#2-1.逃避行
地図から一つの国が消滅し、一つの国の版図が広くなった。
城が陥落し、帝国軍による掃討戦が済むと、後からラムの街に到着したガトー軍は、帝国軍によりラムの街を明け渡され、街の占拠とガトー王国による統治を宣言。
これにより、ガトークーヘンの一領主・ババリアによって独立されたラムの街は、再びガトー王家の支配下に置かれた。
城の陥落にしては静かな終わり方であった。
一つの国の総力戦の割には兵の雄たけびも喚声も聞こえず、勝ち鬨すら上がらない。
ただ粛々と進み片付けられたような、そんな仕組まれたような静けさが、事態を見守っていた多くの者に違和感と、国家間の『まともな戦争にすらならないレベルの実力差』を思い知らせていた。
攻め込まれた時こそ混乱していたラムの民は、しかし、帝国軍が粛々と城を攻略していき、ガトー軍が城に入っていくのを見て、次第に落ち着きを取り戻していった。
次の支配者は帝国か、ガトーか。いずれにしても、ババリア王はもういなくなるのだろう、と、彼らは理解したのだ。
民は現実主義者である。明日の生活が保障されるのなら、自分たちの上が誰であろうと細かい事は気にしない。
大切なのは自分たちの明日がどうなるかであり、これからの自分たちの腹具合と財布の重さである。
それらが満たされ、今より幾分マシになるなら、愛着のある王が顔も名も知らない執政官にすげ変わろうと、まあ、我慢はできるのだ。
時代は変わった。それは彼らにもよく理解できた。
自分達はまだ幸せなのだと思えていた。戦争で負けたと言っても、別に魔族との戦いに敗れた訳ではない。
元々の独立の原因はガトー王家の高慢さにあったが、彼らとて流石に前と同じようにはすまい、と。
どこか楽観視も混じっていたが、ともかく、彼らは新しいこの支配者を迎合する事にしたのだ。
そんな街の様子を眺める暇もないまま、港のはずれを駆けていく男女の姿があった。
なめし革のジャケットを羽織った変わった出で立ちの男と、その男に手を引かれ、肩で息しながらも必死についていく少女。
それは、無事城を脱出したカールハイツとアンゼリカ姫であった。
大事を置いて街の中で帝国軍とガトー軍が城に入るのを待ち、街の警戒が手薄になったのを狙って上手く港まで逃げてきたのだ。
「ここまで来れば大丈夫だろう。後は、俺の船まで見つからなきゃ――」
倉庫の影に入り込み、ようやく一息、とばかりに立ち止まる。
ふう、と大きく息を吐いて、懐からタバコを取り出して、火をつけた。
落ち着いてから姫を見ると、姫は膝をついて座り込んでいた。
「はっ……はぁっ――はぁっ――っ」
顔色も真っ青であった。どうやら走らせすぎたらしいと気付き、カールハイツは焦った。
「いやその、すまん。ちょっとばかし、お姫様には過酷過ぎたか……?」
そういえば走っている最中に一言二言、何かわめいていたように聞こえたが、何分命がけの逃避行である。
そんなの聞いてる暇もないぜとばかりに無視して走り続けていたのだが、どうやらそれが姫の限界を知らせる合図だったらしい。
限界を何回無視したかも解からないが、吐かないだけマシだろうか。
それとも吐く事もできない程にまずいのかもしれないが、本当に大丈夫だろうかとドキドキしてしまう。
「はっ――はっ――ぁっ……はぁ……」
荒い息。上気した頬を見るとどうしても色気を感じてしまうのだが、頭を振ってなんとか邪念を振り払うと、カールハイツは姫の背中をさすってやった。
「ん……はぁっ――みません……ちょっと、だけ、休ませ――」
なんとか搾り出した言葉は、許しを請うような、か細く儚いものであった。
「……ああ、少し休もう」
都合よく木箱が転がっていたので、姫君を抱きかかえ、そこに座らせた。
自分は壁に寄りかかり、一応とばかりに隙間の出口を警戒する。
夜になってもう何時間経つか。そろそろ明ける頃なのか、水平線の向こうが光り始めていた。
アンゼリカはアンゼリカなりに覚悟があってついてきたのだろうが、カールハイツも相応に覚悟はしているつもりだった。
人様の娘さんを預かるのだ。それもお姫様である。
こんな事は初めてなのでどう扱えばいいのかもよく解らないが、ともかく今は逃げなければいけない気がしたので逃げていた。
帝国軍につかまっては不味い。ガトー軍にアンゼリカの存在がばれても不味い。
人の目風の声もある故、迂闊に民衆の前に出て目立つのも不味い。
