#4-1.老将の戦い
トラウベンでは今、三つの勢力が激しい戦いを繰り広げていた。
『聖竜の揺り篭』を中核とし、『女王エリーシャ討伐』を目論む北部諸国連合軍二万三千。
教会組織を中核とし、『全ての異教徒の撃滅』を目的とした南部諸国連合軍三万五千。
そして最後に、王都マスカットから出撃した大帝国・グレープ連合軍七千。
トラウベンの形勢は大帝国・グレープ連合がマスカット手前まで退いた為に北部諸国連合の手にあり、地の利は傾いていた。
数の上で最も少ない大帝国・グレープ連合は、ギド将軍の指揮の下トラウベンを迂回、北部諸国連合とは真逆の位置から南部諸国連合を攻撃した。
これにより、数の上では圧倒的だったはずの南部諸国連合は、不慣れな森林地形、そして戦術の拙さもあって瞬く間にその数を減らしていった。
大帝国・グレープ王国軍本陣にて。
「将軍、南部の軍勢は既にその大半がトラウベンにて身動きが取れなくなっております。何故この上、南部への攻撃を……?」
ギド将軍に遅れ、先ほどこの本陣に到着した副官は、彼の選択した戦術について疑問を口にしていた。
それも仕方の無いところで、漁夫の利を狙うならば、狙うべきは南部ではなく、北部のはずなのだ。
質に優れ、数でも自分達より勝る北部の軍勢を放置しては、相手に対し有利に働くばかりではないかと、そう考えたのだ。
だが、将軍は落ち着いた様子で座し、ううむ、と、唸る。
「君の心配も解かるがな。ワシらの最大の敵は、人間の軍勢などではない。いつ来るかも解らぬ『金色のドラゴン』ただ一つじゃ」
人間相手ならば、彼らにとっては勝手の解る相手であった。
同じ人間なのだ。数の差こそあれ、経験で覆す事は難しくない。
だが、ドラゴンは不味い。
どれだけ経験豊富な将が居ようと、どれだけ優れた兵が居ようと、そのすべてが覆されかねない。
ここにきてもやはり将軍が恐れるのは、それまでの戦いで恐れたのと同じくドラゴンだったのだ。
「その為にトラウベンへの攻撃部隊は極力ばらけさせておる。各所にカノン砲やカタパルトを用意させ、上空に対し攻撃が可能なようにもしてあるが。だが、まずはドラゴンの襲来、そして初撃をかわさねばならん」
ドラゴンの最も恐ろしいのは、いつ来るか解らない事と、来た所でそれをかわす事が困難な事にある。
特に大部隊が動いている際に恐ろしいのは密集したところを狙われる事。
これを回避するため、この本陣もトラウベンからはやや離れた森の中に設営され、最低限の兵と防衛陣地を用意するにとどめている。
「金色のドラゴン……果たして、この戦場に来るのでしょうか?」
「解らん。来ないに越したことは無い。だが、今ドラゴンから攻撃を受けるわけにはいかぬ」
ギド将軍には、対抗策があった。
兵器と戦術の進歩によりドラゴンを倒すことはかつてと比べ不可能ではなくなったが、それでも真正面から対峙しては勝負にすらならない恐れがある。
ゆえに、南部には犠牲になってもらおうと思ったのだ。
「我らが南部の軍勢に優先し攻撃を加えていると解れば、ドラゴンは恐らく、我らよりは南部の軍勢に攻撃を加えようとするはずじゃ。多少の巻き添えはあるだろうがのう」
「それは解りますが……ですが、仮に初撃をかわせたとして、我らにドラゴンを倒せるのでしょうか……?」
果たしてそれが可能なのか。ただ痛い目を見るだけではないのか、と、副官は心配げであった。
「無論、勝機もなしに挑むようなことはせんよ。ワシはこう見えて臆病者じゃからのう」
余裕を以ってからからと笑う老将に、副官も引き締めた頬が緩むのを感じていた。
