#10-4.アプリコットに散った雪花
「ああ、にぎやか。まるでお祭のよう」
音すら聞こえないはずのその部屋で、エリーシャは楽しげにその様子を眺めていた。
そう掛からずリットルが民衆を引き連れ自分の元に来る。
そうしてリットルの手に掛かり、自分は殺されるのだ。
戦争に明け暮れ国を傾けようとした悪女の死に方としては、まるで教本にして良いくらいに型にはまっているのではないか。
「私、悪女の方が向いてたのかしら、ね」
良い子ぶってたのが馬鹿なように、それは彼女に似合っていた。
皮肉にも、民衆の誰もがそう信じ込んでしまう位には。
可笑しくなって笑いが止まらないが、それもやがて、身体に走った衝撃に止まってしまう。
「――パパの、仇っ!!」
背中に走った痛みに振り向いたエリーシャの前には、侍女が一人。
身を震わせながら、必死の形相で抜き取ったナイフを、今度はエリーシャの腹に向けて突き刺す。
「――っ」
「貴方がっ、貴方が戦争をやめてくれなかったから!! だからパパがっ」
ぐさり、突き刺さったナイフは抉られる。
しかし、そこまで。この侍女が何をしようとしていたのか理解したエリーシャは、涙目になって必死にナイフを引き抜こうとする侍女に、笑いかけていたのだ。
「えっ……」
「そっか、そうだったのね……シブースト様は、こういう――」
今までずっと解らなかった事が、解ってしまったのだ。
痛みなどどうでもいい位に嬉しくなり、エリーシャは笑っていた。
「ありがとう、シェルナ。貴方のおかげで、自分がどれだけ馬鹿だったのか、ようやくわかったわ――」
「ひっ――あっ、ああああっ、いやぁぁぁぁぁっ」
その笑顔に。やがて自分の手を見て、血に塗れたそれに、侍女シェルナは絶叫を上げ、逃げ出した。
後に取り残されたのは、エリーシャ一人。
くったりと倒れこみ、とくりとくりと、腹から流れ出る赤の音を聞きながら、エリーシャはずっと、考えていた。
(私――)
それは、過去への遺恨。
ずっと解らなかった事の回答が、今ようやく得られた。
(私、すごく嫌な子供だったのね……)
薄れ往く意識の中、ぼんやりと浮かぶのは、父の死を告げられた時の事。
(シブースト様は、こうやって、私に怒って欲しかったんだ。怒りをぶつけて欲しくて……なのに、私は)
そう、彼女は今、ひどく救われていた。
ずっと誰かに怒られたかったのだ。怒りをぶつけられ、自分の事を憎んで欲しかった。
今まで失われた命が、それによってずっと感じていた罪の意識が、少しでも安らぐのだから。
(私、なんにも解ってなかったんだわ。人の気持ちも、自分の気持ちすら。ああ、嫌になる)
よりによって死の間際に気づいてしまったのだ。
我侭なまま死ねていたならどれだけ良かったか。
だが、背中と腹とに伝わるこの痛みが、その心を信じられない位に癒してくれるのも、感じていた。
「もう、終わりかね?」
そんな時にきてくれたのが、黒い革靴。聞き慣れた『この場にいないはずの人の声』だった。
「――おじさん。なんでこんな時にきちゃうのよ」
息も絶え絶え。話をするのすら辛い位なのに、その声には黙っていられず反応してしまう。
魔王も解ってか、その場にどかりと座りこみ、エリーシャに顔を見せた。
「でも、ありがとう。最後に、会いたかった」
もう自分の終わりは見えていた。少しだけ予想外だったけれど、でも。
死にぞこないが最後に見た夢にしては、上出来なものだったと、エリーシャは満足していた。
「やり遂げたね。これで、後は民衆が自発的にシフォン皇帝を祀り上げてくれるだろう。君は、立派にその役目を果たしたわけだ」
エリーシャから見た魔王の顔は、とても優しげなものであった。
その言葉の全てが嬉しく、優しく受け取れてしまう。
思わず、目元が熱くなっているのを、エリーシャは感じていた。
「私は、やれるだけやったわ。後は、シフォン様と、おじさんしだい……だけど、何も心配なんて無いわ」
頑張ったもの、と、微笑みを湛える。
「だって、窓の外はすごいわ。皆、この国の為を想ってくれている。世界は、きっと平和になるわ。夢物語なんかじゃない。誰かに好きにされないで済む、みんなの為のみんなのせかいが、きっと、きっとやってくる――」
「ああ、そうだとも」
「私みたいな子は、もう生まれない。幸せになれるわ。皆、幸せになれる。きっと」
震える手を取りながら、魔王はそれを包み込むように、優しく握る。
最期は、もう間近に迫っていた。
「ねえ、おじさん。もし、もしよ。あの時、おじさんが魔王だって知ることが無かったら。わたしたちは、ずっとお友達のまま、沢山、沢山、人形について語り合えた、かしら?」
「どうだろうね。だけど、一つだけ言える事がある。確かなことだ」
「……?」
「私は、君の友達だ。君は、私の友達だ。一度だって、そこから外れたことなんてなかった。君は、私にとって初めての、人間の友達だった」
声が震えているのは、魔王も同じだった。
笑ってはいた。いたが、それだけで。
もう顔もぼろぼろで、何にも見えなくなっていた。
「そっか――よかった」
魔王の言葉に満足してか、エリーシャはにっこりと笑い、そして、そのまま一言、力なく呟く。
「あの娘を待てないのだけ心残りだったけど……なんだ、私、結構幸せじゃない」
それが、エリーシャの最後の言葉となった。笑顔のまま、エリーシャは逝った。
「――君がいなくなるのは、とても辛い」
残された魔王は、一人、目元を袖でこすり、やがて立ち上がる。
形見とばかりにその髪から赤い髪留めを外し、懐に入れた。
これ位は、彼女なら許してくれるだろうと、身勝手に思い込みながら。
「だが、タルト殿の戻る世界を、私は守り続けるよ。だから、安心して欲しい――っ」
だが、感情を抑え切れなかった。大切な友人を亡くしたのは辛かった。辛すぎた。
彼は、失う事に強くはなかった。その度に苦しみ、傷つき、泣いてしまう。
良い歳をして大泣き。みっともないことこの上ない姿を晒しながら、それでも、我慢できないのだ。
その後、勇者リットルに率いられ突入した民衆は、そのまま城を占拠。
エリーシャはリットルによって討ち取られた、という形で収まった。
状況の収拾の為アプリコットに戻ったシフォン皇帝であったが、民衆は愛すべき皇帝が戻った事を喜び、即座に城を明け渡す。
その城の玉座には、相応しき者だけが座って良いのだと。
相応しくない者が座っていたから排除したのだと、誇らしげに語る民衆に、皇帝は涙を流し膝を付き、それを受け入れた。
こうしてめでたく塔での幽閉生活から解放され城に戻った皇帝一家は、愛すべき民衆と忠義者の勇者によって無事、世界を平和へと導くようになったのである。
この日、アプリコットでは静かに雪が舞った。
皇帝の復権を祝しての物だと民は笑ったが、その雪に涙する者達もいたのを、彼らは知らない。
世界の平和の為の一歩は、一人の女王の死と引き換えに、大きく進んだのだった。
 




