#2-3.芽吹いてしまった毒の種
翌昼。魔王城にて。
門衛らが交代の時刻、突如、地鳴りのようなものが城の外から響き渡る。
何事かと兵らが注視していると、やがて霧か霞か、大量の軍勢が現れ、押し寄せてくるのが見えた。
「て、敵襲っ!! 大軍がっ、大軍勢が攻め上ってきます!!」
険しい山岳地帯の果てにあるこの城に、本来これだけの軍勢が攻め込めるはずも無く。兵らは度肝を抜かれしばし唖然としてしまっていた。
だが、これは幻影でもなんでもなく、実体を伴って攻めて来る軍旗の集団。
そうしてその旗には、古参の兵士には見覚えのある髑髏のマークが記されていた。
「あれは――間違いないっ!! ネクロマンサーだっ、先代魔王陛下にたてついた、ネクロマンサーの軍勢だ!!」
「か、帰ってきたのか……門前を固めろ! 敵は不死の軍勢だっ!!」
城詰めの兵らは戦慄しながらも、取り乱す事無く指示を飛ばしていく指揮官たち。
世界最後の合戦が、始まろうとしていた。
「不死の軍勢だと!? ネクロマンサー、確か死んだはずでは……」
予想外すぎる勢力の登場に、城の指揮を執っていたグレゴリーは驚きを隠せずにいた。
「はっ、上空からの偵察を見る限り、敵軍は正門正面に集中しておりますが……いかんせん、数が多く」
報告に訪れたダルガジャも、まさかの展開に緊張気味に腕を震わせていた。
「兵が死ねば、その分だけ敵が増える事になる……戦力を正門に向けるのも当然だが、極力死なぬよう、わずかでも傷ついた兵は即座に城内に退がるよう伝えよ!!」
不死との戦いは、マジック・マスター時代以前からの兵にとっては教訓として痛いほどに思い知っていた事柄であった。
ネクロマンサーという上級魔族は、それ単体でもマジック・マスターと比肩しうる実力を誇っていたが、何より性質が悪いのは、死者の魂を操り、肉体をあてがうことによって自在に操ってしまうその死霊術の厄介さにある。
ゾンビやグールとは異なる『リビングデッド』『スケルトン』と呼ばれるこれら死兵は、ゾンビなどとは異なり幾度身体が破壊されようと魂が磨耗しきらない限りは何度でも肉体を得ることが可能で、文字通り殺しても死なない不死の兵団となっていた。
このような軍勢との戦いにおいて重要なのは、損耗率を極力減らすこと。これ以上、これ以外のものはなかった。
「とはいえ、城内に引っ込む訳にもいかん。私はラミア様に話を通しておく。ダルガジャよ、お前は前線で指揮を執れ。なんとも、厄介なことになった……」
死兵の更に恐ろしいところは、魂が磨り減り消滅するまでの間、なにも飲まず食わずで一切休息なしで戦い続けられることにある。
一定量の食事を取らなければ滅びてしまうゾンビなどと比べて非常に長く保ち、日光や雨水などによって滅びる事も無い。
本人が生きていた頃と変わりなく動ける上に疲れ知らずなのだ。
当然、その数をあてに囲まれ篭城戦を強いられれば、いかに魔族が渇食に強いとは言え、消耗は免れない。
このままではまずい、と、頬に汗を流しながら指示を下すグレゴリー。
「承知いたしました。このダルガジャ、命に代えましても!!」
「命には代えるな! 私の隣で戦えるのはお前くらいだ。生きてもどれぃ!!」
「ありがたき御言葉っ」
走り去りながらの言葉に、グレゴリーは深くため息をつきながら苦笑する。
まだまだなのだ。諦める訳にはいかぬ、と。
「部下が前線で生きるため戦うのなら、その部下達が生きて帰れるように指揮を執るのが、我ら司令官の務め。なんとかせねば」
まだまだ打てる手はあるのだ。それを、ラミアと相談せねばならない。
グレゴリーは額に汗を流しながらに、ラミアのおわす参謀本部へと駆けた。
「ふわあ、すごいですねえ。人が一杯っ」
門前は既に戦いが始まっていた。
