#9-2.過去の断片
場面が変わる。百年ほど後だろうか。
魔王城は慣れぬ賑わいを見せていた。
シルベスタとは違う、幼稚な賑わい。
魔物兵達も困惑気味に整列し、どこか士気も低い。
巨大な蛙の魔物兵などは、誰かから悪戯をされたのか、手持ちの槍の穂先にリンゴが刺さっていた。
「……」
わざわざそれについて何か言ってやるのも可哀想だと思い、伯爵は無言のまま城に入っていった。
見れば城兵の多くが何らかのいたずらの被害者らしく、鎧の一部が黒いインクで汚れていたり、頭からパイをかぶっていたりと、ぱっと見何かの冗談のようなふざけた格好をしていた。
「おっと」
伯爵が城に入るや、腰ほどまでの小さな人影にぶつかりそうになる。
「きをつけなさいよっ」
上手くかわすものの、その、金髪水色眼の少女から罵倒を受ける。
「カルバーンッ」
「あ、アンナちゃん、こっちよこっちー」
後ろから聞こえてきた声に振り向き、彼女の視界から、既に伯爵の存在は消え去っていたらしかった。
「ああもうっ……あの、ごめんなさい」
「いや、いいよ」
アンナと呼ばれた黒髪水色眼の少女は、先ほどの金髪少女と同じ整った顔立ちながらも、全く違う態度で伯爵に接する。
「アンナちゃん何してるのよ。そんなのに構ってないで追いかけてきてよ」
伯爵も気を遣って笑顔で返すが、そんなのはお構いなしに柱の影からひょっこりと顔を出す金髪。
「解ってるわよもう。偉そうに。あの、それでは――」
「ああ、がんばって」
なんとなく、態度の違いで応援する相手を選んでしまった。
どちらかといえば金髪の方が母親似だな、などと思いながら。
しかしながら、黒髪が父親に似ているかといえば全くそんな事はなく、ではあの子は誰に似ているのだろうかと考えると、複雑な気分になってしまう。
「まあ、いいか」
それ以上気にするのも野暮だと思い、彼は進むのだ。
例によって、彼女達の母親の待つ部屋へ。
「随分やんちゃになってきたじゃないか」
「まあね、あれくらいまで育てば一安心だわ」
エルリルフィルスの部屋は、相変わらず彼女と、小さな籠が置かれていた。
何人目かは解らないが、恐らく三人目ではあるまい。
「君も頑張るね」
籠で眠る赤子の頭を撫でながら、その母性に対して労わりを投げかける。
「言ったでしょ。『魔王城を子供で埋め尽くす計画』を実行中よ」
チルドレンハザードの開始である。
二人でさえ大変そうな城の兵士達は一体どうなってしまうのか。
「ま、長女と次女が、もうそろそろ小さい子達の面倒を見てもいい頃だからね」
「やれやれ、今度は娘にやらせるのか。君が育てればよかろうに」
呆れた母性であるが、彼女の計画は既に始動している。恐らく今後も止まる事はないだろう事は彼にもよくわかっていた。
「私は産むまでが仕事。でもそうね、ひと段落着いたら、一人に一つずつ何か教えてあげるつもりだけど」
「頼むから母親として常識やものの度合いというのを教えてやってくれ。このままでは城の兵士が皆して辞めていくぞ」
今はまだ耐えているだろうが、やんちゃな年頃の子供が更に増えたとしたら。
そしてその子供達が、今暴れている二人のうちの片方に言われるままになったらどうなるか。
考えるまでもなく、今まで以上のカオスが待っているのは間違いなかった。
「それは無理よ。面倒だもの」
しかし、その切実な要望は、肝心の母親によって笑顔で否定されたのだった。
その次に見た時には、魔王城はやはりというか、カオスな事になっていた。
いたるところで子供が走り回り、悪戯をし、騒いでいる。
だが、魔物兵も城勤めの魔族も、小さな子供の扱いに慣れ始めてきたのか、その悪戯には不快感を感じていないらしかった。
「ほんと、エセリナ様には困ったものです」
「私もエレイソン様には困らされてばかりですよ。毎日のように来ますからね」
ついには城の魔族間で『いつも自分に悪戯しに来る子供』の話題を持ち出すに至り、その表情もどこか柔らかであった。
欲望渦巻く魔界において、ここのみが完全なるサンクチュアリとなっていた。
庭は、子供の楽園である。
歩くのもおぼつかないような小さな子供から、もう何十年かすれば大人から目を付けられ始める、少女手前の年齢の子まで。
よくもまあこれだけ女の子ばかり産んだものだと感心するが、そのいずれもがどこかしら違っているのだから末恐ろしくもなる。
「ふざけないでよっ」
「なんですってぇ!!」
元々子供ばかりで賑やかな場所であったが、その中でも特に大きな声が響き、子供達はそちらに目が行く。
見慣れた金髪の少女が、栗毛色の髪の少女と口論をしていた。
