#8-2.認識操作魔法『クラムバウト』
「――こういった事を話しました」
「なるほど。黒竜姫は賢いな」
謁見の間である。
魔王は傍らに控える人間大のアリスと童遊び等をして寛ぎながら、ラミアの報告を受けていた。
いつもはあまり触れたがらない黒竜姫の話題において、きちんと彼女を褒めていた。珍しく。
「黒竜族にしておくのがもったいないな。理解が早く先見性もある」
「それ、本人に言って差し上げた方が喜ぶと思うのですが」
目を閉じ、ラミアは静かに笑った。
この方があの娘を褒めるなんて珍しいわねぇ、と。
「そんな事したら絶対に調子に乗るからな。あの娘は褒めれば伸びるかもしれんが、同時に図にも乗る」
褒めた先には必ずと言っていいほど度を越した何かを繰り返す黒竜姫が想像できてしまう為、魔王はあまり黒竜姫を褒めない。
実際には絶世の美女だし、話してみれば意外と純情で、そこまで悪女ではないようにも感じるのだが、調子に乗って魔王が引いているラインに、平然と踏み込んでしまうのが黒竜姫という娘であった。
「全く、昔の姿からは想像もつかんよ」
幼い頃の黒竜姫を思い出す。顔はそのまま成長した姿だろうに、行動の方がどう考えても似ても似つかない。
「陛下、あの娘の幼い頃をご存知で……?」
しかしラミアは、笑って話を出した魔王と違い、緊張した面持ちで魔王を見つめていた。
「君は知らなかったのかね?」
魔王には事情が解っていた。先代魔王の記憶操作は、魔界のあらゆる存在に振りかけられている。
ただ一つ、ただ一人のその娘を守ろうとせんが為にかけられたであろうその魔法は、なんとも都合よく作用したのだ。
「実を言いますと、最近、何か大切な事を忘れているような気がしまして。よくよく考えますと、ある時期の事柄がすっぽりと、記憶から――」
「記憶から抜け落ちていた、という事かね?」
「はい。そしてそれが、他でも無い黒竜姫が幼少だった頃からの……そして、先代魔王が亡くなる直前までの時期と合致するのです」
ラミアは、大体は魔王の推測したとおりの範囲を言い当てていた。
魔王自身も一時は忘れていた範囲とぴったり当てはまる。
やはりそうか、と、魔王は小さく溜息を付く。
「私もそうだった。だから成長した黒竜姫を最初に……いや、『あの後』から初めて会った時に、何も感じなかったのだ」
元々は顔見知りの娘である。
幼少時から成長し、年頃の娘になるまで魔王自身がたまに見かけ、何度かは話したこともある間柄であった。
それらは全て魔王が先代魔王と会う事によって起きた思い出ではあるが、魔王自身もそれを思い出せるまでは欠片も気づけず、黒竜姫もまた、魔王の事などまるで覚えていない有様であった。
ラミアも同じで、やはりその当時の事を部分的ないし全体的に忘れているのだろう、と、魔王は考える。
「『あの後』とは……? 陛下、一体何を知ってらっしゃるのですか?」
やはりというか、言葉尻を取り、ラミアは首をかしげながら主に問うのだ。
「……煽っておいてなんだが、この件はあまり探らない方がいいかもしれんぞ」
だが魔王は突き放す。
干渉させまいとするのではなく、『それ以上知ると辛い事になるぞ』と警告するのだ。
夢の最後の一ページ。
自分の首を締め上げ、主の死に涙するラミアを思い出し、魔王は複雑な気分になっていた。
それが表情として出てしまっていた為、ラミアは一歩下がり、ぺこりと頭を下げる。
「申し訳ございません。過ぎたことを」
「いや、別に私にとって辛い事ではないのだ。ただ、君にとってそれはあまり善い思い出ではないだろな、とな」
何か勘違いしたらしいラミアに言い繕う。掌をわさわさと振りながら。
「そういう事でしたら覚悟はできておりますわ。というより、もとより忘れるような記憶。恐らく私自身にとって、善くない物であろう事は自分でも解るのです」
意外にも、ラミアは胸を張り、魔王の言葉を受ける覚悟であった。
魔王も驚きを隠せなかったが、「ならば」と、言葉を紡ぎ始める。
「まず最初に、君は覚えてないと思うが、先代魔王の容姿を思い出して欲しい」
