#6-2.その後の試行回数、758回
そうして書庫を出た魔王は、アリスとアルルを伴ってグレープ王立図書館へと転移。
当然、いかにも悪魔といった出で立ちのアルルはローブ姿で訳ありの旅人風に偽っていたが、堂々と正面から図書館へと入っていった。
「……いくら羽や角を隠せているとはいえ、人間ばかりの中に行くのはその……かなり緊張しますね」
慣れきっている魔王やアリスと違い、アルルは人間世界は初体験の為、不安げに息を呑みながらちらちらと周囲を窺っていた。
「ま、大丈夫だよ。それよりも、要件を済ませてしまおう」
当然、書庫を利用する人間達にとっては奇妙な組み合わせの三人組にしか見えない訳だが、そんな事知るはずもなく。
油断なく周囲を見渡そうとするアルルの姿に、魔王は思わず噴出しそうになってしまっていた。
「すまんが」
見たところ、カウンターには目的のハーミット、リルニークは不在らしく。
適当な司書の前に赴き、魔王はカウンターに肘をつき、人のよさそうな笑顔で声をかける。
「はい、いかがなさいましたか?」
司書は人当たりよく、魔王に笑顔を返してくれる。
実に教育の行き届いた、自然な仕草であった。
「こちらに、リルニークという司書がいると思うのだが。今日は不在かね?」
「ああ、司書長にご用でしたか。少々お待ちくださいませ」
ぺこりと会釈すると、司書は急ぐでもなく静かな動作で奥へと消えてゆく。
しばし待たされる事となったが、その間はこの図書館を眺めているだけで時が過ぎていった。
人間達の持つ図書館としては世界最大級。
様々な本が納められているこの書庫は、人類の叡智の結晶と言っても過言ではない。
当然、色んな人間が訪れる。学者のような出で立ちの者もいれば、どこぞの国の騎士のような真面目ぶった格好の者も居り。
一般の読客に混じって、一般とは到底思えぬ貴族然とした者も混じっており、だというのに、皆が皆、とても静かに目の前の本に集中している。
ぱっと見はカオス。だが、和が高度なレベルで保たれており、そこに混乱は無い。
それは、とても美しい光景であった。一種の完成された『静』がそこにあったのだ。
「――お待たせいたしました」
そんな静の極地をうっとりとしながら見ていた魔王たちに、奥から現れた司書が声をかける。
「リルニークは?」
「奥のお部屋でお待ちですわ。どうぞ、こちらに――」
流石にカウンターで済ませるのもどうか、という事なのか。
「……解った」
あるいは、何がしか意図があるのかもしれないと考え、魔王は素直に頷き、後ろの二人にも続くように促した。
「失礼します。お客様をお連れ致しました」
図書館奥の、関係者向けの施設の一室に、リルニークは居た。
簡素なソファに腰掛け、何やら書類に書き込みながらの出迎え。
テーブルの上にはいくらかの書物と、膨大な量の書類が置かれたままであった。
「ありがとう。貴方はもう良いです。戻ってください」
「承知いたしました。では、これで――」
小さく頷きながら人払いすると、リルニークはそのままの姿勢で近くのソファを手差ししながらにっこり微笑む。
座るように促してのものだとは解ったので、魔王らは示されたソファに腰掛け、彼女の作業が終わるのを待った。
「申し訳ございません陛下。折角お越しいただいたのに、このように失礼な対応となってしまいまして」
書類の山は、凄まじい速度で片付けられていった。
その執務能力の高さには魔王もアルルも舌を巻いたが、当のリルニークはそれらが済むや、申し訳なさそうに眉を下げ、魔王らに一礼していた。
「構わんよ。むしろ、何の連絡も無しにこうして会いにきた私に非がある。ただ、どうしても気になった事があってね。図書館ではなく、君自身に用があったのだ」
突然ですまない、と、魔王も不意の来訪を詫びる。
本来なら部下にこのような事を言うのも妙な話なのだが、彼女は魔王の指示でこの図書館に入り込んでいるのだ。
折角怪しまれる事なく入り込んでいるのに、それを魔王本人が台無しにするような事をしたのでは、仕事にならないかもしれないと危惧してのものだった。
「ああいえ、お気になさらず。それで、陛下のご用というのは一体……?」
美しい金色のウェーブがかった髪を指で弄ったりしながら、リルニークは来訪の用件を問う。
「うむ。実は、魔王城の地下書庫。その最奥を目指してみたんだ。だが、その一番奥、大きな扉が見えた辺りで、電撃が走る謎の装置によって妨害を受けてね。先に進めなくなってしまった」
「なるほど、それでハーミットの私に――ですが陛下。あの先には進まないほうがよろしいかと思われますわ」
聡明なリルニークは、魔王の言わんとする事の意味と危険性を即座に察しているらしかった。
「何故だ? 私としては、あの先にある『何か』には、興味本位以上の重要性を感じているのだがね」
