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趣味人な魔王、世界を変える  作者: 海蛇
2章 賢者と魔王
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#6-3.パン屋の娘とチョココロネ

 アップルランド帝都・アプリコット西部。

その一角に構えられた小さなパン屋で、今日も看板娘の少女がパンを焼いていた。

窯の中でおいしそうな焦げ目をつけた白パンは、焼き型の蓋をしないため山型に盛り上がっており、これが人気である。

アプリコットにおいては焼き型の蓋をして焼くのが基本とされており、耳も四角いパンがほとんどであるが、この店は西部諸国で主流の焼き方を取り入れた為、こうなっている。

「よしっ」

上手く焼けたわ、と、ぱあっと微笑む。可愛らしい笑顔が魅力の少女であった。

三角巾を付けた長めの三つ編みを振り回し、厚手のグローブを手にはめ、オーブンからパンを取り出す。

美味しそうな匂いを店中に漂わせ、白パンが登場する。全部で三斤。

トレイの上に置くと、熱を冷まし、食べやすい薄さに加工する。

 紙袋に包んで店内に持っていくと、既に何人かの客が店内に入り始めていて、どのパンを買うか迷っていた。

見覚えのある客が三名ほど、こちらは常連である。

見覚えのない客が一名。冒険者風の若い男性で、腰につける短剣を見て少女は「かっこいいなあ」等と不覚にも思ってしまった。

乾パンや干した果物等の保存食も売っている為、こういう街の外からの客もたまにパン屋に来るのだ。

少女は近くに居る常連客に一言二言挨拶したりしながら、手際よく焼きたてのパンを商品棚のトレイに置き換える。

「セーラちゃん、今日はライ麦パンは無いのかしら?」

常連の一人である近所の主婦が少女に話しかける。

「ごめんなさい、ライ麦は最近値段が高騰しちゃってて。南部の方が落ち着かないと仕入れの数が少なくなっちゃうんです」

南部ではキメラという化け物が暴れまわっており、それが元で南部とそれ以外の地域との通商コストが跳ね上がり、結果南部特産のライ麦等の食料の価格が高騰し始めていた。


 元々寒さに強いライ麦は北部でこそ光る穀物であるはずなのだが、北部には最強のジャガイモという芋が幅を利かせており、麦類の出番は一切無い。

かと言って他の地域でなら光るかと言われればそうでもなく、中央諸国は小麦と米が中心、西部はトウモロコシというチート作物がそれぞれ幅を利かせており、ライ麦の主食としての需要は南部以外ではあまり高くない。

ただ、ライ麦から作られる黒パンは酸味があり、小麦で作られる白パンと比べて日持ちが良い点、肉類やサカナなどの甘くない食材を乗せて食べるのに適しているという側面もあり、仕事を終え、酒を飲みながら食事を取る男達にはこういったパンの方が人気はあるのだという。


