうな者はいるのですが……」
少し言いづらそうに、ウィッチが言葉をつまらせながら進言した。
「何、そんなの居るの? 誰よ」
ラミアは少し驚いたように眼を見開き、ウィッチに問うた。
「カルナディアスの防衛指揮を任されていた蛙男のグレゴリーです。敵軍に執拗に攻められ、敗走してもおかしくない中、兵達を鼓舞し、自身も前線に出張って敵を食い止めていたのだとか」
「それだけ聞くといかにも現場指揮官って感じねぇ。総司令官に充てがうにはちょっと気になるけど……」
蛙男は魔族としてはそれほど上位の存在ではなく、よく言えばポピュラーであるが、言ってしまえばありふれた一般人的な魔族である。
そんな凡庸な種族の者を総司令官に当てていいのかどうか、それはラミアも悩む所であった。
「実は、後任の指揮官に相応しい者がいないか、それとなく陛下にお伺いを立てても見たのですが……」
「あら、気が利くわね。それで、陛下は何と?」
「陛下も、『グレゴリーでいいんじゃないか』とのご意見を……その、何だか気に入ったらしいですわ」
ウィッチ的には、魔王が一介の前線指揮官の名を覚えているというのは驚きを禁じえず、それだけに鮮明に覚えているらしかった。
「そう、陛下がそのように仰るのなら仕方ないわ」
ラミアはというと、「なんで陛下が蛙男なんて知ってるのかしら?」という疑問もないではなかったが、魔王のお墨付きまで受け、最早迷いは消えたらしい。
「とりあえず臨時の司令官としてグレゴリーを充てます。人事に関しては彼に一任し、そのお目付けとしてウィッチ、貴方が傍に付きなさい」
「解りました。一通りの裁量は彼に任せる方向でよろしいのですね」
「そうね。何かおかしいと判断したら即座に報告なさい。差別する訳じゃないけど、成り上がると性格変わるのって結構いるからね」
信じて任せた部下が血迷って自爆、なんていう末路はラミア的にあまり見たくないので、その辺りはとても気を遣っていた。
「お任せください。では、私は一旦現地に――」
「待ちなさい。あなただって疲れてるでしょう。今日明日くらいは休みなさい」
そそくさと命令を遂行しようとするウィッチを、ラミアは優しく引き止めた。
「あっ……は、はい。ありがとうございます」
尊敬する上司の労いの言葉である。感動しない訳がなかった。
「色々と忙しくなるから、今のうちに休んで疲れをとってもらわないとね」
「はい、解りました」
ぺこりと頭を下げ、ずり落ちそうなとんがり帽子を手で押さえながら、ウィッチはにこりと微笑み、部屋を後にした。
その後、正式な辞令が下り、中央方面軍の総司令官として蛙男のグレゴリーが異例の大抜擢を受けた。
その配下としてオークの軍勢が加わるも、勇者らは先の戦闘で漢を見せたグレゴリーを高く評価し、正当な上司であると認めた。
グレゴリーの魔族としての格の低さを気にする者も少なからず居たが、先々代の総司令官レイドリッヒも元を正せば魔物兵として扱われていたリザード出身の上級魔族だった為、これに関しては時をおかず風化していった。
現場の兵達の信頼が厚く、兵士の扱い方を心得ている為に兵からの反発も抑えられるのも強みである。
更には参謀本部の求める『人的損失を低く抑えられる司令官』と、戦場を知り尽くしたグレゴリーの『現場の兵視点での用兵運用』が合致したのも大きかった。
兵の為に戦術を考えれば、自ずと損失は減っていくものなのだ。
上級魔族の中にはそんな事は微塵も考えず、敵味方区別なく諸共に殲滅して自分ひとりが残ればそれが勝利という考え方の者も少なくない。
兵士一人一人を人的物資と見る事無く、時間稼ぎのデコイとして考えるような司令官は、今の時代不要なのだ。
世界は、魔物兵が部隊長となり、名も知られぬ魔族が総司令官となれる時代に変貌した。
迫り来る大きな波は、次第に世界を別な色に塗り替えていく。
白が黒になり、黒が灰色になり、やがてまた白くなる。
中央部での戦争は、その象徴とも言える一進一退。
しかし、人と魔族のパワーバランスは明確に崩れ始め、やがて崩壊への何かが始まる事となる。
これはほんの序章に過ぎない、何かの始まりであった。