#11-3.昼食会での激戦にて
連れて行かれた食卓の間は、他の西部の国々のそれと比べて小さく、数名しか座れない広さだった。
西の強国と呼ばれるほどの権勢を誇っているのとは裏腹で、この王宮は所々、あまりお金をかけていないように、カルバーンには見受けられた。
他の国なら金や宝石で美しく輝くであろう玉座を、比較的安価な銀細工であつらえてあったり、回廊は狭めに作られていて絨毯もどこか古く感じさせたり、色々と節約されている感があったのだ。
その代わりに兵士の装備は重装備であったり、街のインフラ関係はどこの国よりお金を掛けていたりと、使うべきところに使って必要の無いところは最低限に抑えているようにも見え、カルバーンは好感を抱いた。
「食事はプライベートなものでありたいからな。狭いが、許して欲しい」
「いえいえ。私も食事は養父と二人だけで食べることが多いですわ」
アットホームな雰囲気は嫌いではなかった。
逆に、行儀作法ばりばりな堅苦しい食卓の方は苦手で、そちらは勘弁して欲しいと思っていたので、カルバーンはむしろ、ほっとしていた。
「今日はそなたの他に、もう一人客人が来るのだ。故に、という訳でも無いが、食に関しては豪勢に振舞うので安心してほしい」
海の幸は昨日の夜に沢山食べたけれど、豪勢と聞くとどんなものが出るのか楽しみになってしまうものである。
「そんな話を聞かされては、お腹が鳴ってしまいそうですわ。ああ、恥ずかしい」
「ははは、余も腹の音が鳴ってきそうだ。そなたはユニークだのう」
国王は機嫌よく笑う。
「そうでしょうか?」
「うむ。先ほどまでは油断ならぬと思っておったが、今は妙に打ち解けてしまう。なんというか、不思議な娘だと思う」
彼女としては、よく言われる褒め言葉だった。
魔界ではむしろ、妹たちから嫌われていたようにも感じていたが、それが人間世界では好かれるのだから、彼女は自分でも不思議に感じていた。
結果として、それが上手く行っているのだからいいかな、と思いながら。
ババリア王の言に偽りなく、食卓に並ぶ料理は豪勢極まりなかった。
各席の前の皿に彩られた赤い焼き魚は、特製の果物のソースによって、生きている時より美しく輝いていた。
これに静かにナイフを通し、フォークで刺して食べるのだ。
カルバーンは、一口目からしてもう、舌がとろけるような甘美を覚えていた。
魚そのものは意外と淡白だが、添えられた果物のソースが甘酸っぱくてとても良く合っているのだ。
「この魚、美味いな」
「そうだろう。この時期が一番美味いのだ。このイラは」
イラと呼ばれた魚を、老人と髭の中年男が口に運ぶ。
料理は間違いなく美味しくて、カルバーンもそこは同意できたが。
「教主殿。いかがか? 北部にはあまりない魚料理故、口に合うと良いが」
「いえ。とても美味しくて。何を言ったらいいか解らなくなっておりましたわ」
国王から声を掛けられ、カルバーンはなんとか笑顔を作って返す。
こわばった顔だった。先ほどまでと違い、一切の安らぎが消え失せたかのような、無理やりの笑顔。
「それは何よりです。折角の食事なのに、楽しめないとつまらないですからね」
狭い卓での昼食会。
席に座るのは、カルバーンと、その左隣に国王。右隣に国王の第一子のサバラン王子。そして――
「おお、この酒、この料理。本当に西は飯が楽しみになって仕方ねぇなあ。ますます太っちまう」
――豪快な髭の中年。他でも無い、大帝国の皇帝シブーストその人だった。
「この水魚のフライ。これにベリーソースっていう発想がまず浮かばねぇよ」
「西部では果物のソースを料理に使う事は多いのですが、それ以外の地域ではあまり見られない文化かもしれません」
皇帝の隣に座るサバラン王子は、丁寧な口調で皇帝と歓談する。
国王は白髪頭だが、サバラン王子はまだ二十歳そこそこ、茶髪茶眼の美男子だった。
「いや、そうだろうけど、美味いな。うちの料理人にもこれ作らせてみよう。後でレシピをくれ」
皇帝は王子の説明を聞きながら、豪快にむしゃむしゃと食べていき、お皿を空ける。
すぐさま給仕係が別の料理を持ってくる。
空のお皿はそのままにはしない。食卓の上には常に料理が置かれている状態のまま維持される。
西部諸国にはよく見られる、宴のマナーである。
「相変わらず良く食べる男だ。最近は剣は振っておるのか?」
その迫力ある食べっぷりに、国王は半ば呆れながら話しかける。
「ああ、剣は時々振ってるが……全盛期ほどじゃねぇだろうなぁ。今の俺は、一皇帝。一為政者、よ」
自信に溢れる様子で、皇帝はニカッと笑う。口の端に食べかすをつけながら。
不思議と、そんな状態なのに威厳が全く損なわれていないのは、いかつい顔立ちだからか。
