#4-3.虚ろな勝利
「――ほう」
屋上へと続く階段。
もうそろそろかと思ったあたりで、目の前に待ち構える娘が居た。
見ればその後ろには階段を駆け登る皇帝夫妻の姿。
どうやら主を逃がし立ちはだかるつもりらしかった。
「先ほど私の邪魔をしようとした娘と似た顔だが……しかし、つくづく邪魔をしてくれるものだな」
「ここは通しませんわ。旦那様の為にも、皇帝ご夫妻の為にも。カシュー様の為にも」
自身の身体と同じくらいのサイズの両手剣を構え、その金髪碧眼の少女は睨みつけてくるのだ。
「良い面構えだ――だが、身の程を知らぬらしい」
その気迫たるや歴戦の猛者をも思わせるものであったが、デフは不敵に口元を歪め、両手に持ったエメラルドクリスを構える。
「――ふっ」
そして――駆けた。
「――くぅっ!!」
気づけば敵は目の前に。
五段は上に立っていたはずが、一気に距離を詰められ、アリスはこれを受けさせられていた。
上段に立つはずの自分が、下段に立つこの中年に押されていたのだ。
「きっ……いゃぁっ!!」
しかし、これをアリスは気合で押し返す。
力の上では五分であった。立ち位置の都合上、アリスの方が優位。敵は下段へと飛び退く。
「反応速度も悪くない。こんな時でなければ楽しめたのだろうが――」
男の顔からは、既に笑みは消え去っていた。
油断ならぬと理解されたのだろう、と、アリスは考え、次なる敵の動きを注視する。
「だが……私の相手をするには、その程度の腕では――足りなさ過ぎる!!」
再び男が駆ける。今度は注視していたためか、アリスにも辛うじてそれが見えた。
(きたっ――)
驚くべき神速。アリスは後ろに跳び、背後の段の角に足をあてがい、斜め下に向け全力で一撃を見舞おうする。
「奥義――」
「えやぁぁぁぁぁっ!!!」
重心のまま振り下ろされる刃をものともせず切り払いながら、男は、叫んだ。
「――デス・スティング」
ぱしり、と、何かがはじける音がし、アリスの腹部と左足に風穴が空いていた。
「あぁっ……まだっ!!」
声を掠れさせながら、アリスは落ちながらに振り向き、受け身を捨てて右手を男に向ける。
「むぅっ――ぐぁっ」
それまで何もない空間から突如無数の刃が降り注ぎ、男の肩に、腹に、足に、次々と突き刺さっていった。
かわしきることもできずまともにドラゴンスレイヤーの雨を浴びた男は、その場に立ち尽くしたまま動かなくなるも。
(あっ――わたし、こわれちゃ――)
アリスはそのまま、頭から階段を転がり落ちていった。
「ぐ……ぐぉ……おぉぉぉぉぉぉっ!!」
そのまま死んだかと思われたデフは、しかし、自身にかけられた奇跡『オートヒーリング』によって息を吹き返し、激痛に苦しみながらもその身に突き刺さった刃を自力で引き抜いていった。
「はぁっ……ぐっ、あぁ……くそっ、やって、くれたな――」
引き抜き終わるや、荒い息で血を吐きながら、なんとか歩き出す。
一歩、二歩、と階段を登るにつれ、次第にその速度は早くなっていく。
そうして彼が階段を登り切る頃には、その身体の傷はほぼ全て癒えきっていた。
「……はあっ、ようやく、着いたか」
塔の屋上では、皇帝夫妻が立ち尽くしていた。
「シフォン様、どうか私の後ろに」
皇后ヘーゼルが、気丈にも夫と子の前に立とうとしていた。
「ははは、これはこれは皇帝ご夫妻。こうして会うのは初めてですかな? いやはや、手間取らせてくれましたなあ」
そんな彼らを見て、デフはつい、可笑しくなってしまった。
さっさと殺せば良いものを、笑いかけ、挨拶などしてしまう。
「ヘーゼル、私は良い。なんとか時を稼ぐ。カシューを頼んだ」
そのまま妻に庇われるかと思われたシフォン皇帝は、神妙な面持ちで細身のナイフを構えながら、デフの前に立った。
「シフォン様……しかしっ」
「デフ大司教。まさか貴方が来るとは思わなかった。貴方の狙いは私だろう? 来るなら来い。逃げはしない!」
大見得を切ってみせる。
父親ほどではないにしろ、なるほど、皇帝としての威厳を損なわぬ覚悟の表情であった。
「ふん、解っているなら結構――だが、死ぬのはお前だけではない」
しかし、そんな顔が気に入らない。
デフは笑うのをやめ――子を抱き逃げようとするヘーゼルの前へと立ちふさがる。
「ヘーゼルっ」
「あぁっ――」
「古の血筋は、ここで全て途絶えさせねばなぁっ!!」
