#2-2.教主と女王2
結局、その空気の冷たさを挽回できぬまま、ろくに話すこともできぬまま会談は物別れに終わり、カルバーンは用意されていた客室へと通された。
見慣れた部屋、皮肉にも、シフォンによって軟禁されていたあの部屋であった。
(……同じ部屋なのに、色あせて見える)
楽しかったあの頃。
シフォンとヘーゼルという安寧が、今のこの城にはいない。どこか乾いて感じられた。
聞けば国内のどこかで静養しているだとか、第一子の子育てに専念するために城を離れ相応しい場所で暮らしているだとか、様々な情報が飛び交っているが、いずれも定かではない。
ただ解るのは、魔族との会談を機にシフォンは公式の場から姿を消し、この国の支配者にエリーシャが納まったという事実のみ。
既に、西部の大半は大帝国の手に陥ちている。
『南部とかかわりのある』という名目で攻撃しようとすれば、海のなかったガトー以外の全ての西部国家は海を通じて各地域の国家と交易を結んでいたのだから、逃れられるはずもない。
それがたとえ言いがかりに等しいものでも、人類国家最大の強国が相手では歯向かうことすら許されない。
結果として、北部諸国にとっても有益な存在だった西部諸国は、大帝国によって強烈に圧迫され、その主権を失おうとしている。
このままで本当に良いのか。それが彼女には解らなかった。
ずっと憂いていた姉のアンナは無事だったし、何らかの裏があったかもしれないとはいえ魔族と人とで会談を行ったことそのものは評価できるとも思っていた。
会談自体はそれまでの魔族と人間との歴史にはない、画期的な出来事だったはずで、無為に流れていた血がこれによっていくらかでも軽減できるなら、どちらかの完全勝利という形でしか終わりに出来なかったこの戦争に、別の終わらせ方を模索させる事も可能なのではないか、と期待を抱かせてくれる。
だが、カルバーン個人としてはやはり、母の命を奪った魔王は許せず、憎しみも未だ大分残っていた。
指導者である自分が感情だけで考えてはいけないと思いはしても、やはり、そう易々とは変われないのだ。
エリーシャ体制の危うさもある。
このまま大帝国が侵略を続けていけば、確かに一時期は単一の超大国の下、人類圏がまとまるに違いない。
だが、それは決して完全な平和が完成するという事ではない。
急速に肥大化した国家は、時と共にまとまりが乱れ、やがて内部から蚕食されていく。
元々別の国だったものを無理矢理併合し、協力させ、意のままに操ろうとすれば、当然反発も大きくなる。
遠からず瓦解してしまうだろう。国家は国家の体を成すのが難しくなり、再びバラバラになってしまう。
それによって起きるであろう混乱を考えるなら、エリーシャがやろうとしている事は止めることこそ正しいと思えた。
だが、同時にその本質、それが悪意ではなく、欲望でもなく、ただ一つの何かを目指しているように感じられたのが、カルバーンを迷わせる。
端から見れば野心にまみれた女王のそれにしか見えない彼女の行動が、全てその一心によって支えられているのを、彼女は会談を通じて感じ始めていたのだ。
本当に止めて良いのか。エリーシャの障害となる事が、本当にこの世の中のためになるのか。
個人としての彼女は、教主としての自身とは違う選択肢を選ぼうとしている。
どちらが正しいのか。それが解からない。
そうして、彼女が困ってしまったままくったりとベッドに腰掛けていると、こんこんこん、と、ドアがノックされるのが聞こえた。
何かしら、と、立ち上がり、ドアへと歩く。
確認もせず開けた先には、難しい顔をしたリットルが立っていた。
「……すまん。突然の訪問だが、許して欲しい」
返事も何もなく突然ドアを開けたのだが、驚く様子もなく。
リットルは、カルバーンをじ、と見つめ、出方を伺っていた。
「いいえ。用事があるのね。どうぞ」
本来なら要人とは言えこんな簡単に部屋へと通すはずもないのだが、思うところあって、カルバーンはリットルを招き入れた。
「こうやって顔を合わせるのは二度目ね」
二人がけのティーテーブルに座るように促すと、用意されていたティーポットの中の紅茶を、白いカップへと注いでいく。
腰掛けたリットルの前に静かにカップを置くと、カルバーンも席に着いた。
「ああ、あの時は世話になった。話を聞いてもらえるだけでありがたかったんだ」
ありがとう、と、出された紅茶に口をつける。
香り貴く高価な品らしいが、リットルはそういった風情は気にしない様子だった。
「こうやって顔を出したのは、あんたとの会談がエリーシャにとっても思わしくない結果に終わったからだ。できればもっと建設的な話をしたいと、北部となら話し合いの余地があるはずだと、エリーシャも思っていたんだ」
「つまり、仕切り直しがしたい、という事?」
「ああ。だから帰らないで欲しい。それを伝えるためにきたんだ」
会談続行の為の交渉役。それが今回リットルに与えられた役目らしかった。
「私も、女王の真意を探ろうとするあまり、無遠慮に踏み込みすぎていたかもしれないわ。ええ、女王との会談、こちらとしても続けたいと思っていたわ」
あれは、流れも悪かった。深く入り込みすぎてしまった、と、もしかしたら別の切り口を見つけられれば、会談としては円満に済ませられたかもしれないと、そう思うところもあったのだ。
目的ばかり見ていて肝心の着地点を見落としていたとも言える。
会談の再開は、カルバーンにとってもありがたい申し出であった。
「ありがてぇ。さしあたって、夕食に教主殿を招待できたらという話なんだが……」
「ええ、その招待、喜んで受けるわ」
会談で凍えてしまった双方の雰囲気が、これで少しでも温まってくれれば、次の会談では上手く行くかもしれない。
そういった場としてはうってつけだと、カルバーンは快諾した。
「良かった。断られたら俺の首が飛ぶところだったぜ」
安堵してか、ジョークを飛ばしながら笑って見せるリットル。
カルバーンも釣られて笑ってしまう。
「貴方ほどの側近を、彼女が切るとは思えないわ」
「そうかね? あいつにとっては俺なんて、そんなに大した駒でもないと思うんだがな」
常に女王の配下としてその意を成そうとする彼をして、そのような事を言うのだ。
「貴方以上の駒なんていないでしょう? 彼女はそれをよく理解している」
要人との交渉役に当てるほどなのだ。重用していない訳がなかった。
「それに貴方は――良くも悪くも、自分というものを見失わない人のようだしね。誰に対しても変わりないその態度は、ある意味清々しくも感じさせてくれる。彼女もきっと、そんな貴方だからこそ傍に置くのでしょうね」
「なんかそんなこと言われると照れるな。ほっぺたが赤くなっちまいそうだ」
リットルはにや、と口元を歪ませていた。
そう、それでいい、と。カルバーンも微笑む。
窓の外は、やんわりと緋色から黒へと変わろうとしていた。




