#4-3.凶悪生物ハウンドキメラ
そうして、二人はこの場に訪れたという話である。
ラミアは事前に調査隊を派遣したりもしたらしいのだが、誰一人戻る事無く失敗に終わっていたのだという。
「ラミア、キメラは大体どれ位の力を持っているのだね?」
「一番弱い『ケルベロス』でも下級魔族相応の力は持ち合わせているようです。最も力の強い『ヴェアヴォルフ』にまでなると……」
通常危険な害獣程度でしかない犬だが、キメラ実験の末遥かに強くなっているらしかった。
魔王としてはやる気がどんどんなくなっていくばかりである。
「ああ、もういい。聞くだけでうんざりしてきた。制御する方法はないんだな?」
「はい、厄介な事にほとんどが犬の本能のまま生きていますから、飼いならす事は不可能に等しいかと」
実に迷惑な置き土産である。
魔王としては、さっさと先代との約束を果たそうと色々調べていた最中だったというのに。
「で、君としてはどうするのが一番楽な対処方法だと思うね? まさか私達で討伐していこうなんて考えてはいないだろう?」
「そんな暇はないのは重々承知しております。迷子になられても困りますから」
地味に失礼な部下であった。確かに迷子になりそうな深い森ではあるのだが。
「とりあえず、森の周りに柵を張り巡らせて出てこないようにしましょう。既に出ている分は害獣として逐一処分するとして」
「柵程度で防げるのかね……」
「柵に特殊な加工を施すのです。犬の嫌う強烈な匂いを発する香木がありますから、それを使用しましょう」
犬は鼻が効く為、匂いにとても敏感である。
同時に、香水や香りの強い花を嫌う傾向が強いため、ラミアの選択はそれなりに効果があると思われた。
「ではとりあえずそれで外への流出は止められるとして……増え続ける原因を探らんとな」
そういった思いつきだけで全ての片が付くなら、何も魔王とラミアがわざわざ現地にこうして視察に来る必要など無いのだ。
何より、今までそこまで繁殖していなかったものが唐突に増えているというのは何事か。
その原因を探らないでは意味が無いのだ。
「こればかりは、森の中を歩かないといけないようです」
「では行くぞ。念の為、アリスちゃんもコールしておくとしよう」
言うや、魔王はアリスを呼ぶための詠唱を始めた。
そうしてアリスも増えて魔王ら三人は、そこに居るだけで魔力を奪われるダメージゾーンへと突入した。
森に入っていくも、やはり犬らしきものは現れず、時間ばかりが経過していった。
「……ところどころ、犬の鳴き声らしきものは聞こえるんだが」
「えぇ、遠吠えは聞こえていますわ。前も見えないだろうにどうしてるかと思いましたが、これで連絡を取り合ってるようですわね」
しかし、その遠吠えもかなり遠い所から聞こえている。
返事が近くから聞こえる事は無く、少なくとも今吼えているキメラの群れは自分達の近くには居ないものと考えられた。
「方角的に……西の方から聞こえましたわ。そちらに行ってみましょうか?」
先導するアリスが振り向き、魔王らに問う。
「そうだね、そもそも奴らが何を喰っているのかも気になる。もしかしたら狩りの場面に出くわせるかもしれん」
この森に生物の糧となりえるようなものがどれほどあるのかも疑問だが、繁殖している以上は食料があるという事で、それが何であるかを探るのは大切な事であった。
「かしこまりました。旦那様、ラミアさん、一応いつ戦闘になってもいいように、お気持ちだけはしっかりとお持ち下さい」
「ははは、大丈夫だよ、なあラミア?」
「え? あ、そうですわね。ていうか私も戦う事前提でしたのね」
頼りにならない部下だった。
「どこの世界に上司に守られる部下がいるんだ……いつぞやの時のように命がけで守りたまえ」
それがラミアには無理な事であるとは言っても、自分がラミアを守らなくてはいけないのは何か違うだろうとも思う。
「ぜ、善処いたしますわ……」
魔王の言葉に、ラミアの頬にじとりとした汗が流れていった。
「――っ、お二人とも、お静かに」
それからどれほど歩いた頃だろうか。遠吠えが段々と近づき、そろそろかと魔王が思っていた辺りで、アリスが横に手を伸ばし、二人を制止させた。
思わず二人とも口元を押さえ、かがみ込む。
「ここから先は、危険区域のようですわ。ご注意を」
よく耳を澄ませれば、何かの音や犬のような唸り声、小さな水音が聞こえる。
アリスはその可愛らしい人差し指をそっと舐め、風に晒す。
「……とりあえず、今は風下のようですわね」
都合よく、キメラ達に悟られない位置だったらしい。
こちらが気づかないうちにキメラの群れに襲撃されるという事態は避けられたようだった。
「いるのかね?」
魔王が小声で問うと、アリスはこくりと頷く。
魔王は暗くて足元すらろくに見えていないが、アリスにはその先が見えているらしかった。
「何かに群がっていますわ。羽を生やした大きな個体も居ます。食事中なのかしら」
「その大きいのが多分ヴェアヴォルフ種よ。まずいわね。あれは中級魔族以上の強さらしいのよ」
つまりこの場において魔王以外対処不能である。
「何を喰ってるんだろうな。獣か?」
「申し訳ございません、流石に遠すぎてここからでは……」
