#3-3.女王との戦場にて
「女王陛下。よろしかったのですか? このような場に何もご同行せずとも……」
皇室専用の馬車では、軍の指揮を執る将軍が、心配そうに女王の顔を見つめていた。
護衛の女性兵も不安げであったが、女王一人が不敵に微笑んでいた。
「大丈夫よ。私は大丈夫。それに、こうする事によって『敵』の目がアプリコットから逸れるわ。それより、警戒を怠らないようにして頂戴。大多数の囮から分離した『敵の本隊』は、必ずどこかで私達を狙ってくる」
「想定されているポイントでは警戒態勢を強めております。ご安心を」
「頼んだわ。私は正直、あまり戦える状態ではないからね。力は温存したいのよ」
気丈に笑って見せるが、女王は馬車に乗るまでで既に姿勢をぐらつかせ、周囲の兵を大層焦らせていた。
――この女王は、もう先があまりないのではないか。
女王本人から伝えられた訳ではなくとも、周りの者ですらうっすらそう勘付く程には危うく見えたのだ。
だからこそ、その強行軍に従う彼らは、万全の体制を整え、『予想外』にも備え警戒を強めていた。
「ポイントD、パイオニアフィールドに敵影察知!!」
外から聞こえた怒号に、馬車がぴたりと止まる。
女王らは顔を見合わせていたが、すぐさま将軍が外へと躍り出る。
「全軍、迎撃態勢!! 敵の数はいかほどか!?」
「百名ほどの集団です! 数は多くありませんが、警戒した方がよろしいかと!」
斥候の言葉に、将軍はギリ、と歯を噛む。
「自爆、特攻の警戒をなさい。彼らとて火薬の有効性は理解しているはずよ。私達が使ってくるものを、敵が使わない保障なんてないもの」
よろよろと馬車から降り立つ女王は、そう言いながら兵達を鼓舞する。
「将兵諸君! 敵は策に掛かりこうして前に現れた。ここで敵の部隊を殲滅し、グレープを救うのよ!!」
「うぉぉぉぉぉぉぉっ」
「女王陛下の為にっ!!」
「いくぞぉぉぉぉぉっ!」
沸き立つ兵の姿に満足げに微笑みながら、横に立つ将軍に手を振り、後を委ねる。
「よし、予定通りの配置に付け!! 井戸囲いの陣形だ!!」
兵らに指示を飛ばしてゆく将軍。彼もまた有能な男だった。
想定どおりとはいえ、手早く陣形を整え、兵員運搬用の馬車も器用に利用してその場に即席の本陣を築きあげてゆく。
その周囲に警戒網、第二陣。更に迂回警戒で斥候を多重配置。
人員に余裕があるからこそ取れる戦術である。
「敵はハンド・カノンか矢で仕留める様にしろ! 敵の接近を許すな!!」
「数が少ないとはいえ油断するな! 敵は一騎当千の少数精鋭と考えよ!!」
外周部では小隊指揮官が配下の各隊に指示を下してゆく。
こうしてエリーシャのおわす馬車を中心にした分厚い防備陣形『井戸囲い』が完成した。
「女神様ぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
そうこうしているうちに、陣の西側、川の方角から南部の兵が突っ込んでくる。
「大司教様ばんざぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
しかし、これは砲兵によってその胴を吹き飛ばされ、絶命した。
やがてその後から、そして多方面から続々と敵兵が現れる。
敵の数はわずか百ばかり。
だがその数とは裏腹に足が速く、矢や砲すらもかわしきる驚くべき身体能力を誇っていた。
「死ねぇぇぇっ!!」
「よき明日の今日の為にっ――」
二人ばかりの南部兵が陣の外周部に向け、手に持った石を投げつける。
それが地に落ちた直後、空間が歪曲し、周囲に居た帝国兵はその渦に飲み込まれ――空間ごと消え去っていった。
「ひっ!?」
「な、なんだあれは――」
自爆特攻には違いなかった。敵兵も広がりゆく歪曲空間に飲み込まれていくのが見えたからだ。
だが、それは火薬による自爆ではなく、マジックアイテムによる空間破壊。
歪んだ空間はそのままに、その中に飲み込まれた者達が音も無く歪み、圧壊していくのを見てしまった兵達が、頬に汗を流す。
