#6-3.獣人の女王
「そういえば、気になる事と言えば、セシリアの侍女の事だが――」
セシリアの話をこのまま続けるのもどうかと思った魔王であったが、その侍女については気になる部分も多々あった。
まともに話したのは一度だけだが、何かと不思議な部分が目立つ娘だったので、この際尋ねてみることにしたのだ。
「セシリアの侍女……ですか?」
しかし、王妃は意外とというか、どうにも要領の得ない顔をしていた。首を傾げたりする。
「あの娘はそちらに着いてから、誰ぞ侍女に雇い入れたのでしょうか? あの娘からの手紙には全くそのような事は書かれていませんでしたが――」
「知らないのかね? 魔王城に来た時には既に居た筈だが。確かセリエラとかいう」
侍女のことなんて一々記憶しないのかもしれないが、それにしても淡白すぎやしないか。
いや、もしかしたら本当に知らないのかもしれないが、あのセシリアがこの母に向けて何も教えないというのも違和感があった。
「セリエラ? それはもしや、セリエアール女王の事ですか? 狐の」
「……女王?」
そういえば何かの王だとか言ってたな、と、彼女との数少ない会話を思い出す。
「獣人達の王たる幻獣『狐』。私どもエルフの盟友です」
そこで最近聞き覚えのある言葉が飛び出た為、魔王は眉をぴくりと動かした。
「幻獣? セリエラは幻獣なのか?」
『幻獣に気をつけろ』といったあの武器商人の警告。
それが何なのか気にはなっていたものの、適当に調べた程度では解らず、難航していたのだ。
魔王は、このような場面でそれが聞けるとは思いもしていなかった。
「ええ、そうですが、その、女王が何か?」
だからなのか、少し興奮気味に問うていたようで、王妃は少し驚いたように魔王の顔をじっと見ていた。
「いや、すまない。最近聞いた話だから、気になってしまってね。それでその、幻獣とは何なのだ?」
「良くは存じませんわ。私どもエルフがこの世に生まれし遥か古代より、この世界に隠れ住んでいたと聞きましたが」
歴史の上で考えるなら、エルフをはじめ亜人種族がこの世界に誕生したと明確に記されているのは三億五千年ほど昔の話である。
魔族世界で言うなら五十代ほど前の魔王の時代。
人間世界はまだドラゴンスレイヤーすら作られていない暗黒の時代真っ只中であろうか。
少なくともそれより前からあの侍女が生きているというのは、中々驚かされる。
ラミアほどではないにしろ、今は亡き黒竜翁よりは長生きだった訳だ。
「……その、侍女の姿をしていたのは趣味なのかね?」
少なくともセシリアは侍女だと思い込んで接していたようだが、あの格好に意味はあったのだろうか、と疑問も涌いた。
「趣味ではなく、恐らくはそういう外見の誰ぞかの肉体を乗っ取ってるのではないかと。『狐』は無色透明の生物の為、誰ぞかの肉体を乗っ取らなくては他者に可視させるのが不可能なのだという話ですわ」
「なるほどなあ。つまり、侍女の身体を乗っ取って、従者という名目でセシリアと一緒に来た訳か」
さりげなく恐ろしい事をするなあと思いながらも、彼女との会話の際に姿を見せなかった理由がようやく納得できた気がした。
あの時彼女は『かなり特異な容姿』だからと姿を晒せないと言っていたが、そもそもその容姿が透明では見せようがないのだ。
「恐らくは……あの方も悪戯好きと申しますか、時々予想もつかない事をするものですから。しかしそうですか、最近姿を見ないと思ったらセシリアのところにいたのですね、女王は」
ふう、とため息ながらに、王妃は噛み締めていた。
「何故魔王城に来たのか、その目的は解からないかね?」
セリエラがセシリアの侍女でも何でもないというなら、その目的が気になるところであった。
何より関わるとロクな事に成らないと言われているのだ。
その辺りが解からないではどうしようもないという気持ちもあった。
「残念ですが、彼の女王は私どもの想像の上を行く行動を取る事が多々ありますので……ご本人から聞いたほうが解り易いのではないかと存じますわ」
お力になれず申し訳ございません、と、王妃は耳をしょげさせる。
「そうか……聞いて教えてくれるかは解らんが、そうするとしよう」
関わるなと警告された以上あまり関わりたくも無いのだが、だからと何も知らないままでいるのも気持ち悪いのだ。
その辺り矛盾している気がするが、魔王は敢えてボーダーラインを踏み進むことにした。
その後、王妃から歓待の支度があることを聞いた魔王であったが、「今は忙しい身なので」とそれを辞退し、魔王城へと帰還する事にした。
