#3-2.クロスロード2
「では、また先ほどのように。疲れるでしょうから、そのまま腰掛けていてください」
「……ええ」
言われるがまま、ミーシャは胸の前で手を組み、目を閉じる。
そうしている内に、背中に温かな感触。
少しハーブの香りが混じったふんわりとしたいい香りが、ミーシャの鼻先を甘くくすぐる。
(……アーティさんの髪、すごく良い匂いなのよねぇ)
一体どんな香油を使っているのやら。そんな、戦闘と関係ない事を考えながらリラックスする。
つとめて、そうする。
やがて、服の中、ヘソの下辺りにアーティの手が直に触れる。抱きしめられる。
ぎゅ、というか弱い感触と共に、熱いくらいの何かが体内に流れ込んでくる感覚を、ミーシャは感じ取っていた。
(始めますよ)
アーティの顎が肩に乗る。また、耳元で囁いてくるのだ。
「……こそばゆいわ」
(我慢してください。それより急いで。最上位魔法の発動には時間が掛かります。すぐに精神集中を)
「あ、ごめ――うん、大丈夫よ」
これは必要なことなのだから、と、握った手に力を込めて。
ミーシャは魔法を発動させるシステムへと没入していった。
(雷よ天より注げ、電よ地より繋がれ。天と地は今、共にある)
「雷よ天より注げ、電よ地より繋がれ。天と地は今、共にある」
詠唱の最中、どごん、という巨大な音が、館の外から聞こえてくる。
ミーシャはびくん、と背を震わせるが、アーティの手がより強く腰を締めるのを感じて、平静を保とうと心がけた。
(生命を誘う天空よ、生命を育む天土よ、その力を我が下へ――)
「生命を誘う天空よ、生命を育む天土よ、その力を我が下へ――」
普段口にしないような難しい言葉に噛みそうになりながらも、それでもアーティの言葉を違えずに復唱していく。
(雷よ、電よ、大地に流れ、天を割れ――)
「雷よ、電よ、大地に流れ、天を割れ――」
『サンダーストームっ!!』
耳を爆じくような強烈な音の暴力。
そうして、幾重にも繰り返される光の明滅。地響き。
発動された魔法は確かに館の周囲へと、魔法陣は天と地の双方に展開されていく。
やがてその間に立った者達目掛け、天からも、地からも光のラインが溢れ、弾かれる。
もはや、ケダモノのような悲鳴すら聞こえない。
多くの生物にとって、落雷のショックは耐え難いほどのダメージとなる。
大体は即死。耐えられたとしても満足に意識を保てる者などそうはいない。雷の一撃で意識を持っていかれる。
運よく直撃を免れた者も、周囲に立っていればその衝撃波と空気の振動、地を這う電に中てられてしまう。
サイクロプスの巨体など訳もない。魔物兵がどれだけ多かろうと一網打尽。
中級魔族程度では抵抗すら敵わぬほどの膨大な出力。
館の中にいてすら解る、空気に伝わるバチリ、バチリという音。
魔法が消えて尚、大地には、その余波が残っていたのだ。
(――サーチアイを)
「あ、うん……サーチアイっ」
その音の、光のあまりのすごさにしばし呆然としていたミーシャであったが、アーティは冷静であった。
これで終わりならいい、終わりでないなら、まだまだ魔法を展開しなければならないのだから。
映像魔法を発動させたミーシャ。アーティは小さく吐息する。
「ひゃうんっ!?」
それが首筋に当たり、ミーシャはびくん、と大きくのけぞってしまった。
「あっ――」
「――痛っ」
それがいけなかったのか、ミーシャの魔法は失敗に終わり、バチン、という音と共に発動した魔力がミーシャの身体に逆流していってしまう。
幸いそれ自体は大きなものではなく、ミーシャの手の甲に火傷の痕を残した程度であった。
「ごめんなさい、私っ」
それは、アーティにとってはただならぬ事。
自分の所為で友人に怪我を負わせてしまったこと、そして、その集中を削いでしまったこと。
二重でショックとなっていた。
「うぅ……大丈夫。大丈夫よ、これ位。気にしないで。それより、精神を集中させないと」
焼けた手を振り回しながら、ミーシャは若干涙目になりながら、それでも舌を出し、務めて気にしないように振舞う。
「……はい」
自分の所為で。そう思いながらも、ミーシャの振る舞いにその覚悟を感じ、意識をまとめていった。
「敵の姿は……うわ、ひどい……」
(どうかしましたか?)
