#7-3.シュニッテンの戦いにて2
人間世界中央部・シュニッテンにて。
戦場では、昼夜を問わぬぶつかり合いに、次第に中央、大帝国側の軍勢が押し込まれ始めていた。
南部も投入したゴーレムの約半数が破壊され、歩兵にも大きな被害が出ているが、勢いに勝る南部諸国連合はこれを顧みず突撃を繰り返す。
リットルの指揮は的確であり、押されればその都度対処しようと兵を回し増強、肉厚となった防衛線が南部の軍勢を弾き返すのだが、それの繰り返しで兵の消耗は増してゆき、疲弊が全体の士気を落としてゆく。
序盤こそ士気の高さは均衡していたが、頻発する本陣へのアサシンの単独特攻への警戒で指揮層の神経が磨り減らされていき、それが結果、現在のような劣勢を招いていた。
「あー……あったま痛ぇ」
眠気に揺れる頭を無理に振りながら、リットルは本陣で座り込んでいた。
度重なる奇襲の度にたたき起こされ、眠る暇すらありはしない。
奇襲そのものはアサシン単独の特攻という訳の解らないものだったので被害は0のままだったが、その警戒の為に常時兵を費やしているのと、本陣の面々の不眠が続いているのが厳しかった。
「う……ぅ……」
「カレン、寝てる暇があるなら索敵しろ!!」
椅子に座り、うとうとと居眠りしそうになっているカレンに檄を飛ばす。
「ひゃっ――あ、す、すみませんっ」
びくりと跳ね起き、ぱそこんを開くカレン。
可哀想な事をしていると思いながらも、リットルは深くは気にせず全体を見回す。
――見るからに疲弊していた。
(あーあ、神経戦になるとは思ってたがここまでとはなあ。このまま戦っててもジリ貧か――)
シュニッテンから先にも、防衛戦が可能な地域はいくつかある。
ここを明け渡したところで帝都までの道のりは決して近い訳ではないのだが、撤退を渋らせる理由もいくつかはあった。
「リットル様、敵の分隊がいくつか、大きく離れ東へと進んでいます。このままいくと水源地帯に――」
「追撃しろ、敵の隠密性は高い、ここで見失えば探すのは困難になるぞ!!」
その一つは、敵が多方面に侵攻しようとしていることである。
軍団単位の大多数は今、正面からぶつかりあっている。
だが、分隊、小隊単位の小部隊はこちらの本隊や斥候を避けるように迂回、後方へと回り込もうとしたり、全く関係のない地域へ移動しようとしていた。
これを繰り返されれば、場合によっては大帝国以外の中央の小国が攻撃を受けたり、間者がもぐりこんでしまう事へと繋がりかねない。
進もうとする先が水源地帯なのもあり、何か別の策略を実行しようとしている可能性も考えられた。
いずれにしてもこれらを警戒するなら、ここから退く事はできないのだ。
「敵の歩兵部隊、損耗率が回復しています……傷を与えた先から回復されているとの報告も」
「敵の詩の所為で前線の士気が下落しています。このままでは――」
もう一つは、敵の聖人が発動させる『奇跡』の存在であった。
奇跡とは、徳の高い者が神へと祈る事によって発動させる事のできる魔法のようなものであるが、魔法と異なり、受ける側にこれを防ぐ手段がほぼ存在しない。
よくある奇跡として、傷つき消耗した兵を心身ともに癒す『癒しの奇跡』。
一兵単位の基礎身体能力を大幅に向上させる『天の加護』。
信仰心をもたぬ者に対し天の足枷を嵌める『天罰の鎖』などがある。
魔族相手ではないので奇跡そのものの攻撃性は低いものの、倒したはずの兵が即座に復活して戦いはじめるという、中央では例を見ない戦い方をしてくる敵に、歴戦の猛者揃いのはずの帝国兵らは困惑と絶望を感じ始めていた。
更にこれに拍車をかけるのが『神聖詩』の存在である。
戦地のいたるところで勇壮な行軍詩が響き、その勇ましい雄たけびを聞いた南部の兵らは見る見る間に士気を高めていった。
またある時は可憐な賛美詩に心だけでなく傷ついた身体まで癒されていくのだ。
そして、帝国兵が恐れるのは絶叫さながらの悲哀の詩である。
その叫びが何であるのか理解した時には既に遅く、悲痛な謡声が常時耳から離れず、兵はその力を最大限に発揮できなくなってしまう。