「だとしても、です。あの地下書庫は、この世とあの世とを繋ぐ境界線。本来はこの世界のどこにも存在していない異空間にあるのです。そして、あの扉の先には――」
「……あの世があるのか」
「そこへと続く川がありますわ。私どもハーミットは、古来よりその川へと、生者がたどり着いてしまわないように監視するのが生業でした」
辿り着かれては困るのです、と、静かに語り始める。
「そもそも、あの書庫は見た目どおりのモノではなく、この世での生を終え、魂だけとなった者が記憶を現世に落としてゆくその過程によって生まれた『記憶の溜まり』に過ぎません。そして、そのような場所は世界にいくつも存在しております」
「あそこ以外にも、そんな場所が?」
「ええ。人には知られていない場所がほとんどですが、確かに存在しているのです。そしてそこに蓄えられた知識は、多くが繋がってしまっている現世に近しい方向性に補完されていきます。魔族世界にあるモノは魔族寄りに。人間世界にあるならば、やはり人間世界寄りに」
驚くべき事に、あの書庫と似たようなものが、世界にはまだまだ存在しているのだという。
そのようなものがいくつもあるというのは、それだけ膨大な知識がこの世界に溢れかえっているという事でもある。
人が死ねば死ぬほどに、書庫の蔵書は増えてゆくのだ。
時間と共に変異していく書物の並びとは、つまり、新たに人が死ぬ度に整理される、世界の記憶とでも言うべきものだろうか。
「だが、現実に存在する著者の出版物もいくらか混じっていたようだが? その、例えば、ここにあるような本でも、あちらにあるものはいくらかあったはずだ」
「でしたら、それは死した者にとってもっとも影響を与えた書物だとか、印象に残ったモノだったのでしょうね。当然、読んだ本の記憶とて知識には変わりありませんが、そのような形で現物に近しく変換されても不思議ではありませんわ」
ままある事です、と、リルニークはすまし顔であった。
「なんとしても、あの先に進みたいのだが。どうすればいい?」
「……どうしても進みたいのでしたら、方法は三つありますわ」
力強く見つめてくる魔王の視線が辛くてか、リルニークは困ったように眉を下げながら、視線を逸らしてしまう。
「一つは、死ぬこと。生者という括りから逸脱する事ができれば、当然、あの先に進む事は容易なはずです」
勿論、目的があっての事なら本末転倒ですが、と、釘を刺しながら、指を立てる。
「もう一つは、『渡し人』と呼ばれる、扉の先にいる管理者の血縁を連れてゆくこと。その血が濃ければ濃いほど、近ければ近しいほどに、邪魔をする機能は弱くなっていくはずですわ」
「その渡し人とか言うのは、何者なのだ? 血縁というのは、どこかにいるのかね?」
「解りませんわ。私どもはあくまであの書庫の管理人。その先は、話では知っていても、見た事は無いのです。ただ、渡し人は時折入れ替わるのだとかで、毎回同じ者が立っているとは限らないようですが」
二つ目の話も、誰を連れて行けば良いのかが解らないのでは話にならない。
魔王的にはこの選択も無理に感じていた。
「三つ目は……私どもハーミットの持つ『図書館ワープ』を利用する事です。これによって、少人数ですがあの扉の前まで連れて行くことが可能になりますわ」
三本目の指を立てるリルニーク。
「そんな方法があるなら、最初からそれを選べば良いだけじゃない」
なんでそんな楽なのを先に言わないのよ、と、アルルは口元をひくつかせながら突っ込みを入れる。
「成功率が限りなく低いからですわ。図書館ワープは、この世界に現存する数多の『図書館』を転移する魔法ですが、これは狙って特定の場所に転移する事はできず、あくまで『世界中の図書館のいずれかの座標』に転移する事しか出来ません」
「また随分と偏った……いや、君たちにとっては必要な魔法なのか」
「ええ。図書館から外に出ると大幅に弱体化するのが私どもですので。これは重要な移動手段ですわ」
極端な魔法だなあと、呆れそうになる魔王であったが、ハーミットと言う種族柄、それは相応に大切なものであった。
「――ですが、この方法ならば、一切の魔法や攻撃行動を封じられているあの地下書庫でも入り込む事ができます。試行回数こそ途方も無い事になるかもしれませんが」
「それと、あの電撃のラインの中に転移してしまったら、身動きが一切取れないまま死を待つ事になるわね」
アルルの指摘に、リルニークも頷いてみせる。
いずれにしろ運が絡む、という点では、いるかどうかも解らない渡し人の血縁者を探すのとそう大差はなかった。
「陛下、確かにあの扉の先は気になりますが、それがあの世への道なのだと解った以上、無理に進むのも……」
「だが、この世ではもう、調べるだけの事は調べ尽くした気がするのだ。何より、一番浮かんでこなければおかしいものが浮かんでこない」