「残念ねぇ。まあ、無いのなら仕方ないわね」

言いながら、主婦は別のパンをトレイに乗せる。

「すみません。もし作れたら取り置きしておきますから」

「ええ、お願いね」

眉を下げ、ペコリと頭を下げるセーラであったが、主婦は気を悪くした様子は無く、微笑みながら返した。


 店に居た客が思い思いのパンを手に会計を済ませたところで、別の客が入ってきた。

「あら、エリーシャさんじゃないですか。いらっしゃいませ」

見慣れた剣士風の女性。アプリコットでは有名人な女勇者のエリーシャであった。そして常連であった。

「こんにちわセーラ。黒パンはあるかしら?」

「ごめんなさい。ライ麦が高騰しちゃってて……」

今日何回目か解らない謝罪と説明である。

それほどの人気作だと思っていなかっただけに、セーラもちょっとショックを受けている。

「それにしても、皆さん黒パンが好きだったんですね。常連の方、皆さんそんな風に聞いてきてて……」

作り手ながら、白パンの方が美味しいと思うセーラにとっては、黒パンの人気が今一理解できなかった。

「そうなの? まあ、黒パンってお肉と合うし。甘い味付けのローストなんかと一緒に食べると絶品なのよ。知ってた?」

「いえ、私、あんまりお肉食べないから……」

「あらそう。軽く焼いて小魚の燻製なんかと一緒でも合うわよ? お酒のつまみに良い位」

高名な女勇者様は、実に親父くさい趣味をお持ちであった。

「エリーシャさん、折角の美人さんがそんな、つまみとか……」

何事もイメージというのは大切だと、セーラは思っている。

エリーシャはセーラ自身から見てもすごい美人で、モデル体型なのも含めて憧れてしまう位なのに、口のせいでその美貌が活かせない気がしてならないのだ。

「あら、私だってお酒位飲むわよ? それともなぁに? 女はお酒飲んじゃダメなのかしら?」

「いえ、そんな事ないです。かっこよく飲める人、すごく良いと思います」

それはそれで大人の女性らしくて、適度にお酒を嗜める人は大人びてて良いと思ってもいた。

「ならいいじゃない。でもそう、黒パンがないなら仕方ないわ。堅パンはあるのよね……あったあった」

言いながら、エリーシャは店の奥の方にあった丸型の堅焼きパンを取る。

「エリーシャさんって堅いの好きですよねぇ」

しみじみ思うのはセーラである。今まで客として来た時でも、エリーシャは一度も柔らかいパンは買おうとしない。

「柔らかいのって、子供の頃に食べ飽きたからねぇ」

「エリーシャさんって、シナモンの方でしたっけ。小麦の生産地ですもんね」

シナモン村は世界有数の小麦生産地である。他の地域では比較的高級な小麦粉はしかし、この村の住民にとってほとんど無価値な白い粉でしかなく、それによって作られる白パンも食べ飽きた主食であった。

「柔らかいパンって、小さい子やお年寄りには良いんだろうけど、どうにも噛み応えが感じられなくって……」

「私は結構好きなんですけどね。好きすぎてパン屋やってますし」

白パン大好きが高じてパン屋になったセーラにとっては、エリーシャの感性はちょっと理解できない、だけどとても参考になる意見だった。

「そういえば、ちょっと前にショコラに行った時にあっちのパン屋を覗いてみたんだけど、変わったパンが売られてたわよ」

聞き捨てならない言葉だった。

「どんなパンですか!?」

パン屋の血が騒ぐ。カウンターから身を乗り出してしまう。

「……いや、普通にカウンターから出てくるとかすればいいのに」

そんな乗り出さなくても、と、エリーシャは呆れて苦笑する。


「ショコラで見たのはね、『コルネーテ』っていう菓子パンよ。変わった形のクロワッサンにカスタードクリームが入ってたわ」

改めて、素直にカウンターから出てきたセーラに、エリーシャは自分の見知ったパンを教えていた。

「く、クロワッサンにカスタード……あの、どんな形状なんですか?」

「巻貝みたいっていうのかしら? あるいは、角笛みたいな感じかな。その穴の部分にクリームが入ってるの」

軽くメモ紙等にそれを描いて見せる。

決して上手くは無いが説明に沿った形状をした解りやすい絵心であった。

「なるほど……クロワッサンでこの形状って結構無理がありますよね。流石魔法大国、どんな魔法を使ったのやら……」

「パン焼くのにまで魔法は使わないと思うけどね……」

パン焼き魔法なんてジャンルは流石に存在しなかった。

「んー、クロワッサンだとウチじゃ難しいかなあ。あれって作るのすごい難しいんですよね」

作るだけなら誰でも出来るが、美味しく作るのは熟練した腕と経験がモノを言う類のパンであった。

「そうだ、生地の部分、白パンで代用できないでしょうか?」

カレー粉が無いから牛乳を入れてしまえ、と言わんばかりの暴挙であった。

「貴方すごい事考えるわね。まあ、どんな風になるのか解らないけどやってみればいいわ。あ、お会計よろしく」

これにはエリーシャも苦笑いしかできず、一人ぶつぶつと語るセーラに、とりあえず会計を促す事しかできなかった。

「はい、えっと、銀貨5枚です」

言われたとおりの銀貨を出し、紙袋に入った品を受け取る。

「ありがとうございました。あの、試作品完成したらエリーシャさんにもお出ししますね」

「ええ、それじゃ近いうちに顔を出すわ。それじゃ」

「はいっ」

にこにこと笑いながら、セーラはペコリと頭を下げ、立ち去っていく常連客を見送った。



 そして数日後である。

「こんにちわ、例の試作品、できた?」

「出来ました!!」

のんびりと来たエリーシャに対し、目の下に隈を作り出迎えるセーラ。

ものすごい熱意であった。折角の可愛い顔が台無しになる位には。

「とりあえず中に入ってください」

「あらそう。まあ、それじゃ遠慮なく――」

言われるまま、店の奥のほうへと入っていく二人であった。


「これが試作品の『チョココロネ』です」

ビシィッ、と手で指し、自慢の一品を見せ付けた。

「チョココロネ……? ねえ、私が教えたのってコルネーテだったわよね?」

「はい、そのコルネーテを元に私が改良したものです。白パンの生地を、巻貝の型を使ってあま~く焼き上げて、生地の開いた穴の中にチョコレートクリームを入れてみたんです」