背丈は金髪の方が高いが、栗毛の子もその迫力に負けじと歯を食いしばって睨みつけている。
「あなたってほんと最低よね!! いつもいつも弱いものいじめばかりして!!」
「何よ、弱い奴が悪いんじゃない。悔しいならもっと力をつければいいわ」
栗色の子の後ろには、金髪に何かされたのか、二人よりもずっと小さな子がワンワン泣いていた。
「こんな幼い子が何をしたっていうのよ!! 馬鹿じゃないの!?」
「誰が馬鹿ですって!? 妹の癖に生意気っ」
なんとなく状況は察せるもので、どうやら問題は金髪にあったらしかった。
「妹に馬鹿にされるくらい馬鹿だから馬鹿って言ってるんじゃない。姉だって言うならアンナ姉さんみたいになりなさいよ!!」
「なっ、ア、アンナちゃんは関係ないじゃない!!」
口論では栗毛の方が優勢らしく、姉の名前を出され金髪は酷く狼狽していた。
「ふん、自分が姉さんみたいになれないからって弱いものいじめして。子供みたい」
「なっ、なっ――」
段々と金髪は言い返す言葉が浮かばなくなってきたのか、栗毛の少女に言われるままになっていく。
「もう、やめなさい二人とも。小さい子達の前で何やってるのよ!!」
我慢の限界が近づき、金髪が肩を震わせていると、いつの間に見つけたのか、横から黒髪の少女が割り込み、喧嘩の仲裁に入ってきた。
「アンナ姉さん、だってカルバーンがっ」
「あ、アンナちゃん……」
間に入った長女を見ながら、二人はどちらも助けを求めるような視線を送った。
「カルバーン、貴方は姉なんだから、目下の子をいじめちゃだめでしょ。自覚なさい」
「で、でも……」
双子の姉に窘められ、妹に嫌味を言われた時とは打って変わって、カルバーンはしょんぼりと眉を下げてしまった。
「そうよ、カルバーンがいけないんですっ」
「アルル、貴方は調子に乗りやすすぎるわ。程ほどにしなさい」
「えっ、あの……でも……」
姉と一緒にカルバーンを罵倒しようとした矢先に姉に窘められ、勢いをそがれてしまう。
「弱い子を守りたいのは解るわ。でも、貴方自身もそんなに強くないもの。悪戯にカルバーンを怒らせるような事は言わないようになさい」
「でも、それだと皆、カルバーンにいじめられちゃう……」
「なによ、まるで私がいじめっ子みたいに言って!!」
自覚がまるでないのか、カルバーンはカッとなりアルルと呼ばれた少女を睨みつける。
「カルバーン、貴方はもう少し大人になりなさいよ」
怒れる妹に溜息をつきながら、アンナは静かに諭した。
「な、何よ……アンナちゃんまでそいつの味方して……もう知らないっ」
「カルバーンッ!!」
ついには泣き出してしまい、カルバーンは美しい金髪を散らしながら走り去ってしまった。姉が止めるのも聞かずに。
「……もう、あの子は」
残されたアンナは、小さく溜息をつき、妹の走り去った方をやるせなさそうに見ていた。
「私に頼みたい事とは?」
場所は変わる。彼女達の母親が横たわるベッド。
相変わらず彼女の胸元には小さな命が抱かれ、大人は伯爵と彼女の二人しかいない。
「伯爵は、ドラゴンスレイヤーがどうやって生成されるか知っているかしら?」
「竜を殺すと言われる、あの刃の事かね?」
「その原料となる鉱石の方よ」
人類の作り上げた叡智・ドラゴンスレイヤー。
数による消耗戦以外に竜を滅する方法を持ち合わせていなかった人間達が作り上げた最終兵器。
対竜用の巨大な槍や斧の刃先に用いられる稀少な鉱物。
これも含めてドラゴンスレイヤーと呼ばれるが、どうやらエルリルフィルスの言うのはこちらの方らしかった。
「知らないな。ひきこもりの私に、人間世界の話を持ち出されても困る」
「貴方は魔族としては、かなり人間世界に詳しい方だと思ってたけど」
「ひきこもる以前までなら知っているが。そもそもあれは鉱物として偶然発見されたもので、その生成原理も定かではないはずだ」
広い世界の事など微塵も興味を向けず、伯爵は自分の内側にのみ篭っていたのだ。
今の時代の流れなど、知るはずも無い。
「そうね、人間は今も変わりなく、それを天からの授かりものか何かだと思ってるみたいだけど」
含みのある言葉に、伯爵ははっと感づく。
「まさか、君はそれを――」
「ええ、あらゆる文献やラミアの知識を用いたりしたけど、最近ようやくその生成の原理が把握できたの」
驚くべき発見だった。世界を揺るがしかねない、竜族の存亡に直結しかねない大発見である。
「それは一体……」
「――簡単な話なのよ。この世に、竜族以上に頑強な身体を持つ生き物なんて存在しないの」
