#8-1.ラミア会談
ある冬の事である。
魔王軍の全体が戦争の変革に慣れつつあるこの世界において、ラミアは軍の主要な人物と面会し、新たな戦いの進め方を詳細に説明していた。
多くの者が変革に対しやや懐疑的ではありながらも、ラミアの説明には納得して帰って行ったのだが、やはりというか、黒竜族はその辺り中々納得しようとせず、駄々をこね始めていた。
彼らが恐れるのは戦場における竜族の必要性の低下、需用を失う事である。
戦場で暴れまわるのが大好きな黒竜族は当然として、それ以外の竜族も好戦的な者が多く、その高い戦闘力を評価される事を常日頃から望んでいる。
同じく最強種族である吸血族とは違い、戦地で戦い、戦場に生きる事を生き甲斐としている者も少なからず居る為、変革によって自分達の地位が脅かされるのではないかと不安に駆られているのだという。
その所為か、ラミアがきちんと説明しようとしても黒竜翁は頑なに面会を拒み、拒絶を以て自分達の立ち位置を確保しようとしていた。
無論、時代の流れに逆らえるはずもなく、そんな事をすれば彼らだけ取り残されてしまうのだが、彼らの強い伝統意識とプライドの前には、そんな物は何の押さえにもならないらしかった。
こうなっては梃子でも動かないのが黒竜翁なので、ラミアは仕方なくその愛娘であり、一応友達でもある黒竜姫と面会する事にした。
というより、例によって勝手に魔王城に遊びにきていたのを捕まえたのだ。
「それで、私に用事ってなーに?」
中庭のティーテーブル。
椅子に腰掛ける黒竜姫は、興味深げにラミアを見上げていた。
カーキ色のケープを羽織り、灰色ぶちの黒いドレス。
艶っぽい黒髪には桃色の乙女百合の花が飾られ、唇には薄い紅。
冬らしく華やかさは抑えられているものの、着飾ることは怠らない、そんな乙女の上目遣いである。
「どうしたの? 早く言いなさいよ。ほらほら」
よほど退屈していたらしく、黒竜姫は話しかけられ、上機嫌で笑っていた。
普段平然と罵倒してくる彼女とのギャップに、ラミアは思わずハッとしてしまう。見惚れてしまう。可愛いなどと思ってしまう。
一瞬たりともそのように思ってしまって不覚に感じるものの、ラミアは彼女の機嫌を損なう前に用を果たす事にした。
「先日、貴方の父上と会談しようと思ったんだけど、拒否されちゃって」
「ふぅん。それで?」
「そのままじゃどうやってもこちらの話聞こうとしないでしょ、あいつは」
「ええ、そうでしょうね。父上は頑固だから」
お手上げよ、と両手を挙げてジェスチャーするラミアに、黒竜姫も苦笑しながら同意する。
「それで、とりあえず貴方にその内容を説明して、それを父上に伝えてくれたらなあ、って思ったんだけど」
あくまで機嫌よさげに対応してくれる黒竜姫を見て、「これは上手くいくか」と思い、ラミアは話の奥まで続ける。
「なんで? もっと相応しい人がいるんじゃなくて? 私に話す意味が解らないわ」
しかし、残念ながら黒竜姫は乗ってはくれなかった。
機嫌を損ねた訳ではなさそうだが、不思議そうにキョトンとしている。
「貴方より相応しい人なんて居たかしら?」
一方、ラミアも黒竜姫の言動に違和感を感じて、考え始めてしまう。
「忘れてはダメよ。相応しい兄上が居るでしょう?」
「ああ、まあ、ね……」
黒竜姫の指摘に、ラミアは「そういえばそんなのも居たわね」位に気づかされる。
最強の黒竜として名高い黒竜姫ではあるが、実は黒竜族内ではそこまで高い地位に居る訳ではなく、扱い的には黒竜翁の数居る子供の一人に過ぎない。
黒竜姫には多くの兄が居るし、同時に現在進行中で弟も妹も増え続けている。
兄の中で一番黒竜としての血が濃い長兄が後継者候補として認められているのだが、こちらは知名度が全く無い。
それもそのはずで、この純血のはずの長兄は妹の黒竜姫より遥かに弱く、父である黒竜翁ですら超えられないのだ。
その為、黒竜翁はこの情けない息子をあまり表に出したがらず、竜族以外でその存在を知る者は少ない。
しかし、強さより血統や男女の違いが重視される伝統の為、どれだけ黒竜姫が強かろうとハーフの上に姫では継承権等まわるはずもなく、黒竜姫は姫でありながらその立ち位置は宙ぶらりんであった。
