#5-3.エルリルフィルスの告白
そこは、魔王城の一室。
天幕に飾られた豪奢なベッド。
見覚えのある光景に、見覚えのある顔があった。
「用事と言うのは、何かな?」
そして彼は、ベッドに横たわるその女性を前に、帽子を手に取り、人形を肩に乗せ、そう悪くない顔で対面していた。
ベッドに横たわっているのは誰か。よく見知っていたはずの六翼の女悪魔ではない。
だが、確かに見覚えがある。知っている顔だった。そう、最近まで時たま見ていた顔だ。
「全てを、思い出しました」
胸に生まれたばかりの赤子を抱きながら、彼女は呟く。
口調はそれまでの彼女とも思えないような、静かで、それでいて品を感じさせていた。
ただやり切れなさそうな、辛そうな表情で、彼を見ていた。
「――そうか。人間時代の記憶を。大賢者だった頃を思い出したか」
そうして、まだ魔王ではなかった彼は、伯爵は、顎に手をやりながら思案顔になるのだ。
「いいえ。エルフィリースとなる前の記憶も取り戻したのです」
そうして、彼女は正面から伯爵の瞳をじ、と見つめる。
「私は、大帝国アップルランドの皇女、タルトでした」
はっきりとした言葉で、そう告げた。
音のない部屋の中、沈黙が時を止める。
「どういう事かね?」
沈黙の意味は疑問。伯爵には、彼女の言葉の意味が理解できないでいた。
当然である。彼女の言う『アップルランド』には『タルト』などという皇女は存在していない。
そも、彼女が魔族化する以前、エルフィリースであった時点では、アップルランドなど影も形もないはずである。
「『次元複製転移魔法コールドスリープ』。私は、これによって複製されたこの世界の大元から、やってきたのだと思います」
「……ほう。それは中々興味深いな。アレは誰にでも使える代わりに、創造物が扱うには致命的過ぎる欠陥が存在していたはずだ。紀元前の魔法使いたちですら修正できない欠陥が、ね」
生命力のことごとくを失い、残りの寿命全てを消費して行使する、世界を複製する為のコマンド。
わずかな生命力と寿命しか持ち合わせていない人間には、過大すぎる消費コストに耐える事は出来ない。
「ええ。貴方達『魔王』なら気にならないでしょうが、私をこの世界に飛ばした張本人は、直後にその命を使い果たしたらしいです」
皇女を名乗った魔王の言葉に、伯爵は眉をひそめる。
「よく自力でその域にたどり着いたね? 君の持っている知識では、『魔王』がなんたるかまでは解らないはずだと思っていたが」
「この身に流れる魔王すら圧倒する力、その源流たる貴方の正体を考えれば、そこにたどり着くのは難しくなかったですわ。幸い、この世界に至るまでに自力で獲得した知識の中に、貴方の情報がありましたから」
答えは意外と近くにあったのです、と苦笑しながら。
皇女タルトは、伯爵が言葉を挟む暇も与えず続ける。
「そうして同時に、私は過ちにも気づいてしまいました」
「過ち? 人の身でありながら魔王となってしまったことかね? それとも――」
「――もうすぐ、『私』がこの世界に生まれますわ」
伯爵の声を遮るように、タルトは言葉を紡ぐ。
それきり、伯爵はまた、何も言えなくなってしまう。
流れは完全にタルトに制御されていた。伯爵はその支配下に収まってしまっている。
「そして、もう一人の私はすくすくと育ち……やがて、この子とお友達になる」
抱きかかえていた赤子を伯爵に見せながら、静かにため息を吐いた。
「この子の名はエリザベーチェ。愛称はエルゼ――そう、エルゼさんだったのです」
「どうも――さっきから君の言葉を聞くに、君は、もしや未来から――」
「仰る通りですわ。私は、今から二十年ほど後の世界から来たようです」
なんとも壮大な話で、伯爵も頬を伝う汗を隠せずにいた。
だが、タルトの瞳はまっすぐで、以前までの淀みも歪みもない。ただ、伯爵の瞳を覗きこむように見つめていた。
「前から何度か、前触れも無く激しい頭痛に見舞われる事がありました。決まって勇者ゼガと戦う際に。繰り返していくうちに『何かがおかしい』と感じ始めた矢先に、この子の愛称を考えていた時に、ふいに全てを思い出したのです」
「その……未来の君は、その子とどのような経緯で……?」
「それもおかしな話ですわ。私が必死になって殺そうとしていた勇者ゼガの一人娘が、未来の私が姉と慕っていた方。そうして伯爵、貴方はその姉様の伯父を名乗り私の前に現れた。エルゼさんを連れて」
「……私が? その子を連れて?」
「ええ。どういう経緯でそうなったのかは私が貴方に聞きたいくらいですが。その顔を見る限り、今の貴方には心当たりはなさそうですね?」