「女王がな、対ゴーレム用として、魔族側から伝え聞いた新戦術を話してくれたんじゃ」
やや間を置いて、老将は語りだす。
「鋼線を敵の足に巻きつけ、複数の木々に固定する。こうする事によって相手は身動きが取れなくなるのだが……これを、件のドラゴンに試してみようと思う」
「確かに資材の中に鋼線が多かったと思いましたが……そのような戦術があったとは。既に兵達には?」
実際に通用するかは解らないが、上手く行けばしめたものである。
後は身動きが取れなくなったドラゴンに、対竜兵器を撃ち込み続ければ良い。
「その為にもドラゴンめには一度低空飛行を行ってもらわねばな。カノン砲の届く射程までに」
射程や角度の面ではカタパルトより優れるカノン砲ではあるが、それでも限界はある。
ブレスの為に低空まで降りてきてくれねば撃ち落とすことは難しい。
自分から降りてくれれば楽になるが、流石にそんな上手く行くとも彼は思っていなかった。
「ですが将軍、よろしいのですか? ドラゴン相手ともなれば、無数の兵が……」
「既にサフランは滅亡してしまった。我らが生き残るためには、我らの未来を繋ぐためには、あのドラゴンはどうしても倒さねばならぬ存在のはずじゃ……ワシは、今がその時なのだと思っておる」
きっ、と眼光鋭く細めながら、老将は立ち上がる。
「女王の増援がこちらに向かっていると聞きますが、それを待たずに……?」
増援が向かっていることは、既にぱそこん経由で伝わっていた。
ソレを待ちさえすれば、少なくとも数の不利に悩まされることは無くなる。
女王が前線に出れば兵達の士気も跳ね上がるはずだった。
だが、老将は小さく首を横に振っていた。
「……まだ遣り残したことのある者を、道連れにする訳にはいくまいよ」
にやり、口元を歪め、将は腰の指揮剣を抜く。
「全軍に通達! 我が軍は作戦通り、これより対竜警戒を行う。カノン砲、カタパルトの準備を急げ!」
「はっ」
将の言葉に、副官は敬し、通達を周知する為駆けていった。
『おのれ、人間風情が――調子に乗りおって』
トラウベン上空では、巨大な金色の竜が旋回しながら眼下の戦場を見渡していた。
憎々しげに自軍に対抗してくる人間の軍勢に向け、口元をカパリと開く。
『邪魔をするというなら滅ぼしてくれるわ――ウガァッ』
周囲の雲ごと息を吸いつつも急降下。
森の真上で姿勢を直し、ホバリングする。
『――ファンタズマブレス!!』
その巨大な裂け口の前面に展開されていく魔法陣。
吐き出された息に反応し発動していく金色のブレスは、北部の軍勢と激戦を繰り広げていた南部の軍勢に向けて放たれた。
「な、なんだアレは」
「ひ、ひぃっ、ドラ――」
「め、女神様っ!!」
南部の兵らは突如降下してきた金色のドラゴンに困惑し、怯え固まっていた。
アンデット相手ならば慣れていた彼らであったが、多くの者はドラゴンを目にしたのは初めてだったのだ。
まして、レッドドラゴンなどより遥かに巨大なソレに、そして、そこから放たれたブレスを、どうしたらいいのかも分からぬまままに浴びていった。
そうして、森は俄かに静まり返る。
南部の将兵らが居た地点は浄化され、ただ森のみがそこに残っていた。
『くはははははっ!! 他愛なし!! 人間等所詮は――』
金竜エレイソンは、哂っていた。
ブレスの一吹きで数万の敵が消え去ったのだ。
最早地上に敵など居ないと思えた。彼は、紛れも無く最強である自分に酔っていた。
だから、気づけなかったのだ。
「放てぇぇぇぇぇっ!!」
眼下、その別方向から向かってくる砲弾の嵐を。
『ぐ――がぁぁぁぁぁぁっ!?』
