#3-1.カレー公国の滅亡
ある春のことである。
まだ白い冬の残滓が残る大陸中央部・カレー公国では、進軍を続ける魔王軍と中央諸国連合軍の激しい戦いが繰り広げられた。
特に首都・デルトカリツ南東のチェスター平原では、昼夜を問わず繰り広げられる合戦により人魔の区別なく命が散っていったのだという。
もとより主力同士のぶつかり合いの為規模は大きかったが、事態の打開の為に大帝国より直接の増援が派遣されると、それを察知した魔王軍は、他の方面軍から兵力を回し、より大規模な戦いへと変貌していったのだ。
戦域には多くの名将・智将が参加し、それぞれが魔将・ラミアの策略に挑みかかっていった。
勇者はここぞとばかりに名を上げんと勇み上がるが、その多くは蛮勇ゆえに討たれてしまう。
秋の始まり頃から続いたこの戦いは、一進一退の攻防の末に国が一つ滅び、魔王軍も指揮系統に大ダメージを受け、互いに痛み分けに終わった。
「……と言う訳でして、デルトカリツは陥落し、これによりカレー公国は滅亡致しました」
魔王城から遠く離れた旧人間領・カルナディアスの丘に構えられた本陣にて、魔王はラミアから状況の説明を受けていた。
「ほう、やっと滅びたのか。それで被害は?」
「我が方も甚大な被害を被っております。派遣した赤竜数名は緒戦で全滅。千人部隊指揮官層の中級魔族は多くが戦死もしくは瀕死の重傷、総司令官たるリザードのレイドリッヒも、増援として現れた敵勇者により討ち取られ、指揮系統がずたずたになりました」
この中で何より痛いのは、勿論の事上級魔族の戦死である。
魔界におけるカーストの最上位に位置する彼ら上級魔族は数が少なく、特に今回戦死したレイドリッヒはかなりの腕利きだったのだ。
これを失ったのは魔王軍としては相当な痛手である。
「経済的にも瀕死のカレーを滅ぼすのに歴戦の上級魔族一人を犠牲にしたか……相手は何者かね?」
報告だけ聞いた魔王にしてみれば、今回の攻撃は失敗としか言いようが無い散々な結果である。
「以前陛下が戦われた……エリーシャという女勇者ですわ。しばらく出てこないと思いましたが、この度ついに……」
ラミアとしてはイージーだった相手が急遽ハードモードに切り替わったようなもので、複雑この上なかった。
「ほう、とうとう前線に駆り出されたのか。しかし、一体どうやってレイドリッヒを破ったのか……」
魔王も知るトカゲ頭の上級魔族は、ウィッチのような超広範囲魔法こそ扱えないものの、身体能力を極限まで強化するブースト系魔法の遣い手であり、また、剣の腕は魔界において右に出る者が居ないほどであった。
人類最高峰の腕利きとは言え、それを討ち破れる程とは思えない魔王は、既に被害の大きさよりもその死因に興味を向けていた。
「一騎打ちの末討ち破られたと聞きます。最初こそ優位に押し込んでいたものの、切り結んだ際、彼奴の持つ剣が光り、それによって地面ごと抉られる様に押し潰されたのだとか」
ぺしゃんこです、と、掌を上から下にぐぐっと動かしジェスチャーする。
「……えぐい死に様だなぁ」
それを想像してか、魔王はいつもの苦笑いをする。
「新型の魔法か、あるいは剣自体が特殊なマジックアイテムの類なのかもしれません。油断ならない勇者ですわ」
「まあ、真っ当に戦えばレイドリッヒが負ける訳が無いからそうなんだろうな」
魔王も対峙しているからわかるが、あの宝剣には尋常ならざる魔力があるらしかった。
エリーシャ自身の魔力も人間としては相当に高いが、宝剣から漏れている魔力はその比ではない。
魔王は当初、その魔力は全て斬れ味の鋭さに回されているものと思っていたが、どうやらそれですら副次的なものだったらしいのは今回の件で良く解った。
自分と戦った時にそれが使われなかったのは幸いか、もしくはその時には使えなかったのかもしれないが、色々と洒落になってないものを持っているエリーシャには戦慄せざるを得ない。
「流石ゼガの娘というだけはあるな」
「ええ、かつて我ら魔王軍を恐れさせた勇者の血族といいますか、それだけの事はあります」
すごいのはエリーシャではなく剣なのかもしれないが、エリーシャ単体でも勇者としては反則じみた戦果を挙げている。
敵としてこれ程厄介な相手はそうは居ない。それは魔王もラミアも同じく感じていた事だった。
「しかしなんだ、久しぶりに前線の視察にきてみれば、軍団壊滅とはあまり喜ばしくないな」
魔王が何故このような場所にいるのかと言えば、たまには仕事らしい事をするかときまぐれで来ただけだったりする。
前線にしてみればいい迷惑である。突然現れるお偉いさんなど鬱陶しい事この上ないのだ。
「ええ、私も今回の攻撃、省みるべきところが多かったように感じますわ」
ラミアも魔王のおまけで付いてきたのだが、この度の、敗戦に等しい痛み分けの結末には思うところがいくつかあるらしかった。
「君の用兵法に誤りがあるというよりは、時代においつかなくなっているんじゃないかと思うんだが」
魔王は、ラミアの戦術が古すぎるように感じる事がある。