「えっ? 先代の容姿ですか……? 美しい女性だったと記憶しておりますが……」
そう、そこまでは誰もが覚えている。黒竜姫に勝るとも劣らぬ絶世の美女である。
「あれ……? でも、おかしいですわ……」
「その絶世の美女。髪の色は何色かね? 瞳の色は? どのような顔立ちの女性だった?」
戸惑うラミアに、矢継ぎ早に質問を重ねる。ラミアはたまらず首を横に振った。
「思い出せません! どういう事なのですかこれは!?」
「つまりだ。まずそこからして思い出せないのだ。皆な」
魔王が知る限り、先代魔王エルリルフィルスの容姿について言及できたのはエルゼただ一人である。
何故エルゼにだけ記憶操作が作用してなかったのかは魔王にも解らないが、少なくとも魔界においてほとんどの者はその操作の影響を受け、先代の容姿を正確に描写・言及できない。
当の魔王ですら見事に術中にはまっていた為、彼女の容姿を思い出せるようになるまで相当の日数デフラグをする事となってしまったほどである。
特別何かしない限りは、それを思い出すことすら困難であろう事は薄々感じられていた。
「私は古代魔法について詳しくは知らないが、記憶を操作する類の魔法などはあったりしないかね?」
少なくとも現代魔法にはその手の魔法は存在しない。
だが古代魔法の中には『何故そんなものを?』、と首をかしげる程効率の悪い物や用途不明な物が存在するのだ。
「確かに、先代は稀代の古代魔法の遣い手でしたから、そういったものも……記憶操作なら、『クラムバウト』という魔法があります」
「どんな魔法なのかね?」
「世界レベルで生物の認識を操作するという超魔法ですわ。発動に関しても自在に、とはいかず、様々なものを犠牲にしてようやく発動させる事の出来る代物らしいですが」
世界レベルとは驚きである。
現代魔法における最強魔法『メテオ』ですらせいぜい山一つ吹き飛ぶ程度の範囲しか出ない。
先日の黒竜姫が使ったという古代魔法といい、どうしてこうも古代魔法とは極端なのか。
魔王は深い深い溜息をつき、その壮大さにひたすら呆れた。
「それが発動すると、認識がどのように操作されるのかね?」
「解りません。そもそも使用者本人以外にその発動と効果を認識できないらしいのです。それに――」
「それに?」
「この魔法の発動条件に、主に術者の生命力のほとんどを世界に捧げる、というものがありまして――」
「つまり、使ったら死ぬのか」
「恐らくは。それすら明確には解らないのです。存在するらしい事は私自身、何度か文献を読んだり、魔術に造詣の深い者から話を聞いたりして知ってはいるのですが」
使用者にしか認識できないのは、その効果範囲を考えれば当然と言えば当然なのだろう。
どのように変わるのかは魔王には想像しかできないが、やはり認識が変わってしまっても『それが当たり前』と思ってしまっているのだろうから、実感できようはずもない。
しかし、そんな事はどうでもよく、効果を認識できるのが使用者本人だけの癖に、発動したら使用者自身が死ぬという訳の解らなさが、魔王には納得行かなかった。
「何の為にあるんだその魔法は……意味が解らん」
効率云々以前に、誰が得をするのかも解らない魔法である。
元々古代魔法などというのはそんな傾向が強いが、術者が死ぬ類の魔法は殊更魔王には理解できなかった。
「死んででも記憶を操作したい時に使うのでは。あるいは死期を悟っているなら、命を投げ出す事はさほど重い代償ではないのかもしれません」
そんな魔法が存在し、そんな魔法を恐らく扱える先代魔王が存在し、そんな魔法を使ってでも守りたい者が存在していた。
ラミアも気づいたのか、ハッと目を見開く。
「陛下。私、もう一つ思い出しました。幼い頃、あの娘達はここに居たのですが、私、その面倒を見ていたのです」
「そのようだね」
「ですが、今まで何故私がそんな事をしていたのか解らなかったのですが、今ようやく、その理由のようなものが見えて参りました」
ラミアは思い出したようだった。過去の記憶を。