カルバーンは皇帝の顔の作りと表情とをつぶさに観察しながら、「この人も不思議な雰囲気を持ってるわね」と内心で思う。
「そんなだから太るのだ……お主がそんな様子だから、教主殿も戸惑っているではないか。もう少し、らしくしたらどうなのだ」
溜息半分に、国王はカルバーンのほうに話を振る。
軽く不意打ちである。
この状況は、カルバーンにとっては想定外どころの話ではなかった。
今回の旅では、精々大帝国の要人の誰かと話ができればくらいに思っていたのだ。
だから食事に呼ばれ、ほかに客がいると聞いても「これはチャンスね」くらいにしか思っていなかったのに。
まさか皇帝本人が来るなんて思いもせず、何を話したら良いかという予定は完全に崩れていたのだ。
その皇帝も交え、今こうして食事をしている。
予想に反して、皇帝は彼女が居る事にはさほど抵抗は示さず、そのまま席に着いた。それだけでもカルバーンには驚きだった。
あれほど干渉を避けられていたのに、この場で平然と食事を取っているだなんて信じられなかったのだ。
ただ、それだけに迂闊な事をすればどうなるか解らず、より一層、どう立ち回ればいいのかが浮かばなかったのだ。
普通、こういう場所では国王と共に、今後の布教や軍の指導に関しての話をしたり、世界情勢について議論したりして理解を深めていくのが彼女の常だったが、今はもう、それどころではない。
だから、本当にただ食事を取っているだけになってしまっていた。
「俺としては、こんな若い娘さんが北部を支配する一大宗教組織の教主だなんて、戸惑いが隠せねぇけどな」
国王に言われ、まじまじとカルバーンを見つめる皇帝は、皮肉げにそんな事を言う。
この皇帝は、自分の気持ちを隠すつもりなど全くなかった。明け透けである。
「皇帝陛下、お言葉ですが、私は国の支配なんてしておりませんわ」
だけれど、言葉には語弊が合ったので、そこだけはきちんと訂正しておく。
そこは教団の有り方を示すものなので譲れない。
「そうかい? 俺にはそう見えたんだがな。だから警戒してた」
――対峙して解る、この人も油断ならない。
この皇帝は、ただわかりやすいだけの男ではなく、抜け目無く、故あればいつでも相手を出し抜ける、そんな才を持っていた。
味方となればこれほど心強い人は居ないが、だからこそ、敵に回したらこれほど怖い相手もいない。
少なくともカルバーンはそう感じた。そう思った。
今のやりとりだって、対応一つ誤れば、先ほど取り付けたラムクーヘンとの協定すら台無しにしかねない破壊力があった。
この皇帝がただ一言「こんな奴らの話を聞いて大丈夫なのか?」とでもババリア王に焚きつければ、恐らくはそれだけで終わってしまうのだから。
「我が教団と協力各国との関係は、どちらかといえば従来の宗教組織のそれと比べ、商人と国との関係に近いのです」
「ほう、中々面白そうな話だな。続けてくれよ。酒が入ってるから、聞いたからどうするってもんでもないがな」
エールの入ったゴブレットを片手に、にやにやと笑いながら促してくる。
真面目に聞く気が無いのではなく、その話を聞いた上でどう納得しようとそれは酒の席での話と、割り切る為の保険らしい、とカルバーンは読み取る。
だからと、ここで止める訳にもいかないし、何より聞いてくれるというなら都合が良いので、笑顔は崩さずに続ける事にしたのだ。
「我々は、商人と同じく、様々なものを様々な場所で獲得し、それを利益につなげたい、という『営利目的』で布教しております」
「それは知ってるぜ。貧困層の住民を拾い上げ、飯も寝床も用意して、鍛えて学習して、兵士としての仕事も用意するってんだろ?」
「それだけではありません。むしろそれは初期の段階に過ぎないのです」
貧困にあえぐ民衆の救済も含めた兵の増強。
これは確かにいろんな国で教団が取り組む事業の一つとして広めてはいるが、決してそれが全てではなかった。
「教育した兵は、必ずや国の発展の為の力となるでしょう。職を得た兵は、それまでより遥かに多くのお金を国に落としてくれるはずです」
貧困層は、そもそも仕事が無い、あるいはその仕事では実入りが期待できない、という意識がある。
当然経済面で飛躍のしようもなく、そのままでは国家の収支にも役立たない、『居るだけの国民』となってしまう。
それは言ってしまえば大いなる無駄で、折角の人的資源を無駄にしているようにしか見えない。
「では問うが、その兵士の給料は誰が出す。育てる為の費用なんて、貧乏国家には苦しいんじゃねーかなあって思うんだがな」
「兵のお給料は、兵自らが生み出すのです」
「なんだと?」
皇帝の眼の色が変わる。真面目に話しに聴き入ってくれるらしいと感じ、緊張を、勝機に変える。
「需要があってそこに供給されて、初めてそれに意味が発生するのです。その点で考えるなら既に一定の兵力を持つ国家には、必要以上の兵力は要らないものと考えられがちです」
