#7-2.悪魔王の望んだ理想
「我ら魔族は、初代魔王アルフレッドによって創り出された生物なのだ。アルフレッドがかつて人として生きた時代にあった、物語の中の幻想や原初の悪魔、それらをモチーフにして作られている」
滑稽だろう? と、黒竜姫の顔を見つめながら笑う。
「我ら悪魔族、とりわけ大悪魔族として分類される者達は、その中でも特に力の強い『魔神』を元に生み出されたのだという。今の時代には存在していないが、強大な力によって人々の心を支配し、崇拝する者には多大なる恩恵を与えていたのだと聞く」
「……まるで物語の中の神か何かのようだわ」
「神とは違うな。神とは世界を構成しているシステムを操作する事が出来る存在に過ぎぬ。魔神は違う。あらゆる生物の上位的存在であり、王や領主のような存在でもある。故に、全ての生物から搾取し、それに報いを与える権利を有する」
ここが大事なのだ、と、ヤギ頭の口を大きく開きながら。俯いたままの黒竜姫に、再び近づく。
「我らはそれをモチーフに創られた。ならば、モチーフに近づきたい、そのままの存在になりたい、と願うのは不自然な事でもなかろう?」
彼らは所詮、贋作である。魔族とは所詮、創り物であった。
ならばオリジナルに近づきたいと、本物になりたいと願うのは、なるほど黒竜姫にも納得の出来るものであった。
静かに頷いて見せた黒竜姫に、ヤギ頭は愉快そうに口元に手をやる。そのまま通り過ぎる。
「同時に魔族の役割、この世に生み出された理由を知っているかね? 我らは何故ここにいるのか。何故この世界に創り出されたのか、を」
「……知らないわ」
「まあ、そうだろうな。それを知る事は容易ではない」
背あわせになり、互いに振り向かず、悪魔王の講義は続く。
黒竜姫も、その先知りたさに動かず、言葉を待った。
「それはな、人間という、この世界を支配する生物の、恒久的な敵となり続ける事だ。ただそれだけなのだ」
「……恒久的な敵に?」
「そうだ。アルフレッドは願ったのだ。この世界に、終わる事の無い戦いを。そうして戦い続け、疲弊し続ければ、人々はささやかな合間、わずかばかりの平穏に無上の幸福を感じるようになる」
大仰に手振りしながら、悪魔王は振り向いた。
興奮しているのか、背を向けたままの黒竜姫に向け、声は次第に大きく、強くなってゆく。
「解るか? 何故我が反旗を翻したのか。世界を平和になどされては、我ら魔族の存在意義がおかしくなるのだ! 魔族は、人と争わねばならぬ。でなくては、この存在が嘘になってしまう!」
「存在理由がなくなるのを恐れて、陛下に抗おうとしたの?」
「あの男は事もあろうに人間と手を組もうなどと考え始めた。創造主たるアルフレッドの思惑を外れ、その枠組みを破壊しようと目論むようになった。これは許される事の無い悪逆。創造主に対しての反旗である!!」
そんな事は悪魔の王である自分には看過できぬのだ、と、憤りを表に出す。
「……でも矛盾しているわ。貴方は原初の魔神になりたかったのでしょう? なら、人間の上に立とうとしていた貴方がそれをどうこう考えるのはおかしいわ」
悪魔王の理想と実際に取っている行動はおかしいと、黒竜姫はその矛盾を突く。
しかし、振り向いた先に立つ悪魔王は、動じる素振りも見せずヤギ面の口元をにぃ、と開く。
「そんな事は無い。魔族と人とが争い続け、かつ我が人の上に立つ、その方法は先人が立証してくれている」
「先人……?」
「他ならぬ創造主アルフレッドがな。初代の魔王がそれをやっているではないか。魔族の中では魔王として、そして、人間の中では魔族との戦争を煽る指導者として、二つの相反する役割を果たしていたではないか?」
