#2-3.多重構造世界シャルムシャリーストーク
「そこまで言うのだ。大方の原因位は解ってるのだろうな?」
魔王は、胸に思い当たるものを感じながら、答えを問うた。
「ここまで話したんだ。大元の原因が何であるか位、察しは付いてると思うんだがな?」
カールハイツは、ここまで話せば十分だろうとばかりに、この話を終わらせようとしていた。
「……原因がわかっても、どうにもならんという事もある」
世界が複製される魔法の存在。
どうやらそれを実行したらしい王子がいたことも知っている。
姫君が一人、それによって過去を模した別の世界に飛ばされ、そして、いずれはその世界で魔王として君臨するであろう事も。
それによって、恐らくはまた、同じ悲劇が繰り返されるであろう事も、魔王は知っていた。
そう、悲劇は繰り返される。これによって、世界は減るペースを凌駕して増えてしまったのだろう、と、魔王は考えていた。
「原因を絶つ事は……まあ、容易じゃねぇだろうなあ。例えこの世界一つ、その原因を断てたとしても、その瞬間に既に無数の同一世界が存在しちまってる。そして断てない世界が絶てた世界より多ければ、それは断てない方が『この世界の本来の姿』という扱いになっちまう」
多重構造世界のルール。
単一構造の世界と違い、複数存在する世界は、小さな視点で見た場合の『今立っている世界』と、同時に存在する全ての同一世界の平均値として存在する『外から見た世界』の二つの在り方が存在し、それぞれ差異がある。
今魔王達が立っているシャルムシャリーストーク。これは、数あるシャルムシャリーストークの中の一つに過ぎない。
だから、世界によっては魔王が魔王になっていない世界もあるかもしれないし、そもそも魔王が今この瞬間に存在していない世界も存在する。
そこに暮らす民には解らないが、これを外から見た場合、一つ一つの世界がどんなであるかが分かるのではなく、『平均値として存在する世界』が見えるようになっている。
そして一般に、多重構造の世界の状態を語る場合には、この『平均値の世界』が重視されるのだ。
また、外からこの多重構造の世界に訪れた場合、『全ての世界に現れるその人』という形になり、全世界にその人が現れ、世界ごとに異なる結末を迎える事となる。
逆にいずれかの世界から外に出た場合、元々いた世界の記憶や経験がそのまま残るのではなく、『全ての世界の平均値の行動と結末』が世界の外に出た際のその人の記憶や経験となる。
つまり、その世界で死んでしまったというケースが全体の平均かそれより多ければ、例外的な世界で生き延びたその人が外に出たとしても、やはり死んだという結果のみが反映されるのだ。
カールハイツの言う通り、増え続ける世界をどうにかしたい場合、過半数以上の世界でその元凶たる何かを止める必要があるのだが、それをやろうとすれば、途方もない労力と工夫が必要となってしまう。
なにせ、世界は今こうしている瞬間にも増え続けている。
どこからそうなっているのかも解からないし、もしかしたら元からそう組み込まれていたのかもしれない。
世界が生まれた瞬間に、その未来は決まってしまう。
だとしたら、自分たちの手では未来など変えられないという事になる。
そう、変わらないのだ。どうにもならない。絶望的であった。
魔王はここにきて、あの侍女の格好をした『魔王』を思い出していた。
彼女がやろうとしていた途方もない行為。それがいかにデタラメであるかを、今更のように理解したのだ。
「だから、上はあくまで介入ではなく、調査のために俺を寄越したんだ」
「計算が正しいかどうかの実測の為か」
「だな。本当は部下がその仕事を任されてたんだが、あの野郎、遠隔地だからってサボった上に楽しようとしてつまらねぇことしやがったからな」
あれには参ったぜ、と、タバコを落とし踏みつけながら。
カールハイツは、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「つまらないこと?」
「呪いだよ。ダークベアトリーヌって知ってるか?」
「ああ、魔界にしか存在しない貴重な魔鉱石だろう。魔界では『種族殺し』と言われているな」
男の子を産めなくするという、種族にとっては致命的過ぎるピンポイントな呪いは、魔界でもよく知られ、恐れられていた。
人間と違い、魔族は竜族のように比較的少数でまとまっている種族もいるし、中には男児以外の世継ぎを認めないものもいる。
そのような種族にとって、ダークベアトリーヌの呪いは種族を滅亡に追いやりかねない危険この上ない代物であった。
「ラムの街でそれがばら撒かれてた。それも結構な期間でな」
