#10-2.金竜ドッペルゲンガー
遠く離れた人間世界北部。
周辺国をまとめる一大宗教勢力となった聖竜の揺り籠は、覇権主義を推し進める大帝国を、しばしの間静観しようとしていた。
中央諸国や西部諸国が混乱の中飲み込まれていくこの渦中にあって、北部はあくまで自らの勢力の維持と状況の見極めに徹する事にしたのだ。
「女王エリーシャ……一体何を考えているのかしら? こんな事を続ければ、いずれ多くの憎しみが大帝国に向く事になるでしょうに」
教祖カルバーンは、大帝国の中央部制覇の報を受けて困惑していた。
デュオミスに戻った彼女は、ひとまずは無事な養父と教団の様子に安堵し、再び北部諸国の安定を優先に活動していた。
シフォン皇帝との別れ際に誓った約束もあり、当初は大帝国はその約束どおり、南部諸国とその盟国のみ攻撃するものと思い備えを始めていたのだが。
大帝国は、その約束とは裏腹に中央部を制覇、次の進路を西部諸国に向けている。
その進路も南部に組みする国家に限定されるものではなく、西部の全ての港を狙っての侵攻であると目されていた。
中央部の制覇・平定はまだ地盤固めの一環として理解できなくもないが、南部と全く関係ない港まで狙っての次の行動には、北部諸国の首脳らも警戒を強めていた。
諸国の先頭に立って布教と軍事訓練・戦力の貸与などを行っていた教団も同じで、教団とかかわりのある西部国家を大帝国に抑えられるのは大変よろしくないものであった為、大帝国の次の行動次第では出方を考えなければいけない段階まできていたのだ。
そうかと言って今大帝国と事を構えるのは南部諸国に益してしまう事となる。
しかも大勢力同士の戦いとなれば泥沼になるのは必至であった。
だが、それを恐れ何も対処しないでは折角結んだ西部諸国との信頼関係も失われてしまう。
教団は今、とても難しい立ち位置に立たされていた。
『カルバーンよ。大帝国は魔族に組みしているのだろう?』
悩むカルバーンに、養父エレイソンが巨大な顎を地に付け語りかける。
『ならば、考えるまでもなかろう。あれは敵だ。われらの敵たる魔族と関わりを持った、忌むべき敵ではないか』
「それは……そうかもしれないけど。でも、女王の意志がどちらに向いてるかがはっきりしないままでは、戦いを挑むわけにはいかないと思うの」
悩みを絶とうとする養父に、しかしカルバーンは困ったように俯いてしまう。
「それに、皇帝夫妻はとても善い方達だったわ。今の状況が大帝国首脳の意志だとはとても思えない」
『だが、彼らは魔族と手を組んだではないか。自分達だけが平和を享受し、その軍事力を背景に他国に襲い掛かった。大帝国は悪ではないのか?』
彼らは討つべき敵だと、養父は畳み掛ける。
カルバーンもそれは解っていたが、それでも釈然としない何かがあったのだ。
「養父さん。もう少し時間が必要だと思うのよ。確かに今のままではまずいとは私も思うわ。だけど、だからと言って今行動を起こして、それが過ちだったらと思うと――」
確かに魔族は憎い。自分の母を殺した今の魔王は憎んでも憎みきれない。
魔族と手を組み自分達だけが良い目をみようとするのなら、それは人類国家としては許されざる裏切りと言えるかもしれない。
だが、彼女は知っているのだ。あの豊かな国を。
罪なく笑う人々を。平和な世界を。
そんなすばらしい国を維持できていた者達が、果たして魔族に魂を売るだろうか。
よしんば売ったとして、それには何か理由があるのではないか。
カルバーンは、それを見極める必要があると思ったのだ。
短絡は自分達の首を絞める。そういった理性も勿論あり、感情の部分と合わさって、彼女を引き止めていた。
「もちろん、西部をこのまま見放すつもりはないわ。だからね養父さん。一度、女王と会ってみようと思うのよ。何を考えてこんな事をしているのか、それを知りたいの」
『会談をするつもりか。だがカルバーンよ。相手が相手だ。お前に何かあれば――』
「大丈夫よ。私、強いもの。何かあっても帝都位なら時間は掛かるけど自力で戻れるし。少なくとも、私に何かあれば教団が動く動機にはなるはずだし」
人間ならば捨て身に等しい行為かもしれないが、最強種族である彼女にとってはその程度、何のリスクもない。
だから、彼女は養父に笑って見せたのだ。
「安心して。女王の意図を問いただしたら、その内容に関係なくすぐに戻るわ」
『お前がそう言うのならば仕方ないが。だが、もしお前に何かあれば、その時は――』
「……そうね。もし何かがあったら、その時は、後をお願い。私がいなくても、養父さんがいれば教団は維持できる。でも無理に戦争はしないで。私は、人類同士の戦争のために教団を作った訳でも、兵を鍛えてきた訳でもないんだから」
教団はあくまで対魔族戦争の為の物。
人々に害成す教会組織は駆逐しなければならないが、それ以外の人類を倒す為の武力ではないのだ。
大帝国との対立は極限抑えたいし、できれば対魔族で共に歩めるならまた同じ道を歩みたいとも思っていたのだ。
『解った。気をつけていくのだぞ』
最後に笑った彼女の養父は、どこか影のある、いつもと違う雰囲気を漂わせていた。