#7-5.勇者VS聖女
本陣から1200ほど離れた場所で馬車は止まり、ここでの中継が始まる。
とはいえ、戦の趨勢はほぼ決まったようなものである。
リットルを追いかけていた敵軍は、無謀な追撃が元で多方面から集中攻撃を受け、そのほぼ全てが倒れた。
「――ま、俺達の勝利だな」
損耗率は決して低くは無い。
神経戦という面が前に出てきた今回の戦いでは課題となった点も多いが、敵がもう居ない、というのはひとまずは安堵できるところである。
「司令、今、私の仲間達が敵本陣のあった場所を調査しているのですが……」
ぱそこんの画面を見て、カレンが怪訝そうな面持ちでリットルに声を掛ける。
「どうかしたか? 敵の指揮官が死んでたとかか?」
「いえ――逆です。敵の指揮官と思わしき聖人が居ないようです。これは――」
わずらしげに聞き流そうとしていたリットルだったが、カレンの蒼白な顔を見てただごとではない様子を感じ、考えを改める。
「ひぃっ、てき――ぎゃぁっ」
誰かの悲鳴が、その場に緊張を張り戻していった。
「っ――カレンっ」
「はいっ」
二人、武器を構え声のした方、草むらを警戒する。
すぐに部下たちも集まり、リットルを守るように武器を手に守りを固めようとするのだが。
「――あら、たったこれしか居りませんの?」
のんきに草むらを歩いてきたのは、血まみれの紅服を纏った聖女、ただ一人であった。
「まさか、ここまでたどり着く奴がいるとは思いもしなかったよ」
「私も、まさかたどり着けてしまうなんて思いもしませんでしたわぁ」
リットルの皮肉に、ロザリーも澄まし顔で返す。
赤黒い返り血を浴びた顔をそのままに、穢れた金髪を手であおりながら、ロザリーは笑っていた。
赤くくすんだ髪に、白い花の髪留めが揺れる。
「結構な美人さんじゃねーか。その顔その髪、血で汚すには勿体ねぇなあ」
「あら、貴方良く解ってらっしゃいますわね。敵の容姿を褒めるだなんて、中央の勇者様は意外と女たらしなのかしら?」
はら、と、その金髪を荒く撫で、手を降ろす。
「ああ。地元じゃプレイボーイで通ってた。今はもう、ボーイって歳でもないけどな」
「そうですの。まあ、貴方位にお歳を召した殿方も素敵だと思いますわよ? 落ち着いていらっしゃるもの」
言葉とは裏腹に、殺気が空気を侵していた。
全員が息を呑む中、ロザリーは裾口からゆったりと武器を取り出し、それをわざわざ見せ付けるように陽に当てる。
左手には球形の穀物が繋がるモーニングスター。
右手には銀色に光る刃先を持つソードメイス。
どちらにも血がてらてらと陽の光に反射していた。
「さて――覚悟はよろしいかしら? 勇者リットル殿?」
「この人数差で覚悟はよろしいかって聞くなら、あんたじゃなく俺のほうだと思うがね?」
――やばい奴だ。
それがリットルの抱いた率直な感想であった。
怖い訳ではない。だが、危険な相手だとはっきり分かった。
眼はぎらぎらと獲物である自分を見定めていた。
それこそこの人数相手でも大立ち回りをして自分を殺すつもりなのだろう、と。
だからか、リットルは哂っていたのだ。
「こいよ、イカれた聖女様。あいにくと、イカれた女は知り合いにも居るんだ。あんた程度の狂気に呑まれてやるつもりはないぜ」
「ええ、イって差し上げますわ――ママの所に連れて行ってあげる!!」
駆け出したのはロザリー。大将を守ろうとする兵をすり抜け、リットルの眼前へと飛び込んでくる。
その速度、尋常ではない。
この短時間で陣までたどり着いたほどの神脚である。
数の差こそあれ、油断はできなかった。
「ほらっ!」
声と共に振り抜かれたモーニングスターがリットルに襲い掛かる。
「喰らうかよ!!」