『彼女』の幼い娘らと、苦労しながらもそう悪くない顔で微笑んでいたあの頃を。
「陛下。何故私は忘れてしまったのでしょう? あの娘を……いいえ、あの方々の事を。ずっと、エルリルフィルス様から託されていたというのに」
赤い眼から涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。
肩は小刻みに震え、嗚咽のようなものが聞こえ始めた所で、魔王は目を閉じた。
「範囲を指定できない魔法だったのだろう。じゃなきゃ、君や私にまでそんな魔法をかけるとは思えん」
「そうだったのでしょうか? あの方は、本当に誰も信用できず、そのような魔法を使ったのでは――」
「そんなはずはない。ラミア。君は彼女にとって数少ない『娘を託しても安心できる部下』だったのだ。だからこそ、彼女の側近でいられた」
娘達の父親達ですら入らせなかったのだ。
あの時期の魔王城は、エルリルフィルスが信用した者以外、一切立ち入る事は出来なかった。
側近に限らず、従者やメイド、城兵の一人に至るまで、全てが厳しい魔王チェックによって。
そうまでして娘達の養育に費やした彼女の事、嫌々ながらきちんと娘達の面倒を見てくれていたラミアには、とても強い感謝の気持ちを抱いていたのは魔王も知っていた。
「そうなのでしょうか? ああ、そうだったのなら、私も――」
さめざめと泣くラミアである。
魔王も泣き顔を見てやるまいと目を閉じていたが、そろそろしんどくなったので開く。
やはりというか、ラミアは鼻をスンスンと鳴らし、掌で何度も零れ落ちる涙をこすっていた。
「君は彼女から見て、間違いなく忠臣だったと思うがね」
勿論、エルリルフィルスにとってもある程度都合のいい部下だったというのもあっての評価なのだが、それでもラミアに対する評価としては最上の物であるとは魔王は感じていた。
笑いながら話していた彼女であったが、実際問題ラミアなしでは成り立たない位には、魔王城での子育てにおいて貢献していたのだ。
「うぅっ、そ、そんな涙溢れる事を言われては、わ、私は――」
「あぁ、あー、解った。解ったからここで泣くな。つまりだ、君は忘れていた事を一つ思い出せたのだろう? よかったではないか」
「ですが陛下、同時に善くない事も思い出しましたわ」
魔王はいい加減鬱陶しくなってきたのでさっさと話を終わらせようと思ったのだが、ラミアは涙を掌で掬い取り、じと目で睨むように魔王を見ていた。
「なんだ? 何故私を睨むんだ」
「陛下、エルリルフィルス様を殺したのは貴方ですよね?」
面倒くさい事まで思い出していた。
「はあ、やっぱり思い出したか。面倒くさいなあ」
つい言葉に出てしまった魔王。面倒くさかったが故に。
「あの時に言っていた『直に忘れる』というのはこのことだったのですね!? 何故殺したのですか?」
「よく考えたまえ。先代は記憶操作の……その、クラムなんたらを使ったんだろう? なら、彼女の死因は解り切っているではないか」
クラムバウト発動によって生命力を奪いつくされて死亡。というのが、この度ようやくはっきりとした先代魔王の死因であった。
「……あっ」
魔王に掴みかからんとばかりにずずいと前に出てきたラミアであったが、魔王の言葉に一瞬で落ち着く。
「確かに、そうでした。ですが、それならそうと――」
「あの時、私は彼女のしようとした事を、多分聞いていたんだ。だからどうなるか解っていた。だが、彼女が死ぬことまでは知らなかったか……あるいは、その時には既に私の記憶から、彼女は消えていたんだ」
目の前に横たわっていたはずのその彼女の容姿を、ぼんやりと眺めながら。
それが当代の魔王であると認識できていたはずなのに、何故かその容姿は目に入らず。
結局の所、彼自身、エルリルフィルスの術中にはまってしまっていたのだ。
どの時点で魔法が発動したのかは未だに解らないままだが、少なくともラミアが自分に掴みかかっていた時には、既に認識がすりかえられていたのだろうと魔王は考えていた。