#10-3.深き森での戦闘にて
「その『ゲート』って何なのよ?」
「超大規模転送が可能な魔法陣だよ。ただし使用者の意思ではなく、陣を敷いた術者の意思によって転送される類のな」
通常、転送魔法陣はその多くが遥か昔に術者が死亡している為に、発動する為にはそれを使用する者の魔力が使われる。
使用者が自分の魔力を使って自分の意思で発動させるものなのだが、このゲートはその例から漏れ、陣を敷いた術者の魔力を使い、術者の意思によってその範囲内の生物を運ぶ機能を持っていた。
「そんな事が個人でできるものなの?」
「個人である必要は無い。ある程度の魔力と、それを可能とする連携ができれば、複数人数での発動も可能だ」
実際問題、魔族であっても単独でそれができるほど魔力を持ち合わせている者は少ない。
「どちらかというと人間向きの魔法なのだろうな。魔族は強くなるほどに協力したがらない者が増えるからなあ」
「確かに、人間ならそういう合同詠唱みたいなのは得意だけど……」
一人の魔族に対して二人、三人の人間で対抗するのは、何も武器を用いての近接戦闘に限らない。
単独で上空から巨大な岩石を落としてくるウィッチや、雷の雨を降らせたりするウィザードの超広範囲魔法に対抗するため、人間は複数で防御魔法を使い防衛する。
人一人の持つ魔力は魔族のそれと比べてあまりにも弱く、容量すら薄い事がほとんどであるが、数が居ればその差は覆す事すら出来るのだ。
「じゃあ、そのゲートを使って皇女達は誘拐されたかもしれないって事?」
「まあそれは間違いないだろうね。偶然発動に巻き込まれただけ、というのは考え難い」
術者の意図とは関係なしに巻き込んだとして、果たして皇女の護衛の兵達が何の抵抗もなく事が進む訳もなく。
多少は混乱するとしても、花嫁を守る為、果敢に戦うであろう護衛の兵がいる以上、偶然巻き込まれただけで行方知れずになるというのは無理がある。
どちらにしても、何の形跡もなく大多数の人間が忽然といなくなるという事態である。
その異様さを考えるに、ゲートが関わっているのは明らかであると魔王は考えた。
「質問ばかりであれだけど、おじさんはなんでゲートの存在を知っていたの?」
「言っただろう。『得体の知れない何者か』を調べていたのさ。彼らがそれを使っている節がある」
魔王の今回の目的は人探しだった。
過去の追及もまだ全てが終わった訳ではないが、追っていくに従って少しずつ、見過ごせないいくつかの点がある事に気づいたのだ。
それは自身の記憶と現在の歴史との間にある矛盾であり、把握しない事には全てを思い出すには至れないという認識の下、魔王は行動していた。
「やあ、ここだ」
魔王らが立ち止まったのは森の奥深く。
獣道の奥の、わずかに広まっている場所であった。
「あっ――」
わずかばかり空気の変化を感じたエリーシャは、小さく声をあげた。
「感じたかね? ゲートは発動する瞬間以外は休止状態に入っているからな。これを察知するのは中々難しいのだ」
「こんな所に隠されてたら気づかないわね……」
エリーシャの頬に汗が伝う。
こんなものが森の外まで範囲に指定されて存在していたら、一体誰がその存在を把握できるというのか。
知らないだけで、実はこの辺りで行方知れずになっている者は多いのではないか、などと考えてしまう。
「ま、私ならば、森の外から逆探知して、怪しいところを探す事くらいはできる」
エリーシャは人間としては破格の魔力を持つが、それはあくまで人間としての話である。
魔王は魔族としても破格の魔力を持ち、その実力が広く知れる以前から上級魔族としての扱いを受けていた。
その差は歴然としており、当然このような状況においては魔王に幾分有利に働くようになっていた。
「さて、ゲートを見つけたわけだが、これは術者からでないと発動できんから、見つけただけでは意味が無い」