「ゆ、歪んだ空間に飲み込まれぬよう気をつけるのだ! 陣形は維持しろ!! 怯むなっ」
絶叫さながらに兵らを鼓舞する分隊長たちであったが、彼ら自身も想定外過ぎる事態に困惑していた。
「――空間歪曲。何かしら。グラビトンのマジックアイテム化に成功した、とか……?」
何が起きているのやら。エリーシャは思考ながらに状況を把握しようとするが、どうにも迎撃が上手くいっていないらしいのも感じていた。
「将軍に伝えなさい。『今すぐ陣を解放。全方位に向け進撃せよ』と」
「かしこまりましたっ」
傍に控えていた女性兵の一人に指示を出し、様子を見る。
敵が自爆してくるのは考えていたものの、まさかこのような訳の解らないものを使い出すとは。
想定外というのは起こること。幸いぱそこんのおかげで敵の数が少ないのは確定している。
戦術選択さえ間違えなければ、被害はともかく敵軍の殲滅は進む筈であった。
「女王陛下をお守りしろっ!!」
「敵のっ、敵の聖女です!! 誰か止め――ぎゃぁぁぁぁぁっ」
思考の海に入りかけていたエリーシャに、兵達の絶叫が届く。
――敵の聖女。
幹部クラスが出張ってきたと考えるのが妥当かと、エリーシャは席を立った。
「女王陛下……?」
「馬車を出るわ。馬車ごと歪曲に巻き込まれては困るもの」
敵は外周部で留まっていたはずだが、どうやら単身斬り込んでくるだけの突破力を持つ精鋭がまだ居たらしい、と。
女王は兵に促し、馬車から降りたのだ。
直後、馬車のあった場所に巨大な空間の歪曲が生まれた。
「――ちぃっ! 勘の良いっ」
コード・ブレイカーを投げつけたのはロザリーであった。
このまま飲み込まれてくれるかと思ったがそうはいかず、エリーシャは寸でのところで脱出してしまう。
「ここで止めろっ」
「女王陛下を守れぇぇぇっ」
自身を囲む帝国兵を鬱陶しく感じながら、その脇を、上を、流れるように避け、斬り付け、薙ぎ払って肉の壁を突き進む。
「あなたっ、邪魔ですのよ!」
「うがぁぁっ!?」
手に持つのは帝国軍式のショートソードが二本。刀身が直線的なのでロザリーには扱いにくく感じていたが、それでも持てば並の兵などでは歯も立たないほどの武威であった。
「……まさか、自力で抜けてくるとは思いもしなかったわ。とんだ化け物ね」
ショートソードを両手に、器用に自陣をすり抜けてくる敵の聖女と、苦笑しながら対峙していた。
女王はこの状況下にあって、『想定外』のはずの敵の出現に焦りもせず、哂っていたのだ。
「覚悟――っ」
その姿に激昂してか、いや、歯を食いしばりながら、聖女は駆け向かってきたのだ。
必殺の一撃を突き刺さんと、全速で。
「――シュート」
しかし、それは叶わない。
女王エリーシャのわずか十歩前。あと一息で距離を詰められるというところで、魔法のラインが突如浮かび上がる。
「くっ――」
それを寸での所で飛び退き、回避する。光のラインに触れた衣服が瞬時に千切れ飛んでいた。
「よく動くわねぇ」
女王は微動だにしない。黒のドレスを風にはためかせ、余裕の表情のままロザリーをあざ笑っていた。
無防備に見えるその姿は、しかし、女王の周囲に展開されている無数の光球によって無尽の防御を誇っていた。
「貴方、見覚えがあるわ。確か、私がエルフィルシアに行った時に、デフ大司教の傍にいた娘よね」
「――物覚えがよろしいんですのね。生憎と、私は今の今まで貴方のお顔なんて忘れていましたわぁ。貴方を見てると苛立ちばかりが募りますの」
周囲を取り囲む敵兵の壁に、内心で後がないのを解りながら、それでも女王との『会話』を続ける。
「何故かって、貴方みたいな悲劇のヒロインごっこしてる女、私は大嫌いですから。自分だけが可哀想、自分だけが大変って思ってる女なんて、覚えているだけで嫌でしたからね」
「……そんなに可哀想な人生を歩んだの? 貴方は」
吐き捨てるように叫ぶロザリーに、しかしエリーシャは動ずることも無く逆にロザリーの瞳を覗きこむように嘲る。
「だとしたらごめんなさいね。私は別に、不幸な人生を歩んでるつもりはないの。悲劇のヒロイン? 笑わせないでよ――」