アリスの視力にも限界はあった。
「しばらく待つか。残骸でも見られれば、骨の形状とかでそれが何なのかの察しはつくだろうしな」
「そうですね」
最悪、気づかれればコールの魔法で人形兵団を呼び寄せ皆殺しにすることもできるが、それは色々と面倒くさいのでこの人数でできる方法を選択する。
「では私はしばしキメラの様子を見ていますので、ラミアさんは旦那様の周囲の警戒をお願いします」
「えっ? 私?」
ラミアから出たのは素っ頓狂な声だった。
そこは無理にでも凛々しく「任せてください」と言ってほしかった魔王はがっくりしてしまう。
魔王城襲撃事件の時のように力が及ばないなりにがんばってくれればいいのだが、やはりラミアは追い詰められないと本気を出せないタイプらしい。
「……?」
アリスは不思議そうに首をかしげる。「何かおかしい事言いましたか?」と言わんばかりに。
「いえ、ええ、解ったわ。任せてください」
アリスの態度でハッとし、ラミアは周りを警戒しはじめる。どこか動きがぎこちなかった。
しかして、一時間ほどその姿勢のまま待機していたのだが、警戒していたほどには何事も起こるわけではなかった。
アリスはキメラ達の居た方向から振り返る。
「旦那様、どうやら終わったようです。キメラ達は完全に散りました」
「そうか、では見に行くとしよう。二人とも、気を抜かないように」
「はっ」
「かしこまりました」
そろそろと茂みから立ち上がり、三人は警戒しながらキメラ達の居た方向へ歩いていく。
辺りにそれらしき気配はせず、確かに上手い事、この場を離れてくれたらしかった。
「旦那様、骨が残っていますわ。残念ながらばらけてしまっていますが……」
先を歩くアリスがそれを発見した。魔王もすぐにそれを見るが、なるほど、無残に喰い散らかされていて、元の形状は良く解らない。
「骨のサイズを見た限りだと、どうやら大型の獣ではないのは確かのようですが……」
ラミアの言うとおりに、犬の餌として良くあるシカだとかゾウだとかと比べると、今目の前にある骨は部分部分が小ぶりであった。
その代わりに骨はいたる所に散乱していて、その多さに魔王は思わず苦笑いしてしまう。
「一箇所に集めてから狩ったのか。それとも一箇所に居たものを狩ったのか。結構な量の餌を喰っていた様だな」
魔王は転がっている一際でかい骨を足先で転がし、確認する。
「人か魔族か。猿にしては骨が太すぎるから、どっちかだろうな。しかしどちらにしても衣服や武器位は持っていただろうにそれが見られないというのはどういう事か」
襲われたのが人間にしろ魔族にしろ、それらの衣服や所持品が何一つ転がっていないのは違和感を覚えていた。
「キメラは鋼鉄をもむさぼり喰らう強靭な胃袋を持っていますから。しかし人型とは……先に出した調査隊でしょうか?」
「解らん。骨だけ見る限り、少なくともここに転がってるのは爬虫類や両生類から派生した魔族ではないようだが」
一口に魔族と言っても、哺乳類派生の魔族も居れば、ラミアのような爬虫類派生の魔族もいる。
あまり数は居ないものの両生類から進化する者もいたりで、その辺り、哺乳類型しかいない人間や亜人と比べてバリエーションは豊富である。
それぞれの種としての成立は様々だが、少なくともこの場において、キメラの餌となったのがラミアのような下半身が蛇だったり尻尾が生えている種族ではないのは確からしかった。
「調査隊は四名が戦闘向きのリザード、リーダーとして私と同じ蛇女が一名に、残りは調査要員の魔女族が三名ほどですわ」
「頭蓋骨の数からして明らかに合わんな。少なくとも七・八名は哺乳類型が居らんとおかしい」
まだ調査隊が犠牲になっていないとは限らないが、少なくとも調査隊だけが犠牲になった訳ではないのは確からしかった。
つまり、人間がこの森に紛れ込んだ可能性がある、という事である。
「こんな森にわざわざ好き好んで迷い込む魔族なんて居らんはずだから、人間が何らかの手段でこの森に来ている可能性も考えられるな」
「もしや、人間がエルヒライゼンに転送の魔法陣を……?」
「どういうルートでそれが可能になったのかは解らんが、その可能性もあるという段階だな。要調査だ」
場合によっては、いつぞやの襲撃事件のように魔王城が攻め込まれる可能性もあり、これは無視できない事実であった。
「ラミア、至急大規模な調査隊を組織し、森を徹底的に調べろ。人間世界側からどれ位の頻度で転送が行われているのかと、その出所もセットでだ。一月以内に詳細にまとめたレポートを提出してくれたまえ」
魔王は面倒ごとを増やしたくなかったので、真面目に対処する事にした。
二の轍は踏まぬとばかりに、森の徹底調査をラミアに命じたのだ。
「かしこまりました。必ずや陛下のお求めになるデータを用意させていただきますわ」
ラミアもキリッと眼を吊り上げ、頬を強張らせていた。とても心強い。
「よし、ではこんな所に長居は無用だ、さっさと戻るぞ」
「はい、森の出口はこちらですわ」
またアリスが先導し、三人は森から出る事となった。
その後、アリスがわずかばかりミスをして帰り道が解らなくなって軽いパニックに陥ったりもしたが、数時間かけてへとへとになりながらも戻る事に成功したのだった。