しかしながら、彼女の指摘する長兄は、確かに黒竜族においては黒竜翁に次ぐNo.2なのだが、ラミアからすれば不足としか言いようのない相手である。
「ごめん。貴方の言いたい事は解ったけど、あの子じゃダメだわ」
完全に子ども扱いである。
「まあ、確かに兄上は頼りないっていうか、正直微妙だけど」
妹にまで微妙扱いされる長兄であった。
「それにね、貴方なら黒竜翁から愛されてるし、貴方の言葉なら耳を傾けると思うのよ」
変な方向に話が曲がりそうだったので、ラミアは急いで軌道修正する。
「……愛されているっていうか、欲望のはけ口にしようとしてるように感じるけどね、時々」
あまり笑える事では無いらしく、黒竜姫は小さく溜息を吐いた。
黒竜翁は、若い頃から性欲の権化とも言われるほどに数々の女性を手篭めにしているのだが、どうやら最近はその矛先が実の娘にまで回ろうとしているらしい。
「――相変わらずどうしようもない奴ね。あんなのの娘に生まれるなんて、同情するわ」
ラミアも黒竜姫の苦労が見て取れたのか、一緒に溜息を吐く。
実の父親から付け狙われるなど恐怖以外の何物でも無いだろう。
「まあ、父上は私よりずっと弱いから、下手に手出しなんてできないでしょうけどね」
同時に情けない父親でもあった。
「仕方ないわ。兄上に任せるのも不安だし、暇だから話位は聞いてあげるわよ」
あまり続けたくない話だったらしく、黒竜姫は早々に話を変えようと急かしていた。
「あら、ありがとう。助かるわ」
ラミアとしても都合が良かったので、その話はそこで終わった。
「――というのが我が軍の現在の状態ね。解りにくければ、部隊の最小規模が変化した、とでも思ってくれればいいわ」
一時間ほどかけてラミアの独演会が続けられ、黒竜姫はそれを聞きながらのんびりとお茶をしていた。
聞いてあげると言った手前か、面倒くさくてもしっかり黙って話を聞いていた黒竜姫だが、話がひと段落した辺りで軽く手を挙げ、話を制止した。
「どうかしたの?」
ジェスチャーを見て話を切るラミア。
「今の話って、つまり、大部隊同士での戦闘をしなくなったっていう事?」
「いいえ、大規模な部隊同士でのぶつかり合いは今後もあるでしょうね。ただ、これからは少人数での作戦展開も増える事になるっていう話よ」
黒竜姫が気になった点に納得が行ったのか、ラミアは静かに説明を始める。
「これまで前準備、あるいは後始末として、特殊な部隊が専用の作戦を受けてこなしていたものを、これからは部隊を選ばずに、状況に応じて逐一指示していくっていう事ね」
「汎用性の強化って言う事ね。それはいいんだけど――」
「貴方が気にしてるのは、大規模な戦闘が減ったのでは、竜族が戦闘に加わる意義が薄れる、といった辺りかしらね?」
片目を閉じ、話の先を言って見せる。
黒竜姫はハッとし、ラミアの顔を見つめた。
「ええ、そうよ」
解りきっていた返答に満足げに笑いながら、ラミアは続けた。
「安心しなさい。それは杞憂というモノだわ。竜族は今後も戦力として十二分に期待されているもの」
確かに大規模戦において猛威を振るっていた竜族だが、それが小規模戦闘になっても彼らの活躍は間違いない。
むしろ、対竜兵器等の脅威がなくなる分、竜族が倒され戦略が崩れるというリスクも激減する、というのがラミアの考えだった。
「そう、なら良いのだけれど」
自信に満ちたラミアの顔に、黒竜姫はほっとしたのか頬を緩める。
「ただ、今までのように上空からブレスを一吹きして終わり、とはいかなくなるでしょうね。敵もブレスの対抗策を講じ始めてるし」
戦争の変革は、同時に竜族最強の武器であるブレスに制限をつけられたようなものであった。
人数単位が小さくなればなるほどブレスの一撃で与えられる人的損失は減少し、折角の超広範囲攻撃も意味を成さなくなってしまう。
「実際問題、北部の人間の軍勢はこちらとほぼ同時期にばらけて行軍するようになって、奇襲で指揮官が狙い打ちにされたり、伏兵・迂回戦術によって横腹や背後から強襲を受けることが多くなったわ」
「ブレスの効率が悪くなったっていう事は、私達は対人より、対城砦での活躍を求められる訳ね」
飲み込みも早く、黒竜姫はラミアの話に乗り始める。