「なっ――」
あっさりと言われたが、それはつまり、向こう数十年、街から男が消えるという事である。
国家の存亡とまではいかずとも、国の繁栄に陰りを生むには十分すぎるダメージとなり得た。
これには魔王も唖然としてしまう。
「恐らく、あのお姫様にもその呪いがかかっちまってる。ここで大帝国が滅ぼさんでも、この国は遠からず滅びてたさ」
いつの間に打ち解けたのか、楽しげに話している姫君を見ながら。カールハイツは二本目のタバコを咥える。
跡継ぎ不在の老齢の王。男の子が生まれなくなった城下街。更に姫君は呪われている上にモノ知らずで世間から隠され知名度も無い。
何もかも詰んでいた。ここまでくるともう笑うしかない。カールハイツは皮肉げに笑っていた。
「なあ、ドルアーガさんよ」
やるせない空気の中、しばし沈黙していた両者であったが、ふと、カールハイツがぽつり、魔王の名を呼んだ。
「その名前は、時が来るまで封じてある」
今更ながら、魔王は自分の名前を拒絶する。
「じゃあ、魔王様とでも呼べば良いか?」
「好きにしたまえ」
自分の呼び名など、何だって良かったのだ。
ただ、本来のその名だけは、人には呼ばせたくなかった。
そんな感傷が、彼にもあったのだ。
「例えばだけど。魔王様がこの世界で送った人生が『平均値』じゃなかったら、どう思う?」
「平均が私の送った人生より酷ければ安堵するだろうし、逆に私の送った人生が悲惨と思えるほど平穏な日々が平均だったのなら、まあ、ついてなかったと思う外ないな」
「そう割り切れるのかい?」
「割り切らねばなるまい。未来が変えられんのと同じで、過去も変えられん。私は『こうなる』運命だった」
運命という解り易く便利な言葉が、この世界にはあった。
そう、全ては決められているのだ。なら、それに従うほかあるまいと、魔王は思っていた。
「どうせこれが運命の一欠片だというなら、せめて楽しく暮らしたいと思う。好きなようにやりたい」
「……そうか」
「じゃなきゃ、今まで歩んできた道が、嘘になってしまう。何もかも失って、たどり着いた私の答えだ」
自嘲気味に笑いながら。また、海を見やる。
ウミネコがにゃぁにゃぁと鳴いていた。
「例えば。平均値の魔王様が、この世界を既に去っていたとしたら、不思議な事が起こると思わないか?」
またぽつり、カールハイツが問いかける。
「どういう事かね?」
魔王も釣られ、カールハイツの顔を見てしまう。
「つまり、この世界に留まった魔王様と、既に世界の外にいる魔王様と、二種類の魔王様が、世界の内と外で同時に存在しちまうってこった」
「――という事は、その『私』はヴァルキリーを失っていないのか。それは良いことだ。素晴らしいと思う」
あんな辛い思い、自分にだってさせたくない。
魔王は両手放しでそれを受け入れようとして……そして、困ったような顔になっていた。
「だが、それだとアリスちゃん達とは会えなくなるんだな……サブカルチャーのよさも分からんままなのだろう。寂しいというか、なんというか、勿体無い気がするなあ」
今の生活はそれなりに気に入っていた。充実していると思っていた。
面倒ごとも多いが、楽しい事も多いと思っていたのだ。
それは、ヴァルキリーを失った事によって気付かされた一つの価値観であった。
世界は、こんなにも楽しいことに溢れているのだ、と。
だから、それに気付く事も出来ず、この世界に訪れたばかりとそう変わらないでは、楽しみも少なかろうな、と。
「私とその『外に出た私』は、恐らく、既に全く別の存在になってしまっているのだろう。例え対峙したとしても、同一人物とも思えん齟齬にまみれると思うが」
変わってしまった。魔王は、自分ではそう思っていた。
だからこそ、過去と同じ自分とは相容れまい、と感じていたのだ。
「そうか。まあ、そうなんだろうな」
魔王の言葉に納得してか。それとも予想済みだったのか。カールハイツは満足げに笑っていた。
二本目も吸い終わってか、落として踏みにじる。
「――『幻獣』に気をつけな」
話は終わりだ、とばかりに姫君のほうへ歩きながら、カールハイツは背中越しの魔王に忠告した。
「幻獣? それは一体――」
「俺が知る限り、この世界は一つの原因によってしか滅亡しえない。こっちは、俺が滅亡寸前の世界で直接見てきたから良く解る」
振り向きもせず。歩も止めず。
ただ、最後に一言、告げてくれた。
「平穏に生きたいなら幻獣には関わらん事だ。好き放題やってから死ねる」
後は自分で考えろとばかりに、それ以上は何も語らず。
カールハイツは、おしゃべりしていた姫君を連れ、去っていった。
港に、人影が増え始めていた。