#9-3.魔王ドッペルゲンガー
「やあ、ようやく――ふふっ、ようやく戻ってきたぞ」
魔王城門前にて。漆黒の魔王その人が、居城を前に満足げに哂っていた。
「ああ、やはり自分の城は良い物だ! ご苦労。今日も頼むよ!」
自分を見るや、ビシリと敬礼する門番の魔物兵らの肩を機嫌よさげにぽん、と叩き、開かれた門の先へと入ってゆく。
実に荘厳。黒の大理石と花々に彩られた美しき庭園が魔王を待っていた。
更にその先では兵士らが鍛錬を行っている。なんとも素晴らしきかな。これぞ、これが夢にまで見た魔王城の風景。
身体の中の記憶にこそ残っているが、それを生で見ることができて、ドッペルゲンガーは心底感激していた。
この、城の中の城。頂点の城に自分が入れたのだと。そして、これから暮らすのだと思えば胸が高鳴って仕方ない。
自然、ハイテンションになる。
「ご苦労。いや、不在の間世話を掛けたね」
通りすぎる部下たち皆に、舞い上がっているのを隠しながら声を掛けてしまう。
部下たちは皆、そんな自分を見て恭しく頭を下げるのだ。敬意を感じられた。
心からの尊敬とは、こうも胸を痺れさせてくれるのかと、また震えていた。
「師匠! おかえりになったと聞きました!! 師匠っ!!」
そうして城の中、エントランスに入った彼の前に現れたのは、銀髪碧眼の愛らしい吸血族。エルゼであった。
とてとてと走り寄って自分の腹の辺りに勢いよく抱きつき、その顔をこすりつけるようにぎゅう、と、締めてくる。
「やあ、エルゼ。すまなかったね、留守の間、寂しくなかったかね?」
かわいいなあ、と、その仕草に胸をときめかせながら、ドッペルゲンガーは魔王のフリを続ける。
「寂しかったです! 師匠がいなかった間、エルゼはとっても寂しくて――でも、もう忘れちゃいました!! 師匠が今目の前にいてくれるから、エルゼはもう寂しくないです!」
ぱあ、と機嫌よく笑っていた。まるで子猫のような可愛らしさ。
ドッペルゲンガーも、思わずその銀髪を撫で回してしまう。
「……ん、ぅ?」
幸せそうに眼を瞑っていたエルゼだったが、何を思ったか、ばっと離れてしまう。
「し、しょう……?」
そして、不思議そうに首をかしげながら彼を見上げるのだ。
「どうかしたかね、エルゼ?」
「いえ、あの――なんだか、頭を撫でられた時の感覚が違うような――なんでしょう、師匠、何かお変わりが?」
これには彼も驚かされ、一瞬、素の表情が表に出そうになっていたが。
それをなんとか抑え、魔王の顔のまま、彼はゆったりとした仕草でエルゼに歩み寄る。
「――やはり、隠し切れないかね」
それは、悲しそうな顔であった。思わずエルゼがハッとしてしまうような、そんな顔。
「エルゼ、心して聞いて欲しい。とても大切な話だ。聞くには辛い事かもしれないが、聞いてくれるね?」
真剣な眼差しでエルゼを見つめる。緊張気味に息を呑むエルゼを見て、彼も胸が多少痛んだが、構わずに。
「君の親友、タルト皇女は、殺された――」
胸がジクジクと痛むのを感じながら、魔王の顔をした男は、エルゼに酷い嘘をついた。
少女の、その割には少女らしからぬ整った顔が、次第に困惑と驚愕の色へと染まっていく。
「――えっ?」
小さな肩がフルフルと震え、確かめるように顔を見上げ、眼の端に涙を湛えながら、少女は必死に声を絞り出す。
「あの、師匠――うそ、ですよね? わたし、そういう冗談――」
「嘘ではない。タルト皇女は、私のフリをした偽者――ドッペルゲンガーによる襲撃を受け、殺された。平和へと近づくこの世界を、再び戦火に晒すために。そのためだけに、奴は、タルト皇女を殺し、大帝国を再び、戦争へと引き戻そうとしたのだ!」
偽者とて、この幼き弟子に対し向けている情は変わらない。
だが、身を震わせながら必死に耐えようと、そして、受け入れきれずに冗談として思い込もうとしているこの少女に、はっきりと言い切ったのだ。
