#E1-3.夏の日差しの下、水に戯れる吸血姫
――後日。
「どうかねアリスちゃん。その水着は」
プールサイドでは、魔王が水着姿の人形達ににやにやと娘を見る父親のような生暖かい笑顔をしていた。
『少し肌の露出が激しい気がしますが、動きやすいですし、何より柄が可愛いですわ』
アリスに与えられた主のチョイスは、白い水玉模様が入ったピンクの三角ビキニ。
ボトムを結ぶ紐は細めに作られていて、結ばれたリボンはどこか色気を醸し出している。
小さくて見え難いがとてもよく似合っていて可愛らしく、それでいて腰周りが艶やかであった。
アリス自身もそれほど嫌な気はしないらしく、新しい衣装を貰って機嫌がいい。
というよりアリスは基本主人から貰ったものはどこまでも大切にするし何であっても喜ぶ。
魔王がこの度用意した人形サイズの水着は、いずれも近年、人間世界において流行しはじめていた最新の水着なのだが、これが魔王には素晴らしく魅力的に映ったのだ。
なんとなしに南部の海辺の街で開かれていた祭に遊びに行った帰りに偶然見かけたのだが、これを自分の人形が着たらどうなってしまうのだろうかという欲求に勝てず、魔王は実行に移した。
実物を買い集め、これを元に魔界の縫飾職人によって人形サイズで作らせたのだ。
例によって稀少で高価な材質で出来ていて、作った本人達ですら絶句するほどの浪費なのだが魔王は一切気にしない。
金に糸目なんてつけるほどの良識はどこにも残っていなかったのだ。
「アリスちゃん達の材質的に、水中は問題にならないと思っていたが、実際問題どうかね?」
ぱしゃぱしゃと楽しげに泳ぐ人形達を見れば答えは明らかなのだが、一応そういう名目だったので魔王は確認する。
『全く問題ありませんわ。これが海水だと髪が痛んでしまうかもしれませんが、淡水なら平気です』
『みずがとても気持ち良いですわぁ』
『きゃっ、もう、足引っ張らないで!』
楽しげに過ごす人形達であった。
二千の人形が一度に入ろうとプールには余裕の空きがある。
一体何人が入ることを想定して作られたのか。
魔王城のはずれに作られたこのプールは、人形達が遊びまわって尚、余りあるスペースを誇っていた。
「ふむ、水中行動は問題なし、と。後はその後のメンテナンスだな。今は異常はなくとも、後々関節が回らなくなったりするのは怖いからねぇ」
『私には解りませんが、私達はそんなに精密に出来ているのですか?』
魔王の掌にちょこんと体育座るアリスは、主の懸念に不思議そうな顔をしていた。
「うむ。精密というか……まあ、未知な部分は多い。正直な話、アリスちゃん達の詳しい構造は私にもよくわからんのだ」
アリス達はあくまで自動人形というカテゴリに属するマジックアイテムであるが、それを作ったのは魔王ではない為、作った当人にしか、いや、場合によっては作った当人にすらそれは把握されていない可能性があった。
魔王は作り手に教えられたとおりにメンテナンスしており、今まで特に何の問題もなかった訳だが、不測の事態が起きた場合を考えると、やはりいささかの不安は残っていた。
水場の耐性テストもその為であり、やはりこの辺り、魔王は調査に余念がなかった。
「あら、師匠ではないですか。こんな所で何を――」
魔王がのんびりと調査ながらに水着で泳ぐ愛娘達を眺めていると、散歩をしていたのか、灰色のボンネットを付け、やや幼さを強調したドレス姿のエルゼが現れる。
「エルゼか。いやなに、ちょっと人形達が水場で動けるかのチェックを――」
「か……可愛いですっ!!」
とてとてと歩いてきたエルゼは、魔王が説明しようとしたのを断ち切った。
その目はキラキラと輝き、プールを泳いだり遊んだりしている人形達に向けられていた。
「師匠、あの、この子達、一体何を……?」
魔王の説明など耳に入っていなかったのか、エルゼは向き直り、好奇心に輝く瞳で師に問うのだ。
「……ああ、皆の為に水着を作ったから、実際に似合うか試してるんだよ」
魔王も大人しく本音を語った。大人は子供の素直な笑顔には勝てなかった。
「見たことの無い水着ですね。あら、アリスさんごきげんよう」
『ええ、ごきげんよう』
魔王の掌のアリスとも挨拶をする。
なりは小さくともアリスはエルゼから見れば目上の存在らしかった。
この辺り、明確に上下関係が存在している。
「人間世界で最近流行ってる水着らしい。結構可愛いだろう? それに機能的だ」
「へぇ、人間世界の……いいなあ。水浴びって楽しそうです」
言いながら、エルゼは涼しげに遊ぶ人形達を見て、また、自分も混ざりたそうにプールと魔王とを見たり見なかったりしていた。
「君も入りたいなら入ればいい……というか、ここはそもそも城や塔の若い娘の為に作られたものらしいぞ?」
「そうなのですか? 私、最近は自分の部屋で本ばかり読んでいたから知らなかったです」
