#10-1.魔王城レジスタンス
魔族世界・魔王城。
玉座の間にて君臨する魔王ドッペルゲンガーの前に、ラミアが傅いていた。
「魔王様、御用との事でラミア、参りましたが……?」
「うむ。私はこうして戻る事ができたが、ディオミスにて金色の竜のフリをしていたドッペルゲンガーは、未だ生きている可能性がある。この対処を、君に一任したい」
「はあ……倒しそこなったのですか? その、偽者のドッペルゲンガーとやらを」
「そうだ。片腕をもぎ取り、谷底に叩き落したはずだが――何せ私の姿を模倣していたからな。万一に備えたい」
「ですが魔王様、ご存知かもしれませんが、現状、魔王城の備えは万全とは言い難い状態ですわ。人間世界との戦争をやめ、内乱こそ収まったものの未だ魔族世界は不安定なままですし」
魔王の指示に、しかしラミアは難色を示していた。
「少なくとも今後百年は人材の回復に専念しなくては、戦時の担い手の数が不足してしまいます」
反旗を翻したとはいえ、諜報部門の長となる悪魔王、そして魔王軍の多くを担っていた悪魔族の中でも腕利きとも言える者達の大半を失った事はかなりの痛手であった。
人類との戦いで削られ続けた上でのこの喪失は、魔族世界の今後を考える上で無視できない課題を残した。
失った数の埋め合わせ。損失以上の得を得るためどうすればいいか。
それが、今早急に魔王城首脳部の考えるべき事のはずであり、ドッペルゲンガーなどと言う未知の敵の為備えろという命令には難儀があったのである。
「だが、その偽者を放置すれば、折角纏まりつつある人間世界との関係すら白紙に戻りかねん。君とて、現状で人間と戦争を再開したいとは思っていないのだろう?」
「それは……そうですが」
「ならば、城の備えを優先したまえ。幸い、西部地域を任せていたグレゴリーの軍は損耗も少ないはずだ。至急、魔王城の警護に充てたまえ」
時間を置けばいつ攻め込んでくるかも解らないのだ。
今度こそ確実に討ち取らなくてはならない。
そのためにも、自分の元にたどり着く前に多少なりとも消耗させる必要があると、彼は考えていた。
元々魔物兵だの魔族だのにあの魔王を止められるなどとは期待していなかったのだ。
だが、そんな者達でも時間を稼ぎ、消耗させる事はできる。
カルバーンが助けに入ったのも気になる点だった。
万一結託でもされれば、魔王と彼女が手を組めば、厄介な事になる可能性もあった。
そう思うなら、カルバーンは真っ先に葬ってしまうべきだったが、エレイソンの心はそれを許さず、結果封印などという半端な扱いに留めてしまった。
そうして魔王となった今、今度は魔王の歪な心に、記憶に囚われ、苦しんでいる彼がいた。
「急ぐのだ。今、この瞬間にでも来るかも知れん。全力で迎撃し、葬らなければ、この世界が破壊されかねん」
「……そうですか。かしこまりました。では、グレゴリー以下、正規軍を魔王城に召集致しますわ」
何か含むところがあったようにも見え、しかし、ラミアは恭しく頭を下げ、その場から去ろうとした。
「ああそうそう、魔王様にお聞きしたかった事がございました」
しかし、ぴたりと止まり、背を向けたまま、顔だけ彼の方に向き直る。
「何かね?」
「貴方は、何故エルゼに『本当のこと』を教えたのですか? 確か、あの娘の事を考え、状況が落ち着くまでは黙っているつもりだったと、私はそう記憶しているのですが」
何故でしょう、と、ピシリと冷たい空気を纏いながら、ラミアは魔王を睨みつけていた。
「あの娘はアレで勘が鋭い。あのまま放っておいても、いずれ真実に気づいてしまう。それなら、先に伝えたほうが良いのではないかと、そう思ったまでだ」
「……そうですか」
今更何を問うのかとラミアを見つめ返す魔王であったが、それだけ聞けば十分とばかりに、ラミアは再び背を向け、今度こそ振り返らずに去っていった。
「不肖、このグレゴリー、陛下の為、命を賭す覚悟であります!!」