リットルはウォーハンマーの柄でそれを弾き、一歩後ろへ飛び退きながら左手を前に突き出した。
『フリーズランス!!』
掌から放たれる氷の槍が高速で飛び交い、ロザリーの胸へと突き刺さらんとする。
『――祈りますわぁっ、我が女神よっ』
しかし、それは奇跡『乙女の祈り』によって無力化されてしまう。
そうしてロザリーは、近づいてきた兵に穀物をぶちかまし、ソードメイスを振り上げリットル目掛け突っ込む。
「甘いですわよっ、この程度なのかしら!?」
下がりながらに振り下ろしたウォーハンマーを易々とかわし、その腹を抉るように側面からソードメイスを叩き付けてくる。
「うぐっ――」
姿勢に無茶があったためか致命傷こそ避けたものの、リットルの軽鎧は刃先によって切り裂かれ、無防備な腹がさらけだされてしまった。
――次は無い。もう一度喰らえば死ぬ。
リットルは冷や汗を流しながら飛び退いていた。
カレンは、一人それを離れた場所で見ていた。
呆然としていたわけではない。狙いをつけようとしていたのだ。
リットルと、兵達を相手取り一人で大暴れする敵の聖女。
それを狙撃せんと、ひたすらにその動きを注視していた。
何せ止まる事が無いのだ。常に動き回り、乱戦を利用しリットル達を翻弄していた。
(……ちょっとだけ、ほんのちょっとだけでも止まってくれれば――)
瞬き一つせず、ボウガンを構え続けいかほど経っただろうか。
そのわずかな間ですら緊張は手を震えさせ、吐息を荒くさせる。
(お願い、止まって――)
祈るように、ただ願うように注視し続けていた。
「うぉりぁぁぁぁぁぁっ」
いかついクライと共に振り回されたウォーハンマーに、ロザリーは一歩飛び退き、それを回避する。
左右から襲い掛かる兵の左側にソードメイスを突き刺し、右からの兵には回転を利用しての蹴りを浴びせた。
リットルから放たれた炎の魔法弾をかがんで回避し、時間差で振り下ろされたハンマーを再び飛び退いてかわしきる。
少し距離が開いた事で、ロザリーは一瞬だけ眼を閉じ、すぐに見開いて叫ぶ。
『――パニッシュメント!!』
祈りは一瞬。だが、今度は光の刃がその場で暴れまわった。
「ひっ――」
兵の一人がその刃を正面からまともに浴び、輪切りにされた。
他の者はなんとかかわそうとするも、その所為でリットルを守らんとする隊形が乱れる。
再度の突進。これを阻む者はいない。
驚いた様子のリットルに向け、ソードメイスの一撃が見舞われようとしていた。
「――当たるかぁっ!!」
しかし、しかしそれは、かすりもせず。
ロザリーが気づけば、リットルは右側面へと跳んでいた。
驚くべき事に、ウォーハンマーを片手に、ロザリーが反応するより早く、リットルは動いて見せたのだ。
先ほどまでの緩慢な動きからは完全に予想外な俊敏な反応に、ロザリーは一瞬、面食らってしまう。
「あっ――」
十分に体重と遠心力の乗ったハンマーが斜めに振り下ろされ、反応が追いつかずに直撃。
衝撃。ばちり、と一瞬抵抗が発生し、ロザリーは弾き飛ばされた。
「くぅっ、やってくれましたわね!!」
地面へと弾かれたロザリーはすぐに受身を取り、武器を構えなおす。
はらりはらりと花形の髪留めが散ってゆくのを見て、リットルは苦虫を噛み潰したような顔になっていた。
「ちぃっ、『加護の花』か。面倒くせぇ女だなっ」
「そちらこそ――まさか『衛星魔法』を使えるだなんて思いもしませんでしたわ」
ロザリーはロザリーで、リットルの周りに浮かぶ三つの光る球体に、腹立たしげに声を震わせていた。
互いに必殺とも思えたタイミングの攻撃を、互いの保険や切り札によって防がれた形となる。
「こいつは切り札中の切り札だ。エリーシャにも見せてないってのに、ちくしょうめ!」
「それはそれは、光栄ですこと――ねっ!!」