そうして刃を以って、その時代を終わらせようとした。
――ザク、という肉の切れる音が響く。
緑のアーティファクトによる一撃は、確実に急所を切りつけていた、はずだった。
「そんな、馬鹿な――」
殺したはずの女は、赤子は、まだ生きていた。
自らの放った一撃は、ここにいるはずのない『この男』の腕一本で止められていたのだ。
「もう『間に合わなかった』というのは、御免だからな……」
黒の外套を羽織った長身の中年男は、そう言いながらにやりと口元を歪め――立ちはだかっていた。
「魔王殿……」
驚いていたのはデフばかりではない。シフォンも、そしてヘーゼルもであった。
誰もが彼がここに来ることなど想像だにしていなかったのだ。
「遅くなってすまんねシフォン殿。しかし、間に合ってくれてよかった」
背を向けながら、視線を敵から逸らす事無く語る。
「貴方がたには、人間世界の未来の為にも、いや、この世界全ての未来の為に、生きていてもらわねば困る。だから、この介入は許してくれたまえ」
軽く手を上げ、そして、デフの前へと突き出した。
「――魔王。まさかこのタイミングで現れるとはな。そうか、お前が魔王だったのか」
「お前――確か、あの時の――」
両者、にらみ合いながらも互いの顔を思い出していた。
「まさかレーズン相手に生きていたとは思いもしなかった。存外、しぶといらしい」
「ふん……あの娘か。だが、あのおかげで私はこうしてここにいる。邪魔立てはさせぬ。貴様が魔王だというなら、この場で成敗してくれるわ」
相手が魔王と知れても、デフの戦意は揺るがなかった。
エメラルドクリスを逆手に、じりじりと隙を窺う。
「ノアールちゃん、皇帝達を塔の外へ」
「かしこまりましたっ」
いつの間にそこにいたのか、ノアールは驚くシフォンらの元へ駆け寄り、その手を握る。
『塔の外へっ』
簡易的な形式略の転移魔法を発動させ、その場からいなくなった。
「――生憎と、私もかなり腹が立っている。煮えくり返りそうなのだ」
魔王は、デフに向けた手を微塵も動かさない。
だが、その殺気は先ほどまでとは比べ物にならない。
「お前は、私の望んだ未来を壊そうとしてくれた。私の大切な未来を紡げる者達を殺そうとした。私の大切な者の、大切な人を奪った」
「……っ」
「――生きて帰れると思うなよ狂信者!!」
腕を引き眼を剥き歯を見せ、魔王は怒りの形相でデフへと跳びかかる。
「うおぉぉぁっ!!」
デフはそれを見切ってかわそうとする。かわしたはずであった。
「壊れてしまえ!!」
だが、魔王の掌底はそれより遥かに早く、デフの横面を殴りつけていた。
「ぐふぉぁっ!?」
一撃で意識を持っていかれそうになったデフは、しかし、辛うじて踏みとどまり、反射で一撃を加えんとクリスを振り回す。
それは、とても簡単に魔王の腹に、胸に、突きたてられていった。
「なん……っ?」
一切の回避も無く。唖然とするデフに向け、魔王は構わず、再度その拳をデフの顔面へと叩き込んだ。
「うごっ――ごふぁっ」
頭から床へと叩き付けられ、今度こそ耐え切れず、デフは意識を刈り取られていった。
「――起き上がれ」
だが、魔王は容赦しなかった。容赦する気がなかった。
無理矢理に首を掴み、立ち上がらせる。
まだ腕がだらりと下がったままだというのに、かまいもせずその腹に一撃を加えた。
「ごふっ」
人間の脆い身体では、その攻撃には耐えられない。
臓物が潰され、堪らず血を吐き出す。
いかに祝福を施された聖人といえど、魔王の攻撃を防ぎきるほどの効果はないのだ。
それでも即死しない辺り信仰の効力も馬鹿にはならないのだが、この場合、むしろ死ねないことによってデフの苦しみは継続していた。
「どうした大司教。貴様の信仰はその程度か? その程度の信仰で世界を混乱に陥れるつもりか? その程度の覚悟しかない癖に、私の邪魔をしたのか?」
純粋な怒りがそこにあった。
冷静さを欠いていたわけではない。自覚ながらに、怒りをぶつけていた。
「だま、れ――」
そうして、ようやくデフが言葉らしきものを吐き、腕を動かす。
「む……」
左腕を斬りつけられ、魔王の手がデフから離れる。
「黙れ、この――魔王がっ!!」
力を取り戻したのか、デフは落ちながらに姿勢を変え、魔王の懐へと飛びつく。
「ほう――その構え」
「女神よ――ヴィヴェル・ブラッド!!」
左右のクリスを振るっての十字斬りが、魔王の胴を切り裂く――!!
