#2-2.波止場にて足止めを喰う
しばらく休んで、アンゼリカが大丈夫そうなのを確認したあたりで、もう陽は昇り始めていた。
明けの光は水平から差し込んでくる。眩さはないが、神々しさは感じられた。
「やあ、実に鮮やかな手際だったよ。たった一晩で、ここいらの支配者が入れ替わってしまった」
周囲を見渡して倉庫の影から出たはずが、どこから現れたのか。
声に驚き波止場を見てみれば、貴族風の出で立ちの中年男と、銀髪の品の良さげな娘が立っていた。
――いつの間にそんなところに。唖然として言葉すら出ない。
「わあ、師匠、鳥です。白い鳥が沢山飛んでますよっ」
「ほう。これは中々壮観というか――」
だが、この二人組。そこまでカールハイツらの事を気にしないのか、のんきに海の向こうを眺めていた。
空を舞うウミネコに気を取られ、こちらに気付いた素振りすらない。
ただの独り言だったのかもしれない。そう思うようにして、男達から離れようとしたのだが。
「そのお嬢さんが、ババリア王の第二子、アンゼリカ姫かね?」
やはり、それはできなかった。気付かれていたのだ。
ぴたり、二人の足が止まる。止まらざるを得なかった。
紳士じみた格好のこの中年が、自分たちの秘密を知っている。無視などできるはずもない。
「……あんたら、何者だ?」
一応、と。挨拶代わりに名を問うてやったのだ。
「別に。ただの通りすがりだよ」
振り向いた男は、両手を広げおどけて見せる。
「その弟子です」
銀髪の少女の方はにこやかぁに微笑んでいたが、その視線はどちらかというとカールハイツではなくアンゼリカに向けられていた。
「……ああ、そうかい」
特別、聞かせたい訳でもないらしいので、それ以上は無理に聞こうとしなかった。
何より、彼はそんなの知っていたのだ。聞く必要などなかった。
「その通りすがりが、俺たちに何の用なんだ?」
彼らに害意がなさそうなのは解った上で、それでも一応、アンゼリカを背中に隠す。
懐に隠していた黒いナイフに手を向け、いつでも応戦できるようにと備えながら。
「いや何。ババリア王の近辺を探っていた部下が、君の事が気になると報告してくれてね。何者なのか、少しばかり聞きたかったのだ」
だからこうして待っていた、と、男は苦笑していた。
本当かは知らないが、意外と平和的な理由だったらしい。
「……しがない『武器商人』だよ」
「そうか。『武器商人』だったか」
なんとなく、そう聞けばそうと流せてしまうかもしれないと、さらっとかわそうとしたのだが。
「レゼボアの高級官僚が、こんな所で何をしていたのだ?」
生憎と、この男には通じないらしかった。
(ちくしょうめ。あの親父、最初から知ってやがったのか。知らねぇ素振りしやがって。今度会ったら嫌味の一つも聞かせてやる!)
カールハイツは歯を噛みながら、恨み言を一つ、飲み込んだ。
「よく知ってやがる。隠せねぇか」
「まあ、私も外の世界を旅していたからな。レゼボアの支配体系はある程度把握しているつもりだ」
中々に博識なこの中年紳士。もとい魔王は、悔しげなカールハイツを見てにやり、口元を歪めた。
「――エルゼ、アンゼリカ姫と少し、おしゃべりでもしてるといい。私はこの男に用事がある」
「いいんですか? 解りました。それじゃ、アンゼリカさん、行きましょうっ」
先ほどからちらちらとアンゼリカを見ていたのを知ってか、魔王は弟子を唆す。
満面の笑みになったエルゼは、そのまま相手のことなどお構い無しに近づき、手を取ろうとした。
「えっ? あっ――」
アンゼリカが断る暇もなく、手を引かれてしまう。カールハイツも唖然としていて、何も出来ずにいた。
気がつけば、姫君は魔族の手中にあった。
困惑気味に引っ張られていくアンゼリカを、カールハイツは曖昧に笑って見送っていた。
「俺がこの世界にきた最大の理由は、今のこの世界の状態の調査にある」
「世界の調査? そんな事までやってるのかレゼボアは」
どうにも異世界からきたらしいこの男が、何を考え何をしていたのか。
それが気になるこうして顔を見に来たのだが、実際に聞いてみれば中々に興味をそそられるものであった。