「そうなるわ。と言っても、城砦も対竜兵器や魔法使い等の対竜対策が練られてる事が多いから、考えなしに突っ込めば被害ばかりが増えると思うけど」
「タイミングが命って事ね。今までのようにむやみやたらと突っ込めば良い訳ではない、と」
黒竜姫は、考えるように顎に手を当てる。
だが、ラミアは心配にはならなかった。
この娘ならきちんと理解して黒竜翁に伝えてくれる、と信じているのだ。
普段やたら身勝手で暴虐な娘だが、実の所とても頭の回転が速く、物覚えもいい。
力だけでなく知恵の面でも魔界屈指なんじゃないかとラミアは思う。
「例えば、城砦を攻めるにあたって、今までは単独で突っ込んだり、そのタイミングは全部竜側に任せてたりしてたけど、そのコントロールをこちらに回してくれればかなり楽になると思うのよ」
「別に頭の弱い奴がどれだけ死のうと知った事じゃ無いけど、それで竜族の名が貶められるのは我慢ならないし……そう考えると、そこまで悪い提案じゃないかしら……」
他者の束縛を嫌う黒竜族ながら、それによってプライドが削られるのも屈辱らしく、黒竜姫は複雑そうな表情で迷いに迷っていた。
「なんなら、黒竜族が先頭に立って、青竜や赤竜に指示を下してくれたって良いのよ?」
「どういう事?」
「三人一組位で動くのよ。隊長は黒竜族にやらせて、突撃するタイミングを図るとか」
元々好き勝手に動いていた黒竜族だが、その知性と力は間違いの無い物な為、他の竜族を律する事もできるのではないかという考えである。
黒竜族が対人で猛威を振るえているのは、純粋に強いからというだけでなく、突如として現れ、阻む事の出来ないタイミングで攻撃を仕掛けてくるからである。
つまり、一番有効な攻めのタイミングを、彼らは知っているのだ。
その所為か、黒竜族の戦地での戦死者は非常に少ない。
一部不幸な事故死・病死を除いては、成人した彼らの死因の大半は同族や他種族とのいがみ合いによる決闘死である。
一方、戦地で死ぬ竜の多くは赤竜であり、それは彼らの知性の低さによる所が大きいとラミアは結論付けている。
だが、赤竜は竜族のカーストでは最下位であり、青竜はともかく、力でも知性でも勝る黒竜には絶対服従な為、そのコントロールは黒竜族にとって難しい事ではないのではないかとラミアには思えた。
「確かにそれをやれば効率的に突撃できるわね。何より私達の出撃頻度が一定に保てる……」
「勿論、城砦攻撃時以外でだって活躍の場面はあるわよ。敵の本隊を見つけたら貴方達の出番になる訳だし」
小部隊単位の行動が増えたからと、大部隊が配置されないわけではない。
地形にもよるものの、多くの場合数の利は如何とも覆し難く、小部隊のみで大部隊を押さえ込むのは至難の業である。
そうなるとやはり、どこかに大部隊による本隊を配置し、小部隊を以て敵陣に被害と混乱を与えた後に本隊による攻撃で蹂躙、という形が好ましくなる訳で、その為の索敵・工作は必須であり、本陣に対する攻撃手段は多い方が良いに決まっていた。
要するに、すばしっこく動きまわる敵には効率が悪いが、城砦のように動かない的や、敵本隊のような大人数がまとまっている場所においては、やはり竜族の、巨大さから来る攻撃力は重要なのである。
「なるほど。少人数編成という所にばかり重点を置きすぎて、本隊が存在する事には考えがまわらなかったわ」
色々と納得できたのか、黒竜姫は目を閉じ、かみ締めるように静かに呟いていた。
「私としては、貴方達の時代が終わる訳じゃないっていうのが解ってもらえれば一番なんだけど。要点は把握してもらえたみたいだし、父上に伝えてもらえるかしら?」
ラミアとしてはこれからが本題である。
ここで了承してもらえれば、あの馬鹿親の黒竜翁の事、可愛い愛娘の言葉なら耳を傾けるに違いない。
そして変革の有用性には即座に気づき、自分達の地位と名誉を損なわせないものであると理解するに違いない、と、ラミアは考える。
同時に、ここでそれでも「面倒くさいから嫌」とか言われたら後がなくなるのも解っている為、最後のお願いはとても大切であった。
「いいわよ。しっかりと伝えておくわ。面倒くさいと思ったけど、思ったよりは面白い話だったしね」
ラミアのお願いに、黒竜姫は機嫌を損ねず、ニコリと笑い、快諾した。
髪に飾られた百合の花のような、淑やかな笑顔であった。