そうしてラミアによって呼びつけられた蛙頭のグレゴリーは、彼の前で忠誠を誓っていた。
「うむ、期待しているよ。歴戦の猛者である君ならば、奴を倒す事も出来るかも知れん。兵員の統率も含め、善くやって欲しい」
「ははーっ」
頼もしき将兵の姿に、魔王は上機嫌となってその肩をぽん、と叩く。
グレゴリーも恐縮したままに頭を垂れていた。
「……」
「いやあ、さすがはグレゴリー様ですなあ。魔王様に取り立てられ、城の警護を任されるなど」
玉座の間から出たグレゴリーは、外で待っていた共連れのダルガジャを引き連れ、城内の参謀本部へと向かっていた。
謁見が済み次第、話があるので顔を出すように、とラミアに言われていたのだ。
だが、それとは別に、グレゴリーは難しい顔をし、黙りこくっていた。
「グレゴリー様? いかがなさいましたか?」
「う、む……いや、確信も何も無い事だ。無闇に口走ってよい事ではないな。何でもない」
腹心の言葉に口を開きかけるも、それを飲み込み、グレゴリーは前を向いた。
「恐らく、私が歳を喰った、というだけの事だ」
「はあ……?」
玉座の間を出てからどうにも様子がおかしいこの上官に、ダルガジャは不思議そうに首を傾げていた。
「謁見は、どうだったかしら? グレゴリー」
そうしてたどり着いた参謀本部には、ラミア一人しかいなかった。
魔王軍の中枢ともなるはずのこの場所は、今では閑散としており。
何故こうなっているのか解らず驚いてたグレゴリーとダルガジャに、一人そこに残っていたラミアは微笑みかける。
「……ラミア様、これは一体」
ようやく声を搾り出し、グレゴリーが震えながらに問う。
「参謀本部の人員は、全員他所へ移したわ。『万一』に備えてね」
「万一、ですと……?」
ただならぬ事が起きているのは、二人にも察せてしまった。
この参謀本部は、ラミア体制の生命線とも言える情報の集積・命令始点である。
ここを勝手に移転などすれば、当然その間、魔王軍全軍の機能が停止してしまう。
「ラミア様、参謀本部の機能を止めるなど、何を考えておられるのか!?」
グレゴリーは強い口調で詰め寄る。とても正気の沙汰には思えなかったのだ。
だが、ラミアは静かに、冷静にグレゴリーの瞳を見つめながら手を前に出し、制止する。
「お黙りなさい」
そうして一言。威圧感を込めた言葉を紡ぐ。
「っ――」
「し、しかし……」
ただそれだけで、歴戦の猛者二人は微動だにできなくなっていた。
「もう一度聞くわグレゴリー。謁見は、どうだったかしら?」
小さく間を置き、再び最初と同じ質問を繰り返す。
「どうだったと、言われましても……」
その様に迷いを見せたグレゴリー。ラミアは音も無く擦り寄り、グレゴリーを上から見下ろす。
「『あの方』を見て、違和感を感じなかった?」
銀色の眼がグレゴリーの瞳を覗きこむ。途端、グレゴリーは全身から汗が噴き出てくるのを感じていた。
「違和感……しかし、これは、単に私の――」
「――感じたのね?」
気まずげに視線を逸らそうとしても、それにあわせ身体が移動してくる。
じろ、と見つめられ、グレゴリーは抗う事ができなかった。
「――感じました。陛下とお会いするのは久々なれど、あの頃の私がお会いした陛下と比べ、『いささか身に纏った趣が違うな』と。なんとなしに」
堪忍したようにため息混じりに吐露するグレゴリー。ラミアは満足げであった。
「そう。やっぱりそう感じるのね」
うんうん、と、神妙な面持ちのまま勝手に頷きだすのである。
これにはグレゴリーもダルガジャも首を傾げていた。
「私もそう思っていたわ。あの方のする行動にしては姑息すぎることを命じてきたり……あの方なら絶対にしないようなことを、仕方ないとは言えやっているように感じられた」
「ラミア様も……? しかし、それではまるであの方が――」
「ええ。確信が持てたわ。今玉座に座っているのは、偽者よ」
ずびしぃ、と指を指しながら、ラミアはくわ、と目を見開く。
グレゴリーもダルガジャも、その断言には度肝を抜かれていた。