武器を打ち付け合うスケルトンとオークの戦士。
見た目には解りにくいものの、同種族同士で刃をこすりあっている者達もいた。
今まで見た事も無いような、完全に互角の戦いの場である。
そんなこの世の地獄を眼下に、エルゼは城の高台からのんびりと座って眺めていた。
「戦争って、こんななんですね……たくさんの兵隊さんが戦って、怪我をして、血を流して……悲鳴をあげたり、苦しんだり。でも、勇ましく戦って、とってもかっこいいです」
足をばたつかせながら、その光景に興奮気味に眼を輝かせる。
かと思えば、何かを思い出したかのように眉を下げ、ぎり、と、奥歯を噛んだ。
「トルテさんは、こういうのが嫌だったんですよね……戦争なんて、なくなっちゃえばよかったのに」
不安定な情緒の中、エルゼは些細なことに一喜一憂する。
怒り、憎しみ、哀しみ、歓喜。様々な感情がない交ぜになったまま、眼下を見下ろし、やがてぴく、と、耳が動く。
「あら……? これって、もしかして――」
城内にばらけさせていた分身が、別のモノを感じ取ったのだ。
エルゼの関心はすぐさまそちらに向き、眼下の光景など最早取るに足らないものとなっていた。
「――ししょうっ」
一瞬にっこりと笑いながら、その身体は大きくぶれ――ばらけて無数の蝙蝠となり、飛んでいった。
「むう、なんとか無事に戻ってきたが……しばらくぶりだとなんかこう、勝手が違うように感じてしまうね」
城内の大転送陣。
以前使われていたものが何故か壊れてしまったので仮設されたものであったが、今では立派に魔界各地を繋げていた。
魔王とカルバーン、それからアリスの三人は、城の外とは裏腹に静まり返った城内の今を見て、なんとも感慨深げに歩き出す。
ぎい、と、大きな扉を開き、回廊へと出る。
そうして、エントランスへ出て玉座の間へ向かう。
ここに至るまで城の兵士一人居らず、正しく、城内の兵士の全てが城門正面へと投入されているのだと三人は感じていた。
「……?」
なんとなしに、玉座の間の入り口に立っていたオブジェを見て、カルバーンが足を止める。
「どうかしたのかね?」
不思議がって問う魔王に、カルバーンはどこか難しそうな顔をしながら一言。
「いや、なんとなく、この顔を見てると、なんか殴りたくなるのよね。そういう顔っていうか。なんでかしら?」
わかんないけど、と、本人も不思議そうにしばし眺めた後、また歩き出す。
玉座の間には、誰もいなかった。
激戦を想定して覚悟を決めていた三人であったが、これにはやや拍子抜けであり。
魔王などは大きくため息をついてしまっていた。
「まあ、『私』だもんなあ。こんな昼間から、玉座になんていないか」
普段の自分を思い出せば当然の事で、こんな早い時間にこんなところにいることなんて珍しいはずであった。
「……魔王の癖に、玉座にいないってどういう事よ」
「あんまり好きじゃないんだ。その、陳情を聞いたり、部下からの報告を聞いたりっていうのは。そんなことより、アリスちゃん達やいろんな娘達とお茶をしてるほうが愉しいしな」
魔王は快楽主義者であった。威厳ある魔王像などこれっぽっちもなかったのだ。
「……私のお母さん、こんなののために死んじゃったの……?」
カルバーンは悲しげであった。
「折角来てくれたと思ったのに、こっちの師匠は黒竜の姉様みたいな金髪の人を連れてるんですね……? もう一人の師匠は参謀本部に行ってしまっていますし、つまんないです」
どうにも空気が緩んでしまったように感じていた魔王であったが、突如響き渡ったこの声に、一堂は気を引き締め、周囲を見渡す。
「エルゼか? どこにいる? 私だっ」
「見れば解ります」
声を大に、エルゼに聞こえるように部屋に響かせる魔王。
丁度同じタイミングで、ぶわ、と、玉座の上に蝙蝠が収束してゆき、形を成してゆく。
