#E5-1.疲れた一人ぼっちのハイ・ティー
魔族世界北端・トワイライトフォレストにて。
趣味の狩猟と採集がてらにこの黄昏の森を散策していたセシリアは、遥か遠くに聞こえた鳥の鳴き声に、耳をぴくぴくと震わせていた。
これは、エルフが獲物の位置を探る際に取る本能的な行動。
聴覚に優れる彼女たちエルフは、このように遥か遠くの獲物の出す音から、その位置や状態を割り出す。
「――ふむふむ」
そうして、次には風の音、流れを探る。
エルフの横に長くとがった耳は、人間や魔族のソレとは異なり、非常に鋭敏な感覚器官である。
その耳から感じ取れるのは音だけでなく、空気の流れ、風の微細な変化、そして温寒の変異など、多岐にわたる。
少しの間じっとしていたセシリアは、それらの情報から最適な『風の通り道』を推測、そうして、左手に持った弓を構えた。
軽い動作で弦を引き絞り、秒おかずしてそのまま放つ。
赤い羽のついた矢は、木々の生い茂る森の中をものともせず、まるで生きているかのように綺麗にすり抜け――セシリアからは見えもしないはずの獲物へと迫っていく。
すぐに「ギャイン」という、哀れな断末魔が聞こえ、的中を確信。
セシリアは勝ち気に口元を緩め、自らが矢を放った方向へと歩いていった――
「おや、随分とゆっくりしていなすったんだのう」
セシリアが塔へと戻ったのは、それから一時間ほど経過した頃。
麻の袋を肩に、腰に小さな蒐集袋をつけての帰還である。
彼女の帰りを迎えてくれたのは、塔の外でキャンプを張っていた老いた人参。
ほくほく顔のセシリアを見て、気勢よく話しかけてくれたのだった。
「こうして森を歩くのは久しぶりだったから、つい時が経つのを忘れてしまって。でも、お土産もたくさんだわ」
肩に掛けたままの麻袋を空いた方の手で指差しながら、セシリアは歯を見せ爽やかに笑う。
「うむうむ。流石は森の民というだけあるのう。大したもんじゃて」
人参は口元の髭をいじりながら、感心したようにうんうんと頷いていた。
「この森では生えている植物は採取しないようにって言われたから、勿論そこも配慮しているわ」
「ああ、それはありがたい。樹の実や果実を採るのは良いが、生えて来たばかりの芽やなんかを摘まれてしまうと、そこで死んでしまうからのう……」
足元の小さな植物たちを指差しながら、人参は髭でふさふさの口元を開き、笑って返す。
彼ら樹木人族は、植物から派生した魔族であるが故、同じく森の中に生える植物達を同胞として見ていた。
例え動けずとも、同じ植物の同胞。
迂闊に引き抜かれでもすれば気分が悪いとの事で、この辺りセシリアをはじめ塔の娘達は配慮を求められていた。
曰く、『植物の芽を抜いたり樹を傷つけたりしないでくれ』というもので、塔の娘達は当然ながらこれに同意していた。
「だが、それだけの量の食料、やはり塔の娘達で分けるのかえ?」
セシリアの持つ荷物の量は、華奢なその身体のサイズとは裏腹に、かなりの量となっていた。
これだけの量運ぶのも大変だっただろうが、この量を調理するのも大変に違いなかった。
「ええ、そのつもりよ。いくらかは保存食として加工するけれど」
だが、事もなさげにセシリアは微笑みを見せる。エルフは強かった。
「ふうむ。豪快だのう。エルフの娘っ子というのは、皆お前さんのように狩猟に精を出しているのかえ?」
感心ながらにじろじろと遠慮なくセシリアの全身を見やる。
そこに嫌らしさは感じられなかったので拒絶こそはしなかったが、セシリアも少し、恥ずかしくなってきていた。
「――まあ、森を歩くのはエルフの日課みたいなものですから。狩猟だって、集落を守る女には必要な技能ですよ?」
「なるほどなあ。ワシらのような水と空気とわずかな栄養があれば十分な者達とは、大分違うんだのう」
種族の違いというよりは植物と生物との違いとでも言ったものだろうか。
エルフの習慣や考え方は、ずっとこの森で暮らしていた彼らにはとても変わったものに映っているらしかった。
「ただいまー」
人参との会話もそこそこに、セシリアは自分の部屋へと戻る。
『おかえりなさいませ』
なんとなく、いつも返ってきた返事がない気がして、寂しく感じてしまう。
「……なんなのかしら」
返ってこないのが当たり前のはずなのに。
はじめからこの塔へは自分ひとりで来たはずなのに、何故か返事が返ってくるものと思ってしまっていたのだ。
首をかしげながらに、セシリアは荷物を適当なところに置いて、椅子へと腰掛ける。
「……お茶が」
座っているだけではお茶は出てこない。お茶菓子もない。
「ああ、何やってるんだろう、私」
頭を抱えながら立ち上がる。
なんで座っただけでお茶とお茶菓子が出てくるものと思い込んでいたのか。
自分でも訳が解らず、セシリアはため息混じりに部屋と繋がっている調理場へと向かった。
かまどに火を掛け、しばし待つ。
ミルクパン一杯のヤギミルク、それからお茶の葉と香り付けのハーブを少々。
お腹が空いた気もしないでもないが、今はとりあえずお茶が飲みたい。そんな気分であった。
「うーん……疲れてるのかしら?」
一人ごちる。先ほどの意味の解らない行動もそうだが、最近、どうも自分の行動に自分で違和感を感じるというか、妙な気分になる事が多いのだ。
何かの病気か、あるいは加齢による更年期障――考えながらに「それはないわ」と自分で釘を刺しておく。
なんといっても、最近は環境が目まぐるしく変化しているのだ。
自分も当然ながら、不慣れな塔の娘達には相応のケアが必要なのもあって、いつも以上に神経ピリピリ、気を遣いまくっていた。
まとめ役を自負するなりには、セシリアは周りのあらゆることに気を配り続けていたのだ。
そんなだから、知らず知らずの内に疲れが出てきているのかもしれない、と、そんな妥当なところで自分を納得させる事にしていた。
「んん……おいし」
そうして、ハイ・ティーにしてもちょっと遅めな一人お茶会。
大したお茶菓子もなく、前々から保存食として取っておいたローストアーモンドをかじりながら親しむ。
そうして、自分以外に誰も居ない部屋を眺める。
「……」
ほう、とした息遣いと共に、散策での疲れが抜けていくのを感じてはいた。
ミルクの乳臭さもハーブの安らぎも、そしてそれによって柔らかくなった紅茶の香りも、セシリアの身体を優しく温めてくれた。
だというのに。何故、こんなにも虚しいのか。寂しいのか。
自分以外の息遣いの聞こえない部屋。自分以外の存在が無い部屋。
それが塔に来てからの自分にとっての当たり前だったはずなのに、何故?
「私、やっぱりおかしいわ」
そんな事を考えてしまう自分を、どうしても否定してしまう。
肯定したくは無い。ただなんとなく、肯定してはいけない気がしたのだ。
誰に言われた訳でもなく、自分で。そのように考えてしまっていたのだ。
(もし――)
だけれど。ちょっとだけ、勇気を出してみる。
(もし、私がおかしいんじゃなくて、この、私が感じている感覚が、実は変でもなんでもなかったとしたら――?)
それは夢想への入り口のような、終わらない思考の渦のようにも感じられ、そら恐ろしかったが。
セシリアは、カップを手に、その、自身の内から溢れ出て止まらない疑問を、受け入れてしまった。