実に陰気な生活スタイルである。師匠が師匠なら弟子も弟子であった。
「まあ、問題は水着だがね。まさか服を着たまま入るわけにもいかないだろうし――」
エルゼが人前での水浴びを恥らわないのは、やはり年齢的な幼さの所為なのだろうが、だからと流石に裸になる訳にも、服を着たまま入るわけにもいかないのは魔王にも解っていた。
まあ、自室に戻って水着に着替えてくるだろうくらいの気持ちで言ったのだが、エルゼはさほど気にしない様子でプールに向かって歩いていく。
「まさか服を着たまま入るつもりかね?」
そのまさかをしようとしているのではないかと不安になった魔王であるが、言葉に振り向いたエルゼは笑顔で「いいえ」と否定。
「えっと……この子でいいかしら。ごめんなさい、ちょっと水着を見せてくださいな」
プールサイドに腰掛けて休んでいた人形に話しかけ、掌の上に乗せる。
色んな角度からそれを眺め、流石に人形が恥ずかしがった辺りで「ありがとうございました」とそっと戻してあげると、エルゼはすっと目を瞑った。
直後、強い風が吹き、エルゼの周りに黒い霧のようなものが生まれる。
「おぉっ!?」
魔王は突然の事に驚かされた。
小さな、ややデフォルメ調の可愛い蝙蝠が無数に集まり出来た霧。
蝙蝠はやがてエルゼの全身を包んでいく。
霧が晴れた時には、エルゼはもうドレスではなく、愛らしいワンピースタイプの水着を着けていた。
いつの間にか長い銀髪もポニーテイルにまとめられている。
「随分派手な着替えだな」
どこで用意したのか、その水着は柄も色も形も、魔王が手持ちで持っていたミニチュアタイプのものと違わなかった。
だが、魔王の言葉は的外れだったらしく、エルゼはにこりと微笑む。
「いいえ、着替えてなどいません。というより、これは全て『私』ですから」
「……どういう事だそれは?」
その言葉は意味深であるが、魔王には今一要領がつかめない。
「どういう事かというと、つまり、その――」
どう説明したものか、右を見て左を見て、と、視界を左右に揺らす。
少し思案顔で言葉を詰まらせるが、はっとして、何か思いついた様子で笑っていた。
「えっと、師匠、私の右腕を見ていてくださいませ」
「右腕を?」
不思議に聞き返す魔王だが、言われたとおりエルゼの右腕を見る。特に何も無い。
特に何も無いと思った矢先、エルゼの腕が一瞬でばらけ、蝙蝠になる。
「おぉ」
魔王も少しだけ驚く。注意していたので先ほどよりはやや小さめに。
そうかと思えば、右腕のあったあたりの蝙蝠はすぐにまとまり、次にはもう、右腕に可愛らしい緑色のリボンを巻いていた。
それを見て魔王はやっと気づく。
「つまり、このリボンも君自身、という事か?」
「はい。先ほどの服も、今着ているように見えているこの水着も、全て純度100%、混ざり気なしの私です」
すごいですか? と満面の笑みで答えるエルゼだが、つまり日常的に全裸で歩いているという事なのだろうか。
深く考えると犯罪的な匂いがしそうで怖いので魔王は余計な事は考えない事にした。エルゼは可愛い。それが全てである。
「体型を弄れると以前言っていたが、衣服まで自分だとは恐れ入ったな……」
「一応衣服を纏う事もできますけど、私達ってあくまで群体であり個体ですので、ばらけると衣服が崩れてしまうのです」
とても残念そうに眉を下げるが、つまりはその眉の一本一本すら彼女という個体を構成する群体の一つなのだと言う。
「種族的な特性として分体化されているのは解るが、その、勝手に腕がばらけたりとかするのかね?」
「上手くコントロールできない時は別ですが、基本的にどの群体も『私』自身ですから、『私』が意図しない限りは勝手に動いたりはしません」
「そうなのか。なんというか、間近で見るとやはり特異というか、ユニークな特性だよなあ」
個体であり群体という訳の解らなさもさる事ながら、その精神が全て一つの個として統一されているというのはどういう構造なのか。
それでいてばらけた際には群体はそれぞれが個としてのエルゼを構成するというのだから、謎は深まるばかりである。
「一全全一。吸血族では、その言葉が自身を指すのに最も適していると伝えられています」
「ふむ……確かに、一人のエルゼを構成するのは全てのエルゼだし、全てのエルゼもまた、各々が一人のエルゼによって統合されているのだな」
「流石師匠ですわ。その説明をしても解らなさそうな顔をする方って結構多いのです」
困ったものです、としょんぼりとしてしまう。
自分たちの種族のことがあまり深く理解されていないのが不服らしい。
「んー、まあ、難しい話は今すべきではないな。エルゼ、水浴びをしたいのだろう?」
話が進みすぎて変な方向に流れそうだったので、魔王は無理矢理もとの方向に話を戻す事にした。