銀髪の姫君が現れ、なんとも言えぬような曖昧な顔をして、魔王を見つめていた。
「エルゼっ」
「もう一人の師匠から聞きました。トルテさん、死んじゃったんですよね?」
すぐに駆け寄ろうとした魔王であったが、エルゼはそんな言葉をぶつけてくる。
「なんでですか? なんでトルテさんが死ななきゃいけなかったんです? あんなに平和を愛していたのに。私の……私の、お友達だったのに!!」
静かに呟いた言葉はやがて激しい憎悪によって強くなり、やがて黒の暴力となって魔王に襲い掛かった。
「むおっ!? エルゼっ、それは誤解だ!! ドッペルゲンガーという、私と同じ姿をした偽者が仕組んだ嘘なのだ!!」
自分に向かってきた黒い刃を寸でのところでかわしながら、魔王は叫ぶ。
「それも嘘ですか? 私、なんにもわかんないです。誰を信じたら良いのかも解りません!!」
しかし、魔王の言葉など聞く気もないとばかりに、エルゼはブラッドマジックを次々に展開させてゆく。
すさまじい勢いで放たれる刃、爪、そして牙の形をした黒の呪いに、魔王は残された拳を打ち込み、かわし、あるいは受け切りながら、声を大に叫んだ。
「――信じてくれエルゼ。タルト皇女は、まだ生きている!!」
「――トルテさんが、生きてる?」
一瞬、攻撃の手が止まる。ようやく聞いてくれる気になったのかと、魔王はこれがチャンスだと、息を荒げながらに唾を飲み込み、説得を続けた。
「生きてるんだ。ただ……ただ、過去に飛ばされてしまった。もう、君が会う事は出来ん。だから、私は君に嘘を付いた――君を、傷つけたくなかったんだ。そんな、私の勝手な思い込みだった」
「そんな……会えないん、です……? もう、二度と……?」
「……すまない。こんな形で伝えたくは無かった。君が大人となり、もう少し、この辛さに耐えられるようになってから伝えたかったんだ。その時に君が私を憎もうと、それを受け入れるつもりだった」
それは最早、説得というよりは、告白に近かった。
懺悔であり、贖罪であった。
自らが、勝手に思い込み、決め付け、そうしていただけだったのだ。
だから、エルゼにどれだけ嫌われようと、それは仕方ないことだと思っていた。
だが、真実と余りにも違う形でエルゼがそれを受け入れてしまったのなら、これは正さなくてはならなかった。
痛む胸を押さえながらに、魔王はエルゼを見つめていた。
ぽろぽろと涙を流すエルゼを見ながらに、魔王は「ああ」と、気づいてしまう。
自分はまた、泣かせてしまったのだ、人を。と。
「うあ……あぁっ、嘘です。トルテさんが……もう、もう、会えないなんて――嘘です。ほんとの師匠が、なんでそんな嘘をつくんですか? 本当のことを話してください。私、ずっと良い子にして待ってたんですよ? あんまりじゃないですか。ひどいです、師匠、酷いです……」
エルゼは、最初から気づいていたのだ。
城の女官や侍女ですら気づく違和感である。
ずっと魔王を慕っていたエルゼがそれに気づかないはずがなかった。
そんなでも、偽者でもいいから自分を大切にしてくれるから、そんな姿をした人と師匠と呼んでいただけだった。
だけど、本物がいて、その人が自分を想ってくれるなら、やはりそちらの方がいいはずなのだ。
嘘でもよかったのだ。騙していて欲しかった。
大切な親友がいなくなった、二度と会えなくなったなんて、知りたくなかったのだ。
子ども扱いならそれでも良い。大人になるまで、そ知らぬふりをして誤魔化し続けて欲しかった。
だというのに、この師匠という人はこんなにも自分の気持ちを踏みにじってしまう。
それが堪らなく辛くて、やるせなくて。
なんで大人はこんなにも自分の気持ちを解ってくれないのかと、理不尽に感じてしまう。