アルルとしては、これ以上この魔王が暴走するのを止めたいと思っていたのだが、魔王はそんな事気にもせず突っ走ろうとしていた。全力疾走の気概だった。
「確かにこの世界での問題は、かなりの部分解決したように見える。だが、根本的な部分が何も解決されていないように感じてならんのだ。このまま終わらせて、本当に良いのか、とな」
このまま平穏に埋もれてしまえば、目の前には幸せな世界が待っているはずだった。
この上で何かをする必要なんてどこにもないかもしれない。
何もせずとも、残りの時間を楽しいひと時に使える。
だが、魔王はそれを良しとしなかった。今の平穏に、疑問を抱いてしまっていたのだ。
「戦いは終わった。平和な世界になった。だが、それだけか? 様々なものを裏で操っていた奴がもしいたとしたら? ただの陰謀論に感じてしまうかもしれないが、ここ最近の世界の流れは、とても強い『人為的な何か』を感じる」
それが気になって仕方ない。例えそれがハッピーエンドに繋がる道だったとしても、そんなものは容易に認められなかった。
「陛下の決意は固いようですわね」
ほう、とため息をつきながら、リルニークは席を立つ。
ふわ、と豊かな金髪が揺れ、柔らかな香水の香りがその場の三人の鼻を癒した。
「でしたら、私はお付き合い致しましょう」
ぱん、と、手を叩くと、不意にドアを開く音がした。
「――やはり、留まってはくれんか」
しゃがれた声がして、魔王らが振り向く。
そこには品の良い身なりの年老いた男が一人、リルニークを見ながらに寂しげに立っていた。
「館長。申し訳ございませんが、そういった訳ですので――」
「うむ。長い間ご苦労だった。仮初であったとはいえ、君はこの図書館始まって以来の才媛。国に貢献してくれた大切な司書だよ」
歩み寄り、リルニークの手を取り俯く。
「――お話は聞いております。魔王陛下、リルニークさんのこと、頼みましたぞ」
そうして魔王に向き直り、こちらにも握手を求めてきた。
「どういう事だ、これは?」
「きちんとお話は通してありますわ。というより、司書として働いていく中、魔族である事を隠していく事が困難でしたので……早々のうちにでしたが、機会を見て打ち明けていたのです」
驚く魔王。突然の展開に、アルルもアリスも目をぱちくりして顔を見合わせていた。
「彼女が魔族であると知った時、そしてその真の姿を見た時にも、それほど驚きはありませんでした。魔族は、古来より人に化け、人の内に潜むと聞いておりましたので。何より、彼女はとても勤勉であり、ただこの図書館の知識を知りたい、というだけでしたので」
魔王の手を勝手に握りながら懐かしむように語りだす館長。
「人にも危害を加えず、むしろ同僚や後輩たちの模範となるような司書を、どうして疑いの眼で見られましょうや。魔族だとわかってからも、私どもは彼女を一切差別めいた眼で見た事はございません。この賢者の街は、知を求める者ならば、誰であっても歓迎する所存にございます」
それが例え魔族の方であっても、と、アルルの方を見やりながら笑う。
「……ばれてしまっていたようです、陛下」
「うむ、まあ、そのようだね」
気まずげにローブを取るアルル。魔王もどうしていいやら困惑ばかりだった。
「お国柄と言うものだろうか。グレープ王国が、大帝国の方針に比較的寛容、追随していたのも、そういった辺りが関係しているのか」
「そうかもしれませんなあ。魔族による武力の脅威がなくなった今、悪戯に恐れ、接触を避けようとするのは時代の流れにも逆らう行為と言えましょう。私は、この我々と彼女の関係が、人間と魔族の繋がりの、貴重な最初の成功例、参考になればと思っているのです」
いずれ、増えるでしょうから、と、館長は胸を張って魔王を見やっていた。
「いやはや、参ったな……人間というのは、すごいな」
人のよさそうな困り顔で、魔王は頭をぽりぽりと掻く。
国王でも貴族でもない。まして勇者でもない、こんな図書館の一館長が、いいや、その構成員の全てが、魔族というものを恐れもせずに受け入れていたのだ。
禁じてはいたとはいえ、命の危機に陥ればリルニークとて相応に暴れたかもしれないのに、彼らはそれを受け入れる寛容さを持っていたのだ。
これは驚きに値する事であった。このような事が国策でも無しに起きていたのが、魔王には嬉しくて仕方なかった。
こうしてリルニークは図書館を去り、魔王らと行動を共にする事になったのだが、彼女の去り際、図書館員全員、そして読客のいくらかが集まり、声援と涙を以って彼女を見送っていた。
美人で勤勉だったリルニークは、同僚達だけでなく、読客にも多くのファンがいたらしい。
人間とは、まこと逞しい。
自分の信じた者、受け入れた者に対しては、それが何であっても気にしないのだろう、と。
魔王は人間のそんな一面に強く惹かれるのを感じながらも、リルニークに指示し、図書館ワープを発動させた。




