#1-3.王城陥落
「まあ、陛下とお姫様の事情はなんとなく解ったつもりですが。それで、俺にどうしろと?」
そう、この塔には頼みがあるというからついてきたのだ。
カールハイツは自分の目的を思い出し、この訳の解からない場面を凌ごうとしていた。
「この城は、間も無く敵に攻め込まれるであろう。余が戦死するか、それとも捕らえられ獄死、あるいは刑死となるかは定かではないが。いずれにしても、このアンゼリカを安全なところまで連れ出して欲しいのだ」
ババリアは、最早諦めているらしかった。
「いや、ちょっと待ってくださいよ陛下」
確かに宝を委ねられるかもしれないなんて思っていたカールハイツであるが、まさか姫君を任されるとは思いもせず。
流石に動揺してしまう。
「そんなにアンゼリカ様の事が心配なら、命乞いするなり降伏するなりすればいいじゃないですか。まだ城は攻め込まれてない。確かに陛下は死ぬかもしれないが、アンゼリカ様は助かる可能性だってあるでしょうよ?」
馬鹿げていた。王が死ぬ気なのはわかる。だが、ただ死ぬだけのつもりでいたのだ、このババリアとかいう王様は。
馬鹿じゃないのかと、カールハイツは本気で呆れてしまった。
「何のための王様ですか。死ぬなら、死ぬなりの重さを発揮すればいいんですよ」
「無理だろう。敵は、余を逃がさぬつもりで速攻をかけてきたのだ。つまり、端からこちらの言葉など聞くつもりがないという事だ」
カールハイツの説得は、ババリアには響かなかった。
「王族を生かせば、そこから要らぬ怨恨が生まれる恐れもある。あのエリーシャとかいう女王。ぽっと出かと思ったが、中々に迅速に動きおる。恐らく、王族は皆殺し――見せしめとなるであろう」
大帝国にとって、今回の戦などは見せしめの為の攻撃でしかない。
ババリアはそう考えていた。
彼らが人間世界で一強なのだという事を世界に知らしめるためのもの。
自分たちに逆らえばどうなるかを教える為の、そのための攻撃に過ぎないのだ。
だから、恐らくむごたらしく殺すだろうと。一切の情けはかけてくれないだろうと、ババリアは思ったのだ。
「だが、それは仕方ない事とも思える。例え水面下でけん制しあっていたとはえ、友好国の関係であった余らが、彼らを裏切ったのだからな。二度も」
「……なんでサバラン王子の暴走を許したんですか。陛下なら止めることもできたはずだ」
ラムクーヘンという国は、サバラン王子一人の暴走で壊れたと言っても過言ではない
確かに宗教に傾倒してはいた。女神信仰はついぞ捨て去る事は出来なかった。
だが、一番致命的だったのはそれらではなく、サバラン王子が全てを巻き添えに、犠牲にしてまでタルト皇女を欲した事に他ならない。
「――不肖の息子ではあったが。アレもやはり、余にとっては宝だったのだ。このアンゼリカ同様に。故に、アレの望むものを、心底欲していたものを、諦めさせる事など、できなかった」
サバラン王子は、本気でタルト皇女を愛していた。想い焦がれていた。
それが叶う叶わぬなど関係なく、全てがどうでもよくなるほどに彼の中の全てがタルト皇女一色だったのだ。
ババリアは、それを知っており、王子からタルト皇女への想いを奪う事が出来なかったのだ。
「浅はかなバカ親だと笑うが良い。余は、やはり為政者としては才がなかったのやもしれぬ。や、どこかで気付いてはいたのだ」
子供のために国益を優先できなかったのだ。国を想うなら、王子を殺してでも暴走を止め、国家間の正常化に努めるのが王である。
だが、ババリアは王ではいられなかった。所詮、王の器ではなかったのだ。
「だから、これは王としての命ではなく、父親として頼みたいのだ。我が愛娘を、どうか保護してやってはくれまいか」
「あんたは俺を誤解してるかもしれないが。俺は別に大層な人間じゃねぇ。もしかしたら、奴隷商人にお姫様をうっぱらっちまうかもしれねぇぜ? 娼館に放り込むかもしれねぇ。我が身惜しさに、大帝国に連れていっちまうかもしれねぇ。いいのか?」
カールハイツは、ババリアの覚悟を問うていた。
出会ってわずか短期間の関わりである。そんな相手に愛娘を託すのかと。
もう、この老人はどうしようもない。止まらないのだろうと思いながら。
「ふっ、お前にそれができるものか。お前は『誠実な商人』なのだろう? そんな悪徳商人じみた真似、できるとも思えんが?」
ババリアは笑っていた。彼なりの信望だったのだろう。
商人としての勘なのかもしれない。
「……そのお姫様はすごく俺の好みだ。もしかしたら手篭めにして嫁にしちまうかもしれんぞ。それでも構わんのか」
「アンゼリカが許すならな。認めもしない男なら自害するよう躾けてある。機が熟したと思うなら、試してみるもよかろう」
カールハイツの挑発は、もはや何の意味もなさない虚勢であった。
アンゼリカも、何か覚悟の決まったような、勇ましい微笑みであった。
カールハイツ一人が、負けたような気分になってしまっていた。
「ちくしょうめ。商談成立だ。こんな胸糞の悪い商売は初めてだぜ」
悪態をつきながら、姫君の手を握った。
小さく、柔らかなその手に、一瞬どきりとしてしまうが。
表情など見せず、そのまま部屋を出る。
「ありがとう。アンゼリカよ、達者でな」
すれ違いざま、カールハイツには、老人が笑っていたように見えた。
それは、何かに満足したような。ようやく満たされたような、そんな、虚しい笑顔。
カールハイツらが城から脱出したのと、帝国軍が城を完全包囲し、攻撃を開始したのはほぼ同時期であった。
城は一時間掛からず陥落し、ババリア王は死体で発見された。
死因は服毒。恐らく自殺か、側近の誰かが混乱の末自棄を起こしたか。
いずれにせよ、これにより治める者のいなくなったラムクーヘンという国家は滅亡。
その領土は、本来この地域の支配者であったガトー王国に併合される形となった。
西部を押さえていた強国のひとつが、大帝国という真の強者相手にろくな抵抗も出来ず敗れ去ったという事実は、人類国家の多くに多大な衝撃と影響を与えていった。
下手に抵抗をすれば自分たちも同じ目にあうのではないか。
反抗しないほうが賢いのではないかという意見が飛び交い、各国の首脳らは怯えを孕んだ目で大帝国を見るようになる。
敵対すれば滅亡は免れないという、魔王軍とは別の脅威の誕生に、世界は二分される。
一つは、大帝国に対立しようとする勢力。
もう一つは、大帝国に迎合しようとする勢力である。
人間達の視野から、魔族という存在が消えつつあった。
人は、同じ人類を目下の敵、最大の脅威と認めるようになってしまったのだ。
魔王の望んだ世界が、後わずかまで迫っていた。




