#3-2.深緑のウィッチ
「中々面白い事をするわね」
薄暗い明かりの中、影が二つ、揺らめいていた。
「ラミアに任せたままなら、直球で攻め込んで潰すでしょうに。見た目余裕な相手にまでわざわざ絡め手を使うなんてね」
一人は、濃い緑色のとんがり帽子のウィッチ。
同系色の長めのローブを纏い、口元をにやけさせながら水晶を眺めていた。
「随分と余裕ではないか。このままでは貴公の策略、全て崩れるのではないか?」
もう一人は、巨大な出で立ちのヤギ頭。筋骨隆々の巨体が、とんがり帽子の後ろで皮肉げに水晶を眺めていた。
「あら。馬鹿にするものではなくてよ?」
ヤギ頭の皮肉に、どこか気を悪くしたのか。
ウィッチは色を感じないエメラルド色の瞳で、ヤギ頭の顔を睨みつけていた。
「こんな程度、想定の範囲内よ。私を誰だと思っているの?」
「……いい眼だ。貴公がその眼をしている間は、まあ、上手く行くのだろうな」
視線に臆するでもなく、ヤギ頭はせせら笑う。
「――ふん。当然だわ。私は先代の側近だったのよ。ラミアの戦略だって、戦術だって、全て知っているわ」
自信が垣間見えていた。ウィッチを含め、全ての悪魔族の王たる自身を前に、勝気に笑うこのウィッチ。
だが、そのような無礼ですら見逃せる位に、この女は有用だと、彼は知っていた。
「流石はあの赤い帽子のウィッチ殿の妹だ」
そして、彼女の弱みも知っていた。
だから利用するつもりだったのだ。野心の為に。
「――貴方如きが姉様の名前を出さないで頂戴!!」
幼さを残しながらも整った顔が、唐突に憎悪に染まっていく。
「くくく。やめておけ。今の我らは同胞ではないか。つまらぬ事はよせ」
そう。同胞なのだ。経緯は別として、目的を同じくして組んだ仲間である。
その結末として求めるモノは全く違うだろうが、そんなのは今は関係なかった。
「……ふんっ」
ヤギ頭の言葉に反抗することも出来ず、ウィッチは忌々しげに背を向け、再び水晶を覗き込んだ。
「――予定と比べ、南部の動きが鈍い。案の定、黒竜の姫君が動いているようだ」
「四天王は同じ四天王の貴方が抑えるべきでしょう」
同列とは言えずまでも、対等に近い立ち位置にいるはずなのだから、と。
ウィッチは、あまり働かぬヤギ頭をにらみつけた。
「そうはいかぬ。我では目立ちすぎる。今はまだ、魔王らに動きを察知されたくないのだ」
「小心者。そんなだからいつまでたっても第四位のままだったのだわ」
遥かに上の背丈のヤギ頭を下から睨みつけながら、ウィッチは役に立たないでくのぼうを罵倒した。
「馬鹿を言え。下手に上位にでもなってラミアに目を付けられてみろ。たちまち謀殺されてしまうぞ」
ある意味彼にとっては、得体の知れない魔王よりも、ラミアの方が遥かに厄介で恐ろしい存在であった。
そんな事はこのウィッチも解っているはずなのだが、どうにもこのウィッチはラミアを憎んでいるのか、その辺り盲目になっているらしい。
ヒステリックな空気がピシリ、ピシリと漂う。
「貴公がなんと喚こうと、今回は貴公に動いてもらわねばなるまいよ。ええ? ウィッチ族の長よ」
文字通り見下していた。悪魔王である彼からすれば、たかがウィッチ族の長など、数いる部下の一人に過ぎない。
実力的に見ても格下と言えるが、それでもこの女には明確に魔王に対する叛意があり、ラミアに対しての憎悪があった。
大変扱いやすく、そして使い捨てるには上等な道具であった。
「……黒竜は嫌いだわ」
自分の言葉を容易く切り返された為か、ウィッチは気まずげにそっぽを向き、ぽつり呟く。
先ほどとは違い、どんよりと暗い表情で。死んだような目になって。肩を震わせて。
「では、任せたぞ。精々上手くやってくれ」
そんな言葉聞こえておらぬとばかりに、ヤギ頭は部屋を出て行く。
「――ちょっ!? 何を勝手に――」
はっとしたウィッチが振り向いた時には、もうヤギ頭の姿はなく。
面倒ごとを押し付けられた事に、酷く憤慨しながら、やるせなく思いながら立ち尽くす事となってしまっていた。
「くくくく。なんとも甘美な顔であった。トラウマを抉られる女の顔は、中々に美味なものよ――」
ウィッチ族の城からの帰路、ヤギ頭はこらえきれぬ笑いに肩を震わせていた。
笑いが止まらない。あの女も、所詮は小物である。
先々代の魔王の時代では役立たずのゴミ扱いを受けていた女だった。
双子の姉のおかげで命拾いしたような女だった。
そんな女が、先代の時代にちょっとばかり厚遇を受けたからと鼻を高くしている。
なんとも滑稽。そんなだから利用されるのだと、ヤギ頭はおかしくて仕方ない。
「まあ、そんな女でも、少しばかり口が上手いのだから、役には立つな」
何せ保身が上手い女だ。なんとかして必死に黒竜族を説得しようとするはずである。
それが成功するならよし、失敗したなら、切り捨ててなかった事にすれば良い。
何も今を急ぐ必要はない。今の魔王は大層無能で、大変個性的なのだ。
何かすればすぐに粗が目立ち、それは度々民を困惑させる。
反乱の芽など、何も今でなくともいくらでも後から涌いてくるはずだった。
だから、彼はその成否をあまり重く見ていなかった。
「……くっ」
そして、一人残されたウィッチは、屈辱に頬を歪めていた。
あんな奴と手を組む羽目になったこと。それそのものが屈辱であるかのように。
悔しげに手を握り締め、歯を噛んでいた。
「――それでも、もうダイスは投げられたわ」
呟く。その覚悟を自身の内に浸透させるように。
時間が経つ。一分。五分。十分。
少しばかり落ち着いたのかウィッチは肩から力を抜く。頬は、自然緊張から解き放たれた。
(あんな奴に好きにさせる訳には行かない。エルリルフィルス様。いえ、トルテ様。どうか、私に力を――)
祈るように胸に手をあて、ウィッチは歩き出した。
向かう先は、かつて自身をボロ雑巾にした、あの黒竜の城であった。