#8-4.『あの日』を求め続けた魔女の末路
「大人しくなさってくださるなら、このまま生きて返しても良いとは思うのですが。それにアーティさん、貴方もたくさんの魔法を見たでしょう? 良いお勉強になったはずですわ」
視線を再びアーティらの方へと向け、杖をびしりと向ける。
「……リリアさん。私にはその、今までの魔法、ほとんどが一つの魔法のように感じてしまったのですが……」
思わずびくん、と震えたアーティとミーシャであったが、特に魔法が飛んでくることも無かったので、アーティは恐る恐る、リリアの問いに答えた。
「その通りですわ! ああ、やっぱり貴方は私達の魔法を使うのに向いてますわね。そこに気付けるなんて。兄様は結局解ってくださらなかったけれど、こうやって解ってもらえるのは嬉しいですわ!」
流石は私の子孫、と、嬉しげに顔を綻ばせながら、リリアの講釈は続く。
「私どもの魔法は、現代のようにたくさんの、用途の違う魔法などとは違うのです。属性の違いこそあれど、風ならば風、炎ならば炎と、その属性で活用しうる全てを、術者が思いつく限りに操ることが出来る。それが『魔法使いの魔法』なのです」
説明ながら、杖の先から電撃の槍のようなものを作り出したり、それをあらぬ方向に飛ばして見せたりする。
「そうして、私の一族が得意としたのは風の魔法。これによって空を飛べもしますし、山一つ、切り刻む事だってできますのよ?」
割と万能なのです、と、次の瞬間には存在がブれ、セシリアの真後ろに現れる。
「あっ……」
「風とは空気の流れ。空気中に舞う粒子をも操り、環境をも操作するのです。空気抵抗を0にしたり、逆に濃密にして重圧を増幅したり。攻撃に使えるだけでなく、当然守りにも使えますわ」
まるで泳ぐように翼もなしに空を舞い、流れるように水平移動してゆく。その自在な動き、まさしく風そのものであった。
「私達の時代では、魔法とはつまり、このようなものを指していたのです。さ、素敵なお勉強になったでしょう? いますぐここから帰りなさいな」
そうして、真顔になってリリアは、その場の三人をじ、と見下ろす。
「戦ってみて解りました。貴方がたでは、やはりパトリオットの相手にはならない。今あの天使と戦っている方も、おおよそ十分な状態とは言えないようですし――勝ち目は薄いですわ」
「――それを聞いて、帰れる訳が無いでしょう」
こちらの状況に気付いたのか、エクシリアを抱えたまま、エルフィリースがリリアの正面に立っていた。
「ヴァルキリーさんは私の親友。勝ち目が薄いというなら、何がしかその勝利に貢献できるよう動くのが、友の務めでしょう?」
「邪魔にならないように退避しておくのも、それはそれで大切な事だと思いますが――」
剣を手に、睨みを利かせるエルフィリースに、リリアはしかし、冷めた目で視線を向けていた。
「それでも止まらないというなら、仕方ありませんわ。今退かなかった事、後悔する間も無く消え去ると良いでしょう」
視線と同じくらいに冷たい言葉をぶつけながら、リリアは次第に、両手の杖に魔力を宿してゆく。
「まあ、仕方ないわよね」
「放っては置けませんし、ね……」
すく、と立ち上がり、ミーシャとアーティはじりじりと後じさりし始める。
逃げの為ではなく、戦う為に離れなくてはならなかった。
「……二人が離れきるまで、援護するわ。エクシリアほどあてにはならないでしょうけど」
セシリアも、短剣を手に、エルフィリースの隣に並ぶ。
「あらあら、とても素敵な光景だこと。私、感動してしまいそうですわ」
とても優しい世界だった。そんな光景に、リリアは思わず笑ってしまう。
そう、これができれば。こういう風になる事が出来た世界を、彼女も知っていたのだ。
理不尽に破壊しつくされた世界。抗う事もできずに暴力の嵐の中滅ぼされた平和という概念。
『魔王』という、理不尽この上ない者達の戦争は、そういった優しさまで世界から奪い去った。
あれから何億年経過したというのか。
恋のライバルだと勝手に決め付け敵視していた親友は世界の平和を願ったまま、兄に全てを託して勝手に死んでしまい。
全てを投げ出してでも尽くしたかった愛する兄は『魔王』になりはしたものの、自らの選んだ外道に堪えきれずに道半ばで疲れ果て、消滅してしまった。
自分だけが残されてしまった。自分だけが、悔恨と無念の中、死にながらも生き続けなければならなかったのだ。
(――貴方がたに、耐えられるでしょうか。私が見てきた地獄が、同じように降り注いだとしても。今と同じように、希望を無くさずに笑っていられるでしょうか?)