都合よく術者が魔王達を招待でもしてくれれば別だが、そんな愚かな事をする程度の頭しかない者にはゲートは張れない。
実際問題、魔王らがこうしてゲートに向かって歩いてくるのは術者側からは筒抜けのはずであり、巻き込むつもりなら森の入り口に居た時点で発動させれば済む話なのだ。
「どうするつもりなの?」
先が読めないエリーシャに、魔王はにやりと悪戯じみた笑いを見せる。
「嫌がらせをしてやるのさ」
子供のような、邪気の無い邪悪な笑顔だった。
「アリスちゃん、消せるかね?」
「多少時間は掛かりますが、私一人でも十分に可能ですわ」
今まで後ろで黙って話を聞いているだけだったアリスだが、ここにきて一歩進み出て、主に応えた。
「ちょっと、それじゃどうやって――」
焦ったのはエリーシャである。
やっと見つけた手がかりを自分たちの手で消すようなものではないかと。正気を疑うように魔王を見る。
「こんな深い森の中だ。やっと手に入れた、自分たちだけの便利な転送陣が、通りすがりの旅人に消されでもしたら、彼らはどうするか」
「勿論、そのような不埒な輩は成敗する他無い」
どこからか、声が響いた。
「奇遇だね、私もそうすると思う」
魔王は、動じる事無くその声に応じる。
「……っ」
エリーシャは、姿が確認できないまでも、その殺気で瞬時に剣を構える。
「姿を見せないのはいささか不躾ではないかね?」
「無論だ。殺すためには姿を見せる必要があるからな」
魔王の挑発に乗ってか、言いながら、男は姿を現す。
短剣を持つ、短い黒髪の男だった。背はひょろりと高く、全体的に線が細い印象を受ける。
何より鎧等の防具をつけず、その身は必要最低限の布切れのみをまとっていて、どこか他には無い印象を感じさせた。
「あなたは何者なの?」
「それを教える必要があるのか? この場で殺しあい、次にはどちらかが死んでいるのが解りきっているのに?」
男は殺気を隠さない。
だが、先ほどまでエリーシャに覚らせず、ひたすらその存在を闇に潜めていたこの男は、ただものではないと感じさせるには十分な何かがあった。
「死に行く者はただ死に、その場に朽ちれば良い」
暗殺者、刺客、アサシン。つまりはそういう人種である。
殺すことに何の躊躇いもなく、殺すための動作を何の迷いもなくできる、それでいてエリーシャとは違い戦場を駆け巡る事無く。
彼らの職場は常に平穏の中にあり、あるいはこのような人気の無い暗がりにこそあった。
「随分とお喋りなアサシンだな」
思いのほか饒舌なこの暗殺者に、魔王もつい苦笑してしまう。
「……死ね」
それが合図となってか、男は襲い掛かった。狙いは誰であろうか。
薄暗い森の中である。視覚は木々に隠され、やがて枝や葉によってその姿は見えなくなる。
すばやい動きを、エリーシャは必死に目で追うがそれも叶わず。
「――くっ!!」
がきり、という鈍い音がした。
身体が感じるままに剣を首の前に持って行き、ダガーを防いだ。
しかし、反撃の為に宝剣を振る事は出来ない。
既に目の前には何もおらず、エリーシャはまた構える事となる。
「なんだ、狙いは私ではなくエリーシャさんなのか。つまらん」
他人事のように呟く魔王に、エリーシャはひどい無神経さを感じた。
「馬鹿な。貴様も我が贄よ」
だが、次には言葉と共に、魔王の首筋にダガーが向けられていた。
「おじさんっ」
「うん? ああ――」
エリーシャは咄嗟に声をかけるが、魔王の反応は鈍かった。
「滅び行く者の為、死ね」
向けられたダガーは弧を描き、魔王の首を切り裂かんとしていた。
しかし、そんな事が出来るはずもなく――
「なっ――」
短剣は、アリスによって弾かれていた。
これには暗殺者も驚きを隠せないのか、目を見開く。
「旦那様、ここは私にお任せを」
いつになく真剣な面持ちで、ナイフ片手に立ちふさがる少女人形が居た。
「ああ、任せた。私はどうも、動きのすばやいのを相手にするのが苦手でね」
