#11-1.後始末
魔王らが去ったリヴィエラの地は、混沌とした空気が、自然とあるべき姿へと修復しようと魂が入り乱れ、嵐が起きていた。
特にパトリオットとヴァルキリーとの戦いが起きた地点は空間そのものの喪失が著しく、その補填の為にすさまじい勢いで魂が流されていった。
「……う、く」
そんな中、ボロボロになって倒れている男が居た。
魔王と激戦を繰り広げ、相打ちに倒れた『勇者』バハムートであった。
くったりとした身体は身動きが取れず、どこか金縛りめいていたが、かろうじて意識を取り戻し、うとりうとりとしながら、嵐に荒れてゆく楽園を見つめていた。
「――善かった。まだ生きていたのね」
そうして、勇者の元に、やはりボロボロになった女が現れる。
砕けかけた首輪を手に、翼が千切れ血まみれになった背中のままに、その女――パトリオットは、まだ生を感じさせる勇者の顔を見て、微笑もうとしていた。
「天使殿、か……死んだものと、思っていたぞ」
気だるい身体をそのままに、なんとか視線を向けながら、勇者は苦笑いする。
負けてしまったのだ。そう、我々は敗北したのだ、と、悟りながらに。
「死んだ、わよ。私の本体はもう、壊れてしまった。今ここにいるのは、足止めとして生み出された分身の私だけ――それだって、もう長くは保たないでしょう、ね」
くたりとその場に座り込みながら、手に持った首輪がさらさらと崩れてゆくのを見やりながら。
分身パトリオットはどこか、諦めを感じさせる笑顔を見せていた。
「でも、貴方はまだ大丈夫みたいね。素晴らしいわ。伯爵を相手にして、貴方は壊れていない」
「あいつは、初めから殺す気などなかったのだろう。きっと、敵とすら見てもらえていなかったのだ、私は」
傷つきながらも賛美を送ってくれるパトリオットに、しかし、勇者は皮肉じみた笑いを見せながらに、そっぽを向く。
「魔王、か。また、戦えると良いのだが。今度こそ、勝ちたいな」
そうしてぽつり、呟く。勝ちたい。倒してやりたい。確かな願望として、それは勇者の瞳に生気を与えていた。
「いつかは勝てるわ。勝てる日が、きっとくるでしょう。だって、貴方は『詩人の泉』より直接生み出されし五番目の存在。『決して挫ける事の無い正義の象徴』なのだから」
「……なんだ、それは」
「貴方は、その魂は、私のような模造品よりもずっと尊いという事。女神リーシアやヴァルキリー、そしてあの伯爵と同列の存在である、という事」
だから、大丈夫、と。パトリオットは澄んだ色の瞳を、勇者へと向け、謡うように語る。
「原初の人間も、だわ。リーシアがまず生み出され、彼女は世界を創った。次にヴァルキリーが生み出され、全ての存在に『戦い』という、生きる上で決して逃れ得ない宿命が付与された」
その音色は勇者の耳を癒し、その身から苦痛を、一時なりとも忘れさせてくれていた。
「人間は、いずれ遠き日の未来、リーシアとヴァルキリーを超える存在として生み出され、世界へあまねく広まっていった。そうして『完全なる勝利の概念』が生み出され、終わらない戦いを終わらせうる終末の存在として、16世界が一つ『在る世界』に君臨してしまった」
「それが、あの伯爵、か」
「ええ。そうよ。そうして貴方は、最後に詩人の泉より生み出されし『正義の象徴』。唯一伯爵と拮抗し得る存在。終末を乗り越えられる『人』の身に与えられし魂の強化装置。肉体でも概念体でもなく、魂そのものが本体であり本質という精神体。死ねば死ぬほどに、経験を積めば積むほどに、次の生での力が増す。知識を保持したまま戦える。貴方はいつか必ず、伯爵を倒せるようになる」
その時が楽しみ、と、また微笑む。
「でもね、私はもう、こんなだから、貴方にしか言えないけれど――戦いなんて、無い方が良いのよ? 傷つく人がいない世界のほうが、ずっといいはずなんだから。最善を進むことが出来るなら、その方がずっと良いの」
「……そうか」
「ええ、そうなのです」
理解したのか聞き流したのか。
勇者は乾いた、味気ない返答しか返さないというのに、何故か嬉しそうに顔を綻ばせる。
そこにはもう、責務に追われ、理想と私情との間に束縛されつづけた天使の顔はなかった。
「――だから、もう終わりにするの?」
だが。無情なのである。
ようやくに苦しみから解放された彼女の前に。
何故か一人、現れてしまったのだから。
「……貴方。なんで、こんなところに?」
パトリオットの顔が驚愕に染まる。
本来ならばその場には決していないはずの存在が、そこに立っていた。
「ただの後始末よ? 私、割かし綺麗好きだから掃除は嫌いじゃないのよ。ほら、侍女の格好もしてるし?」
青髪をさらりと煽りながら、侍女服を着た『彼女』は、あまり楽しくもなさそうに口元を歪めていた。
「……そう、貴方、最初から。私に利用されるばかりだと思っていたのに、利用されていたのは、私の方――」
「自分の愚かさにようやく気付いた? なら――消えろ」
最後に一言。互いに言葉を向けながら。
パトリオットは瞬時にライフル銃を構え、そのまま片手で青髪の『魔王』に狙いをつけようとしたが――
「――時すら超えられない天使が、私に勝てるとでも?」
既に、勝負は決していた。
「……あっ」
いつの間にかレーズンの手に掴まれていた首輪。
それが、かすかに残っていた彼女の心が、容易にその手に握られ――砕かれた。
かしゃん、と、寂しい音を立て、ただの粉くずとなったそれは、やがて消滅し――
「ふふっ……そうよね。これはきっと、罰なんだわ、たくさんの人を苦しめた、私の――」
そのまま、身体の方もきらきらと輝く光となって、消えていった。
「――罰ですって? とんでもない。ただ私が殺したいから処刑しただけよ、パトリオット」
さほど感慨深くもなさそうに、退屈そうに口元をひくつかせながら。
そうして青髪を振りながら、『魔王』は勇者を見下ろす。
「まあ、そんな訳よ。私は邪魔者が嫌いなの。あいつの作ったループ構造は、私の目的を果たすためにとても役に立ってくれたけれど……それももう、いらないからね」
今度は、この女が語る役なのか、と。
動かない腕を震わせながら、その青髪の侍女を眺めていた。
「そして、この世界にはもう、お前のように過ぎたる力を持った存在は必要ないわ。精々『次の世界』では活躍してちょうだい。さようなら」
す、と、片足を後ろへ引いたかと思えば――そのまま、倒れたままの勇者を足蹴にした。
「がっ――」
突然の事に受け身すら取れない勇者はそのまま転がされ、顔面から地べたへと叩きつけられる。
「あら、届かなかったわ。思ったより重いのね」
そうかと思えば、また目の前にはその足が見えたのだ。そうして一瞬ブレたように見えて――先ほどより重い蹴りが叩き込まれる。
「げぇっ――うごっ」
満身創痍の身体には耐えがたい苦痛となったが、最後に勇者が見たのは、無色の水が流れる川。その水面であった。
ばしゃり、という、なんとも爽やかな音を立て、勇者は無色の中へと落とされる。
もがく事も浮かぶ事も出来ぬまま、勇者は強制的にその魂を解放されていった。
「――とどめ位きちんと刺しなさいよね、全く。伯爵といいヴァルキリーといい、世話の焼ける」
やれやれ、と、疲れたように腕を軽く回しながら、『魔王』はリヴィエラから立ち去っていった。