そう考えるからこそ、供給が需用を上回る大国では徴兵制度は採らず、代々の家系によって相続させたり、志願兵によって兵力を維持している国が多い。
「ですが、そこで一度お考え下さい。一つの国で兵が過剰であっても、他の国ではどうなのでしょう? 兵が足りない。そもそも人が足りない地域があるのではないでしょうか?」
人は等しく散らばめるべきで、人員は等しく配置されるほうが効率が良いはずだった。
北部では、辺境ゆえに人手が足らず、兵力も満足に集められない弱小国が多い。
かと思えば、少し国力のある国は逆に兵力を集めすぎて、今度は財政難に喘いだりする。
この辺りの舵取りは、その国の首長にもよるが、とても難しいのだろうとカルバーンは考える。
何故なら、成功している国をほとんど見ないからだ。
大体は何かしらに偏重しすぎていて、バランスよく運営する事が出来ない。
それは何故か。国が自分の国を客観視できないから。
王族が、支配者層が、高所得層が自分達の考えで国を動かしてしまうから。
そうした結果生まれるのは低所得者層という、無駄に多くて無駄の多いカースト下層の人々。
更にその下に作られる貧困層という、生活すらおぼつかないカースト最下層の人々。
競争はとても大切だし、その結果敗者が生まれるのは当然の世の理だとはカルバーンも思うのでそこは否定しない。
負け犬は必要だし勝者は下の者に夢を見せ続けるべきだとは思う。
だが、負け犬が多すぎる現状は無駄が過ぎる。勿体無い。だから活かそう、というのが教団の考えだった。
そして、一つの市場でそれが活かせないなら、別の市場で活かせばいいじゃない、というのがカルバーンの考えだった。
「商人に近い、というのが良く解った気がするな……」
ぼそり、呟いたのは皇帝ではなく、国王だった。
「お前の教団は、一つの国で余剰した兵を、別の国に貸与する事で、兵士自身にその給料やなんかを生み出させるつもりなのか」
「その通りです。元より貧困層の民は、あまり国に執着がなく、国の為にというよりは、自分達の生活の為に戦う者が多いですので、そういった扱い方にはうってつけですわ」
どちらかといえば兵士というより傭兵気質の者が多いのだ。
ただ、きちんと教育を施す為教養が高く、傭兵と違って暴走することが少ないのも利点として大きい。
「そしてその兵士の管理を私ども教団に預からせていただければ、各国の思惑に左右される事なく、あくまで営利性優先という、平等なシステムの下配置が決まる事になります」
その為の布教、その為の教育だった。兵を作るのも兵に仕事を与えるのも教団。
そして、経済を潤わせるのも人々の心を癒すのもまた、教団になるのだ。
布教された国々は『聖竜の揺り籠が広まった国』として一まとまりになり、境目が曖昧になる。
各国に様々な恩恵を与える、国と国の間の架け橋。それが最終的な教団の立ち位置になるんじゃないか、とカルバーンは考えていた。
「国としては、無駄なコストが減り、何よりそういった方向でも利益が望めるのはでかい、のか?」
「そして、経済力が上がれば民も増え、増えた民は国力を生み、国力を糧に民が更に増えていく……理想的なまま進めば、鼠算で増えていくのう」
サバラン王子も国王も、顔を見合わせ確認する。
そして笑った。自国の繁栄を確信しての笑顔だろう。
ただ一人、笑っていないのはシブースト皇帝だった。
「自分の国の兵権を他人にくれてやるなんて、よくそんな大それた事を思いつくな」
「我らが預かるのはあくまで民衆から募った兵。国から委託された余剰な兵力。それだけですわ」
「寡兵でもやりようで国家転覆は狙えるぜ。何より、宗教って奴は民衆に食い込んでくるから、いつのまにか国が蝕まれてたりするんだ」
皇帝の心配事は、どちらかといえばそちらにあるらしかった。
少し前まで世界を席巻してた宗教組織がアレだから仕方ないともカルバーンは思っていたが、それにしても明け透け過ぎた。
皇帝としては、よっぽど愛娘が誘拐されたのが痛手だったのだろう、と考え、どう答えたものか逡巡してしまう。
「シブースト皇帝、その辺にしてはどうか。余としては、折角の料理が冷めるのは勿体無いと思うぞ」
幸い、運良く国王が横からフォローに入った。
場の雰囲気が冷めるのは、この国王としてもよろしくないと思ったのだ。
「すまねぇ。少し感情的になっちまってたようだ。酒が入るとこれだからいけねぇや」
窘められてか、皇帝はぽりぽりと頭を掻いて豪快に笑う。
「教主殿よ、こやつの血筋はいつもこう、何かあるとすぐ暴走するのだ。気に召されるな」
「はい。大丈夫ですわ。ありがとうございます。ババリア陛下」
ありがたい助け船に、カルバーンは素直に感謝していた。