それは、魔族の歴史と人の歴史との大きく矛盾する一点であった。
魔族で言う初代魔王とはアルフレッドを示す。
だが、人間で言う初代魔王はヴェーゼルであり、紀元の起こり、ともすれば人間達が当初戦っていた魔王も、このヴェーゼルであるとするのが正当な歴史の扱いであった。
つまり、人間達の歴史の中に『魔王アルフレッド』は存在していない。
なぜなら、アルフレッドとは魔族との戦いで頭角を現した『人間の英雄』の名なのだから。
「我は、創造主になりたいのだ。我ら魔族の究極が、理想が、根源が、そこに濃縮されている。そこに至る事が出来れば、と、ずっと考えていた――」
「その理想の為に、陛下は邪魔だった訳ね」
「邪魔であった。当初こそ共有できる思想を持っていると思っていた。共に行けるならこの上ないパートナーではないかと思ったが……所詮は俗物であった」
つまらぬ男よ、と、ヤギ頭は吐き捨てる。
黒竜姫はピクリと身を震わせたが、それきり。
やはり、怒りをぶちまける事なく、動かずにいた。
それを見て本当に芯まで心が折れたのだと認識したヤギ頭は、再び背を向け語りだす。
「道の差など些細なものよ。故に我は部下どもも信頼はしておらぬ。現にウィッチは裏切り、他のモノどもも――我ではなく、アルドワイアルディに心酔していたに過ぎなかったようだし、な」
その背には若干、哀愁のようなものが漂っていた。
王は、ここにあり孤独だったのだ。
「所詮魔族などこうなのだ。行き過ぎた個人主義が集団をまとまりにくくさせる。魔王とはそのようなバラバラになった魔族をまとめるための一本の杭に過ぎぬ。一つのシステムに過ぎぬ存在が、全体をどうこう考え、行動すべきではないのだ」
魔族の盟主、魔王に求められるのは、ただひたすら戦争を先導し、戦い続けること。
政など考えずともよい。ただ戦争をしてくれればそれで良いのだ。
人を殺し続ければ良い。人を圧迫し続ければ良い。
それは魔族の存在意義に、定められし理に悖らぬ姿なのだから。
「綺麗事ではないのだ。正しき流れというものがある。これを傷つければ、後には押さえのつかない混沌が生まれ、やがてそれは滅亡へと進んでしまう。あの魔王はそれを解った上で進めようとしている。わざと、世界を壊そうとしている」
「でも、貴方には陛下は殺せないわ。排除しようにも無理でしょう。反乱は、もう終わったわ」
魔族世界を混乱に陥れた反乱は、しかし既に収束しようとしていた。
時間の問題である。ここからの巻き返しは不可能と言ってもいい。
「そうだろうな。あの男は我には手に負えぬ。故に――殺しうる存在と手を組む事にしたのだ」
そのようなどうにもならぬ状況下にあって、しかし、ヤギ頭は余裕の様子であった。
何がそこまで余裕をもたらしているのか。
気になる部分はあるものの、黒竜姫はヤギ頭の言葉を待つ。
「金色の竜という者がいる。先代の吸血王が殺され、黒竜翁が戦意喪失し、そして、我が父上が大恥を掻く羽目になった相手だ」
「――金竜エレイソン」
「その通りだ。人間世界の北部にて宗教を興していたな。姫君の妹もいたが、今はどうなっているか――」
「なんですって……」
双子の妹の事を前に出され、黒竜姫は俯いていた顔を起こす。
にやついた顔のヤギ頭が、慇懃に手を差し出してきた。
「クク……あの魔王の理想など、そう容易くは実らぬという事だ。さて、姫君よ。どうする?」
ヤギ頭は、一種の確信を持っていた。
心の折れた若い娘が、どのような選択をするのか。
妹の名を出され、心揺すられ、何を考えるのかを。
魔族とは心儚き生き物である。自分も含め、揺すりにはとことんまで弱い。
一度折れた心は容易には戻らぬ。壊れた心は死ぬまで修復される事は無い。
「――っ」