奇跡ほど瞬時に効果を発揮する類のモノではなく、発現する効果も人によってまちまちではあるが、その効果範囲が非常に広く、謡う聖人によっては一個軍団まるまるがその効果範囲に収まる事もあり、無視できない要素となっていた。
実に厄介な事に、この奇跡と詩の組み合わせのせいで敵の進軍速度は大幅に上昇しており、仮にここで撤退の判断を下したところで、逃げ切るまでに失う損失は生半可なものではない。
結果、じわじわと押し込まれてはいるもののそのまま戦い続けるしかない、という現状に落ち着いていた。
面白くない話ながら、ここで動かず退かずを続けるしかないのは解りきっているので、問題はそれをどう逆転するかであった。
リットルは難しげに顎に手をやり、傍らに座るカレンを見やる。
「……カレン、敵本隊の位置は?」
「魔力消費濃度から見てほとんど変わっていませんね」
「こっちの斥候部隊の生存数」
「ほとんど生き延びています。襲撃を受けた隊は後退してましたけど、敵を振り切ってすぐに復帰していますので」
問うことに対しては即返答が返ってくる。実に優秀な副官であった。
「実に結構。それでいい」
それ以上言う事は無かった。作戦は既に始まっている。現状から変更すべき点は何も無い。
神経戦になるのは『最初から解っていた』ことなのだから。
祈りを捧げなさい。
人々は貴方と共にあると。
願いを込めなさい。
貴方がたの可愛い我らを救いたまえと。
愛は人を癒し、恋は人を強くし、憧れは人を成長させ、希望は人を逞しくする。
敵を見なさい。味方を見なさい。ここにいかほどの違いがあるというのでしょう。
マーチを刻みなさい、ヒュムノスを広めるのです、バンシーの悲痛な叫びを聞かせて差し上げましょう。
人々よ耳を貸しなさい。人々よ詩を聞きなさい。
これは鎮魂の詩。我らの敵が滅びるための詩。
これは勝利の詩。我らが敵を滅ぼすための詩。
我らは等しく戦い生き、そして死んでゆくのです。
死すらも神から賜る優しき救いなのです。
次の救いの為の、安らかなる次の朝の為の夜なのです。
全ての微笑みを女神へと捧げなさい。
全ての苦しみを女神へと捧げなさい。
私は貴方達を決して忘れない。
私は貴方達を決して忘れない。
世界は決して、貴方達を忘れはしない。
さあ、謡いましょう。
人々の為、世界の為、神々の為、そして他ならぬ、愛しき神の子である貴方達の為に。
ただ一言、祈りを捧げながらに呟くのです。
――女神よ、我らを見守りたまえ、と。そうあれかし、と。
円陣の中、その中心に跪く真紅の修道服の聖女。
その謡声は美しく響き渡り、囲む兵達の心へと刻み込まれていった。
心に溶ける様に染み込んでいった言葉に、時に震え、時に涙を、嗚咽を漏らしながら、彼らは告げる。
「――そう、あれかし」
聖女の言葉を肯定するように、それを強く願う言葉を唱え、兵達は立ち上がる。
晴れ晴れとした、何かを覚悟したかのような顔で。
全ての迷いがなくなったように、美しいもののように、彼らは笑っていた。
「往きましょう。すばらしい次の明日の為に」
聖女は立ち上がる。ヴェールを取り払った為か、長い金髪が風に揺れる。
南部のそれとは異なった、砂の舞わぬ心地よい風が、戦場に流れていた。
「目標、敵本陣――攻撃開始!」
聖女の、ロザリーの言葉と共に、円陣を囲んでいた兵達が一斉に敵本陣目掛け駆け始める。
届くはずの無い突撃。命を無駄に散らす特攻。
これに戦術的な意味があるとするなら、敵の心理を挫くという効果が期待できた。
自分と同じ姿をした生物が命を捨てながらに突っ込んでくるというのは、生身の人間からして見ていて良い気分にはならない。
ガリガリと心のバランスはすり減らされ、それが戦場という狂気の場であるが為致命的な隙を作ってしまう。
アンデッド相手でそうした敵に慣れている南部の兵はともかくとして、ある程度のモラルに収まった戦いしか経験していない中央の兵に、それを耐える術は無いはずであった。
そうして歩兵が作った隙をゴーレムがこじ開けていく。
温存していた精鋭が突撃し、内部を破壊できればよし。
それでも尚隙を見せないなら、そのままじわじわと前線を喰い破ってやれば良い。
数の上で劣ってはいても、戦術面ではこのように圧倒できる要素があるのだ。
戦とは、始まってみなければ解らない。