「なんと――」
「へ、陛下が偽者っ!? そんな事が――」
だが、驚く男達を物理的に見下ろしながら、ラミアは再び手を前に、黙らせる。
「陛下は、暴竜となったエレイソンを倒すため、単身人間世界北部へと旅立たれた――それは、貴方達も知っているわね?」
「ええ、まあ。その行動力、自身の痛みを顧みぬ姿勢は流石は陛下だと思ったものですが」
グレゴリーの返答に、ダルガジャもウンウン頷く。
流石に歴戦の魔王シンパは考える事も魔王に優しかった。
「だけれど、実際にはその暴竜、どうやら全く別の『ドッペルゲンガー』という化け物が演じていた偽者だったらしくて。陛下も旅立たれる以前より危惧されていたわ。『自身が奴に取って代わられたならば』と」
「むう……それで、偽者と……」
ラミアの説明に、グレゴリーは指を顎に、唸ってしまっていた。
「そういう事よ。ただ、陛下は同時に、その偽者が自身と同じ事をするようなら見逃せとも仰ったらしいわ」
「偽者を見逃せと!? な、何故ですか!? そんな者がのさばれば、陛下ご自身の身だって危なく――」
「考えてもみなさい。陛下を真似ている奴が今玉座に座っているのよ。では、本物の陛下は?」
指を立てながらに説明するラミアに、激昂しそうになっていたダルガジャは冷静さを取り戻す。
「……そうか。陛下は、もう」
「ダルガジャ!!」
しかし、それを言おうとしたダルガジャに、グレゴリーは強く声を上げ妨げる。
「滅多な事を言うな!! 陛下は健在だ。健在のはずだ!! 偽者などにとって代わられるなど、そんな事あってたまるか!!」
「し、しかしグレゴリー様! このような状況下、もしラミア様の仰る通りならば――」
「……そうね。陛下はまだ生きているわ、きっと」
言い合いを始めそうになっていた二人を他所に、ラミアはぽつり、そんな希望を口にしていた。
「ラミア様……?」
「だって、あの偽者は『自分の偽者が来るかもしれない』って怯えているのよ? つまり、本物の陛下はまだ生きている。少なくとも、偽者がそう確信して防備を整えさせようとする位には、その可能性が高いという事ではないかしら?」
あくまで絶対の話というわけではない。
だが、今玉座におわす偽者が話していた事が、部分部分『偽者』と『本物』を入れ替えると、よりそれらしく思えるのだと気づいたのだ。
「ですがラミア様。陛下が健在として、偽者の処遇、いかがなさるおつもりで?」
「それにこのようなこと、もし他の者が違和感に気づき、我らの意図に反して行動してしまえば――」
「……そうねえ」
今後どうすべきか。ある程度視野に入れていたものの、実際にこうしてこの二人を取り込むことができたのは、ラミア的に大きい。
考えるように顎に手をやるものの、さほど悩む事も無く、その赤い唇は次を紡ぐのだ。
「貴方達には、偽者の指示の通り、魔王城の守りを固めてもらうわ。ただし、貴方達が従うのはあくまで本物の陛下の指示だけよ」
「つまり、表向き従うフリをし、実際に陛下がお戻りになった際には、そちらに付く、と?」
「ええ。それでいいわ。それまでは偽者の言うとおりにしましょう。もし他に感づく者が居たとしても、無茶な事をする前に私達で対処し、こちらに側に取り込むわ」
要領よく理解してくれるグレゴリーに感心しながら、ラミアは満足げに口元を緩めた。
「私はこのまま、少しずつ城内から人を別の場所へと移していくわ。勿論名目上は『きたるべき偽者との決戦の為』だけれど。その分、貴方達には動いてもらう事が増えるかもしれないわね」
「構いませぬ。我らはもとより魔王軍の兵。陛下が為、ラミア様の指示に従う所存にあります」
「頼もしいわ。頼んだわよ」
頭を垂れる男二人の肩に、ラミアはそっと一人ずつ手を置き、そうして、覚悟を決める。
「相応しき方の為、魔王城と玉座を取り返すわよ」
赤に染まった瞳をぎらつかせ、拳を握りながらに、ラミアは口元をにやつかせていた。




