#15-3.消えた塔
「――全く、手間取らせおって」
黒竜城門前にて。
やはりというか、魔王が出てくるのを待ち構えていた反乱軍が五千ほど。
これが今、魔王と黒竜姫、そして人形兵団の足下に転がっていた。
「私が戦えば一瞬で片付きますのに」
つまらないものを見るような眼で元魔族達をみやりながら、黒竜姫がぽつり、呟く。
「救い出した姫君に戦わせるのは、なんか違う気がするだろう?」
魔王的に、それは今一ヒロイックを感じないパターンであった。
だから、魔王は自分と人形兵団のみでこの五千の敵を蹴散らしたのだが。
「そ、そうですか……? まあ、陛下がそう仰るのでしたら私は――」
テレテレと頬に手をあてながら俯いてしまう黒竜姫。
「時間がかかってしまいましたわね」
「髪が血でべとべとですわ……」
「折角の服が……変な体液でどろどろですわぁ」
流石に敵数が多かったからか、人形たちはいささか疲れ気味であった。
身体ではなく、汚れや身体の欠損等から来る精神的な方向で。
「ま、まあ、勝てたから良いじゃあないか。大きく負傷している娘はいないね?」
「歩けないほど壊れてる娘はいないはずですわ。先ほど点呼もとりましたし」
魔王の問いには、人形たちを統率していたアリスが応える。
「うむ、では戻ろう。私も正直、ガラードの相手をした後にこれは少しばかり疲れた」
幸い城の中の黒竜達が参戦してくる事もなく、首尾よくこのあたりの反乱軍も蹴散らせた。
城に戻らなければラミア達がどうなっているのかは解からないが、まあラミアなら上手くやるだろうと、かなりの部分楽観しながら。
魔王達は戻る事にしたのだ。
「……うん?」
そして、違和感はそこにあった。
転送の末たどり着いた先は間違いなく魔王城であった。
門前の兵らは驚いたように魔王たちを見ていたが、城は相変わらず巨大で、荘厳であった。
だが、その隣にあるはずのモノがなくなっていた。
「――塔が」
「楽園の塔が、消えてますわ」
唖然としていた黒竜姫。アリスが呟くも、人形達は皆ざわざわと互いの顔を見合わせていた。
「どういう事だこれは!?」
急ぎ城内に入る。がなりながら。突然の事に苛立ちながら。
エントランスにはアルルが一人。ぽつん、と、ただ立っていた。
「あ、陛下――」
「アルル!! これはどういう事だ!? 塔が――」
「そうなのです……楽園の塔が……消えてしまいました」
肩を掴み説明を求める魔王に、アルルは力なく項垂れ、小さく呟くばかりであった。
「――突然の事だったのです。私は、いつもどおり書類の整理をして、それから、塔にいるアーティに引継ぎをしようと思って……塔に入ろうとしたら、目の前で消えてしまったのです」
ただならぬ様子のアルルに、ともかく落ち着いて話を聞こうと、魔王らは私室まで移動した。
一息つかせて、アルルがそろそろと語りだすようになったのはそれから十分も経ってから。
当然の事だが、ショックが大きかったらしい。
「塔そのものが消えるというのは……どういう事なんだ?」
アルルの説明を聞いても、やはり魔王達には要領がつかめなかった。
楽園の塔は非常に巨大な建造物である。
これ一つがまるまる消えると言うのは、現実で考えて果たしてありえる事なのかどうか。
しかし、アルルは首を横に振るばかりであった。
「解りません。そもそも、何が原因でそうなったのかすら――ただ、見かけない女が近くに居たのは見ました」
「見かけない女?」
「ウィッチだと思います。深い緑色の帽子をかぶった……」
まさに怪しい人物であった。
「深い緑色……アンナ、もしかして」
「ええ。恐らく間違いないかと」
ガラードを誑かした張本人。
それがまたしても、そしてよりにもよって魔王城で何かやらかしたのだろう。と。
魔王と黒竜姫は、確信を持って頷いていた。
「――ともかく、今は塔を……いや、その中にいた者達を探さなくてはならん。アリスちゃん、魔力探知の準備をしてくれたまえ」
「解りました。とりあえず、サイズを戻しますね」
言うが早いか、ぽん、と、すぐに元のサイズに戻るアリス。