それは長きに渡り積み重ねてきた彼女の経験による所が多いのだろうが、時には有効な判断も、その時代においては全くの愚考である事すらあるのだから、時代の流れというのも馬鹿にならない。
「……私も、最近そのように感じる事が多くなってますわ。竜に攻めさせ、中級・上級魔族で一掃する。生き残りを軍で攻め潰せば良い、というのは、ほとんど通じなくなっておりますし」
百年前までセオリーだったものが、今の時代ではむしろ逆手に取られ対策されている始末である。
魔王の指摘には表情を暗くしているが、ラミアもただ言われるばかりではない。
「ですが、私もただ指をくわえている訳ではないのです。私なりに様々な策を考え、攻略しようとしているのですが……」
時代遅れな戦術も、工夫次第では有効に活用できるのだというのをラミアは実証しようとした。
敵の2つの軍団を前に中級魔族を中核とした3つの千人部隊で対抗し、一度は敵前衛の陣形の片翼を崩しかけたのだ。
更に同時進行でデルトカリツに攻め込む部隊と迂回して敵の本陣に攻め込む部隊を用意し、これにより敵の分断陽動・各個撃破を狙った。
敵軍は正面と迂回部隊の挟撃警戒に兵を回さざるを得ず、デルトカリツに回せる兵員の数は極少数に限られてしまった。
更に迂回部隊は敵に警戒させるだけさせた後に方向を転換、敵本陣からの索敵が届かない位置まで退いた後に更に迂回し、敵本陣後方の補給集積地点を襲撃した。
時間は掛かったが、これにより敵は補給路を断たれ、一時は大混乱に陥ったのだ。
竜は壊滅し中級魔族の犠牲も増え始めたが、それを差し引いても作戦は9割がた成功していたと言って良い。
この時点で既に人間側は瓦解しかけていたのだが、油断せず波状攻撃の命を出した所で、都合悪く大帝国から追加の増援が到着してしまった。
勿論増援が来るのは想定済みではあったが、ラミアの計算では後二日間はかかると思っていたものがその場その時に現れたのだ。
更に厄介な事に、この増援を指揮していたのがエリーシャであり、補給分断にまわっていた部隊を壊滅させた彼女は、そのまま連合軍の指揮を執っていた勇者リットルから指揮権を譲り受け、そのまま総司令官に収まってしまった。
司令官なら司令官らしく後方から指示を飛ばしていればまだマシなのに、ご丁寧に彼女はその足で最前線まで出張り、こちらの前衛部隊を大いにかき乱してくれたのだ。
対処しようと前に出たレイドリッヒは一騎打ちの末に先ほど話されていたように討ち取られ、これにより中央方面軍の指揮系統はボロボロになってしまう。
辛うじて生き残った中級魔族達の必死の指揮によってデルトカリツへの攻撃は続けられ、苦戦したもののそこだけは見事陥落させたのである。
ラミアの策はある意味では決して間違ってはいなかったのだが、現実がラミアの想像の一段二段上を行く仕様へと変貌してしまっていた。
この抗いようの無い時代の流れは、古来からの伝統や経験に依存しがちな魔王軍にとって、かなりのハンデとなってしまっていた。
「あの時エリーシャさえこなければ、我が軍は勝ちどきを挙げる事が出来たというのに……」
「どこで君の計算が狂ったのだと思う?」
悔しげに爪を噛むラミアに、魔王は頬杖を付きながら問う。『何がいけなかったのだ?』と。
「……技術の進歩を読めなかったからでは。あの時、敵の増援が載った戦車は、これまでにない機動性を誇っていたようです」
増援がくるまでの二日間があれば勝てた戦いが、それが間に合ってしまったがために負けたように感じてならないラミアは、やはりそこが気になる点であった。
「車の構造に工夫が加えられたのかも知れんなあ。技術面において、何か間者からの情報はないのかね」
「生憎と、そういった類の技術に明るい者は、間者にはあまり……」
比較的技巧に秀でる悪魔族であっても、人間の考える技術は謎が多いのだ。
錬金術で対応できるものはなんとなしに理論が解るのだが、完全に独自の技術が使われていたりするともうどうしようもない。
「やれやれ。まずはスパイの養成からか。従来のように街中で得た情報を報告したり噂を流してかく乱するだけではどうにもならん時代が来たようだな」
魔王軍は古来より情報戦に特化されているが、やはりその形式も古いというか、市民に化けたり軍部にもぐりこんだりするだけでなく、もっと専門的な技術に関しての情報を得る事を考えなくてはいけない時期にきているのだと魔王は感じる。
「幸い、今は人間の考え方をある程度理解できる亜人達が居ますので、これを機に全体の刷新を図るのもいいかもしれませんね」
それは魔王軍としては極めて珍しい事である。
従来ならば、ラミアがそんなもの必要ないと真っ先に反対するところであるが、今回の件で痛い目を見た彼女は、ここにきてその必要性を強く感じていた。
「まあ、その辺は任せる。北方の教団も気になるし、どの道旧来の戦略・戦術は通じなくなるだろうからな。私としても、折角再開した戦争で負けるのはいい気はしないからね」
魔王としてはこんな戦争は心底どうでもよく、奪い取った人間の街で得られる蒐集品のみが理由で興味を向けているのだが、やはりというか、負けるのは嫌なのだった。