#6-1.離別
魔族世界中央部・エルヒライゼンの城砦にて。
傷ついたアリスの修復依頼の為ここを訪れた魔王は、以前よりは幾分マシな出で立ちとなっていたネクロマンサーと対面していた。
「まさか、アリスが壊れてしまうとは思いもしませんでした。この娘は、私の最高傑作でしたのに」
普段あまり負の表情を表に出さないネクロマンサーであったが、流石に自慢の娘の負傷には思うところあってか、悔しげに歯を噛んでいた。
預かったアリスは痛々しく壊れてしまっていたのもあり、父であるネクロマンサーは優しげに掌に抱くも、アリスからは何の反応もない。
それが一層、ネクロマンサーの心を締め付けた。
「その人間、よほどの腕利きだったのでしょうな。件のゼガとかいう勇者と同じ位には」
「……ゼガなど比較にならんほどの腕利きさ。かつては、な」
あまり面白くないのは魔王も同じで、不機嫌にしかめ面のまま、ネクロマンサーに睨み付ける。
「頼んだぞ。どうにも人間世界の情勢がよろしくない。あまり望ましくはないが、介入する必要があるようなのだ」
アリスのことは耐え難いが、今はそれ以上に重要な局面でもあった。
南部の崩壊により人間世界はよりまとまりやすくはなっている。
だが、金色の竜の存在がすべてを台無しにしかねない。やはり、これには対処しなくてはならないのだ。
「ほう。それはまた……解りました。アリスはお任せください。ですがよろしいのですか? 貴方の理想から見て、あまり貴方が関わるのは――」
「金色の竜は――エレイソンは、もう、この世には居らんのかも知れん。お前は『ドッペルゲンガー』を知っているか?」
「いいえ。存じませんね。一体何なのですか?」
「……世界の破滅の元凶になりうる危険な存在だ。どのような手段を用いてかは解らんが、他者の姿や力、記憶を完全に己がモノとする事が出来るらしい」
実に厄介そうだろう、と、ネクロマンサーの反応をうかがう。
ネクロマンサー自身、「確かにそれは」と頷いたので、魔王はそのまま話を続ける事にした。
「最近のエレイソンの行動は、明らかに常軌を逸している。本人が狂った可能性が無い訳ではないが、このドッペルゲンガーに成り代わられているのではないか。私はそう思うようになったのだ。それならば説明がつく、とな」
誰に伝えているでもなく、魔王は自分の内心でそう考えていたのだ。
これは、ラミアすら知らない事である。
何せ、まだ何の確証も無いのだから。思い込みに過ぎないことを口に出すには、流石に状況が重すぎた。
「ですが、何故それを私に?」
「……戻ってきた私が、本当の私じゃないかもしれない。だが、本当に私の記憶と思考と……そういったものを飲み込んだモノが私として戻ってきたのなら、元の私の事は忘れて、そいつに従って欲しい。むやみに抗って傷を負うようなことは、しないで欲しい」
ネクロマンサーの問いには笑いながら答える。親のような笑顔であった。
「アリスちゃんに、そう伝えてくれ。例え私がドッペルゲンガーに敗れたとしても、戻ってきたものを、私として受け入れて欲しい、と」
「……私にそれを言えと? それを聞いたアリスがどう思うのか、何を感じるのか、解らない貴方ではないと思いますが?」
「それでもだ。私の人形達が、大切な者達が、その所為で傷つくのは許せん。そも、見分けが付くとも限らんが、な」
何せ完璧に映すというのだから見分けなどつかないかもしれない。
それなら、これをわざわざ言うのも混乱するかもしれないとは魔王自身も思うのだが。
だが、言わずにはいられなかったのだ。
「他の者は解らん。だが、アリスちゃんなら気づいてしまうかも知れん。何せ長い付き合いだ。この世界に着てから、お前以外では一番長い付き合いだからな、アリスちゃんとは」
出会いこそ最悪なものであったが、今では大切なパートナーだったのだ。
現実がどうこうは解らないが、心情的な面で『この娘ならもしかしたら』と、魔王は思ったのだ。信じていたのだ。
「だから、頼んだぞネクロマンサー。いずれにせよこの世界は、きっと良いほうに向かう」
「……その世界に貴方がいなくては、何の為にやるのか解りませんよ」
