#14-2.決戦グランドティーチ2
しん、と静まり返った玉座の間は、一瞬とも無限とも取れる遅延の時に満たされていた。
いつの間にやら空いた十歩分程の距離感。両者の間には張り詰めた空気。
ガラードの手には青白く光る曲刀。油断なく魔王の様子を窺い、息すら封じて構える。
魔王は構え一つ取らず、ただガラードの顔を見ていた。
感傷を捨ててただ目の前のモノと戦う、ただそれだけの存在に。
つまらなさげに、そうやってガラードを見ていたのだ。
「覚悟ぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!」
動いたのはガラードからであった。
絶叫ともいえる掛け声とともに全力で魔王に向け跳ぶ。
「むっ」
一瞬で詰め寄ったガラード。その一撃を、魔王は軸足をくるりと回し、右へと回避。
「つぁっ!」
その回転を利用し、拳の一撃をガラードの腹に向け放つ。
しかし、それはガラードの残像を抉ったに過ぎず。
無駄と感じるや、魔王は一気にバランスを後ろに引き込んだ。直後、青白いラインが魔王の首元をそっと撫でた。
「これをかわすか!?」
かわせまいというタイミングで振られた刃を、足の動きとバランスの取り様でかわしてみせたのだ。器用であった。
「やるなっ、これが魔王陛下か――」
(――良く喋る男だ)
緊張感がないというか、やかましいというか。
わずか一瞬のやり取りだったにも関わらず、魔王は、この男がやたら喧しく感じるようになっていた。
「これならどうだ!!」
「ぐっ――」
そして、その一瞬の心の動きを狙い済ましたかのように、ガラードの刃は魔王の左肩口を切り裂いていった。
(――不覚)
まさしく油断の末の失態であった。余計な事を考えている暇はないはずなのに、つい考えてしまったのだ。
ガラードがそれを狙ったかは別としても、自分の集中力のなさに、呆れて思わず笑いそうになってしまっていた。
「魔王陛下よ、この程度かっ!? この程度なのかっ」
矢継ぎ早に繰り出される剣撃。
それをかわそうと、いなそうと身体をずらしたり飛び退いたりしていく。
ガラードは速かった。魔王ですら、その回避には余裕がない。
カウンターを狙い繰り出した拳の一撃は見切られ、お返しとばかりに一撃を浴びるハメになった。
肉を切らせての回し蹴りは、ガラードにはさほど通じた様子もなく押し返されてしまう。
何より肩口を深く斬られ、意識がそちらに持って行かれそうになる。
あふれ出る赤。零れ落ちる水滴。次第に、ガラードの攻撃をかわしきれなくなっていく。
「本当にこれだけか!? ならば――俺の勝ちだぞ!!」
ガラードが今まで以上に深く踏み込んでいくのが見えていた。
それまでより遥かに速く繰り出される一撃。それが、魔王の胴を鮮やかに切り払っていく。
「これでっ――」
一撃は、やがて二線となり。三つの刃となって魔王の身体を刻みばらそうと暴れまわる。
圧倒的な暴力。止めようのない殺意が溢れ、魔王は瞬く間に血まみれになっていく。
さながら、肉塊のサンドバックであった。
「ぐっ――うっ」
一瞬でボロ雑巾となった魔王は、それでも辛うじて踏ん張り立ち続ける。
一撃を加えんと、その拳をガラードに向け放ち――頬を抉った。
「うぉっ――まだまだぁっ!!」
さすがにこれは効いたのか、わずかばかりふらつくが、すぐに振り戻り、刃を振りぬく。
これは魔王にはかわしきれず、正面からまともに刃の洗礼を受ける事となった。
「本当にこれだけか!? どうした!! 『魔界随一の技』はどこにやった!? 速度だってこんなものではないだろう!? 姫に、我が妹のあの姫に『強い』とまで言わせた貴方が、この程度なはずがない!!」
だというのに、苦しげに声を上げているのは、他でもないガラードの方であった。
ガラードは、魔王とは初対面であった。
だが、魔王との戦いをずっと楽しみにしていたのだ。
どのように対処し、どのように攻略しようかと、どうやれば勝てるのだろうかと、逞しく想像し、日々の鍛錬への原動力として昇華させていた。
期待していたのだ。自分如きは圧倒されるほどの化け物かもしれないと、そんな夢を見ていたのだ。
だが、これでは期待はずれであった。何も楽しくない。こんなのはただの虐殺ではないか、と。
