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趣味人な魔王、世界を変える  作者: 海蛇
2章 賢者と魔王
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#1-3.賢者と魔王

「さてと、続きを読むか……」

魔王の私室では、読みかけの開かれた本が何冊か、机の上に並べられていた。

以前人間の街で手に入れた本である。

図書館から貸し出されたものであるが、司書に悪魔族の女が入り込んでいたため、都合よく無期限で借りられる事となった。


 大賢者とまで呼ばれた英雄・エルフィリースの生涯を綴ったその書物は、全部で五巻に分かれ、事細かに書き出されていた。

何年の何日に生まれ、どこの街の出であったのか。両親は何者であるのか。貴族なのか平民なのか。

恋人や夫は居たのか。子供は居たのか。家族はどういった構成なのか。

血の型。好みの服装。化粧の仕方。好きな花に至るまで。

無論の事その性格や思想、功績、働いた悪事等も詳細に書かれている。

子供の頃にした些細な悪戯が悪事として記録に残ってしまうのは、成人した彼女が聖人として崇められているからなのだろうか。

清らかな人物ほどに、わずかな汚れが目立ってしまうのだろうと魔王は考える。


 もっとも、魔王の記憶に間違いがなければ、彼女はそこまで清らかな魂は持ち合わせていなかったし、むしろその思想は極端すぎて、少なくともその時代においてあまりにもそぐわないモノであったのだが。

書物に詳細に書かれている賢者像は、しかしそんな記憶とは矛盾して、いかに彼女が生前残した功績が偉大であるか、どれだけ慈愛に満ちた人物であったのかを伝えている。

これはこの書物に限らず、彼女に関しての資料では徹底してそのように記載されているのだ。

なので、後世において、それは間違いの無い事実であると認識されている。

そこに違和感を持っているのは恐らく魔王だけであり、それが違うと解っているのは、ソレを知っている魔王だけだった。


 書物には、彼女は後年、死の間際に、多くの人を前に、より多くの救いをもたらす為にどのようにしたらいいか、その手段を説いたのだという。

その考えはやや特殊で、武器を取らず、戦う事をしなければ、それ以上の争いは起こらないのではないか、という考えの元、魔族との共存を訴えたものであった。

勿論その思想に共感する者は少なく、多くの者は彼女の思想には靡かなかった。

いかに人々を救う聖人であっても、相容れない考えを持っている者を人々は受け入れない。

多くの人を救ってきた彼女は、しかし人々の気持ちを本当の意味では理解できておらず、最終的には彼女を聖人と持て囃していた民衆からも距離を置かれ、一人寂しく死んでいったのだという。


 この戦争は魔族から引き起こされた物であり、自分達人間はその侵略から身を守る為武器を取っている。

そう考える者はとても多く、自分達の生存権を脅かす魔族は、多くの民衆にとって絶対悪でなくてはならなかった。

社会的背景も考えれば、書物に書かれていることは何一つ疑う余地はなく、それが故、彼女の最後はとても寂しい、孤独死であると伝えられている。

死因すらも不明と記されているのだ。

ただ死んでいたので、教会がそれを引き取り、死後も聖人として祀り上げ、英雄として語られるようになったのだという。


 今魔王が読んでいる書物の珍しい所は、その、彼女の死後に、教会がにわかに彼女を聖人として広めていったことを記してある事にある。

元々その功績で人々に認められていたエルフィリースであったが、生前、その知名度はあくまで活動拠点であった旧バルトハイム帝国――現代でいう所のアップルランド周辺にあった大国――に限られており、国外においては無名であった。

彼女は多くの人を救うために進んで戦地や辺境の集落などを訪れ、精力的に活動していたのだが、無欲な為自身の立てた功績を人に譲ったり、そもそも名乗ったりしなかった為、地元以外ではあまり知られなかったのだ。

