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趣味人な魔王、世界を変える  作者: 海蛇
2章 賢者と魔王
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#4-1.とある大司教の憂鬱

 ある夏の日の事である。

カレー公国の滅亡に伴い現実味を強めた魔族の襲来に備えて、人間世界の各都市は、国の軍とは別の自衛手段を持つ事を考え始めていた。


 民衆から独自に集められた自警団は組織力こそは微弱であるものの民衆の戦争参加への意識を高めていくことに貢献していた。

冒険者や知名度の低い駆け出し勇者、特定の組織に属さない傭兵等が集まって作られた傭兵ギルドは、高いスカウト能力や市民と比べて高い戦闘能力で予備軍として期待を集めていた。

大商人や豪農等の資産家層は私兵集団を持って自分達の財産を守ろうとした。

街単位に現れたこれら様々な防衛組織は、それぞれが協力する事はほとんどなかったが、それでも市民にとっては貴重な盾であり、戦う者達に向けられる視線は軍人に向けられるそれと比べて温かみがあった。

だが、皮肉な事にこれらの組織のほとんどは同じ人間である賊等の襲来の対応に追われる日々が続いており、肝心の魔族が攻めてきた際には何の対応も取れないことがほとんどであった。



 大陸南西部、リーシア特別領・エルフィルシア。

ここは世界に数多の信者を抱える『知識の女神リーシア』を奉ずる教会組織『女神の祝福教会』の総本山であり、信仰に溢れる聖地でもある。

かつて教会は大陸中央部のバルトハイム帝国と呼ばれた大国による庇護を受けていたのだが、エアロ・マスターの時代に魔族の攻撃を受け衰退した上に、マジック・マスターの執拗な攻撃を受け国もろとも滅亡してしまった。

後ろ盾と本拠地と主要幹部を同時に全て失った宗教組織は、しかし信者の女神に対する信仰心により不死鳥の如く蘇り、場所を移して今はこの地を中心に根付いていた。

 リーシアは古の昔、この世界が存在する以前から存在する女神であるとされ、大よそ知らぬ事は無いと言われている。

知識とは全てに勝る最強の武器であり、また、全てを回避する最高の守りでもあるとも考えられ、人々はリーシアをただの学問に限らず、全てに通ずる全知全能の象徴であると位置づけ、様々な分野において崇められていた。

その名は人間世界全域に広まっており、文字を書けない者であってもその名は知っているという位には人々に浸透している女神であった。


「今年も少ないのう」

エルフィルシアの中心部・三階建ての大聖堂の最上階。

土色の司教服に身を包んだ白髪頭の老人が、窓から見える参拝者の数に嘆いていた。

傍らには全身銀甲冑のナイトが跪いている。

夏ともなれば、この聖地は信者が列を成して参拝し、教皇のありがたい話に聞き入ったり、聖堂にて配られている魔よけのアミュレットを貰いに来るのだが、以前と比べ明らかにその列数は減っていた。

その原因は、人口の多い中央諸国の信者が激減した事に他ならず、特に大国であるアップルランドとその周辺国が宗教アレルギーを起こした事は、教会としては頭を抱える痛手となっていた。

「アルガス大司教も、とんでもない事を企ててくださったものです」

傍らに控えるナイトも表情こそ見えないものの、その鎧の中から聞こえるくぐもった声は、やはり事態を憂慮していた。

 元はといえば中央諸国がそうなったのもアルガスという大司教が暴走した結果なのだが、その怒りの矛先は全て教会組織全体に向けられてしまっている。

教会も誤解を解こうと必死になったのだが、その努力は報われる事無く現状に至っている。

「アルガスめは逸り過ぎたのだ。全く、人の心も考えず、信仰にばかり現を抜かすからこうなる」

それは、一見宗教家の言う台詞とは思えないものであったが、人の心により再生した教会においては、信者一人一人、全ての人間とは等しく生きる兄弟であるという原点を忘れた者に対する皮肉でもあった。

「しかし、やはり今年も、大帝国は許してくれなんだか……」

老人は窓の外を見ながら、しかし今は信者ではなく、遠く離れた大帝国の空を見ていた。

「使節を何度も送りましたが、未だ門前払いされる始末です。周辺国の王や首長も、『シブースト皇帝が許さぬ限りは我らも許せぬ』と……」

「中央諸国はシブースト皇帝に掌握されているからな。魔族との戦いで結束もより強固となっている。外堀から埋めるのは無理だろうな……」


 シブースト皇帝は、若い頃から豪剣使いとして戦場を駆け巡り、数多の魔族を滅ぼしてきた中央の英傑である。

かつて活躍していた勇者ゼガの盟友でもあり、諸国をまとめる中心人物として常に魔族との戦争の矢面に立っていた彼と、その大帝国の地位は揺るぎない絶対の存在であった。

大司教として中央部の統括を任されていたアルガスは、大帝国と彼の影響力を甘く見ていたのだ。

元々狂信的な面もあり、あまり人の心を省みる事のなかったアルガスは、独断で皇女の誘拐等という暴挙に出てしまった。

それは一部で、最近にわかに広まり始めている新興宗教を潰し、教会の権威を高める為の策略でもあったが、巻き込まれた中央諸国は怒りを露にし、今もまた、教会に対する悪評を広め続けている。