手を伸ばし、ロザリーの顔を指差して胸を張った。
「――大国の女王様なんて、この上ないくらい勝ち組じゃない」
「当たるものですかっ」
女王が口元をゆがめると共に、周囲の光る球から一斉に放たれる破壊魔法。
これを一息にかわし、ロザリーは駆ける。
しかし、間もおかず展開される無数の魔法に、足を、腕を、腹を、次々に貫かれていった。
「うぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
絶叫であった。ただただ、尽きる寸前の命の炎を燃やしながら、ロザリーは走った。
目の前の女王が遠かった。後一歩、それだけ踏み込めれば一撃を決められる。
それが解っているのに踏み出せない。既に足が死んでいた。膝から下がぴくりとも動かない。
そのままもつれ倒れこんでしまいそうになる。それを、歯で剣の柄を噛みながら、空いた左腕で前転し、無理やりその距離を詰めていく。
――あと一撃。一撃届きさえすれば。
エリーシャの首筋に狙いを定め、右手の剣を振り上げようとする。上がらない。
「あぁっ!?」
既に、右腕がなくなっていた。二人の身体が交差してしまう。横をすり抜けられてしまう。
「――惜しかったわね?」
嘲るような性悪な笑みが、潰れる寸前の瞳に映り。
直後、彼女の顔に向け大火力の火球が二発、三発と叩き込まれていった。
「ここまでこれたのは大した物だわ。だけど、貴方には無理」
ようやく動いた女王はしかし、目を閉じたままロザリーに背を向け、語りだす。
「だって貴方の目、『生きてた』もの。明日を夢見てしまっている。楽しい思い出でもあったの? 戦場ではそんなもの、胸に抱いていてはいけないのよ?」
風に流れるように響く声に、兵らは動きもせず、ただそれを見守っていた。
動くことができなかったのだ。この女王は、やはり強かったのだ。
かつて身に纏っていた覇気をも凌駕する威厳が、そこにはあった。
「大切な思い出はね、大切な人の記憶は、きちんと鍵をかけてしまっておかないと――壊れてしまうわよ?」
エリーシャの言葉に、ぴくり、と、聖女の身体が動いた。
「女王陛下っ」
それに気づいた兵の一人が声を張り上げ、前に出ようと駆け出す。
――しかし、遅すぎた。
聖女は、再び飛び上がり、背後から女王を突き殺さんと、最後のショートソードを振りかぶり――
「あ――ぐっ」
地面から、エリーシャを護るように展開された光のフィールド。
ロザリーは、その身体を光の壁によって断ち切られていた。
「背後からなら不意を撃てると思ってた? リットルはそれで倒せたものね?」
振り向き、尚もロザリーに笑いかける女王は、しかし。
「――私を『舐めるな』、私は貴方の遥か上。他ならぬ貴方達の女神様が認めた『勇者』だった女よ? 貴方程度に殺される訳ないじゃない」
一切の油断なく、敵意を緩める事無く、地べたに這い蹲る肉の塊を睨みつけていた。
その冷酷な言葉に、その酷薄な瞳に、長年仕えていたはずの将兵らすら、息を飲む。
「だ、だいしきょ――さま――」
自身の周囲を取り囲んだ光球が、眩く光るのが見えた。ここまでらしいと解っていた。
辛うじて繋がっている掌を、地べたへと叩きつけようとした。
「うぁぁぁぁぁっ」
しかし、それはより早く駆け寄ってきた敵兵によって阻止される。
「あっ……」
動いた左腕を恐れ、兵が槍を突き刺したのだ。
最早、何も残っていなかった。抵抗の手段はすべてが奪われた。
時間が経てばそれとて自動回復によって直るかもしれないが、そんなものは無意味だろうというのは、彼女自身が理解していた。
「南部はもうおしまいよ。デフ大司教もそう掛からず、同じところに送ってあげるわ。あの世で仲良く暮らすと良いでしょう」
手を掛ける価値もないと、背を向け、手を振る。
直後、兵達の無機質な槍が、剣が、鈍器が、ロザリーに一斉に振り下ろされていった。
こうして、デフ大司教の懐刀、聖女ロザリーの戦いは終わった。
南部との戦いの終焉が、近づいていた。