それが、死後になって唐突に教会を中心として広められ、大賢者エルフィリースの名はその時代を象徴する代名詞となる。

元々各地を回っていた彼女は、死後になってようやく、無名で物好きな賢者様から、知る人ぞ知る有名人へとなったのだ。


 魔王が気になっていたのは、この賢者の死因である。

どの書物によってもそれは書かれておらず、ただ死んだとだけ書かれている。

他の事柄は詳細に書かれているものも多いというのに、である。

通常、その人物の死とは歴史において最も現代に近い時代の話のはずであり、死体も残っていないとかでもなければ、大体は一番細やかに記される事柄であるはずだというのに。


 エルフィリースの時代は、それ以前の過去と比べても珍しいほど血にまみれており、時代の魔王・アルドワイアルディは暴虐で知られた空の王者であった。

人々から『エアロ・マスター』と呼ばれ、場所を選ばず突如上空から襲い掛かるその漆黒の竜王は、大陸全土に安全地帯など存在しないのだと人間達に思い知らせた。

夜眠りにつく事の出来る幸せをかみしめ、日の出を喜びと涙を以て迎える、というのが、この時代の人間の、いつもの光景であった。


 民衆の心は荒み、どこかに救いを求め、それに乗じた『神』という謎の存在を信仰する新興宗教が生まれていた。

教会という名のその宗教組織は、教義もそれまで世界に広まっていた竜信仰等より柔らかで、厳格さよりも平穏を望んでいた民衆はそれを容易に受け入れていった。

竜への信仰は神への信仰に飲み込まれ、形を変えたり消えたりしていく。

人々に受け入れられ始めていった教会であるが、それが本格的に世界に広まったのも、やはりエルフィリースの死が原因だったのではないかと魔王は考える。


 エルフィリースの文献と一緒に机に並べられているのは、教会の歴史に関しての詳細な資料である。

これは宗教色が薄く、いかにして教会組織が世界に広まっていったかの歴史がまとめられている書物であるが、ちょうどエルフィリースが死に、その功績が教会によって世界に広められると同時に、国々での教会の数が大幅に増え、組織としても肥大化していったように見えるのだ。

――教会は、エルフィリースの名を、さも自分達が担ぎ上げた英雄であるかのように広め、自分たちの名を売ったのではないか。

元々無名の英雄であった彼女が、教会によって人々に名を知られたのだ。

それはよしとしても、それは教会の聖人が為した事であると改変されて伝えられたのではないか。

歪んだ事実を、しかしそれと知らない多くの人々は受け入れ、今日の英雄像へと変貌したのではないか。

「……そういえば彼女(・・)は、やたら目の敵のように教会を狙っていたな」

そこに思い至り、今更のように思い出す。

このようにぽつりぽつりと、デフラグで回収できていなかった記憶が取り戻されることもある。

やはり調べるというのは大切なのだと魔王は感じていた。

それがたとえ、以前の自分なら当たり前のように知っていたことであっても。



 エルフィリースの掲げた平和と共存への願いは、その時代において主流になりかけていた。

民衆の多くが戦争の馬鹿らしさを感じ、彼女の思想によって救いがもたらされるならその方が良いと感じていたのだ。

現実味は薄いが、その願いにすがる民が増え始め、国すらも動かそうとしていた。

危惧したのは戦争を継続したい連中である。戦争が続いてもらわないと困る組織である。

そういったモノから狙いを付けられ、哀れ、彼女は人知れず捕らえられ、囚われの身になってしまう。

教会の発表によって彼女の死が伝えられ、人々はヒロインの死を酷く嘆く。

自分たちの指導者になりえた存在が、突然消えてしまったのだ。混乱もした。

その混乱を収めたのは彼女の死を看取ったという教会であり、いつの間にやら教会は、エルフィリースの有力な後見だった事になっていた。

英雄は、しかし教会の教義に基づいて活動していたのだという主張により歪めて広められ、人々はそれを受け入れてしまった。

こうして、彼女の掲げた願いは、教会によって取りこまれ、当時の教会の教義にすりかえられたのだ。


 そもそもの所、彼女は死んでいなかったのだ。

死んでいたら後の世の魔王マジック・マスターは生まれておらず、更に言うなら今代の魔王ドール・マスターも生まれなかったかもしれない。

教会によって殺された事になった賢者殿は、しかし実際には生き延びており、教会を酷く憎んでいた。

その心はどこまでも歪んでしまい、瞳は暗く濁っていたが、唯一つ、教会に復讐するという理由の為だけに魔王を続けていた。

実際問題教会は魔王軍から狙い撃ちにされ、当時の『知識の女神リーシア』を主神とした宗教組織は、根底からがたがたになったのだ。

自業自得としか言いようもないが、それによって崩壊しかけた教会は、しかし今度は民衆から自然に湧き出た神への愛によって再興され、今度こそその祈りは純真な物へとなっていたはずだったのだが。

