#12-3.駄目になる猫(定価:金貨五万六千枚)
魔王城・玉座の間にて。
東部地域を黒竜族に押さえ込まれ、窮地に陥ったかに見えた魔王城であったが、不思議と黒竜族はそれから幾日経過しても攻めてくる気配を見せず。
それ以前の、時折反乱軍が攻め込んできていた時と比べ、むしろ平和というか、安全な状況になっていた。
これ幸いにとばかりに、参謀本部は黒竜対策に対ブレス用の魔法結界を導入する事を決める。
人間世界への極秘視察によって学んだ対竜戦術を参考に、対竜迎撃用の魔導砲も複数設置。
また、どこで手に入れたのか、魔王より大量のドラゴンスレイヤーが提供され、これによりバリスタなどの従来からある対空迎撃装置も大幅な強化・近代化改修がなされた。
今は、ラミアが急遽増築させた城の外壁と対空兵装の強化にある程度の目処がついた事の報告をしていた最中であった。
「――以上で、今回の報告事項は全てですわ」
手に持った書物を読み上げ終えるや、ラミアはぺこりと頭を下げる。
「うむ。ご苦労。しかし、これで結果的に東部は反乱軍の思うままにはならなくなった訳か」
魔王は玉座にてふんぞり返りながら足を組む。
彼の関心は、完了したか否かしかない工事の話よりは、東部地方と反乱軍の動向にあった。
「東部の大半の種族は黒竜族と吸血族の戦いを恐れて退避、あるいは逃げ遅れて滅亡したようですわ」
「まあ、双方のぶつかり合いは生半可ではなかっただろうからな。しかも互いに傷つく事無く周りのみを巻き添えにする」
従来の両種族の戦いとは、常に関係のない第三者が被害を被る構図となっていた。
強すぎる力を持つが故、考え無しにぶつかり合えばその被害も尋常ではなく、今回のように地方一つの様々な種族が泣き目を見るハメになる。
このような事を繰り返されては魔界は衰退してしまう。
だからこそ、両者の戦いの抑止の為、互いを監視させる為に四天王の二枠は常にこの両種族で固定されていたのだ。
「とはいえ、今回の戦いでは吸血族、黒竜族共に、互いの種族に対してダメージを負わせる何かを編み出していたようだ」
「ええ、互いに少なくない被害を受けたはずですわ。特に黒竜族はその数も少ないですし、純血の黒竜が一人二人死ねばそれだけで相当な痛手のはずです」
その特殊な身体構造のためか数を増やす事にさほど制約のない吸血族は、単にプライドだとか品位だとかの問題で数を増やそうとしないだけであったが、黒竜族はこの辺り事情がいささか異なる。
黒竜族の女性は、一生に一度しか子供を産む事が出来ない。
そしてその子供も幼少時は生存率が非常に低く、ちょっとした怪我や病が元で死に至ってしまうほど貧弱である。
幸い多くの女性が多産で一度に五人六人生まれるのだが、実際に大人になるまで生き残るのはその内の一人二人であると言われている。
このため、純粋な黒竜の血というのは非常に尊い。
黒竜翁の血を引く数多くの息子たちも、そのほとんどは他種族、あるいはハーフとの間に生まれた子供である。
個体として相当に長生きで力も強いので、大人にさえなれば生半可な事で死ぬことはないが、それでも数年に一人位は諍いの末の決闘死などで死ぬこともある。
大人の黒竜族にとって最大の敵は吸血族ではなく同族なのだ。
だが、その常識が覆されようとしている。
吸血族が、黒竜族を殺しうる力を手に入れ始めていたのだ。
「だが、それ以上に驚きなのが黒竜族だ。黒竜姫を押さえ込んだのもそうだが、あいつら、どうやってアイギスを倒せたんだろうな?」
「んー、考えられるとすれば、黒竜姫の古代魔法を防いだという『おうら』とやらが作用した、とかではないでしょうか?」
魔王の疑問に、ラミアも難しげに唸りながら答えにくそうにしていた。
彼女にだって解からないことくらいあるのだ。
「オーラなあ、まるで漫画のような――」
そんなのあったなあ、位に思い出すが、黒竜族がそんなもの読むはずもないし読んだところでそれは所詮漫画なのだ。
現実とは違う以上、同じ語感の全く別の何かなのだろう、と魔王は勝手に解釈する事にしていた。
「吸血王も、アイギスが囚われてからは戦意を失くしてか、人間世界南部への攻撃も止めて何もしない日々が続いているようですわ」
困ったものです、と、小さなため息。
「わふわふ」
ふと、ラミアの近くにシヴァが寄ってくる。
それに気づき、ラミアがそっと両の手で抱き上げた。
「ほんと、誰も彼も困っちゃいまちゅねー」
「くぅん……」
犬相手に赤ちゃん言葉。とても重鎮とは思えぬ姿であった。
「……まあ、いいがね」
魔王も言及する気が起きず、額を手で覆っていた。
「人間世界からの技師は元気にやっているかね? 私は、あまり顔を見ることも出来ないのだが」
「ええ、まあ。元気すぎるほどに元気ですわね。最近は魔族の娘を見てなにやら製作意欲が涌いたのだとかで、等身大の彫像やら絵画やらを各々すさまじい勢いで制作しておりますが」
「ほう。それはいいな。彼らに学ぶ事も多かろう、彼に弟子入りさせた者達にもしっかり覚えさせるのだ」
「……陛下。本当によろしいのですか? なんか、これに関しては陛下はすごい間違った事をしている気がするのですが」
満足げに笑う魔王に、しかしラミアはシヴァの首元を撫でながら、半笑いで見つめていた。
「何がかね? 魔界を救うには、このようにサブカルチャーを少しずつでも根付かせていくのが一番手っ取り早い。人間のようなイメージする力を鍛えていかねばならんのだ」