「そうか、お前、こんなところにいたのか――」
魔王は倒れなかった。
デフにとっては必殺のはずの一撃が、しかし、この魔王を仕留めるには至らなかったのだ。
確かに胴は斬り裂かれていた。血が噴出し、魔王の腹は『黒』に染められていた。
だが、それだけであった。魔王は、微動だにしない。
「馬鹿な……これを正面から喰らって、何故生きていられる……?」
信じられぬとばかりに、デフは一歩、後じさる。
「――皮肉な物だ。ようやく出会えたと思ったら互いに年寄りか。そして、その技も精彩を欠いている――」
この男は、その魂は、魔王が永らく探し続けていたモノのはずであった。
だが、そこに以前ほど感情を揺るがす『何か』はない。
あれほどまでに固執し、何もかも犠牲にし続け、それらを乗り越えた先にようやく見つけられたはずだというのに。
ただただ虚しく、そして、深い失望が魔王の心を支配していた。
「お前ほどの男が、この世界ではこんな事になってしまうのか……お前ほどの魂を持った男が」
つまらぬ。がっかりだと。魔王は悲しげにその顔を見つめる。
「お前は……お前は一体――魔王とは――」
デフは、驚愕していた。どうすればいいのかと困惑していた。
そんな顔に、記憶の中の『勇者』の勇ましさはなかった。
「せめて、次でな……次では、強く、正しく在ってくれ――」
もういい、と、ばかりに。
魔王は、つまらなさそうにデフの首を掴み――そのまま逆さに、頭から地べたへと叩き付けた。
「すまんなあ、アリスちゃん。私が遅くなってしまったから、君がこんな事に――」
すべてが終わり、後の事をノアールとエリーセルに任せた魔王は、私室にて、傷ついたアリスを抱きながら立ち尽くしていた。
左足は千切れ、腹には大きな風穴が空き、身体そのものが歪に歪んでいた。
頭を何度も打ちつけたらしく、後頭部は陥没しており、アリス自身の意識もない。
敵を始末し、上へと登ってきたエリーセルが発見した時には、アリスはもう壊れていた。
丁度同じタイミングで魔王がトネリコの塔へと転移したのだが、魔王にはこの遅さが悔やまれてならない。
「まさか、こんな事になってしまうとは――こんなことなら、最初から私が――」
大切なその身体を自身のベッドへと寝かせ、心配そうに、しかし黙って見つめていた人形たちの前で、魔王は跪いていた。
「最初から、全部、やってしまえば――」
悲しみに支配されていた。涙がぽろぽろと零れ落ちる。堪える事ができない。
人形は直せる。アリスたちだって、ネクロマンサーの元に預ければ直せるのだ。
だが、だというのに、魔王は悲しくて仕方なかった。
人形たちを平等に扱っていたつもりになっていた魔王は、だがしかし、アリスだけはやはり、特別扱いしていたのだ。
それは、最初の一人だったから。
今の魔王の人格を形成するにあたって、もっとも重要なその存在は、常に魔王に様々な感情を根付かせていった。
誰かと一緒に居ることの温かみ、それを傷つけられることによる怒り、傍を離れられれば寂しく感じさせ、傍に居ればそれだけで安堵できて安らげる。
魔王にとって、アリスは掛け替えの無いパートナー。
恋人以上に大切な、親友以上に身近な、妻よりも掛け替えの無い存在となっていたのだ。
それが、今目の前でこうして壊れている。壊れてしまった。悲しい。
ひとしきり泣いた後、魔王はアリスを抱きしめながらに、エルヒライゼンへと旅立った。
こうして、一人の大司教の戦いは終わり、南部諸国連合はその主力のほとんどを失逸。
南部の教会組織を率いる教皇は和平を模索するようになり、南部諸国は戦意を喪失した。