#9-3.吸血族変種『吸血鬼』
所変わり、魔族世界・魔王城の玉座の間にて。
ようやく到着した吸血族の姫君が、配下の貴族を引き連れ魔王と謁見していた。
「お初にお目にかかりますわ、魔王陛下。私は吸血族リスカレス家が長子、アイギスと申します。以後お見知りおきを」
吸血族特有の長く美しい銀髪。黒のロングドレスに身を包んだ高貴な娘がそこに居た。
「吸血王が側近、ベテルギロスにございます」
「同じく、レェンゲオルグにございます」
吸血王の側近である貴族二人を引き連れての謁見である。なんとも豪勢なものであった。
実際には城内に入れていないだけで、その配下の中級吸血族だけで百名ほどいるというのだから、吸血王の本気もわかるというものである。
「うむ。君がアイギスか……」
しかし、魔王はというと、その名前と『実際のアイギス』の顔に、若干残念な気分になっていた。
その容姿は黒竜姫やグロリアと同じ位には美しいはずなのだが、あのパーティーの夜、エルゼが演じた『アイギス』とは程遠く。
やはり、あれが自分にとっての理想だったのかと、魔王は軽い落胆を覚えてしまっていた。
「――何でしょうか。何か落胆されたような」
ぽそり、アイギスが呟く。魔王はぎくりとしてしまう。
「失礼ですよアイギス。私語は慎みなさい」
傍に控えるラミアが咎めたため、それが相手に伝わることはなかったようだが。
魔王にはありがたい補佐であった。
「……まあ、いいですが。黒竜族が反旗を翻したと聞きましたので、急遽戦地より駆けつけた次第にございます。以後はお任せくださいませ」
「うむ。頼りにさせてもらうよ。黒竜族を押さえられるのは、魔界でもそうはいないからな」
急遽やってきたにしては随分と時間がかかっていたが、それを責めてへそを曲げられては困るので、誰も突っ込むことはなかった。
「それにしても、四天王の一角という地位を預かっているはずでしょうに、黒竜の姫君は何をやっているのやら」
予想できていたことではあるが、吸血族の姫君らしく、アイギスは黒竜姫を強烈に皮肉りはじめた。
「不意を打たれ兄のガラードらに囚われているらしいな。相討ち覚悟で一族全て皆殺しにしようと古代魔法を使ったはいいが、城に張り巡らされた強力なフィールドとガラードの謎の力によって打ち消されたらしい」
そういった情報が入りはしたが、未だにその時の状況がはっきりとしていない為、魔王のフォローも曖昧であった。
「……ガラードが」
それまで表情を変える事無く澄ましていたアイギスが、その名が出た途端、ぴくりと眉を動かした。
「そうですか。あの男が」
そうして、噛み締めるように眼を閉じ、呟いた。
「顔見知りかね?」
「……まさか。黒竜族は我らの敵ですわ。その長子なれば、私にとってはいずれ顔を突き合わせ殺しあうことになる相手ですもの。名前くらい知っていて当然でしょう」
「なるほどね」
今度は隣に控えるラミアがぴくりと反応するが、魔王はそれに気づかぬフリをして、話を流す事にした。
「君はエルゼの姉なのだろう。エルゼについては気にならないのか? 会いたければ呼ぶが」
どうにもとげとげしい雰囲気の漂う娘だな、と感じながらも、魔王はエルゼの話題に出して、少しばかりはコミュニケーションをとろうと試みた。
「いいえ。結構ですわ」
しかし、アイギスは表情一つ変えぬままこれを拒絶する。
「しかし、折角来たのだから、顔くらい見ていっても良いと思うのだが」
「結構です。あの娘の顔など見たくもありませんわ」
ピシャリと言い放ち、そっぽを向いてしまう。
「あまり仲が良くないのかね? エルゼからもあまり兄弟姉妹の話は聞かなかったが……」
「別に、嫌っているわけではありませんわ。ただ、傍に近づくと喰われますから」
「……うん?」
その言葉に、どうにもひっかかるものを感じ、魔王はアイギスの顔を見つめた。
アイギスは、どこかバツが悪そうな様子であった。
「あの娘は、吸血族殺しなのです。近くに寄るだけで無意識のままに他の吸血族の身体を吸い寄せて自分のモノにしてしまうのです」
関わりたくありませんわ、と、アイギスは静かに語った。
「吸血族殺し……エルゼがか?」
「ええ。侍従は愚か、兄弟姉妹や父も関係無しに喰らい尽くそうとするのです。あの娘自身は自覚も何もないでしょうが、既に弟が一人、侍従が二名ほどあの娘の身体の一部となっていますわ」
「――ラミア」
「ええ。過去にもそういった特性を持って生まれた特殊な個体が魔界に存在していた話は知っていますが。ですがそれはあくまで他の種族での事。吸血族でそれが生まれるというのは――」
自種族の姫君が同族殺しの特性を持ってしまうなど、皮肉この上ない。
「エルゼがずっと幽閉同然の生活をさせられていたのは、それが原因なのかね?」
自分の部屋から出る事を許されない日々を強いられていたとは聞いたが、それは娘に対しての虐待ではなく、そうせざるを得なかった、という側面が強いという事だろうか。
そうなると、エルゼを楽園の塔に送り込んだ事情も、なんとなしに読めてきたように魔王は感じた。