『では、ぱそこんと接続します。誰の魔力を探知いたしますか?』
アルルと黒竜姫が見守る中、魔王はなれた手つきでぱそこんを起動、探知モードへと切り替えていく。
「塔の中でサンプルを採ってあるのは――エルゼとアーティ、それからグロリア位か」
魔力探知のテストのために採っておいたエルゼとグロリア。戦地で何かあった時のためにと採っておいたアーティ。
いずれにしても、そのデータがここで役に立つとは思いもせず、魔王は複雑な気持ちになっていた。
『では、その三人を探知しますね』
むむむ、と、アリスが眼を閉じて可愛らしく唸る。
「……何をしてるの?」
「ぱそこんはよく解りません……」
黒竜姫もアルルも機械は駄目なタイプらしかった。
『見つけました。エルゼさんは――あら?』
「うん?」
『エルゼさん、この部屋にいますわね。エルゼさん、えるぜさーん』
何事かとアリスの顔を見る魔王。
アリスは口元に手を当てながら、そのサイズに見合わぬ大きな声でエルゼの名を呼ぶ。
「ふぁぃ……?」
「おおっ!?」
そうして、座っている魔王の腿の上にエルゼが現れた。というか腰掛けていた。
「エルゼ!? あ、あなた、いつの間に陛下の……その、太ももの上に」
何それ羨ましいとばかりに黒竜姫はわなわな震えてしまう。
「あ、黒竜の姉様。それにアルルさんも。あ、そうか、私寝ちゃって――」
ふぁ、と、可愛らしく背伸びする。若干眠たげであった。
「寝てて、なんで私の上に現れたんだ?」
急に腿の上に感じるようになった質量に戸惑いながら、魔王は目の前のエルゼに問う。
「あ、師匠っ、良かった、無事戻ってきたんですね。会いたかったです!!」
エルゼはマイペースだった。
「ああ、うん。私も嬉しいよ。だがエルゼよ、戻ってきたのはいいんだが、塔がな――」
「あ、はい、そうなんです。なんか、皆でお茶をしていたら急に視界がぐらぐらして――気が付いたら、誰もいなくなってて」
皆さん何処に行ったんでしょう? と、不思議そうに首をかしげていた。
「私、寂しくなったので師匠のお部屋にきちゃいました。そしたら段々眠くなってきて。でも、ベッドの上とかで寝たらいけないかなって思ったので、分離して小さくなってました」
えへへ、と、小さく笑いながら魔王に抱きつく。
「そしたら師匠が帰ってきて。嬉しいなー。目が覚めて一番に会えたのが師匠っていうのがすごく嬉しいんです!」
「そうか……ううむ」
どうしたものか、と、魔王は困ってしまっていた。
エルゼがその時に塔に居たらしいのは解ったが、中にいたエルゼ本人も何が起きたのか解っていないらしいのだ。
これではどうにもならない。
「……エルゼ、今ちょっと難しい話になってるから、貴方はどこかで遊んでなさい」
しっし、と、黒竜姫がエルゼを剥がそうと詰め寄る。
「いやです。私、師匠と随分長いことお喋りしてません。今日は師匠から離れたくないです」
しかし、黒竜姫が手を掴んだ先からその手を分離させ、また再構築。反抗していた。
「まあまあ。とにかく、今はこの状態をなんとかしなくてはな」
この場で喧嘩などされても余計に面倒ごとに発展するので、とにかく魔王は仲裁に入る。
『旦那様、グロリアさんの魔力探知が完了しました』
「ほう、どこかね?」
魔王の仲裁によって冷戦に突入した二人のおかげでしばし嫌な沈黙が続いていたのだが、良い具合にアリスがその空気を変えてくれた。
『ん……これは、北部樹木人領トワイライトフォレスト。大陸の北端です』
「なんだと……では、塔の娘達はそこに飛ばされたという事か?」
「遠すぎます。一体どうやって――」
極東から大陸北端はあまりにも距離がある。
それだけの距離の転移は、現代魔法では不可能と言ってもいい。
その場に居た全員が違和感を覚えていた。
『アーティさんの魔力探知が完了しました。こちらは――ウィッチ領トランシルバニアです。領主館付近にいるみたいですね』
「実家か……」
「そして、恐らくは今回の騒動の黒幕に一番近い場所にいるようですね」
黒竜姫は、既にウィッチ族の長が今回の騒動の黒幕と見ているらしかった。