こうして人目を避けて逃げるには、どうしても潜伏と迅速な移動を繰り返す必要があったのだ。
問題は、これからの事をどのようにこのお姫様に説明するかである。
あの王様は『モノ知らずなのだ』と投げやりな説明をしてくれたが、本当にただの箱入り娘だというなら、場合によっては今の状況すらまともに理解していない可能性すらある。
ただ目の前の男についていけと言われてそれを了承していただけだったとしたら、一から全てを説明しなければいけないだろう。
そう考えるとひどい面倒ごとを抱えたもんだと、自分のお人よしさ加減に頭が痛くなってくるのを感じるのだ。
「なあ、アンゼリカ様よ」
「は、はい……なん、でしょうか……?」
ようやく息が整ってきたのか、ふくよかな胸に手を当てながら、姫君は顔を上げた。
まだ頬には汗が流れていたが、それでも立ち止まってすぐよりは幾分、顔色も良くなっている。
「とりあえず今の内に、姫様がどこまで状況を理解してるのか、その確認をしたいんだが」
「状況、ですか?」
「ああ。まず、俺達が今、なんで逃げてるのかとか、解るか?」
祈るような気持ちで姫の反応を待つ。
わずかばかり迷ったような素振りを見せて、姫はカールハイツの顔を見る。
「その、私達の国が、帝国やガトーに攻撃されて、お城も攻められてしまうから、危ないから逃げなくてはいけないのだと、お父様から聞きましたが……」
やや不明瞭ながら、ある程度の要領は掴めているらしかった。
「それから、場合によっては、カールハイツ様のお嫁になるかもしれないとも――」
そして恥じらいながら出た言葉に思わず吹き出しそうになってしまう。
「いや、それは今は良い――それより、なんだ。親父さんがどうなったかとか、解ってるのか?」
「はい。恐らくは、今頃はもう……今は逃げなければ、私も生きられないのだと思っています」
父の最期は覚りつつも、悲しみに暮れる気はないのか、眉を下げるばかりで泣き出しもしない。
とりあえず、自分の置かれている状況は理解しているらしい。
だからこそ、限界を越えようともなんとかして必死についてきたのかもしれないが。
さっきよりは落ち着いてきたらしい姫を見ながら、タバコを地面に落とす。
踏みつけにじると、カールハイツもまた、姫の隣に座った。
姫も少しだけ驚くが、彼は気にしない。
とても大切な事を聞くのだ。緊張している余裕などない。
「これから、どうしたい?」
それは、姫のこれから。
無事逃げ伸びて、どう生きるかという選択肢である。
何故逃げるのかは解っていた。では、これからどうしたいのかは解っているのか。考えてあるのか。
カールハイツは、それを知りたかったのだ。
「それは……その」
すぐには答えられないのか。困ったような上目で、視線を宙空に彷徨わせていた。
例えば、逃げ延びた後、それでも王族として振舞いたいと願うなら、それはカールハイツ的に無理な相談であった。
ラムクーヘンという国が滅びた今、身一つで逃げた彼女には何も残されていない。
むしろ、元王族だった事実は今の彼女にとってマイナスでしかない。
カールハイツには彼女に王族の生活をさせてやれるコネもなければ財力もないのだから、明確な支援者なしにそれを行うのは不可能に等しい。
例えば、彼女が父の復讐に燃え、再びこの地の支配者として返り咲きたいと願うなら、やはりこれもカールハイツには不可能だと言える。
カールハイツは『武器商人』である。武器の調達は確かに出来るが、言ってしまうならそれしかできない。
他に出来る事と言えば、精々自分好みなお姫様を連れて逃げる事位である。
彼女の望み次第では、それはカールハイツには到底叶わないものとなってしまう。
「できれば、平和に暮らしたいです。静かに。怖くないように、生きたいです」
かくして、ようやく聞けたお姫様の願いは、カールハイツを安堵させるものであった。
自然、口元がにやける。
彼は商売用のスマイル以外、どうしてもこういう風に笑ってしまうのだが、これがあまり印象がよくないらしく、あまり人には見せない。
だが、ついにやけてしまう。嬉しかったのだ。
「その希望なら、俺は叶えてやれるかもしれん」
帽子を深く被りなおし、目元が隠れるようにしながら。
口元に手をあててにやけ顔が見えないようにしながら。
カールハイツは、自分好みのこのお姫様を、どうやら助ける事が出来そうだと、笑っていた。