残念な事に、最近はそうでもないらしく、やはりというか、組織は腐っていったようだった。



「この時代には、北部にも目だった宗教組織は残っていないようだな……」

教会の繁栄の歴史は、竜信仰の衰退の歴史でもある。

人間世界北部における竜信仰は、最近こそにわかに活気付いているが、当時の北部においては組織化すらされていなかったらしく、あくまで個人や集落単位で各々勝手な信仰をしていたのだという。

そうは言っても、北部に根強くそういったものが残っていたのは、時折見られる山の主が、恵みや救いをもたらし、時として破壊すらももたらしていたかららしいが。

この、人々に救いと破壊の双方をもたらす山の主とやらが何者なのかは、どこの文献にも詳しくは書かれていない。

人間の書物は比較的公平なものの見かたで客観的に書かれているが、残念な事にその知識は辺境に至るほどに乏しくなり、本来重要極まりない事柄ですら、人々の記憶の中にのみ存在しているというのも少なくない。

ただ、竜信仰が続いているのがこの山の主という存在によるところが大きいのであるなら、この主とやらは竜か、それに近い生物なのではないかと推測できる。


 人間は竜が人と似た外見に戻る事などほとんど知らないので、トカゲ形態の方でその存在を想像する。

このトカゲ形態は、爬虫類的な外見のおかげで大型の爬虫類型クリーチャーと混同されがちなのだ。

特に間違えられやすいのはワイバーンと呼ばれる爬虫類で、外見こそは確かに酷似しているのだが、これは竜とは比べ物にならないほど知性が低く、その力も大したことが無い。

また、前足がそのまま翼となっている為、歩く事も下手で、飛翔時の速度と距離だけは竜以上なのだが、ブレスも吐けない為に戦力としてはかなり弱い。

弱い分、繁殖力だけはそこそこにあり、また、兵士や物資などを載せて運搬させる分には十分な翼の力を持っているため、主には戦地への運搬用として使われる生物である。

稀に脱走したりして、とち狂って人間の街に襲い掛かってしまったり、本能のままに山奥に住み着いてしまうものもいるらしい。

そういった個体が竜と間違えられ、信仰の対象となっている可能性もなきにしもあらずで、ますますややこしい事になっている。


 魔王が北部の信仰を調べているのは、先代の魔王との間にかわした約束による所が大きい。

エルリルフィルスの遺した娘達は、その多くはそれとなく居場所まで把握できているのだが、ただ一人だけ、どこをどう探してもそれらしい娘が見当たらなかったのだ。

その娘の名はカルバーン。黒竜族の姫であり、忌み子と呼ばれた白変種の娘である。

魔王の記憶にある限りなら、金髪水色眼で、顔は黒竜姫とほとんど同じ、勝気な性格の娘だと思ったのだが、どうにもこれが見つからない。

黒竜族の姫は黒竜姫以外にはいない、というのが魔界の常識であり、黒竜族も常にその方向で通している。

両親の血筋故か、エルリルフィルスが死んだ際には、既に彼女たちの力は大人の黒竜より遥かに強くなっていた為、忌み子だからと暗殺されたというのも考えにくい。

そもそも、その存在を隠す為に、エルリルフィルスは魔界全土から自分の娘たちに関する記憶を消し去った節すらある。

だとするなら、間違いなく彼女が崩御するまではカルバーンは生存しており、その後どこに行ったのか行方知れずになっている事になる。

『娘達を守って欲しい』などという迷惑極まりない願いを引き受けてしまった事を思い出した魔王は、その為には行方知れずの娘を探す事から始めないといけないらしかった。

それが為、それらしいものを調べていくうちに見つけたのが北部の竜信仰である。

近年起こった組織については詳しい文献が手に入らない分なんとも言いがたいが、他にそれらしい手がかりも無いので、可能性を否定するにも受け入れるにも、とにかく調べなくてはいけなかったのだ。


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