「あ、そうでした。じゃあ入ってきますね」
「ああ、どうせ邪魔も入らんだろうし、楽しむといい。私はメモを部屋に置いて、飲み物を取ってくるよ」
言いながら、魔王は城へと向かう。
誰か適当な侍女でも探して、飲み物を用意させようとしていたのだ。
「ああ、そうだった。言い忘れていたよ」
「……?」
だが、そこで思いつき、振り返る。不思議そうな顔でエルゼが眺めていた。
「エルゼ、その水着は中々可愛いと思うぞ。君にはよく似合っている」
言いながらにかっと笑う。いやらしさの無い爽やかな笑顔だった。実に不似合いだが。
「それだけだ。ではな」
言ってから照れくさくなり、魔王はさっさと立ち去ることにした。どうせすぐ戻るのだが、今は時間がほしかった。
「あっ……ありがとうございますっ」
不意打ちで褒められ、頬を赤く染めながら喜んでいたのだが、魔王は弟子のそんな愛らしい姿を見ることはなかったのだった。
「……何してんのよこんな所で」
次に通りかかったのは黒竜姫である。
侍女を連れて、二人で城門の方向から歩いてきたのだ。相変わらず魔王とはすれ違う日々である。
「あ、黒竜の姉様ではないですか。ごきげんよう」
人形達と一緒になってプールで遊んでいたエルゼは、プールサイドから声をかけられ、声の正体を知りにこやかに笑った。
「ええ、ごきげんよう。ていうか何よその……露出激しい水着は。はしたないわ」
年若いを通り越して幼いエルゼの水着姿に、黒竜姫は複雑そうな表情をしていた。
「この水着ですか? 人間世界で最新のファッションらしいですよ?」
「うそ、こんなのが……? 何よ、人間って露出趣味でもあるの?」
刹那に生きる生き物は考えが違うわねぇ、なんて呟きながら。
だがプールは気になるのか、ちらちらと水辺で泳ぐ人形達を見ていた。
「あなたと人形しかいないの? このプールは、城や塔の若い娘用って聞いたけど」
「よく分からないですわ。でも、とても気持ち良いです~」
きゃっきゃと水に浮いたり沈んだり。
水波は静かにエルゼの身体を揺らし、心地よい振動を与えた。
「姉様もご一緒にいかがですか? 涼しいですし、幸せですよ?」
「まあ、確かに涼しそうね……」
普段なら一顧だにしない誘いではあったが。
顎に手を当て、一応は考えてしまう黒竜姫。
じりじりとした暑さは、それに苛立っていた黒竜姫にはテキメンにダメージとなっていた。
「おひい様、ここには他に人も居ませんし、混ざってみては……?」
珍しく侍女が進み出て、主に建設的な意見を進言する。プールをちらちらと見ながら。
「私じゃなくてあなたが入りたいんじゃないの?」
しかしその言葉には応じず、鋭く切り返すのが彼女の主であった。
「えっ? いえそんな、ま、まさか――」
頬に汗を流し、両手を前にわさわさと否定するようにジェスチャーしつつも後ずさる。
「そんなに入りたいなら入っていいわよ?」
言葉は、侍女の真後ろから聞こえた。
「――えっ?」
確認する暇もなく、侍女はいつの間にか後ろに回った主に突き飛ばされ、プールに頭から突っ込む形になる。
「きゃっ」
水の爆発である。静かに波打っていた水面は唐突に津波と化し、小さな人形達を無慈悲に巻き込んでいった。
小さく出来た渦の中心には、水死体のように力なくぐったり浮いている哀れな侍女が一人。
「どうよレスターリーム。気持ちいいの?」
「ぷはっ」
主の言葉にビクンと反応し、水面から顔を上げる侍女。
「お、おひいさまっ、いきなり突き飛ばすなんてひどすぎますわっ」
気の弱い彼女だが、流石にこの仕打ちには思うところがあるのか、抗議の言葉が先に出ていた。
水にぬれた長い髪は、どこか黒竜姫のものとも近い色合いになっていて、それを見ていたエルゼは背の高さから「まるでお姉様が二人いるみたい」と呟く。
だが、そんな呟きは耳に入らず、意地悪そうに口に手を当て、黒竜姫は哂った。
「だってあなた入りたかったんでしょう? この私をダシに使ってまで」
「はぅ……そ、それは誤解といいますか――」
抗議なんてこの主の前では無意味だという当然の事実に、侍女は今更気づき言い繕おうとする。
「まあいいけどね。それで、どうなのよ。水の中は涼しい? 楽しいのかしら?」
「あっ――はい。水の中、とても気持ちよ――」
言いかけて、侍女の顔は少しずつ歪んでいった。
「いたっ、いたたたたたっ!! お、おひいさまっ、あ、足、足がつって――」
「ふぅん、そう、涼しいの。なら私も水着を作らせて入ろうかしら」
苦悶の表情でじたばたともがく侍女を無視し、黒竜姫は何事もなかったかのようにプールサイドを出て行く。
「あぁっ、そんな、おひい様っ!?」
こんな悲痛そうな叫びも、黒竜姫の耳には届いていないらしい。
後に残るのは足をつってしまった哀れな侍女と、それを遠巻きに眺めるエルゼと人形達であった。