「なんか……死屍累々って感じで。焦げてたり、火が付いたまま焼けてたり……なんか、思ったよりエグい……」
(……偵察を続けてください)
「うん……戦いだもんね。敵なんだから、仕方ないってわかるけど……」
サーチアイを発動したものの、先ほどまでと様子の異なるミーシャに、アーティは若干の不安を覚え始めていた。
ダルクフレアは、瞬時に敵を焼き溶かしてしまうため、後には白くなった消し炭しか残らない。
それに対し、サンダーストームはその当たり判定にもダメージ判定にもムラがあり、それが余計に悲惨な光景を作り上げていたのだ。
「あ……今、倒れてる魔物が動いた」
(見えていますね?)
「う、うん、見えてるけど……」
(エアロカッターを。瀕死の魔物兵位なら一撃で沈められるはずです)
「うぇっ?」
なんで? と、ミーシャは一瞬、後ろを振り向きそうになってしまう。
(エアロカッターを)
しかし、アーティがそれを許さない。
「でも……だって、もう動けないみたいだし……」
(解りませんよ。種族によっては時間の経過で無傷に近い状態まで修復する者もいますから。放置して、いつの間にか接近されていたら困ります)
一方的に敵を嬲り殺しているように錯覚してしまいそうだが、実際にはこれは非常に高いリスクの元成り立っている防衛戦であった。
アーティもミーシャも、共に敵に接近された際の対処がほとんど取れない。
いかに無名の魔物兵といえど、その腕力は間違いなく強力なものであるはずで、二人にとってそれは見逃すことの出来ない脅威であった。
なので、アーティははっきりと言ってのける。
(ミーシャさん。とどめを。忘れないでください。私達は、あまり余裕が無いのです)
「うぅ……わ、解ったわよっ」
やりたくないのに、そんな酷い事をするのは嫌なのに。
だが、そんな心とは裏腹に、確かに放置するのは危険だと、そう認識している自分もいて。
ミーシャは複雑な心に苛立ちを感じながら、手を前に突き出す。
『エアロ――カッター!!』
サーチアイで見えていた魔物兵は、その瞬間、何も無いところから突如現れた風の刃に切り刻まれ――ただの物言わぬ肉の欠片となっていった。
「うぐっ――」
それをはっきりと目の当たりにしてしまったミーシャは、思わず口元と腹を押さえる。
「ミーシャさん?」
「ぐ……ぐぅ……見ちゃった。人が死ぬの、見ちゃった――」
別に目が合った訳ではない。断末魔が聞こえた訳ではない。あれは魔物で、人ではなくて。だけれど。
ただただ無機質に肉が弾け飛んでいくのを見て、ミーシャは、今までに無いほどの気分の悪さを感じていた。
「やだ……死ぬのなんて、見たくなかったのに……」
「ミーシャさん――」
今までの不安が、恐怖が、一気に噴出してしまうのを、ミーシャ自身も抑えきれなくなっていた。
わずかばかり時間が経過した。
シン、と静まった館の中、ミーシャはただ、俯いて肩を震わせていた。
自分のしてしまった事、今までしていた事がどういう事か、目の当たりにして初めて実感していた。
別に覚悟が無かった訳ではない。自分が生きるために他者を殺している事は、頭では解っていた事のはずだった。
そもそも、自分がアーティに師事していたのだって、何かあった際に生き残れるようにする為だったはず。
なのに、たまらなく怖いのだ。敵が、生物が、ああも容易く壊れてしまう。
そんな強すぎる力を行使できてしまったのが今の自分なのだと思うと、震えが止まらないのだ。
「――ミーシャさん」
思った以上に重症らしいミーシャを、アーティは後ろから強く抱きしめた。
「ミーシャさん。その感覚を、決して忘れないでください」
そうして、耳元で、はっきりとした口調で語りかける。それは、否定ではなく、教えであった。
「魔法とは、便利で万能なモノではありません。使い道を誤れば、その刃は貴方や、貴方の大切なモノにまで降り掛かってしまう。貴方の見たその光景は、決して他人事ではないのです」
後ろからミーシャの手を取る。逆流の反動で火傷のあとが残る手を、強く握り締める。
まるで自分に言い聞かせるように。
「使っているうちに、忘れてしまうのです。慣れていくうちに、そんな事は無いと思ってしまうものなのです。だから、この経験を、心に焼き付けてください。忘れないで」
強く目を瞑りながら。願うように。
それが通じたのか、ミーシャは顔を上げる。
「……こんな事、忘れたくても忘れられないわよ」
無理に笑ったような、ばつが悪そうな顔。
しかし、身体の震えは収まっていた。