未来を想像する力。それは確かに魔族に致命的に足りていない欠点ではある。
だが、ラミアはどこか、この方法であっているのだろうかと疑問に感じてしまっていたのだ。
「技師の弟子にと送った者達ですが、早々にドロップアウトしそうになっていますわ。『ついていけない』とか『何を言っているのか理解できない』とか、大層悩んでいるようです」
「む……そんなに熾烈な教えなのかね?」
「漫画の登場人物の名前やら人形の種類やらを暗記ですらすら言えるまで寝る間も惜しまず叩き込まれるのだとか」
「それ位普通ではないか。たったそれだけのことで音を上げているのか? 情けないな。魔族情けない」
魔王視点では何の事もない問題点であった。瑣末過ぎた。出来て当たり前のことであった。
「『普通の魔族』はそんな事考えた事もありませんし。職務として人物の名前を覚えるならともかく、興味もない漫画の人物なんていちいち詳細に覚えてられませんわ。よしんば覚えたとて、その人物の何処がドキリと来るポイントなのかとか、そんな事わかるはずもありませんし」
「解るまで読めば良いではないか。君だって、何かを調べる際には解るまで、納得がいくまで同じ本を読み解くだろう? それと同じだよ」
「そうかもしれませんが、今のままでは脱落者の方が多くなる気がしますわ」
漫画という娯楽がまず理解できない。それが魔族の大問題であった。
「人形に関しては、まあ呪いの道具として扱う者もいないわけではありませんから基礎的なことはまだ解るのですが、それもやはり、造形的な何かを求められると理解し難いというか……ただ人に似せれば良いというものでもないのでしょう?」
「私の人形達もリアル等身になると人に見えるよう修正されるが、まあ、基本的に人形というのは一目見て人形であると分からなくてはいかんね。人に近ければそれだけ不気味に感じてしまいやすくもなる」
呪いの人形ならそれでよくとも、人に可愛がられる人形を作ろうとしてそれでは目も当てられない。
「私どもも、小動物的な『可愛い』というのはなんとなく理解できるようになりましたが、人形に求められるそれはまた違うもののようでして……中々上手くいきませんわ」
「なら、いっその事小動物的な意味で可愛く感じる人形を作ってみれば良いではないか。それを習作とし、少しずつ感性を磨いていけば良い」
そんな上手くも行くまいが、と、魔王自身も考えるが。
それでも、できないできないとただ喚くよりは良いはずだと、魔王は考えていた。
自分は理解できる。だが、それだけでは意味がないのだ。
少しずつでも広めていかなくてはいけない。これはそのための試練のようなものである。
「まあ、そういう方向でやらせてみますわ。ですが、できれば陛下ご自身も時折は顔を見せてあげてくださいまし。現場とこことでは、やはり距離というものがございますから」
ラミアから報告として聞くだけでは解からないことも確かにある。
実際の空気がどんな感じなのか、それを知る必要もあるな、と、魔王も頷いた。
「解った。合間を見て顔を出そう」
「お願いしますわ。私としても、折角技師を人間世界から連れてきた以上、何の成果もなしでは勿体無いとも思います」
「まあ、きてくれただけでもある程度カルチャーショックは与えられていると思うがね」
「顔を見ていきなりにやけ顔で『蛇女可愛い!』とか言われた時はさすがの私も唖然としましたが……」
あくまで悪い意味で、だが。『なに考えているのこの人間は』と、割と本気で困惑していたのは言うまでもない。
「ははは、魔王の腹心といえど、あの手の人間から見れば可愛い扱いなんだろうよ」
確かにそんな事もあった、と、魔王は思い出し盛大に笑った。
「自分の人生の数千万分の一も生きてないような者達に可愛い扱いされるとは思いもしませんでしたわ」
ラミアは恨みがましそうに見つめるが、気にもしない。
「意外性があって良いじゃないか。私も可愛いって言われてみたいぞ」
「いや、男で可愛いというのはちょっと……」
「まあ、冗談はともかくとして。勉強にはなるだろう? 人というのは存外、あのように一色では染まっておらん。時に想像外の発想を抱いていたりする。そして、魔族はそれが苦手なんだ」
ひとしきり笑ってから、魔王はまた真面目な表情に戻る。
「そうですわねぇ。なんとか変えていかなくては」
手段はともかく、魔王のしたいことは理解できていたし、必要も感じていたのだ。
だから、ラミアは従っていた。
「そういえば、最近はアルルはどうしているかね?」
「猫まみれになってますわ。だらけきっています」
アルルも駄目な女になってしまっていたらしかった。
追加の猫発注はやりすぎだったらしい。魔王は反省した。何事もやりすぎはよくない、と。
「……まあ、落ち込んでいるよりは良いか」
ラミアが胸元に抱いていたシヴァは、いつの間にか眠りについていた。
ふかふかでリラックスしてしまったらしい。のんきな物だな、と、魔王は笑う。
「確かに癒しは大切だ。今は、みんなの不安を取り払わなきゃな」
「そうですわね。はぁ――かわいい」
犬の可愛らしい寝顔に癒されぽーっとしはじめているラミアを見やりながら、魔王は小さくため息を吐いていた。
皆がこのラミアくらい蕩けてくれれば楽になるのになあ、と。