目で追うことすらしていなかった魔王は、実に面倒くさそうに手持ちの人形に放り投げたのだ。
「……」
油断があったと悟ったか、暗殺者は何も言わず、アリスと対峙する。
「お手柔らかにどうぞ」
対してアリスはぺこりと一礼し、短剣を構える。
次の一瞬の出来事である。男は真後ろにばっと飛び退き、茂みに身を委ねた。
直後男の居た場所に無数の刃が降り注ぎ、どこに隠し持っていたのか、長剣が茂みごと薙ぎ払う。
しかしそこに男の死体はなく、空ぶったと知るや、アリスは何も考えず振り向きざまナイフを振る。
がきり、と鈍い音がし、男の投げはなったダガーがナイフで相殺される。
アリスはその勢いのまま真横に飛びのき、真上から襲い掛かる男の攻撃を難なくかわす。
「なんという身のこなし」
「お褒めに与り光栄ですわ」
思わず呟いてしまった男に、アリスはにこやかに笑って見せた。
その余裕に戦慄し、必殺の一撃をどう入れたものか迷うのは樹の上である。
恐らく今自分と戦っている娘がこの三人の中で一番の手練れであると考えた暗殺者だが、自分の力量から考えて、この娘とまともにうちあっていてはきりがない事も解っていた。
そうかと言って本来の目標であったエリーシャは考えるまでもなく腕利きであり、隙など見せるはずもなく。
ならば狙うべきは誰かと言えば、後はもう決まっているようなものだった。
「覚悟」
呟くのは癖なのか。あるいはそれすらも相手を幻惑させる為の言霊であるのか。男はアリスに向かって刃を向け突する。
「――っ」
しかし、アリスは頭上から来たそれを避け、ナイフを手放していた。
「うぉっ」
それは二人の戦いをぼーっと見ていた主に向けられており、ちょうど胸元めがけとんできていたダガーを正確に打ち落としていた。
「――貰ったな」
そしてその一瞬が、暗殺者に勝利を確信させた。
ぐさり、と、アリスの胸元にダガーが突き刺さっていく。
一体何本手元に持っていたというのか。
必殺の一撃は確実に少女に決まり、最も厄介な相手はこれで崩れ落ちる……はずだった。
「捕まえましたわ」
がしり、とダガーを持つ手をつかまれ、男は驚愕する。
アリスは不敵に笑い、笑顔のまま、暗殺者を捕縛していた。
「馬鹿な……くっ、この、放せっ!!!」
男は必死に腕を振り解こうとするも、少女風情の握力すら振りほどけない事に苛立ちを露にする。
「お疲れ様アリスちゃん。申し訳ないな。その、本当ならこんな事は絶対にさせたくないのだが」
「仕方ありませんわ。こうでもしないとこの方、すばやすぎて捕まえられませんもの」
エリーシャですら目で追うのがやっとの相手である。
このように障害物だらけの場所に置いて、そのすばやさ、俊敏さは脅威という他ない。
「さて、この男、どうしたものか」
「くそっ、放せっ!!」
男は暴れるが、そんな程度で振りほどける訳もなく。
あっさりと地面にねじ伏せられ、無様な姿を晒していた。
「殺すか。アリスちゃんを傷つけられ、私としては少々、腹立たしくもある」
少々、などという言葉で装飾しているが、魔王の怒りは見て取れるほど表に出ていて、言葉の端にも込められていた。
「それだと何の為に捕まえたのか解らないわよね」
エリーシャからの冷静なツッコミが入り、「まあそれもそうだ」と魔王は思い直した。
「とは言っても、どうせ我々が欲しい情報などこの男が喋ってくれるはずもないからなあ」
「拷問などかけても無駄だぞ」
解りきった話だが、このような状況に置かれて話すような軟弱者はそもそも暗殺者にはなれない。
恐らくこの男も、そのうちに自害でもしてしまうのだろうが、それもいささか野暮ったかった。
「というかだ、アサシンなんて使ってくるような連中は限られてくるから、もうゲートを張った犯人なんて察しがつくのだよな」
「まあ、そうだけど」
ゲートを張れるだけの組織力・魔力的なコネがあり、アサシン等といういかがわしい存在を支配下に置けるだけの経済力もある。
