#3B-2.ヴァルキリーを選んだ世界
「……アリス。もし、君にも次の世界があるのだとしたら。せめて、せめて、そこでは幸せに生きて欲しい」
結局、ネクロマンサーは、ヴァルキリーを蘇らせるための『儀式』をする事となった。
作業室に用意された魔法陣の上にアリスを立たせ、最後の最後、別れの言葉を告げる。
『――お父様。いいえ。アリスは生まれてきて幸せでした。優しいお父様と、素敵な旦那様と出会えたんですもの』
手の平で涙をぬぐいながら、アリスは健気に笑っていた。
最後の、その時まで。
ネクロマンサーがアリスの頭を軽く撫で、そうして顔の前に手をかざすと、やがてその小さな身体が粉々に、砂のような粒子となってばらけていくのが、伯爵にも見えていた。
アリスは、痛みも何も訴えず。やがて、影も残さず消え去った。
「……せめて、私を恨んでくれ」
胸にズキリと来るものを感じながら、伯爵はアリスが居た場所に向け、一言。
ネクロマンサーもやるせない表情で、右手の平をくい、と、捻る。
やがて、ネクロマンサーの手の平の上には一塊のぼうっとした光が集まり始めた。
「これが、ヴァルキリーの魂です。そうして、これを――」
左手に持ったロザリオを魂に近づけると、ただ光るばかりだった魂にやがて淡い赤の色がついていき――逆十字に吸い込まれていった。
「……伯爵殿、剣を」
「うむ」
予め伯爵に持たせていたヴァルキリーの剣を手に、ロザリオの鎖部分を柄に掛け、赤に染まった逆十字を刀身に触れさせる。
ただ、それだけであった。
わずかな間が空き、逆十字の赤が、刀身へと移ってゆく。
そうして、部屋には光が溢れた。
その場にいた二人が、二人ともが眼を開けていられぬほどの輝きを、刀身が発したのだ。
「――おおっ」
伯爵は唸る。その眩さ、輝きの先にあったものに、感嘆した。
「……ここは」
刀身のあった場所に立っていたのは、侍女の出で立ちをした金髪碧眼の天使。
伯爵の望んだ、ネクロマンサーの焦がれた、その存在であった。
「ヴァルキリー!!」
最早我慢ならず、伯爵は侍女へと駆け寄る。
かつての姿、かつての声。何一つ違わぬ、自身の大切な侍女。
その姿を目にして、伯爵は抑え切れなかったのだ。
ネクロマンサーはと言うと、涙しながらにその姿を見ていた。
ヴァルキリーに再び会えた事そのものは嬉しくとも、アリスを犠牲にしたという耐え難い痛みに、苦しんでいた。
「主様? 何故このような――私は、自動人形となるべく、この身、この命を捨てたはず――」
自身に駆け寄り抱きしめてきた主に驚きながら、涙していたネクロマンサーの顔を見る。
「……貴方を蘇らせる為に、私が創ったアリスは、いなくなりました」
ただただ口惜しげに、ネクロマンサーはそれだけ呟き、崩れ落ちた。
「そんな……主様。何故ですか? 折角、勇者を探し出すための道具が手に入ったというのに、何故――」
自身の内に湧いた疑問を抑えられず、ヴァルキリーは困惑の表情を見せていた。
彼女としてはひどく珍しい、とても感情的な顔であった。
そんなヴァルキリーを一旦放しながら、伯爵は小さく俯く。
「勇者の事はもう良い。もう良いんだ……」
崩れ落ちたネクロマンサーを見やり、再びヴァルキリーを抱きしめた。
先ほどよりも、ずっと強く。締め付けるように。
「あっ――」
最初の時とは違い、ヴァルキリーもそれに驚かされる。
色白な頬が、わずかばかり朱に染まっていた。
「私には、お前しかないというのが良く解った。お前が居ないとダメなんだよ。どうにも、生きていて甲斐が無い。お前が居ない間は、死んでしまったほうがマシな位だった」
耳元で、悲痛な気持ちを吐露する。
彼自身、かなり参っていたのだ。
これで無理なら最早死ぬほかあるまいと、本気でそう思っていたほどであった。
「だから、決して私の傍を離れないでくれ。私の幸せを望むというなら、それは、お前の傍でなくては得られないのだと、解って欲しい」
それは、愛の告白なのか。あるいは、侍女を縛り付けるための呪いの言葉であったか。
いずれにしても、主のそんな言葉に、ヴァルキリーは眼を見開き、やがて潤ませる。
「――はい。主様が、そうお望みでしたら」
自身の勝手に、ようやく気づいたのだ。
自分の思いによってこの主を結果的に苦しめてしまったのだと気づき、ヴァルキリーは涙する。
それでも尚、自分を想ってくれる、必要としてくれる主に、ヴァルキリーは強い依存を感じていた。
離れたくないのは、彼女も同じだったのだ。
むしろ、だからこそ、彼女は主と永遠に共に居られる自動人形の、その材料となる事を望んだのだから。
「私は、もう離れませんわ。この魂、この身体――全てが、貴方と共にあり続けます」
だから泣かないでください、と、主の背に手を這わせ、その頭を優しく撫でた。
その後、ヴァルキリーをその手に取り戻した伯爵は再起し、魔王アルドワイアルディの側近として返り咲く事となる。
またしばらく、暴虐の時代が続くかに思えた世界はしかし、突然のアルドワイアルディの病死により、大きく情勢を変える事となった。
「伯爵殿より話は聞いています。貴方が、人間世界の代表の方ですね?」
魔王城・謁見の間において、ある会談の場が儲けられていた。
豪奢な玉座に君臨するは、新たに魔王として即位した『ドール・マスター』ネクロマンサー。