しかし、ネクロマンサーは悔しげであった。腹立たしげな視線を魔王に向け、勝手な振る舞いに非難していた。
「貴方は自分勝手過ぎる。全てを好きに出来る力がある癖に、自分の思いだけで、自分の考えだけで苦しい道を選んでいらっしゃる。それは、エゴだ」
「そうかもな」
魔王は、皮肉げに笑っていた。今更痛む胸も持っていなかった。
「だが、それでいいんだ。一人の強大な力によってすべてが変わるなんて、そんな世界、私は嫌だ」
笑いながら背を向け、彼の工房へと変貌した牢獄から去った。
「旦那様、お疲れ様でしたっ」
牢獄から出た魔王を待っていたのは、金髪碧眼の侍女風のいでたちをした人形であった。
「アリ……いや、エルゼ、何をしているのかな?」
一瞬『何故アリスちゃんがここに?』と勘違いしそうになって思いなおし、弟子に問うた。
「はう、やっぱりバレちゃいましたか……」
直後、ばら、と、その身体が無数の蝙蝠にばらけ、再構築。
見慣れた姿のエルゼがそこに立つ。眉を下げ、悲しそうであった。
「なんでこんな事を?」
いつの間に付いて来たのかも気づかなかったが、エルゼがアリスのフリをしていたのがなんとなく魔王的に許せなかったのもあり、やや語気を強く問うてしまう。
「あ、あの、怒らないでください! その……師匠が、辛そうだったから……アリスさんの代わりにでもなればって、そう思って!」
魔王の視線が怖いからか、肩をすくめながらおずおずと上目遣いになるエルゼ。
その様に、怖がらせてしまったらしいと気づき、魔王は手を上げる。
「あっ――」
頬を叩かれると思ったエルゼは、思わず身を縮こませ目を瞑ってしまうが。
「――ごめんなあ、エルゼ」
魔王は、その頭を優しく撫でていた。
「え……あの、師匠?」
「君にまでそんなに気を遣わせるなんて。私は情けない大人だ」
魔王は笑っていた。寂しげに。辛そうに。
「だがエルゼ。君は勘違いしている」
「勘違い、ですか……?」
「そうだとも。例えアリスちゃんの姿形を真似たところで、エルゼでは、絶対にアリスちゃんの代わりにはなりはしない」
撫でるのをやめ、かがみこんでエルゼと視線を合わせる。
「誰でもそうだが、誰かの代わりになるなんてことは、絶対にないんだ。私にとってはアリスちゃんはアリスちゃんが、エルゼはエルゼにしか演じられない。他の誰かが演じようとしたって、おかしくなってしまう」
「……でも、私、師匠が辛そうだから」
「解っている。だけどね、辛くとも堪えなければならん事もある。大人は特にな」
「大人って、可哀想なんですね……」
魔王の言葉に、エルゼは眉を下げ、魔王の髪を小さな掌で撫でた。
「そうかもな。だからエルゼ。エルゼはエルゼとして、私を元気付けて欲しい。私はこれからまた人間世界に向かわなくてはならない」
「それなら、私も一緒に――」
「ソレは駄目だ。前も言っただろう? 君が人間世界にいくと、混乱を生み出しかねない。今はまだ、駄目だ」
嘘は続いていた。真実に気づかせないための嘘。
魔界へと縛り付けるための嘘が、あたかも真実であるかのように口から出て、魔王は胸を痛める。
「エルゼ、ほっぺたにキスをしておくれ」
「えっ――」
だから、魔王は奇を衒うのだ。
純真な少女の気持ちを利用して、その場を凌ごうとするのだ。極悪人であった。
「それで私を元気付けて欲しい。嫌かね?」
「いえ、そんな事――はい」
可愛らしく一瞬戸惑った様子のエルゼだったが、すぐに目を閉じ、ちゅ、と、小さな唇を魔王の頬へとあてがった。
「こ、これで良いんです……? 元気、出ましたか?」
「ああ、出たよ。すごく元気になった。ありがとうな、エルゼ」
魔王は笑いながら立ち上がり、エルゼの頭を優しく撫でる。
「んう……良かった。私、元気な師匠が好きです。お気をつけてっ」
くすぐったげに微笑みながら、また師の顔を見上げ、エルゼは元気一杯に送り出した。
「うむ。それじゃあな。ラミアやアンナと仲良くして待っていてくれ」
最後に、少しだけ寂しげに呟き、背を向け。
『コマンドメソッドテレポーテーション/座標x22365:y055582:z78559』
軽く手を挙げながら、何節か呟き……消え去った。