「これはレゼボアのトップシークレットだぜ。ドルアーガさん」
口元に指を当てながら。カールハイツは皮肉げに笑ってみせる。どうやらさっきのお返しのつもりらしい。
「なるほど。君は私の事を知っているらしいね」
反応の薄さというか、自分の顔を見てからの彼の様子には色々と違和感があったのだ。
それがなんとなく納得できた気がして、魔王は小さく頷いていた。
「16世界の『魔王』の名前と外見、『魔王』になった経緯。ある程度の性格位は暗記させられてるさ。少なくとも俺たちの上が把握している限りはな」
「ふふん。私も有名になったものだ」
魔王は誇らしげであった。名が知れるというのは悪い気がしないのだ。
「まあ、私のことは良い。私は、君と話に来たのだからな」
「だから、トップシークレットだって」
勘弁してくれよ、と、カールハイツは嫌な客にあったような顔をする。
だが、魔王も退くつもりはなかった。気が向いたからである。
「だが、話せない内容ではない」
「バカいえ、下手に喋ったら俺のほうが上に消されちまう」
「ここで私に消されるのと、帰ってから『NOOT.』にデリートされるのと、何の違いもないと思うのだがな」
そら恐ろしい事を言ってのけるのだ。実に魔王らしい振る舞いであった。珍しく。
「……冗談に聞こえねぇ」
頭をぼりぼりと掻きながら、帽子のずれを直す。
「まあ、だが仕方ねぇな。命の危機とあっては、語らない訳にもいかん」
そう、仕方ないのだ。自分が殺されるかもしれないという状況にあって、それを話せば見逃してもらえるのなら。
それは聞かせてしまっても仕方ないんじゃないかと、カールハイツは考えていた。
魔王は、その言い訳を用意してやったのだ。
少し離れた場所で海を眺めながらきゃっきゃしている少女二人を見ながら、魔王とカールハイツは近くに置かれていたタルの上に腰掛けていた。
「あんたなら解るかも知れんが、今のこの世界って、本来あった形と大分違っちまってるだろ」
「ああ。本来一つしかない単一構造の世界が、いつの間にか無数に存在する多重構造の世界へと変貌しているようだな」
どの時点でそのような状況が発生したのかは解からないが、少なくとも魔王は、この世界に入った時点でそうなっている事には気付いていた。
「つまり、それ自体が酷く不自然な状態にあるって事だ。これが元で、上流から流れる水が、ここより下の世界に流れにくくなっちまうらしい」
懐からタバコを一本、取り出す。咥えると火をつけ、一息ついた。
「下流の世界なんかだと結構切実な問題でな。今はなんともないが、百年後位には影響が出始めて、大体五千年から一万年後には、レゼボアの全人口と世界を構成するあらゆる物質が3割前後減るって計算が出てる」
おっかねぇ話だろ、と、カールハイツはつまらなさそうに魔王に振った。
「つまり、本来流れ落ちる水が、増えていく同じ世界に使われてしまうのか……」
「そういうこった。もちろん、全ての時間軸に同じ世界が存在するって事は、当然滅亡寸前の世界もある。俺もいくつか、滅亡していくのを目の当たりにしたよ」
「滅亡するペースより、増えるペースのほうが速いという事か」
世界の滅亡とやらは、魔王的にはあまり触れたくない話題であった。
自身の過去を思い出させられるのもあるし、何よりそんな未来の知れた話など、聞きたくはなかったのだ。
「ああ。恐らくな。そして同時に、矛盾が生まれる」
「矛盾?」
「一つの世界が生まれるって事は、つまり、その世界の未来も同時に生まれるって事だ。生まれたそのときに、すでに滅亡したという未来が確定付けられている。これは、誰にも変えられるもんじゃねぇ」
誕生と滅亡はワンセット。だというのに、生まれるペースと滅びるペースに食い違いがある。
なるほど、確かに矛盾していると、魔王も頷いた。
「だから俺はこう考える。本来は噛みあっていたはずの誕生と滅亡のペース。これが、『何か』によって誕生の方に偏っちまったんじゃないかってな」
そこで一旦話を区切り、タバコをふかす。ふぅ、と息をつき間を空けた。
思い出したように懐からもう一本取り出し、魔王へと差し出す。
魔王は手を横に振ってそれを断った。