#2-1.ツケを払う魔王
魔王城の一室。魔王の執務室とそう変わらぬ広さの部屋に、豪奢な天幕付きのベットが一つ。
同じ顔をした侍女達があたふたと忙しなく、それでいて音もなく部屋の内外、あちらこちらを行ったりきたりしている中、彼女はベッドの上で静かに目を閉じていた。
散らばる黒髪はシーツの白の上に在ってより際立ち、赤みを差した頬はうっすらと汗に濡れ。
薄緑の寝間着に包まれた豊かな胸は、やや荒く上下していた。
(……私)
部屋の主――黒竜姫は、意識こそあったものの、ぼんやりとした感覚のまま横たわっていた。
胸が苦しいのは悪魔王から受けた呪いのレジストに大量の魔力を消費した為。
重病人も同然の状態で、どうやって帰還したのかも、いつ横になったのかも覚えが無い始末。
黒竜姫は、自分が今どんな状態なのかもよく解らないまま、ただただ時の流れるに任せていた。
なんにもせず過ぎていく時間はいつもよりも長く感じたが、それでも、部屋の中を駆け回っている侍女達の気配、お喋りで自分を心配してくれているのが解り、寂しさは感じない。
ただ、動けない。手足に至るまで力が入らず、声すら出なかった。
魔王軍最強が聞いて呆れる体たらくだが、悔しさに歯を噛むことも涙を流す事も許されない。
自分の身体が自分のモノではないかのような感覚に、最初は苛立ちこそ感じていたものの、段々とそれすらもどうでもよくなってきていた。
とにかく、退屈だったのだ。
なんにもできない。ただ侍女の雑談を耳に入れるだけ。
それも、こんな時くらいもっと何かお喋りをしていればいいのに、侍女達はこんな時も大真面目に主人の為にと考え余計な事は極力口走らないのだ。
真面目すぎるのも考えもの、と、黒竜姫は心の中で苦笑いしていた。
そんな中である。
突然ドアが叩かれたのだ。礼儀正しく三回。
「あ、はい。今開けますわ」
レスターリームの一人がドアノブに手を伸ばし、開く。
「――陛下」
そして、相手を示すその言葉に、黒竜姫はビクリ、と胸が震えたのを感じた。
「すまんね。アンナの容態はどうか?」
「はい……残念ながら、まだ。意識は戻られているようなのですが、私たちの声に反応する事も、瞳を動かす事すら無理なようでして……」
「そうか……とりあえず、邪魔してもいいかね?」
「あ、はい。おひい様も喜びますわ」
いくらかのやりとりの後、魔王が部屋へと入ってくる。
姿はまだ見えないが、それでも愛しい人の気配に動かない身体に急に熱が入ってくるのを、黒竜姫は感じていた。
「うむ……悪魔王の呪いを受けたという話だったが。アンナをして、ここまで大ダメージを受けてしまうとはな」
「呪いそのものはレジストできたらしいのですが……今のおひい様は、魔力が底を尽きかけていまして――」
「せめて手足だけでも感覚があれば、私どもが魔力を分けることも可能なのですが」
「下手に動かすと後遺症が恐ろしい、か」
「はい……」
「そうなのです」
「困ってしまっているのです」
魔王の問いに、三人のレスターリーム達が口々に答える。
なんとも面倒くさい会話だが、彼女たちなりに主を心配しているらしかった。
「……魔力なあ。逆に言えば、魔力さえ補充できれば、アンナはすぐに?」
「ええ。実はおひい様は以前、似たような状態になった事がありまして」
「あれは人間世界北部の砦を破壊する際に、古代魔法を使ったのが原因で、やはり魔力が底を尽き掛けていた時のことでしたわ」
「その際にはまだわずかばかりおひい様も身体が動きましたので、私どもがおひい様に魔力をお分けして事なきを得たのですが……」
同じ顔の娘から同じ声で多方面から聞こえてくる返答に、魔王は不思議な感覚になりながらも、ベッドに横たわる黒竜姫の顔を見つめる。
(み……見られてる……?)
当の黒竜姫は視線を感じ、むずがゆくなって身体を揺すりたくなっていた。
しかし、身体は動かない。ぴくりともしない。
「ううむ、困ったもんだな。魔力の提供というのは、肉体的に密接に繋がらんと難しいものだ。だが、今の彼女には迂闊に触れることもできん、か……」
「生物の身体というのは、自意識に連なる緊張があるからこそ、その剛性、弾性を発揮できる訳ですから……今のおひい様は、その『緊張の糸』が完全に切れてしまっている状態なのです」
ばっさりです、と、見えない何かを指で切るようなジェスチャー。
他のレスターリーム達もウンウンと頷く。いつの間にか四人に増えていた。
「ですから、迂闊に触れるといつの間にか筋が断裂してしまったり、骨があらぬ方向に曲がってしまったりと怖い事に……」
「寝間着を着ていただくまでは辛うじて動けていらっしゃったのですが、儀式の為に横になっていただいた際にそのまま『オチて』しまったらしく、以降はご覧の通りですわ」
「儀式?」
「ええ。魔力を供与するためには私どももおひい様も肌を晒さなくてはいけませんから」
「とても神聖な儀式ですわ」
「陛下には見せられませんわね」
「殿方には見せられませんね」
四人が四人とも口元でバツマークを作り、頬を赤らめていた。
「……まあ、いいがね」
どことなく疎外感を感じはしたが、彼女達にも色々あるのだろうと割り切り。
魔王は黒竜姫の様子をじぃ、と眺める。
(あ、あああ……)
先ほどから感じていた視線が一気に強くなったように感じ、黒竜姫はむずがゆさ以上に不思議な感覚を受けていた。
(なにこれ、なんで私――うぅ、陛下に見られてる。陛下に見られてる。陛下に……陛下に……っ)
胸の鼓動は速くなるばかりであった。耳にまで響く。身体を動かせないのがもどかしい。
(は、恥ずかしい……隠れてしまいたい。シーツに、シーツに包まりたい……)
意識はあるので魔王と侍女たちの話はしっかり聞こえていた。
魔王の眼が自分に、いや、自分の身体に向いていたのもなんとなく感じ取れていた。
それがどういう意味での視線なのかは解らなかったが、それだけで彼女は十分大混乱に陥っていたのだ。
「陛下、あまりレディの寝顔を見つめ続けるのは趣味がよろしくないですわ」
「そ、そうかね……?」
「どうせなら目を醒ましてから見つめてあげてくださいまし」
「きっとおひい様も喜びますわ」
「どうせなら抱きしめて差し上げる位は――あ、いえ、まだそれは早過ぎますわね」
四人の侍女が口々に余計な事を言うせいで、一時的に魔王の視線が黒竜姫から逸れた。
だが、ようやく解放されたはずの黒竜姫は内心、イラっとしていた。
(……レスターリーム。後でおしおきだわ)
五人まとめて後で覚えてらっしゃい、と、その場に居ない残り一名までもろとも罰を与えるつもりになっていた。
視線を感じられないと、それはそれでもっと見て欲しかったと感じてしまうのだ。この辺り、女心は面倒くさい。