当然である。ガラードを焚きつけ、反乱を更に悪化させたのだから、そう見ても不思議ではなかった。
魔王も頷く。アーティの父親だというウィッチ族の長。
これがどんな輩なのかは解からないながら、恐らくは彼女が塔を消した張本人なのだろうと。
反乱そのものは悪魔王が起こしたものかもしれないが、面倒ごとの大部分はこのウィッチ族の長が仕組んでいる可能性が高かった。
「状況が変わってしまったな。塔の娘達もそれなりに強い娘が多いが、だからと敵地ど真ん中に放り込まれてはどうにもなるまい」
せめてひどい目にあってなければ良いが、と、魔王は眼を瞑る。
「ともかく救出に向かわねばなるまい。すまんがアルル、私は今一度城を出る」
「……やめてください陛下、これは敵の罠の可能性があります」
自ら塔の娘達の救出に乗り出そうとする魔王に、アルルは止めの手を出す。
「罠? 塔の娘達を人質にか?」
「そうとしか思えません。戦況で劣勢になったからと、人質を取って陛下を排斥するつもりに違いありません」
アルルの判断は的確であると思えた。だが、魔王はあまり時間がないとも考えていたのだ。
「罠位ならまだいい。見せしめで彼女たちが殺されるかも知れん。辱めを受けるかも知れん。それだけは避けたい。私が見たくないのだ」
「だとしてもです。何より、塔の娘達全員がどちらかにいるとも限りません。いるのがわかってるのは、あくまでグロリアさんとアーティの二人だけなのでしょう?」
「……他の娘達が、全く違う場所にいる可能性もあるという事か」
「はい。いずれにしても、情報をまとめなければ動くに動けません。ですから陛下、わずかの間でも良いのです。時間をください。詳細までとはいかずとも、何かしら手立てを打てる位の情報が集まるまでは」
塔の娘達を思えばと、逸る気持ちに突き動かされそうになっていた魔王。
アルルは、これをなんとか押さえんとなだめようとしていた。
「私もアルルに賛成です。陛下もお疲れの様子ですし、今無闇に向かっても何が起きるか解りませんわ。せめて万全の態勢で挑むべきです」
「私も、今の師匠はちょっと焦りすぎているように見えます」
黒竜姫とエルゼもアルルの意見に賛同していた。
というより、魔王を心配するように見つめていた。
「……だが、私は心配なのだ」
「私は陛下が心配です」
「私もです」
「いつもの師匠に戻ってください」
三人が三人とも。
いや、魔王がよくよく見渡せば、人形達も全員、アリスまでもが魔王を心配そうに見上げていた。
「――すまない。気が逸っていたようだ。少し落ち着くべきだな」
頬に手をやり、小さく俯く。
ようやく気づいたのだ。平常心を失っていたことに。視野が狭まっていた事に。
「突然の事で心乱されてしまっていたようだ。とにかく、今は城の体制を整え直そう。情報も欲しい。ラミアと連絡を取って全体の状況を確認しなくてはな」
ぎり、と、鋭く眼を細め、魔王は再び周りを見渡す。
全員、こくりと頷いた。
「ラミア様との連絡は私がつなぎましょう」
「それじゃ、私はお城の防衛指揮を執るわ」
アルルと黒竜姫は、そう言いながら部屋から出て行った。
「……それじゃ、私は師匠担当で」
二人が去っていったのをみやりながら、エルゼはにこやかあに微笑む。
「私担当?」
「アリスさん達と一緒に師匠がいつもの師匠に戻るまで癒します」
かくごしてください、と、エルゼは微笑む。
そのマイペースが羨ましかった。
「ああ、そうだな。今はとにかく、疲れているんだった……」
色々な事が一度に起きすぎた。魔王の許容量をオーバーしていた。
危うく暴走しかけていた。休まなくてはならない。魔王は、休息の必要性を強く感じていた。
「――少しの間休もう」
そう、少しの間だ。ほんの少し。それだけの間休めれば良い。
「ひゃっ」
そう思いながら、魔王は自分の上に乗ったままのエルゼをそっと抱きかかえて降ろし、ベッドへと歩き……そのまま倒れた。
「師匠……? 師匠っ!?」
突然倒れた師に、エルゼは驚いたように駆け寄る。
しかし、反応はない。タイムオーバー。時間切れだったのだ。
魔王は既に、深い深い闇の中へと堕ちていた――