静かに微笑む魔王に、伯爵は心底困ったような顔をしていた。
本当に覚えが無く、仮に未来の話だったとして、そうなるところが全く想像できなかったのだ。
何より全く関連性が無い事だらけだった。
彼には、この魔王と戦っていた勇者とも、当然その娘とも面識などなかったのだから。
「解らんなあ。何故私がそんなことを――」
「まあ、解らないことは良いですわ。貴方の事です、きっと必要があってそうしていたのでしょうから……」
その辺り信頼はしているらしく、タルトは静かにこくり、頷いてみせる。
「ただ問題がありまして。私の記憶する未来に、マジック・マスターは存在しないのです」
「……うん?」
「ですから。私が生まれた丁度その年に、魔王マジック・マスターは崩御してるんです」
こんなにぴんぴんしてるんですけどね、と。苦笑しながら。
タルトは困ったことを言い出した。
「つまり、何かあって君が死ぬかもしれないと?」
「何か、というより、死ななければならないんです。私は」
じ、と、伯爵を見つめる。わずかばかり時が経つ。
「これはただの勘ですが、同一世界、同一時間軸に全く同じ魂を持った者が存在する、というのは、マクロ的に見てとても危ういことなのではないでしょうか?」
「ん……まあ、そうだね。本来ならありえない現象だが、創造物の中にも稀にだが、君のように過去や全く同一の世界に転移してしまう者はいるらしい。そうした場合、その世界は大規模なエラーを吐き出すようになるという」
目にした訳ではないが、と、伯爵も思い出すように語る。
「そう、私は貴方達のような『創造者』の側にはなれそうにないですから。つまり、このままではそのエラーという現象が発生しかねないのです」
それは不味いことなのでしょう? と、タルトは結論を伯爵に投げる。
「相当不味いね。魂の重複が起きた世界は、矛盾を無くす為に類似・近似している魂全てのデリートという結論を弾きかねん。連鎖反応の規模次第では、人類絶滅も有り得るな……」
世界レベルの力技であった。さすがのスケールに、タルトも息を呑む。
「つまり、君がこの先生きるようなら、生まれるはずのタルト皇女が生まれる前に、いや、魂が定着する前に、母体の方を殺さなくてはならなくなる」
「……いくら魔王になったからと言って、生まれるはずの自分や自分を産んでくれた母様を殺すような真似はしたくないですね」
「まあ、そうだろうなあ」
つまり、結論はもう決まってしまっている。
解っていたのだ、彼女には、自分の死因が。何故、自分が死ぬのかを。
「伯爵、貴方に力を返却したいのです。あの時、デルタで死を待つばかりだった私が生き永らえる為に与えられた力。その全てを」
「――正気かね?」
解っていても、やはり伯爵には、こう聞かずにいられなかった。
自殺行為以外の何物でもない提案なのだ。
彼女が生き永らえているのは別に魔族化したからではない。
伯爵の絶大な魔力の大半を受け継いでいるからである。
その力の性質によって副次的に生かされているに過ぎない彼女が、その力を返せばどうなるか。
「私は、結局この世界を平和にできませんでした。この子との約束も果たせなかった。それどころか、災いの種ばかりをこの世界に撒いてしまいました」
寝入ったままの赤子の頭を愛おしそうに撫でながら、タルトは語る。
「ふふっ、こんな可愛い子が美しい娘に成長して、自分の親友になるんですよ。未来の自分はそんな事も知らずに親交を結んで……そうしてやがて、この子と別れなくてはならなくなる」
次に会えたのが赤子として。しかも自分の腹の中から生まれてくるのだ。
ソレに気づいたのが愛称をつけた時。
もはや数奇という言葉では現せないほどに皮肉を極めている。
「遠からず、私の慕う姉様の父である勇者ゼガは戦死します。彼の死ぬ場所は、人間世界で言う『夜の領域』。つまりエルヒライゼン」
「……私の領地じゃないか」
「ええ。何かあって貴方が離れない限り、恐らくは、貴方が殺すんでしょうね」
そう考えると、これもやはり因果であった。
自分の決定によって領土を任せたのに、これが元で勇者ゼガは死ぬのだ。
「それが解っていても、事前に私の領地を変えようとは思わないのだね」
「ソレはソレで都合が悪いのです。貴方が他の領主達に目を付けられるようになってしまう。貴方はあの僻地にいるからこそ、誰からも相手にされずに済んでいるのです」
「そして、その采配が、また君を苦しめている、という事か」
「そういう事ですわ」
がんじがらめです、と、眉を下げるタルト。
伯爵も肩をすぼめてしまう。どうにもならないのではないかと、閉塞感を感じていたのだ。