「……じーっ」
魔王城に帰り、エルフの森の襲撃者についてラミアと話し合おうと玉座の間に戻ろうとした魔王であったが、丁度その入り口、柱の影から玉座の間を伺っているウィッチが眼に入った。
緑色のとんがり帽子、アーティである。
「はぁ、アルル姉様かっこいい……」
かと思えば、何か変なことを呟きながらほう、と息をついていた。
「何をやってるのかね?」
「うきゃぁっ!?」
後ろから声をかけると、絶叫と共にびくりと跳ね上がる。
なんともコミカルな様子であった。
「へ、陛下ではありませんか? ああ、びっくりしましたわ……」
魔王のほうを向くや、青ざめた顔で胸元を押さえる。よほど驚いたらしい。
やはりというか、小心者なのはウィッチ族故か。魔王は苦笑してしまう。
「いや、驚かせてすまなかったが……こんな所で何をしていたんだ?」
玉座をちら、と見るが、いつの間にかアルルはいなくなっていた。
「その……今回の敗戦について、陛下に一言、私の気持ちをお伝えしたいと思ってきたのですが……アルル姉様がいらしたので、つい」
『アルル姉様』という言葉に魔王はちょっとした違和感を感じるのだが、よくよく考えればアーティは先代の娘である。
アルルとも父親違いの姉妹なので何ら間違いはなかった。
「君はアルルとは姉妹仲が良かったのかね? その、今は色々あって記憶が失われている訳だが」
先代によって多くの者の記憶が失われている中、それを知っている数少ない例外がアーティであった。
それが何故なのかは魔王にも解からないままであるが、気になることは多い。
「なんでかは解からないのですが、幼い頃は金髪の凶悪な姉に虐められていて……一番上のアンナ姉様が近くにいないときは、アルル姉様が助けてくれていたのです」
あの金髪絶対許さない、と、あまり似合わない憎しみの眼になりながら、そんな昔の事を語るアーティ。
(あの時アルルにかばわれてたのがアーティだったのか)
魔王も覚えのあることだけに苦笑いするしかなかった。
確かに記憶にある。カルバーンとアルルが口論していた際、アルルの後ろで泣いていたあの小さな子。そうだったのか、と。
「残念ながらアルル姉様は私の事を覚えてらっしゃらないようですが、お城でのアルル姉様はとてもきびきびしていて……すごく格好良いのです」
「まあ、私としても優秀な部下だと思っているよ。よくやってくれているしね」
「そうでしょう! そうなのです、アルル姉様すごいのです!!」
確か会談前は『アルル様』と普通に呼んでいた気もするが、その時と比べてこの温度差である。
色々と不幸な境遇ながら普通の娘だと思っていた魔王だが、やはりというか、先代の娘は変わり者ばかりだという認識は今回も覆せそうになかった。とても残念な事に。
「ですが陛下。だからこそ、アルル姉様の父上の事が許せませんわ」
唐突にテンションが落ちる。ぽそり、呟かれた言葉は、とてもシリアスなトーンであった。
「……やはり、君も悪魔王が怪しいと思うか」
「ええ。残念ながら。各地の悪魔族がこうも一斉に決起するなど、あってはならない事の筈。これではそれを束ねる大悪魔達が反乱を扇動しているとしか思えませんもの」
何を考えているのやら、と、苦虫を噛んだような表情であった。
「私が上手くやれなかったのは、それは勿論私の不手際ですわ。謗りも罰も受けるつもりです。ですが、このような状況、一体誰が想像できたと――」
軍を率いていたアーティが悔しそうにするのも無理はなかった。
今回に関しては、アーティの統率の良し悪しなど何の関係もない、それこそ誰も予想し得ない事態になっているのだから。
途中までは上手く行っていたのだから、むしろアーティは頑張ったとすら言えるだろうと、魔王も、勿論ラミアもそう考えていた。
「どうやらより厄介な事になりそうだ。アーティ、休めるのは今のうちだけになるだろう。しっかりと英気を養ってくれたまえ」
魔王城へと撤退したアーティたちには、特別に三日間の休息が与えられていた。
予断の置けない状況ながら、苦しい戦況の中なんとか帰還できたのだ。それ位の労いは必要だろうと上層部が判断したのだ。
魔王の言葉に、アーティはぺこりと腰を曲げ、これに応える。
「ありがとうございます。必ずや、この苦難を乗り越えられるよう、役立てるように努力しますわ」
力強い言葉であった。きっと頑張ってくれるだろう。
ラミアは頼りないと思っているようだが、中々に心強い娘じゃないかと魔王は感じていた。