エリーシャが見てみるとなるほど、黄身色がかったコルネーテのそれとは違い、チョココロネの中心部はチョコレートの茶色が詰まっていた。

「あの、こっちのチョコレートクリームは甘さ抑え目にして大人の女性向けにしてみたんですけど、試食していただけますか?」

「ええ、勿論。その為に来たんだもの。じゃあ、食べるわね」

「はい、どうぞ」

言われるまま、エリーシャは手に取ったチョココロネを手に取り、口に運ぶ。

「あっ、あの、経験者として言わせて貰いますけど、傾けないようにしたほうが良いです」

等と奇妙な事を言っていたのをうっかり聞き逃し、エリーシャは傾けながら食べ始める。

「ん……なるほど、これなら甘すぎるのがダメな人でも――」

一口食み、感想を述べるエリーシャであったが、目の前の少女はそれどころではないと言わんばかりにただならぬ視線をエリーシャに向けていた。

「な、何よ。どうかした……の?」

その眼はエリーシャの顔など見ていない。

その視線はどこに向けられていたというのか。胸であった。

では何故胸を見たのか。


「……っ!?」


 自分の胸を見れば解る事だった。茶色に満ちた自分の胸元。

チョコレート味に染まった自分の胸である。

そこまで大量にこぼれた訳ではないが、胸元が変な色に染まった服を着て人の多いアプリコットは歩けない。

困った、どうしよう、と、エリーシャは思った訳である。

「あの、だから、傾けないようにって……」

経験者は語っていた。眼を左手で覆い、俯く。

「あー……やってしまったわね」

やらかしてしまった。なんという間抜け。

エリーシャは自分の迂闊さを自分で呪った。

「とりあえず、傾けちゃダメっていうのは食べ難いし、何かで蓋するとか、クリーム自体をもう少し粘り気持たせた方がいいんじゃない?」

等と冷静に感想と対処法を述べてみる。

「あ、はい、製品版はそうします……というか、怒らないんですか?」

「んー、いや、服が汚れたのは困るけど、自業自得だし。そういえば何か言ってたもんね。あれが注意だったのか」

目の前のパンに集中しすぎていて何を言っているのか聞き逃していた自分が悪いからと、特に怒る様子も無くエリーシャは笑った。

「でも味は悪くないと思う。若い子向けに甘くすれば女の子から人気出るだろうし……形状が可愛いから小さな子にも受けるかも?」

「本当ですか? ありがとうございます。じゃ、これを製品化させるためにもう少し考えないとですね」

「まあ、そうなるかしらね。頑張って頂戴。それじゃ私はこれで――」

そのまま立ち去ろうとするエリーシャであるが、セーラは服の端をぱしっと掴んだ。

「な、何?」

「いえあの、服、汚れちゃいましたし、せめてお風呂くらい入った方が……あの、汚れた服も、ちゃんとこちらで洗いますしっ」

流石に客の服を汚してそのまま返すのはイメージが悪いというのがセーラに率直な意見であった。

「んー、でも……」

エリーシャは、面倒くさい、というのがありありと見える表情で困ってみせた。

「さあ、どうぞ!! 大丈夫です、私も試作品を食べた時に同じ状態になりまして、お風呂は既に沸かしてあります!!」

実に準備のいいパン屋である。

「そこまで言うなら……でも、代えの服とか私持ってないわよ?」

その準備のよさをパンに回せば良いのに、と思いながらも、押され、仕方なく世話になる事にした。

「あ、代えでしたら私が用意します。幸い、私とエリーシャさんってそんなに体型に差が無いですし」

背丈以外の全てがそんなに違いがなかった。悲しい仲間である。

「……まあ、いいけど」

その悲哀が解ったのか、エリーシャも少しだけ頬を緩めていた。


「お風呂ありがとう。おかげで綺麗になれたわ」

三十分程してエリーシャがパン屋の店側に戻ると、そこはもう戦場であった。

「……忙しそうねぇ」

「あ、エリーシャさん。すみません、今ちょっと手が離せなくって……」

見た限り四人ほどカウンターに並んでいた。

他にも、そんなに広くない店内に三人が品物を見ている。

内子連れが一人。小さな子供が可愛らしい菓子パンを見て母親にねだっていた。

「邪魔になるといけないし、私は失礼するわね。裏口使うわよ」

「はい、今日はありがとうございました」

エリーシャが手伝える事は何も無かった。勇者なんて言ったってパン屋ではパン屋が最強なのだ。

素人同然のエリーシャには何かしようというのもおこがましかった。

そういう名目でさっさと逃げたのである。


「うーん、エリーシャさん、相変わらず逃げるの上手いなあ」

手伝って欲しい、なんて流石に頼めないセーラであるが、手伝ってくれたらいいなあと心の中では強く願っていたのだ。

だが聡明なエリーシャはそんな彼女の願いを知ってか知らずか、あっさりといなくなってしまった。

強くなる事って非情になる事なんだなあ、などと思いながセーラは客をさばいていくのだった。


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