嬉しかった反面、まだまだ不安もあった。
この愛しき子孫達は、この愛すべき新人類達は、自分達旧人類のように、何者かの理不尽によって叩き潰されてしまうのではないか。
消え往く意識。魔法に集中すると、自力で振りほどいたはずの洗脳が身体に全力で暴れる事を命じてくる。
ソレを必死に押さえ込みながら、苦痛のままに口元を歪める。自然、笑顔になってしまう。
(もう少しだけ、信じても良いのでしょうか……? 心からの敵なんていなくても、ただ、その場にいるだけで手と手を取り合える、そんな平和を。心の安寧を、この娘達に望んでしまっても、良いのでしょうか……?)
心の葛藤は、しかし声にはならず。
両の手からは、最大限の魔力が杖へと注ぎ込まれていく。
――やめて。もう嫌。
戦うのなんて、本意ではない。冗談めかして笑っていても、それはそう演じなければならないだけ。
意識なんて最初から操られたままだし、身体の自由なんて殆ど利かない。
魂レベルで弄繰り回された身体は、もはやあの天使の命令無しでは存在すら許されない。
『――マテリアル・テンペスト』
最大限の『風』が、全てを振動させてゆく。
揺すられた分子と分子が結合を解かれ、本来の姿へと戻されてゆく。
――すべてが崩れてゆく。ああ、もう終わり。すべてが終わる。
元素崩壊してゆく空間。
ばらばらとガラスのように崩れ落ちてゆく世界。全てが儚かった。
『――ここにいる全ての精霊よっ!! 私に力を貸してくださぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいっ!!!』
そんな、間の抜けた声が響いたのは何故だろうか。
全てが終わったと思った絶望の瞬間、リリアは、自身の足元から何かが湧いてくるのが見えた。
「なっ、これ――触しゅ――きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
絶叫する。ぬめりを持った気色の悪い何かが自身の身体に絡み付いてくるのを感じ、リリアは思わず全力で魔法を叩きつけてしまった。
(えっ、嘘――これっ――)
だが、触手は魔法を無効化してしまう。効かないばかりか、魔法が魔法として発現しないのだ。
こうなってはリリアはただの少女である。容易く腕を、足を絡み取られてしまう。
「ふやっ、や、いやっ、ふぐっ――」
やがて口に布でも押し込むかのように押し当てられ、声を発することすら封じられてしまう。
「むぐっ、ふっ、んんんんんんっ!!!!」
必死にもがくが、身動き一つ取れず、ぎりぎりと締め上げられ、リリアはやがて、自分の意識が薄れ往くのを感じていた。
「むぐーっ、ぷはっ、な、なんてことしてくれますのヴェーゼルさん!! わ、私っ、こんな気持ちの悪いっ!!」
「あらあら、楽しそうねー妹。ねえ見てアルフレッド。貴方の妹が楽しい事になってるわよ?」
「いやーっ、見ないで、見ないでくださいまし兄様っ!! リリアは、リリアはっ――きゃぁぁぁぁぁっ」
「……僕にどうしろって言うんだい、ヴェーゼル」
「ふふっ、純情少年には、少しばかり刺激が強すぎたかしら? かわいいわねぇ」
「いやっ、やめてくださいっ、私の兄様に触れないでっ!! あっ、いやっ、触手がっ、触手が胸にっ――」
「……それ、別にやらしい事はしてこないはずだけど?」
「えっ?」
「えっ?」
(あ、これ――なつかし――)
昔、こんな事もありましたわね、と、ほろりと涙を流しながら。
最後に思い出したのがそんな間抜けで、だけれど一番楽しかった、そんな時代の事なのだと気付き、リリアはどこか楽しげに笑い――そのまま消え去った。
「……うわー、うわー」