「うそ――うそですっ、なんで!? だって、トルテさんは何も悪く――誰なんです!? そのドッペルゲンガーって、なんでトルテさんがっ!? トルテさんが何をしたって言うんです!? なんで!! なんで!?」
ひく、と、しゃくりあげたが最後。抑えきれなくなったのか、関を切ったかのように言葉を投げつけてくるエルゼ。
魔王のシャツを掴み、腹を叩いたり、ひっかいたり、言葉だけでは抑えられないあふれ出る感情を、身体全体でぶつけてくる。
「――すまない、エルゼ。私はタルト殿を守れなかった。すまんなあ」
内心では笑えたはずのドッペルゲンガーですら、その様は痛々しく映り。
慰めの言葉をかけ、髪を撫でてやる事位しかできなかった。
「うあっ――ああっ、うああぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」
それは、少女にはあまりにも唐突で、重過ぎる別れであった。
初めての友達を失ったのだ。数少ない理解者を失ったのだ。
共に将来を語れる親友を亡くし、目の前は完全に暗闇に囚われていた。
そんなのは嘘だと信じたくとも、それを伝えたのが尊敬する、大好きな師匠なのだ。嘘なはずが無かった。
だから、エルゼはそうなのだと受け入れてしまった。
「――陛下」
そうして、泣き叫ぶエルゼを慰めるように撫でてやっているうちに、上階より、聞き慣れた声が響く。
「ラミアか。すまない。エルゼを――落ち着くまで、静かなところへ」
「かしこまりました」
泣き止まぬエルゼを見ながら、しかし何も感じずか、ラミアは無表情のままするすると階段を降りて来る。
エルゼをその胸に抱くや、音も無く奥の方へと去っていった。
「やれやれ。あの男、なんとも重い荷物を置き去りおって――」
一人、玉座の間へと進む。
ギリギリと痛むのは胸か、それとも胃か。
歯を噛みながら、その中に残る悔恨だとか、ずっとしまいこんでいたものを嘘とはいえ吐き出せた事による開放感だとか、そんな複雑な心境に愚痴を吐かざるをえなかった。
「だが、あの娘は使えるな――」
同時に、魔王の顔は哂ってもいた。
その場の即興とはいえ、なんとも理に適った嘘をついた物だと自嘲していた。
これで、仮にあの魔王が城に戻ったとて、この城で最も厄介な存在――エリザベーチェは、あの魔王には傅かない。
自分の後から城に入ろうとしたあの魔王を、偽者であるかと錯覚し、親友の仇とばかりに襲い掛かるに違いない、と。
こうやって少しずつでも役に立つ駒を増やしていこうと、そう考えたのだ。
世界最強の力は手に入れた。だが、そうなったら後はもう、自分が強くなる事を考える必要は無いのだ。
一人ずつ着実に使える駒を増やし、最強の軍団と最高の人材を集め、魔王城の地盤を磐石にしていけば良い。
それができる地位と力が、この身体にはあった。
程なく、玉座の間へと到着する。何故かところどころ壊れていたが、玉座は新調され、プラチナに光る肘掛けはぴかぴかに輝いていた。
ためらいも無く腰掛ける。
「くくく――さあ、世界を平和へと導くぞ! 私の掌の上で、この世界を偽善ではなく、真実平和な世界にしてやろう!!」
感無量に、高笑いが響いていた。
その身体に備わった理想は紛い物。
ただの偽善だと吐き捨てながらも、偽者であり続けたが故に最強を目指した彼は、その最強という地位の次には、魔王と同じ世界を求めていた。
「私こそが本物なのだ!! あんな空虚な、嘘だらけの、偽善ばかりの男ではない、この私こそが、この世界に君臨すべきだったのだ!!」
自分こそが本物なのだと。自分こそが正しいのだと、傲慢に固まりながら。
だが、その顔こそは若かりし日の魔王そのままに理想に燃え、眼はぎらぎらと輝きを取り戻していた。
辛い過去に鬱屈し、退屈し、くたびれた顔をしていた魔王の顔ではない。
やる気に満ち溢れた為政者の威厳ある顔が、そこにはあった。
こうして魔王城と魔王の座は、ドッペルゲンガーに掠め取られてしまった。




