#2-2.遅効性の毒
「それはそうと陛下、ご存知ですか?」
「何をかね?」
バツが悪そうに視線を窓の方に向けていた魔王であったが、侍女の一人が話題を振りはじめる。
「実は、魔王城の地下の図書館にて、とても興味深い文献を発見いたしまして」
「なんと、今のおひい様のような状態に陥ったレディを蘇らせる『特別な儀式』が、古代にはあったらしいのです!」
やや興奮気味に話し始めるレスターリーム達。部屋の中に、妙な熱気が漂い始めた。
同時に、侍女たちの視線が自分に向いていることを感じ、魔王はぎこちない笑みを浮かべていた。
「……その、儀式とは?」
先を聞いて欲しいのだろうと思い、その期待に応える形で魔王は問う。
すると五人が五人ともにこやかあに笑みを返していた。
「大丈夫です、陛下ならとても簡単に済ませられますわ」
「痛いこともありませんし」
「きっとおひい様も喜ぶでしょうし」
「さあ陛下、ここが正念場ですわ!!」
「漢を魅せる時です。いえ、陛下は今でも十分ダンディだと思いますが」
言葉の津波が魔王に襲い掛かっていた。この多方面同時口撃は魔王には脅威であった。
「解った解った。それで、どうすればいいのかね? 私ならアンナを救えるのか?」
この部屋は、魔王にとっては完全にアウェイであった。
劣勢を感じながらも、魔王は平静を繕い、先を促す。沈黙は為にならぬと感じたのだ。
「ええ、とても簡単ですわ」
「おひい様の唇を見つめてくださいまし」
「とても柔らかそうでしょう?」
「じーっと見つめてくださいませ」
「……奪いたくなりませんか?」
五人による言葉の連鎖。
魔王はぐら、と、意識があらぬほうに捻じ曲げられたような感覚を覚えた。
「さあ」
「どうぞどうぞ」
「私たちにお構いなく」
「私どもは部屋の隅の埃みたいなものですから」
「おひい様の唇に、熱いヴェーゼを」
言葉のままに、黒竜姫と向き合ってしまう。
魔王の視線は黒竜姫の唇に釘付けであった。
(これは……間接的なチャームか……?)
言葉による誘導。言葉による操作。
一方向ではなく多方面から同時に、交互に、それていて波のように打ち寄せてくる言葉は、一種の洗脳術のようだと感じてしまっていた。
意識がありながらも、しかし、身体は言葉に操られているが如く、そのままに動いてしまう。
だが、これが果たして侍女たちに言われたからそうしているのかは、魔王には解らない。
もしかしたら本心でそういう下心があるから、そういう気になっていたのではないかと。
魔王は、自分の心がわからなくなっていた。
(参ったな、これは……)
良い歳して、なんと情けない事か。魔王は、侍女たちの言葉に抗えなくなっていた。
(きゃーっ、きゃーっ、きゃーーーーっ!!!)
当の黒竜姫はもう完全にパニックに陥っていた。
何が起きているのか。何が起きようとしているのか。
自分の顔に近づいてくる気配、鼻先に当たる吐息。全てがもどかしく恥ずかしい。
胸はいつ爆発してもおかしくない位に高鳴っていて、身体中ばたつかせてしまいたい位なのに、身体は動かずにただただその時を待っているかのよう。
(ああああ……い、いき……うあぁぁぁぁぁぁぁっ!?)
最早どうしたら良いのかも解らない。
彼女の聡明な頭脳は、今では超高速でエラーを吐き出し続けていた。
心は最早取り返しがつかないほどに揺れ溢れ、その先の光景を、イメージを頭に伝えようとする。
だが、彼女の頭はそれを拒否する。イメージする事を拒絶する。そんなもの受け入れたら、パンクしかねないのだと理性でわかっていたのだ。
だが、その理性が既に駄目になっていた。壊れていた。ジャンク品であった。
そんなものは、愛する殿方の前では、とっくに振り切れていたのである。
その後、部屋の中は侍女たちの黄色い歓声がしばしこだましたのだが。
同時に、部屋の主である黒竜姫は、それまでとは全く別の意味で寝込んでしまった。
「ふぅ、ひどい目にあった――うん?」
げっそりとした顔で部屋を出た魔王であったが、部屋の前に座り込んでいる娘に気がつく。
黒いゴシックデザインのドレス。エルフのような長い耳。気障ったらしい長い銀髪。
「エルゼか? どうしたのだ、そんなところで?」
下を向いたまま動かない弟子の姿に、魔王は不思議そうに首をかしげ、近づく。
「……師匠は、いじわるです」
下を向いたまま、エルゼはぽつり、呟く。
「うん?」
「なんで、黒竜の姉様ばっかり……姉様が戻ってからずっと姉様ばっかり気にしてます。私の事、全然気にしてくれてません」
その、心情の吐露に、魔王は「ああ」と、理解した。
可愛い嫉妬だと思ったのだ。
だから、その髪を優しく撫でながら声をかけた。
エルゼの感情を刺激しないように、務めて優しく、明るく。
「すまなかったなあエルゼ。寂しい思いをさせた。ただ、私の命令で行かせたあの娘が心配になっていたのだ。気になって仕方なかった。仕事が手につかない程にな」
「師匠は、姉様が好きになってしまったのです?」
顔を上げたエルゼは、悲しそうに眉を下げながら見上げ、聞いてきた。
「――ああ、好きだとも。愛してると言ってもいいだろう」
エルゼの問いに、先ほどのことを思い出してしまいドキリとさせられたが、しかし魔王は頭を振って正直に答えた。
正直、偽るのも面倒くさくなっていたのだ。
誤魔化すのもしんどい。エルゼの前で位、良いだろうと思っていたのだ。
「やっぱり――」
「だが、私はどうも気が多い性質らしい。エルゼのことも同じくらいに大切に思っているし、愛しているよ」
口説く訳でもないが、そこは勘違いさせたくないのではっきりと告げた。
先ほどまで泣き出しそうだった顔が、見る見るうちに明るくなっていく。
「本当ですか……?」
「本当だとも。まあ、前にも言ったが私はロリコンではない。君が大人になるまでは――手を出すつもりはないがね」
それまでは師匠と弟子だ、と、魔王は歯を見せ笑う。
――まだ、この少女に恋は早い。だが、それでも。
それでも、『トルテ皇女』という親友がこの世に既にいない事をこれによって乗り越えられるのなら。
いつかそれを伝えねばならない、その時の為に、魔王はエルゼの気持ちも受け入れることにしたのだ。
(私は……最低だ)
打算の上であった。そうする事でエルゼの心にクッションを用意しておきたかったのだ。
いつの日か訪れるであろう悲劇の時を、少しでもやわらげられるように。
その寄りかかれる支えとなるのに、師という立場ではいささか軽すぎる。
だから、その気持ちを利用する事にしたのだ。
「嬉しいですっ!! ごめんなさい師匠っ、我侭を言ってしまって!」
「いや、いいんだよ。だからエルゼ、私の事をまだ好きでいてくれるかい?」
「勿論です!! 師匠、大好きっ」
満面の笑みでその言葉を受け入れるエルゼに、魔王は胸に、ぐさりぐさりと見えない杭がつき立てられていくのを感じていた。
微塵も疑いもしないのだ。余計に罪悪感が募ってしまう。
(だが――)
魔王は、甘んじてそれを受け入れることにした。
自分が苦しもうとも、この偽善によって少女を救おうとしたのだ。
だからだろうか。魔王はまだ、自分のした過ちに全く気づいていなかった。