対峙するは、人間側の代表として訪れた『剣聖』エルフィリース。
魔王の左には伯爵。右にはラミアが控えていた。
「初めまして、魔王ドールマスター。私はエルフィリース=レプレキカ。本日は、伯爵殿のお力添えによって、こうして会談の場に来る事ができました。感謝の言葉もありません」
儲けられた椅子に腰掛けながらに魔王の左隣に立つ伯爵をちら、と見、また澄ました顔で魔王に向き直る。
「私も、まさか人間の中に貴方のような思想を持った者が生まれるとは思いもしませんでした。ですが、この出会いは互いにとってとても有意であると思っていますよ」
魔王ネクロマンサーの掲げる理想は唯一つ。
くだらない人間と魔族との戦争を終わらせ、一つの平穏を築き上げる事。
その上で起こるであろう『世界に対しての矛盾』を解消し、元のシャルムシャリーストークへと戻す事にあった。
「ありがとうございます。私達人間はもう、戦争は嫌なのです。多くの人の血が流れるのはとても辛く……耐え難い」
「……解りますよ。戦いが生むのは憎しみと、終わらない戦いの連鎖ばかり。ですから私は、その構造を根本から変えてしまいたいと思っていました」
右隣に立つラミアの難しげな顔をにやにや見ながら、ネクロマンサーは話を続ける。
「魔王で無理なら『魔王』となるつもりでしたが、貴方が協力してくれるというなら話は早い。魔王軍はただちに人間世界から全軍を退かせ、アレキサンドリア線を境に、不可侵を約束しましょう」
ネクロマンサーが映像魔法によって戦略図を見せると、エルフィリースも納得したように頷く。
「助かります。人間と魔族、互いにどちらかが多くの領土を持つというのは、争いの元になりかねませんから」
丁度半分半分で世界が分かれる。これによって、一時也とも平穏が訪れるのだ。
「ですが魔王殿。私は思うのです。ただ戦いをやめれば、私達は分かり合えるのでしょうか?」
魔王の提案には納得したものの、彼女は彼女なりに、何がしか思うところがあるらしかった。
「それは……難しいでしょうね。ただ、今は人間世界も力をつけていただきたい。互いに対等の力量となれば、やがては平等な意識というものが生まれるでしょう。それを待つ他ありません」
時間は掛かるでしょうが、と、苦笑しながら。
ネクロマンサーはエルフィリースへと手を差し出す。
「解りました。たとえ私が倒れようと、後の世代に、後の後の世代に、この歩み寄りを、協力を、受け継がせたいと思います」
エルフィリースはその手を取り、握り締める。
互いに、に、と口元を緩め、朗らかなムードのまま、世界初の人魔会談は終わった。
「ありがとう伯爵殿。貴方のおかげで、人間世界に平和を呼び込むことが出来たわ」
会談が終わり、デルタに戻ったエルフィリースは、付き添いの伯爵に満面の笑みで礼を告げた。
「気にしないでくれ。君のおかげで、私は掛け替えの無い者を取り戻すことができた。感謝しても足りないのは、私のほうだ」
伯爵の傍らから離れず控えているヴァルキリーに眼を向けながら、伯爵は笑う。
その出会いがただの偶然であったとしても、彼にとっては掛け替えの無い出会いだったのだ。
そして、彼女にとっても大切であったであろう品を譲ってもらったという形である事に違いはなく。
伯爵は律儀に、その約束を守ったまでであった。
教会組織という危険極まりないカルト集団が駆逐された人間世界では、既に主流派になりつつあったエルフィリースの賛同者が、魔族との戦争廃絶を世界中に呼びかけていた。
彼女に同調する国家はこのバルトハイムを含め数多く、奇跡的とも言える魔族との和平も、民衆には広く受け入れられる公算であった。
世界に名だたる剣聖エルフィリースの名は揺らぐ事無く、恐らく後の時代まで語り継がれる事になるであろう、と、伯爵は考える。
傍に控えるヴァルキリーも、心持ち柔らかな表情でエルフィリースを見ていた。
「平和になると良いですわ。私たちも、その方が楽しくこの世界を暮らせるでしょうし――」
そっと、伯爵の袖を指でつまみながら、にこりと微笑むのだ。
以前のヴァルキリーではありえない表情ばかりであったが、もう慣れたのか、伯爵も驚きは見せない。
「これから、旅に出るというお話ですが。よければ、またデルタに立ち寄ってください。決して飽きさせはしません」
「ああ、是非、そうさせてもらうよ。楽しみだなあ。こんなに先が楽しみな旅立ちは、久しぶりだ」
エルフィリースの手を取りながら、伯爵が子供っぽい笑顔を見せる。
釣られて彼女も微笑を見せるが、ヴァルキリーを気遣ってすぐに真面目な顔に戻った。
「……貴方がたと出会えてよかった。人と魔族とて、友情を育める。こんなに素晴らしい事はありません」
「ああ、私もそう思う。もっと早くこうなれていれば、もっと良かったんだろうが、ね」
だが、歴史はそうはいかなかった。そうなれなかった。
そして、これからはそうなる。そうしていかなくてはならないのだ。
「では、私達はこれで失礼するよ。この世界――シャルムシャリーストークに、栄光を!」
「はい――我が友人、伯爵殿とヴァルキリーさんに、幸せな旅の日々を」
人と魔族、互いが背を向け、笑いながら別れる。
これからは、こんな幸せがあっていいのだ。
こうして、世界は平和になっていく。
それを許さぬものの意思など知ったことではないとばかりに。
だから、逆鱗に触れてしまったのだ。