「余が直接出向く事が出来れば、あるいは皇帝も、話し合いの席についてくれる可能性もあるが……」

老人は溜息をついていた。

ただ一つあるかもしれない解決策が、自身の立ち位置の所為で実行できないという矛盾故に。

「グレメア大司教、それは無理というものでしょう。貴方様がここから離れては、誰が教皇猊下げいかを支えるのですか」

「……うむ。年若い猊下をお一人にしたのでは、他の良く無い者達が付け入る隙を与えてしまう……」

教会は巨大な組織である。

女神を奉り、人々に愛を説き、世界に癒しを広めている教会も所詮は人の作った組織に過ぎず、上層部はやはり、金や欲に溺れた俗物が少なからず存在するのだ。

先ほど話していたアルガス等は実は良識派の一人で、やる事は過激で急進的ながら、決して私心では行動せず、常に教会と信仰を慮って行動していたのだ。

それだけにアルガスの暴走とその顛末によるダメージは良識派にとって多大で、その結果余計に俗物がのさばってしまう現状が生まれている。

「貴方様は、ただでさえ少なくなってしまった良識派の最後の砦なのですから。その後ろ盾となりうる猊下に間違いがあっては困ります」

今代の教皇は、まだ代替わりしたばかりの為年若く、物事の判断が一人ではつけられない事が多い。

育ちさえすれば優秀な指導者となりうる素質は感じられるものの、まだまだ配下の者の言う事が善であるか悪であるかの判別ができず、場合によってはどうしようもなく暗愚な指導者となってしまう事もありうるのだ。

その為多くの俗物がなんとかして利用しようとするのを、このグレメア老が一人で押さえ込んでいる形となっている。

当然、堕落しきった腐信者達には、正論を振りかざし地位によって自分達を押さえ込もうとしているグレメア老は眼の上のたんこぶでしかなく、いかにして排除してくれようかと虎視眈々とその隙を窺っているのだ。

状況が状況とは言え、迂闊にエルフィルシアを離れでもすれば、戻って来た時にはもう椅子がなくなっている可能性すら考えられた。

「余が居らんでも民が幸せになれる組織であるなら、喜んでこの椅子は捧げるが……彼奴らに任せたのでは死んでも死に切れぬ」

「猊下がきちんと成長なされば、きっと今の状況はよくなるはずです」

「うむ……その為にも、余はまだまだここを離れられそうにない。すまんが、貴公にはいま少し苦労をかけるぞ」

ここで、初めて老人は視線を窓から離し、ナイトへと向けた。

「貴公の探りによって北部の状況は良くわかっている。『聖竜の揺り籠』と言ったか。アレはしばし放っておけば良い。目的はともかく、その力は人類の力となりうるはずだ」

グレメア老は、その宗教の効能を良く知っていた。そして、それは決して自分達の教義に反するものではないとも理解していた。

「では、しばらくの間は静観なさるおつもりで?」

「ああいったものは、勢いのある時に無理に落とそうとしても到底叶うものではない。何より、宗教紛争などという愚にもつかん争いで誰が得をするというのか。余はな、アレが人間に害為す存在でなければ、それを認めるのも一つの愛では無いかと思う」


 宗教は差別をしない。

あらゆる人民が区別なく愛されるべきで、全ての人々がその点において自由であり、救われなければいけない。

それを為す手段を持つ者が知識の女神であり、全知全能の象徴であるリーシアである。

その思想は、前時代における大賢者エルフィリースの掲げたそれに近いものがあるが、彼女もまた、教会の庇護を受けた聖人であると言われている。

老人はその教義に忠実に、神に仕える一人の使者として、全てを愛する使命に則って判断していた。


「感服いたします、大司教様」

老人の言葉に、ナイトはただただひれ伏すばかりである。

「これしきのこと、言うだけならあの俗物共にも言えるのだがな」

「ですが、真に思い抱いてそのように話す者は他には居りますまい」

「違いない。全く、嘆かわしき事よのう、バルバロッサよ」

名を呼ばれ、控えていたナイトは一言「はい」とだけ呟いた。


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