少し知恵のあるものなら誰でも思い至る結論がそこにはあった。
「やはり殺すか」
「いいんじゃない? どうせほっといても死ぬ気だろうし」
今度はエリーシャも止める気は無いらしく、つまらないものをみるように地面に押さえつけられている男を見下ろした。
利用価値のない敵には一切容赦しない性分だった。
「なっ、け、結局殺すのか。ならさっさと殺せ!!」
この展開は流石に想像していなかったらしく、驚かされるが、男も暗殺者である。
腹をくくり、目を瞑った。
しかし、指の震えだけは抑えられないらしかった。
「……死ぬのが怖いのか?」
その様子に、魔王は膝を曲げ、男の耳元で静かに囁いた。
「馬鹿な。滅び行く我らが、死に恐怖する事など――」
「どうやらクスリが切れてきたようだぞ。冷や汗が垂れている」
見ると、肩は震え、顔は青ざめていた。
「クスリ……?」
「精神を高揚させ、恐怖を忘れさせる毒があるのだ。あまり知られていないがね」
薬ではなく毒なのは、強い依存性があり、また、精神が病む元になりかねない薬効だからである。
故に、これを扱う者は中毒者となり、死をも恐れぬアサシンへと成り果てる。
「とても危険な毒だ。人を廃人にしてしまう」
「なんでそんなものを……」
「人は武器を持たねば強い者に対して強気で居られないのだろう? 彼らにとっては、武器のようなものなのだろうよ」
異常な跳躍やすばやさは、それらに依存する代償に得た力である。
恐怖を失った彼らはリミッターが外れたようなもので、人ならざる力を発揮する。
だが、それはあくまで一時的なもので、効果が切れればまたただの人に戻ってしまう。
それを恐れ、また彼らは毒に手を出す。はまっていく。逃れられなくなる。
忘れていたものはいずれ必ず思い出させられる。
まるでそれが突然起こったかのようにフラッシュバックが起こり、彼らは突如湧いたトラウマに飲み込まれていく。
「この男の主達は、そういったことを平然としてしまえるのだろう」
「ろくでもない奴らね。まあ、最初からまともだとは思ってなかったけど」
暗殺などまともな精神で出来るものではない。
同胞を殺してまわるなど、正気の沙汰でこなせる仕事ではないのだ。
やがてその精神は病んでいく。いや、むしろ彼らを使う者達は、そうなる事を狙って彼らに毒を与えるのだ。
自身に忠実な、死の恐怖に傅く事の無い暗殺者。それは理想的な駒であり、都合のいい存在のはずである。
「全く、神等信じているからこうなるのだ。昔からいる竜でも信じていればいいのにな」
「くっ……馬鹿に、するな……あの方々を馬鹿にするな……」
苦痛に顔をゆがめ、身体を震わせ、それでも信心深い彼は絞るように声をあげる。
「我らが……神を、罵倒するな……」
「神など、本当にろくでもないぞ?」
その怒りに満ちた顔に、魔王はつまらなさそうに呟く。その単語が大きらいであった。
「下らない事の為に自分達の作った生物を利用するからな。実にろくでもない存在だ」
「まるで神様が知り合いにいるみたいに言うわね」
現物を見てきたかのように語る魔王に、エリーシャは不思議な違和感を覚えた。
「まさか。神様の知り合いは居ないよ」
魔王は笑う。では一体何者と知り合いなのか。
そこに関して何か答えが出る訳でもなく、一行は静かに暗殺者を眺めていた。
「ただ、神を信じて純粋に日々を生きる人々を、躊躇いなく搾取し、欲望の贄にしようとしている連中には吐き気を覚える」
そしてそうした者ほど言うのだ。
自身を神の代行だとか、神の信望者であるだとか、神に選ばれし存在だとか。そんなような言葉を。
欲望に忠実な魔族は、そんな上辺だけ取り繕って内面が穢れきった生き物を蛇蝎の如く嫌っていた。
敵は敵であり殺すための存在であるが、その敵にも忌むべき敵とただ殺すだけの敵がいるのだ。
このアサシンを放った連中は恐らく前者であり、魔族的に最も忌み嫌われる類の人種である。
故に、魔王は容赦する気はなかった。