案の定、黒竜姫は手をそろそろと持ち上げていくではないか。
そのまま彼女の顔ほどの掌に手を置けば、それでもう終わりである。
言うがまま動く駒が一人生まれる。絶望的な状況など何処にも無い。
都合よく働く駒など、このようにしてどこででも増やせるのだから。
「調子に――」
しかし、黒竜姫はぴたりと手を止め、掌をヤギ頭の正面へと向ける。
「な――」
何故? その疑問を抱いた直後、傷一つ無い綺麗な掌からは、光が溢れ――
「――乗るな!!」
ヤギ頭の胸に、巨大な風穴を空けていた。
「ぐっ――ふぉぁっ――」
突然の事に何が起きたのかも解らず、痛みに呻く悪魔王。
黒竜姫はバックステップで距離を取り、更に第二射を構える。
「心が折れたフリをしてれば時間が稼げると思ったけど――思った以上に喋くってくれたわね!! このヤギ頭!!」
悶え苦しむヤギ頭に、構わず二射目を放つ。
巨体を覆うような光の一撃に、ヤギ頭はその巨体を揺るがせた。
「ぐはっ――うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
予想外。彼にとってこれは、実に予想外であった。
心折れたと彼が思いこんでいたのはただの演技。
単に精神を集中できるまで余裕が生まれるまでの時間稼ぎに過ぎなかったのだ。
黒竜姫としてもここまで上手くいったのは予想外であった。
言葉で責められ続ければ揺るがされ何も出来ないままであったが、都合よく話題逸らしに成功。
それどころか謎ばかりだった反乱の理由まで話してくれたのだ。
更に不意打ちまで成功し、ヤギ頭は今度こそ倒れ、もんどりうっていた。
「貴様っ、きさまぁぁぁぁぁぁっ!!!」
その身を泥へと溶かし、粘液状にばらけさせながら黒竜姫へと向かう。
幾重にもなって飛び交い、再び黒竜姫を捕らえようとする。
だが、それは既に移動し終えた黒竜姫の残像に過ぎず。
「あぁっ!?」
「滅びてしまえこの外道!!」
背後からモロに浴びせられた光に飲み込まれ、そのまま悪魔王は――
誰もいなくなったその場で立ち尽くす黒竜姫。
息は荒く、頬には幾筋も汗が流れていた。
「……はぁ――っ」
一際大きく息を吐くと、くったりとその場に膝を付いてしまう。
(あいつがこんな程度で死ぬとは思えないけど……とりあえずは――)
朦朧とする意識の中、なんとか放った破壊魔法であった。
精神的にダメージを受けていた黒竜姫にとってはかなりの過負荷。
それでもなんとか意識を保ち、呼吸を整えようとする。
呪いそのものはなんとかレジストできたが、呪いがその身体にもたらしたショックは多大なものであった。
気だるさと吐き気、強烈な眩暈。
身体の震えこそ収まりはしたものの、依然その苦しみからは逃れ切れておらず。
黒竜姫は、しばしその場でうずくまっていた。
それを、遠くから見守る影があった。
箒片手に、静かに佇む小柄な影。
赤いとんがり帽子を風で押さえつけながら、うずくまる黒竜姫を遠目に見、そして背を向け歩き出す。
(さすが黒竜姫様。呪いを受けた時はどうなるかと思ったけど、私が手を出す必要もなかったわね)
満足げに息をつきながら、目を澄まし嬉しげに口元を綻ばせながら。
赤い帽子の彼女は笑うのだ。
(まあ、悪魔王は……どうも本体でもなさそうだし、まだ何かありそうだわ。ネクロマンサーに教えないと)
気を取り直してきり、と口元を締め、その場から転移する準備を始める。
(アーティ達はあの子が保護したから問題ないでしょうけど、そうなると後は――)
考えを巡らせながら、胸元のブローチを握り締め、イメージ。
転移先はエルヒライゼン。今の主、ネクロマンサーの元へ。
わずかばかりの風に金髪が揺れ、その場から消え去った。