眼前にて爆発するそれに視界を潰され、更に腹部に巨大な岩石が直撃した。
岩石は頑強な皮膚までは貫けず壊れるが、それでもその質量からくる衝撃は生半可なものではなく、さしものエレイソンもぐらつき、一瞬羽ばたくのを忘れてしまった。
当然、墜ちる。
『ぐはっ――グ、ググ……』
木々の中墜落したエレイソンは、頭をゆらゆらと揺らしながらなんとか気を取り直そうとする。
そこに、頭上から更なる砲弾が降り注ぐ。
『あがっ――げはぁっ』
一撃一撃は致命傷にはならずとも、数が重なれば甚大な打撃となる。
翼膜は傷つき、次第にその鱗にも負傷が見られるようになっていった。
『くっ、ぐぉぉぉっ――おのれ、おのれぇぇぇっ』
並みの竜ならば死にかねない猛打の嵐を耐え凌ぎ、森ごとブレスで吹き飛ばしてくれようと、息を吸い込み再び羽ばたこうとする。
だが、そこまでであった。
翼が思うように広がらない。
見れば、足先、そして翼の先端に無数の光る線が見えた。
『なっ――これは――』
ぎらりと光る鋼の線が、いつの間にかエレイソンの身体を拘束しようとしていた。
左足、右の翼、尻尾の先端、右足爪先、そして頭上。
ぎりぎりと鱗を圧迫していく感覚に、エレイソンは苦しげに呻く。
「よし今じゃ、頭に向けて撃ちまくれっ!! どんな化け物とて、頭をやられては無事では済まん!!」
作戦は成功。更にここからエレイソンに向け集中砲火が向けられていた。
砲兵はハンド・カノンを構え地上から、木々の上から、様々な角度から射撃を開始する。
再度角度計算を終えたカタパルトから岩石が発射され、重い風切り音と共にエレイソンの顔面に打ち込まれていく。
ぐらついたその頭に、今度はカノン砲による砲撃が加えられ、聴覚と視力を奪っていく。
十字砲火を前にはさしも金色のドラゴンといえどただ倒れるのみ。これぞ物量の成せる業だとばかりに、攻撃は続いた。
「……なんと」
しかし、倒れない。
エレイソンは強かった。
人間の手では、打撃こそ与えられても、鱗に傷をつけることができても、殺しきれなかったのだ。
『調子に――乗るなぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!』
ふらつく頭を自ら地面に叩き付けて痛みによって覚醒するや、全身あらんばかりの力で抵抗、鋼線を周りの木々ごと引き剥がしていく。
巨大な口は周りの木々ごと砲兵らを食いちぎってゆき、更にブレスを吐かんと巨大なアギトをパカリと開いた。
「――あの口に向け放てぇっ!!」
それでも老将の最後の言葉は、攻撃の指示であった。
最後まで抵抗すべしと。このドラゴンを、わずかなりとも打撃せよと。
命じられるまま、兵らは最後の抵抗とばかりに己のできうる攻撃行動を続けた。
カノン砲やカタパルト、ハンド・カノンや弓。手に持った剣や槍、足元の石や手持ちの防具を投げる者もいた。
意味の有る無しではない。いや、意味は有る。有るが故に。だからこそ彼らは今、抵抗していたのだ。
そうして、トラウベンの地には金竜エレイソン、それから対竜攻撃に参加しなかった兵のみが残った。
トラウベンを支配していたはずの北部諸国連合軍は、エレイソンのブレスの巻き添えを受けその大多数が他の軍勢と運命を共にする事となっていた。
辛うじて生き残った兵もあまりのことに戦意を失い逃げ帰る事となり、エレイソンがディオミスへと戻っていった為に静寂のみがこの地を支配した。
結果的にトラウベンは後から増援として現れた、エリーシャ率いる帝国軍によって押さえられる事となる。