三度飛び込もうとする――その脚に、衝撃が走った。
「なっ――」
派手な音を立て、顔面から滑り転ぶ。
左足に突き刺さった鉄の矢。これが、ロザリーの脚力を奪った。
「よくやったカレン! これでトドメだ!!」
掌を前に、リットルは球体と連動させ、魔法を一斉に放ってゆく。
「――はぁっ、こ、こんなことで――」
必死に起き上がろうともがくロザリーに、リットルの放った氷の槍が次々に突き刺さっていった。
「ぎ――ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
その絶叫。悲惨なまでの叫びが響き渡る。
「――へへっ、綺麗なお嬢さんにしちゃ、品のねぇ叫び声だったな」
断末魔に聞こえたソレを皮肉りながら。リットルは動かなくなった敵に背を向け、カレンの方へと歩み寄ろうとする。
戦いは終わったのだから。活躍してくれた後輩を褒めてやるのは、先輩の仕事だろう、と。
「よくやったなカレン。お前のおかげで――」
「司令っ、司令後ろっ!!」
しかし、カレンはただならぬ様子で背後を指差す。場は、まだざわめいていた。
「うん――まさかっ」
そんな馬鹿な、と振り向くリットル。一瞬、遅かった。
「ぐ――」
さらけ出されたままの腹部に向け、深々とソードメイスの刃先が抉り込められていた。
自身の腕より太い氷の槍に串刺しにされながら、それでも尚、ロザリーは動いていたのだ。
「――はぁっ、ほんと、私たち、お似合いだと思いません? おなかに穴が空いてるのまでそっくり」
「て、てめっ……」
組み付いてこようとするのを必死に引き剥がそうとするリットル。
しかし、その間にも腹の傷を抉るようにグリ回され、激痛がリットルの腕から力を奪っていく。
「致命傷を受けても、私たちレコンキスタドールは動けるように訓練されてますの。首が飛んでも数秒間は戦える自信がありますわぁ――油断、しましたわね!!」
耳元で囁くように、やがて大声でのたまってみせ、そのままソードメイスごとリットルの身体を蹴りつけ、大きく跳ぶ。
自身を狙って跳んできた矢をかわすや、お返しとばかりにカレンに向けモーニングスターを投げつけた。
「うあっ――」
予想外の回避、そして反撃に、カレンは回避が間に合わず鉄球の一撃を肩口に喰らってしまう。
「ふふん。可愛い勇者さん。『次』があったらきちんとここを狙うんですのよ? 脚なんて狙ったって、私たちにはヒーリングがあるのですから!」
痛みに苦しむカレンを見やりながら、ロザリーは自身の頭を指差し、皮肉げに笑っていた。
『メギド!!』
離れたロザリーに向け放たれる炎の渦。
「くぅっ、まだ動けるなんて――これ以上は無理かっ」
身を焼かれながら、炎に巻かれたまま走り出したロザリーは、やがて、そのまま姿を消した。
「くそ、逃がすか……ぐぅっ」
「司令っ!」
追撃しようとしていたリットルは、しかし腹部を押さえ、うずくまってしまう。周囲の光の弾が、やがて薄れ消えてゆく。
カレンがなんとか駆け寄るも、既にリットルの意識は落ちてしまっていた。
逃げ去ったロザリーがどこに向かったのかは解らないながら、既にそれを追いかけられるような状況でもなく。
これが元で、軍勢は一旦帝都へと戻る事となってしまっていた。
シュニッテンの戦いはこうして短期的に終着を迎えた。
南部諸国連合はその投入戦力のほぼ全てを喪失。
帝国軍は司令官リットル、及び副官カレンをはじめ本陣詰めの指揮官達が揃って戦闘不能に陥るという手痛い打撃を被り、結果として両者痛み分けという形になってしまっていた。
この戦いによって、女王エリーシャは腹心であるリットルを失ったも同然となり、その心を更に追い詰めてしまう事となった。