そんなリリアの最後を見たミーシャは、なんとも居た堪れなさそうな、困ったような顔をしていた。
再び戦いになるか、と思った矢先に、グロリアの召喚したこの触手たちによってリリアが絡み取られ、そのまま勝利した、ように見えたのだが。
その場にいたグロリア以外の全員が、この気色悪い謎の物体の存在に怯え、距離を置いていた。
「グロリアさん、これは……?」
恐る恐るに触手を指差しながら、アーティがグロリアを見上げる。
「原初の精霊です! 世界が固まりきる前の、初期の初期の状態から自然に世界に存在しているって言われてます!! 自分が召喚できるなんて思いもしませんでしたが、おかげで勝つことが出来ました!!」
ぶい、と、誇らしげに笑うグロリア。
「……」
セシリアも一言言いたげであったが、実際問題勝てたのはこの邪悪にしか見えない精霊のおかげであった。
「ねえこれ、どちらかというと邪神とか魔神とか、そういう類のものなんじゃないの……?」
「それは邪神や魔神に失礼な気がするわ……」
うねうねと蠢く精霊の姿に「うわぁ」と、全力で引いているミーシャに、エルフィリースが冷静な追い討ちをかける。
「むむむ、こんなに偉大な姿を見ながらまだ抵抗があるんですか? 全く、もう、そんなに信じてくれないなら、皆さんに精霊をけしかけますよっ!?」
いいんですかっ、と、脅してくるグロリア。
心なしか、触手もずりずりと少しずつ動いたように見えて、一堂、顔を真っ青にして首を横に振っていた。
「し、信じますよ、精霊……」
「うん、信じる信じる」
「精霊ばんざい」
リリアのように触手まみれにされてしまうのはたまらないとばかりに、次々と迎合していった。
「……セシリアさん?」
そして、いつまでも受け入れてくれなかったセシリアに、グロリアが詰め寄る。
身長の差もあるが、今のグロリアは悪い顔をしていた。とても精霊を信仰する純朴な山の民には見えない。
「うぐ……わ、悪かったわよ」
その謎の気迫に押され、セシリアは無念ながら、それを受け入れるほか無かった。
「ん……解れば良いのです♪ 精霊さんありがとうっ」
全員が認めてくれたのがよほど嬉しかったのか、グロリアは満面の笑みとなり、召喚した精霊を元に戻そうとした。
「……あれ? あれぇ?」
しかし、戻らない。消えない。触手はびちゃびちゃと跳ねていた。
「ど、どうしたのよグロリア? 早く消してちょうだい! なんか少しずつにじり寄ってきてるし……」
「い、いやあ。消したいのはやまやまなんですけど、なんか、消えてくれないというか。えーっと、どうしましょう?」
「どうしましょうって!? う、うわ、なんか近づいてくるっ、きゃぁぁぁっ」
近づいてくる触手をぱしぱしと短剣で叩き落としながら、セシリアはグロリアの手を引き、なんとか距離を置く。
「はうっ、す、すみませんっ、時間を置けば消えると思うのでーっ」
「逃げるのよっ、早く逃げましょうっ!!」
「あっ……」
「アーティが転んだわっ、アーティっ、誰かアーティを助けてっ」
「ミーシャ、私の事、忘れないで――」
逃げ遅れて転んだアーティが触手に絡み取られていく。
(くっ、くすぐった――ひっ、耳は――)
リリアのように締め上げられて終わるかと思いきやそんな事は無く、新たな獲物に歓喜してか、精霊は弄ぶかのようにアーティの身体をその触手で撫で回していった。
その後、偶然その場に駆けつけた魔王らによって邪悪な触手は蹴散らされたのだが。
これすらも誰ぞかの妨害か、と、粘液でべとべとにされながら苛立ちを募らせる魔王に、グロリアらはそしらぬ顔で「そうですね」とパトリオットに全ての罪を押し付ける事しかできなかった。