「あの娘はレーンフィールドにきて以来、ずっと使い魔の蝙蝠以外と接する事のない日々を送っていたはずですわ。実際、私も一度しか顔を見ていませんし……話したこともございません」
実の姉をしてこうなのだ。自領に居た頃のエルゼが、どれだけ孤独な日々を送っていたかを想像するのは容易かった。
「……悲しい話だなあ。君は、妹と話したことすらないのか」
「仕方ありませんわ。話せるような距離まで近づけば身体を奪い取られてしまいますもの。それでも、父は無理に話そうとして近づいて、身体の何割かを喰われたようですが」
「何だってまたそんな……弱体化してしまうのではないか?」
そもそも無敵に近い特性を持つ吸血族なので弱った所で問題はないのかもしれないが、それにしてもどうなのかと思ってしまう。
「無論弱体化しましたが、私どもは他者の純粋な血液を奪う事によって肉体の再構築が容易ですから……まあ、父なりに、あの娘を寂しがらせないように気を遣ったのでしょうが」
困ったお父様、と、アイギスは小さくため息をついた。
「まあ、幸い同族以外には安全なようですしこちらに送られたのは正しい事だと思いますが。万が一という事もありますから、陛下も用心なさったほうがよろしいですわ」
「……何を用心しろというのかね?」
「あの娘は無邪気な顔で恐ろしい事をしでかしますから。早熟な吸血族とはいえ、異常な成長速度に対し、肝心の心の成長が伴っていないのです。あれは危険ですわ」
確かに、エルゼの実力は未知数とも言えた。
単純な強さだけで見ても現時点で魔王城の誰よりも強い。
当初から黒竜姫とも対等に戦えるであろう実力があるのは予想が付いたが。
だがそれは、まだ未熟なエルゼだからその範疇に納まっているだけで、いずれはより恐ろしい存在へと変貌するかもしれない、というのを、魔王は見落としていた。
エルゼは、まだ幼い子供なのだ。これがもし百年、二百年と時を重ね経験と知識を得ればどうなるか。
その能力をフルに活用できるだけの心のスペックを持ち合わせればどうなるか。
どうにも恐ろしい未来が、うっすらと垣間見えたような気がしたのだ。
「……だが」
だが、魔王は反論する。それを認めようとしなかった。
「エルゼは、私を師と仰ぎ、友達も沢山できている。レーンフィールドに居た頃のあの娘がどうだったかは知らないが、今のエルゼなら何の心配もないと、私は断言できるね」
魔王視点では、エルゼは時折困ったこともするが、平和大好きな良い娘であった。
戦争なんかよりお茶会が好きで、友達とのお喋りをこよなく愛する人畜無害この上ない存在のはずである。
だから、怖い事など何もないのだと、彼は信じていた。
「――私より付き合いの長い陛下の仰る事でしょうから、それを否定する気はありませんわ。陛下がそう感じたのでしたらそうなのでしょうね」
アイギスは、それに逆らう事なく魔王らに背を向けた。
「これにて失礼致しますわ。ガラードが前に出てくる以上、私は急ぎ戦地に向かわねばなりませんので」
合わせ、後ろに控え膝を付いていた側近らも立ち上がり、礼とともにアイギスに追随した。
「うむ。成果を期待させてもらおう」
魔王もこの上それを止めるつもりも無く、三人が立ち去っていくのを静かに見守っていた。
そうして三人の姿が見えなくなった後、魔王はラミアの方を見る。
ラミアは不思議そうに首をかしげていた。
「どうかなさいましたか?」
「いや、さっきのアイギスの話な……君が何か反応していたから、何かあったのかと思ってね」
魔王が気になったのは、ガラードの件の時のラミアの反応である。
「ああ、あれですか……あの娘、嘘をついていましたから。少し可笑しくなってしまいまして」
「嘘? 何をかね?」
「ガラードの事ですわ。アイギスとガラードは少なくとも顔見知りのはずです。シルベスタの際に顔を合わせているのを見たと何度か部下から聞いたこともありますし」
「ほう」
また随分小さな嘘をついたものだと、魔王は不思議な気持ちになったが。
ラミアはくすくすと可笑しそうに笑っていた。
「何が可笑しいのかね?」
「いえ。あの娘も相変わらずと言いますか、子供っぽいと思いまして。ぷくくっ」
今一要領を得ないラミアに、魔王の頭の中の疑問符は増えるばかりであった。
「ああ見えてあの娘、きっと頭の中はお花畑全快で喜んで戦場に向かったはずですわ。全く、素直じゃないというか、吸血族らしいというか」
笑いがこらえきれないらしく、口元と腹を押さえながら語る。
「……むう。もう少し解るように話してくれんか」
魔王にはわけが解らなかった。段々イラついてくる。
「別に大したことではございませんわ。ぷくっ、くふふっ」
「――もういい。なんだか面倒くさくなった」
別にバカにするつもりも無いのだろうが、これ以上追及しようとするとラミアの術中にはまったような気がして嫌だったので、魔王は興味が無いフリをする事にした。
こうして、アイギス率いる吸血族の軍勢が、黒竜族の領地グランドティーチへと出陣した。




