#1-4.金色の竜
「黒竜翁よ、久しいな」
そうして、足を運んだのは黒竜族の城である。
山奥に開けた盆地。
紅茶の産地として名高いグランドティーチに構えられた黒竜城は、古くからあるため造りも古く、歴史を感じさせる名城である。
竜の事を訪ねるなら、やはり竜の長に聞くに限ると判断した魔王は、多少面倒くさいながらも黒竜翁に話を聞く事にしたのだ。
「何しに来たのだ。ワシはこれから女どもを抱こうとしていたのだぞ?」
玉座にふんぞり返る黒竜翁は相変わらず好色で、そして邪魔をされて不機嫌そうだった。
「まあそう怒るな。今日はちょっと聞きたいことがあってきたのだ」
「何だ、さっさと言え。そして言うだけ言ったらさっさと失せろ」
シワだらけの顔をしかめて、黒竜翁は苛立ちながら、とりあえず聞くだけは聞いてくれる姿勢だった。
魔王も、折角なのだからとそれ以上は余計な事は言わず、本題に入る事にする。
「北部に、最近竜信仰の宗教組織が台頭し始めていると聞いた。何か心当たりは無いか?」
「……貴様、よりによってそんな事を知ってどうするつもりだ?」
「先代魔王との約束を思い出してな。その為、申し訳ないが、私も真面目になっている」
いつものふざけた調子ではないのは黒竜翁も察したのか、不機嫌さはとりあえずしまいこみ、珍しく真面目な面持ちのこの魔王に、一応は対話の姿勢を見せた。
「ふん。まあいい。心当たりがあるかと言われればある。だが、あまり思い出したいことではない」
「思い出してくれ。そして教えろ」
「貴様、もう少し配慮というものを知らんのか。相変わらず腹立たしい奴だ」
とても上司に対する口の利き方ではないが、黒竜翁からすれば魔王は、粋がっている若造にしか見えないらしい。
「大陸北部、それはケッパーベリーという国の話だ」
不機嫌ながらも、黒竜翁は眼を瞑り、搾り出すように過去を語りだす。
「北部の中心的な国だな」
「そうだ。若い頃にワシは、何代か前の吸血王と力比べをしていたのだ」
黒竜翁の言う若い頃というのが何千年昔なのかは解らないが、蛇女をのぞけば魔族でもかなり古くから生きている黒竜翁の言う事なので、魔王はあまり深くは考えないようにした。
「どういった類の力比べなのだ? 戦うだけならわざわざそんな辺境に行く必要はなかろうし……」
「そこは、古来より我ら黒竜族にとって、『忌み子』と呼ばれるモノが潜んでいると伝えられた場所だった」
興味深い単語に、魔王の眼は見開かれる。
「忌み子だと?」
「そうだ。黒竜族に稀に産まれる白変種。これは古来より、種族に災いをもたらす存在として忌み嫌われていた」
「何故だ? 外見が違うからとか、そんな安易なものではないのだろう? 忌み子とは穏やかではないものな」
知性ある暴君である黒竜族が、そのような下らない理由で一族の変種を差別するとは思えなかった。
「黒竜族における白変種は、普通に生まれた黒竜よりも、遥かに強い力を持ってしまうのだと聞く」
「つまり、お前達は、その忌み子が育ち、力を持ってしまうのを恐れていた訳か」
「その通りだ。そして若かったワシらは、無謀にもその討伐を力比べとして選んでしまい、その恐ろしさをこの身を以て思い知ったのだ」
遠く思い馳せるように視線をずらす黒竜翁は、当時の緊張をも思い出したように顔をこわばらせる。
「金色の鱗を持つ巨大な竜。その力は、ワシなど相手にならぬほど強かったのだ……」
「金色の竜なあ……今の黒竜姫と比べてどちらが強い?」
明確な判定材料が乏しかった。
黒竜翁より強いというだけなら先代魔王も黒竜姫も彼より遥かに上なのだから、黒竜翁基準で言われると今一解り難い。
「どのようにやっても、姫ではその金色の竜には勝てまい。それほどの力の差があった」
魔王ではどうにもならない化け物レベル確定である。
まだ生きているなら間違いなく世界最強の生物という事になるはずで、流石に魔王も薄ら寒いものを感じ始めた。
「ワシは恐怖に怯え逃げ帰ったが、無理に残ろうとした吸血王は、奴のブレスをまともに浴び、塵一つ残せず消滅したらしい」
見届けとして連れてきた当時の悪魔王がそれを見て思わず失禁してしまったという逸話も語られるが、それは魔王の耳には届かなかった。
「吸血王が一撃で……? アレは不死に片足を突っ込んだ化け物のはずだが」
「よくは知らん。だが、奴はワシも知らん未知のブレスを使い、それによって吸血王は滅んだのだ」
驚愕の事実である。殺しても死なない、そもそも殺せないはずの吸血族の王族がブレスによって即死するなど、ありえる話なのか。
黒竜翁よりも強いのはともかくとして、魔王の驚きはそちらに対しての方がずっと強かった。
「つまり、昨今の大陸北部における竜信仰は、その金色の竜が関わっている可能性が高いのか……」