思わず虚しさが勝り、手がとまりそうになってしまっていたところで、魔王はぐら、と揺れる。
「止めるな!! これが今の私だ!! お前が反乱を起こしたいとまで思った願いの正体だ!! 殺せ、殺そうと思うほどに殺意を向けろ!!」
それは怒声であった。叱咤であった。ガラードが久しく受けなかった、他者の怒りであった。
「どうした、斬りつけんのか? 私はまだ生きている。お前如きに殺される私ではないぞ。もっと本気で殺しに来い。もっと本気で挑んで見せろ!! 私は魔王だ、お前如きに手を抜かれる筋合いはないぞ!!」
「――この死に損ないが!」
ただの煽り文句である。魔王はふらふらだった。もう終わりのはずだった。だが、終わらない。
勢いと共に一撃を見舞っていた。先ほどとは逆の肩口からばっさりと。
斜めに斬り付け、そしてそれは見事、肩の骨ごと叩き斬ってやったはずだった。
両の肩は潰れ、胴体は臓物もろともバツ字に切り裂かれ、断裂は腿まで続く。生きているはずがなかった。
「なんだ、これで終わりか」
しかし、聞こえてきたのはうめき声でも絶叫でも断末魔でもなく。
失意を込めた、心底がっかりしたような言葉であった。
「お前のソレはすごいな。私ではとてもかわせん。まるで漫画か何かの主人公のようだった」
ぽつり、呟く。そこには何の感情もなかった。
「くっ――」
ガラードには、魔王の言葉の意味が解からない。
何故倒れないのかと、疑問が心に浮かんでしまっていた。
「漫画の主人公とは、このように強いのだな。なるほど、生半可な悪党では負けてしまうに違いない」
魔王の眼は何も見ていない。狼狽しそうになっているガラードなど気にもかけていない。
「だが、私を殺すには、火力と手数が全く足りていないな」
ずば、と、左手を掲げる。
ぱきりぱきりと骨が悲鳴をあげるが気にもせず。
「全ての命を司る――いや、もういいか。面倒くさいな。意味もない」
いつものように何節か呟こうとして、首を軽く振りながら言い放つのだ。
『癒えろ』
何かに対する命令。
直後、魔王の身体には暖かな光がいくつも現れ、その傷を癒していった。
断絶した筋肉、破壊されたはずの骨が容易く繋がり、瞬く間に元のまっさらへと戻っていった。
「なんだそれは――そんな癒しがあるはずがない」
ありえないものを見るように、蒼白となっていくガラード。
信じられぬとばかり、一歩、二歩、下がってしまう。
常軌を逸した強力すぎる治癒魔法。
死に体が完治してしまうなど、ガラードは見たことも聞いたこともなかった。
「まあ、魔法はそうだろうな。私のこれは、言ってしまえば世界のシステムをちょっと拝借しているに過ぎん。お前らからみたら反則以外の何物でもないから魔法の体は取っていたがね」
つまらないだろう、と、乾いた笑い。
手をフリフリと回しながら、一歩、ガラードに詰め寄る。
「――つまりだ。私の本質とは『こう』なのだ。みすみす殺されてやるつもりもない。全力で殺しに掛からんと、いずれ『時間切れ』を起こすぞ?」
その先に何が待っているのかを知ってるかのように、魔王はにたにた笑っていた。
ガラードは後じさる。その言葉の意味を理解してしまったから。
魔王は、この訳の解からない不気味な男は、王羅が何なのかを知っているのだ。
王羅がどのような機能で、何故発動できるのか、そして、致命的な欠点を一つ抱えている事にも。
ならば、と、ガラードは歯を噛む。ぎしりと、顎に力を込め。
ずしゃりと、一歩前へ。気を前へ。
「負ける――ものかぁ!!」
気がつけば劣勢であった。
気がつけば圧倒されていた。
気がつけば心はへし折られかけていた。
だが。だが、まだ負けてはいなかった。
何より自分の望んだ戦いである。
勝敗等どうでもいいのだ。ただ戦いたかったのだ。
自分の望んだ相手であった。
何もかも犠牲にしてでも一戦交えてみたい相手であった。
だから、彼は挑んだのだ。
彼にとっては一生に一度、あるかないかのチャンスであった。
ここで物怖じしては、ここで逃げては、ここで負けを認めては、失礼ではないか、と。
馬鹿なことは考えずともいい、ただ一撃。それだけの為の今までではないか。
目の前の敵に、全力を込めた一撃を今――