エルリルフィルスの言葉は、伯爵が当然のように知っている知識である。
だが伯爵は、それは全く別の意味を含んでいる事に、いまさらのように気づいた。
「まさか、ドラゴンスレイヤーは……」
「竜族の墓を荒らしたわ。黒竜翁にも内緒でね。あいつは気にも留めないでしょうけど」
「それで、どうだったのかね」
はやる気持ちを抑えながら、結論を問う。
聞くまでもなく答えは解り切っていたが、それでも確認しないと気がすまなかったのだ。
「大量に眠っていたわ。全部掘り起こさせて回収したけど。その量だけで多分、人間世界に現存しているドラゴンスレイヤーの総量より遥かに多いはずよ」
「だろうな……戦場で死ぬ竜の数など高が知れてる」
竜をも殺せるドラゴンスレイヤーだが、導入された当初ならまだしも、今の時代においてその直撃をまともに受ける竜などほとんどいないのが現実である。
故に多くの竜は戦死ではなく、同族同士の争いの末に死ぬか、病死、あるいは寿命によって老衰で死ぬ事が多い。
その死体は竜の墓場と呼ばれる山に打ち捨てられ、朽ちるに任される。
自分達の墓場が同族を滅ぼしかねない兵器の材料の山だったなどと知れれば、竜族は大いに混乱する事だろう。
「人間世界では古より、竜の死体は忌むべきもの、あるいは何かの象徴として保存されやすい傾向にあったから、比較的状態が良いまま残るらしくてね。だから遺体が腐り切らずにいる事が多いらしいわ」
「腐敗し、土に還って初めて鉱石となる訳か」
その理屈で考えるなら、人間世界に出回る量が少ないのも頷ける。
「ただ、人間世界で死ぬ竜っていうのは、そのほとんどがトカゲ状態のままでしょ? 身体は大きいから、鉱物になった際の質量もとても多いのよ」
「私はよく知らないのだが、あの変身魔法は死んでも解けないものだったのかね」
「解けないらしいわ。古代魔法の部類だから私も詳しくは知らないけど、あれは呪いに近いものらしいから」
竜族は巨大なとかげ形態へと変身できるが、その魔法の原理そのものを把握している者はとても少ないらしい。
当の竜族ですらそれは同じで、彼らは特に原理など理解せずになんとなしにそれを行使してしまっている。
「もし万一、人間がドラゴンスレイヤーの生成原理に勘づけば――」
「その時には、魔界と人間世界のパワーバランスは大きく変わるでしょうね。魔族にとってはマイナスに」
笑えない話である。
今でこそマジック・マスターという最強の魔王がいるおかげで魔王軍は優勢に押し込んでいるが、それでも魔王軍の一翼を担っている竜族の活躍を無視する事はできない。
力のある竜族の対策を取られるというのは、魔族的にとてもいただけないはずだ。
「そこで話が戻るんだけど、貴方に私の娘を守って欲しいの」
「娘? 子守でもしろというのかね? 誰を?」
「あら違うわ。そういう事じゃ無いの。子守はラミアがいるしね。そうじゃなくて――」
「私が死んだ後、あの子達が死なずに済むように、守ってあげて欲しいのよ」
「――これはどういう事なの、伯爵」
ラミアが詰め寄っていた。襟首を持ち、ぎりぎりと締め上げる。
夢とはとりとめのない記憶のデフラグ。断片化された過去と知識のないまぜ。
その終着点とは、このように虚しいものだったのか。
彼は思ったのだ。それが自分の忘れていたものだったのかと。
できれば忘れていたかったなと思いながら、夢はもう少しだけ続いていく。
「陛下は、陛下は一体どうなって――」
エルリルフィルスの胸元に抱かれた赤子はすやすやと眠っていた。
母親と同じように。それでいて全く違い、生を感じさせながら。
「貴方は、陛下に一体何を言われたというの? 貴方は、陛下に何をしたというの?」
ラミアの肩は震えていた。涙すら流していた。悔しいのだろう。それも解っていた。
自分は、それに答えるのだ。その内容までもうわかっている。
「陛下は眠られた。私にはもう何も解らん。遠からず、君も忘れる」
「なんですって!?」
憎しみは眼力を増させ、締め上げる手はますます強まっていく。
この程度のことで死ぬ事は無いが、身動きは取れなかった。
「陛下の一番の部下の貴方が、何故陛下をっ!!」
この時、ラミアは錯乱していた。自分の主が眠り、その傍らには伯爵がいた。
彼が来た時には、彼女は既に事切れていた可能性すらあった。
しかし、ラミアはそうは思わなかった。魔族の勘である。
「受け入れたまえ、魔王マジック・マスターは今、死んだのだ」
それは紛れも無い事実であり、それだけは忘れる事ができない歴史であった。
世界はそのまま白くなっていき、やがて白は全てを飲み込んでいった。