「あの女と何の約束をしたのかは知らんが、金色の竜と関わるのはやめておけ。いくら貴様が不可解な強さを持っていようと、アレは敵として対峙していい相手では無い」
普段からあまり余裕の無い年寄りではあるが、この時ばかりはその恐怖を思い出したのか、とても真面目に諭すように言い聞かせてくる。
「珍しいな、お前が私に忠告してくれるなど」
「貴様は先代のようにワシらに一々命令を下さんからな。好きにやらせてくれるなら、その方が良いのだ」
「そうか」
戦争をやめていた時期はやたらと陳情をあげてきて鬱陶しい事この上なかったが、一応今の黒竜翁はそれなりに魔王を評価しているらしかった。
「何より、姫の想い人たる貴様に死なれては、アレがあまりにも不憫ではないか」
そして馬鹿親であった。
「私としては、あまりそういう方向に持って行きたくないんだがね」
魔王はというと、いつもの人のよさそうな苦笑に戻ってしまう。
心底、この手の話題が苦手であった。
「女は抱くものだろう? 男が楽しむ為にいるものだぞアレらは」
それは黒竜族の感覚なのか、それとも黒竜翁独自の価値観なのか。
大よそ共感しかねる価値観だが、本人はそれを通して幸せそうなので魔王はそこは否定する気はない。
「私は、遠くで眺めている方が良いのだ。花は、人の手によって汚れてしまうと思わんかね。穢れなき花は美しいぞ」
とはいえ、同意するつもりも更々無いので、誤解されない為にも自分の価値観は伝えておく。
魔王は、その辺りの線引きはきっちりとするタイプだった。
「馬鹿め、美しい花を、自分の手で汚すのが良いのではないか。汚れた花も愛でられん奴が女を語るな」
平行線である。やはりこの年寄りとは価値観は共有できそうにないな、と魔王は溜息をつく。
これで妙に気に入られているのか、事あるごとに話しかけられるのだから鬱陶しくて仕方ない。
自分を慕ってくれている黒竜姫には悪いと思いながらも、やはり娘共々、できる事ならあまり関わりたくない部類の相手なのだ。
「私には、一人だけ居てくれれば良かったのだ……」
この、愚にも付かない女の話が終わる間際、魔王はぽつり、本音を呟いた。
話も終わり、用事がなくなった魔王は、「姫と会っていけ」「一晩くらい泊まっていけ」という偉そうな上から目線の年寄りを無視し、さっさと魔王城に戻った。
『おかえりなさいませ』
私室ではアリス達が待っており、アリスの声と共に可愛らしく頭を下げている。可愛かった。
「ふぅ、癒されるな……」
人形達に外套を手渡し、どさりとベッドに腰掛ける。
軽く眼を閉じ、世界が暗くなっていくのを感じた。
「主様、どうぞお休みくださいませ」
それは果たして誰の声であったか。
思い至り、眼を開き、驚いたように顔の横にいた人形を見る。アリスだった。
『どうかなさいましたか、旦那様?』
しかし、その声は似ても似つかず、謎は深まるばかりであった。
何故そんな声を思い出したのかもよく分からない。
「少し疲れているんだ。アリスちゃん達に癒されたい」
『かしこまりました、どうぞ癒されてください』
くたくたな主に、アリスは満面の笑みで両腕を広げた。
さあ、どうぞ、と言わんばかりに。その少女人形達は屈託なく笑うのだ。
そこには穢れなき美があり、ただ一つの、永遠に穢れない魂が入っていた。
魔王が望んだ訳ではない、だが、結果として手に入ってしまった一つの愛である。
アリスの胴を右手の親指と人差し指でそっと掴み、左手でそっと髪を撫でる。
『んぅ……』
気持ちよさそうに眼を閉じ首を振るその様は、主人に構ってもらって喜ぶ猫のようである。
「癒されるなあ」
可愛らしかった。小動物的な癒しというか、そんな心地よさを感じる。
別に魔王は小さな少女人形に性愛を抱く変態気質ではないのだが、こうして遊んでいる時は、子猫だとか子犬だとかを愛でている気分になり、幸せな気持ちに浸れるのだ。
他の人形達は疲れた魔王が少しでも心地よく居られる為にマッサージをしたり、香りの良い花から作った香水を部屋に霧吹きしたりと、主人を癒す事に余念が無い。
そうかと思えば、器用にも楽器を奏ではじめ、歌を歌い、楽しませる。
二千の人形それぞれが、自分たちのできる限りの『癒し』を演出していた。
その愛情が、どこか魔王には懐かしくて、今更だからこそ、そう感じられるのだと思うのだ。
決して得られなかった訳ではないのに、周りを見なかったがために失ってしまったものというのは、取り返しが付かないものというのは、どうしてこうも美しいのか。
その美しさが解った時には既に手遅れだったというのに、それが解ってしまうというのは、どれだけの後悔であったか。
魔王は癒されながら、自分の心のうちにある古傷を思い出していた。
翌日、癒された魔王は再びやる気を取り戻し、たまに職務を全うしながらも、方々へ足を伸ばす日々を再開したのだった。