#15-3.過去に生きた従者・未来に生きようとする魔王・今に生きる後継者
「平和ですねぇ」
「平和ねぇ」
魔界では、ラミアとアルルが二人、玉座の間でぼーっとしていた。
魔王の独断により開かれた大帝国との会談は、確かに多くの地方領主らに反感を植えつけたのだが、魔王城を預かるこの二人に対し敵視することは避けたいと思っているらしかった。
かたや魔王軍を統括するNo.2。古来より代々の魔王の腹心であり続けた古参中の古参であるラミア。
軍に限らず魔界の知識層にも彼女のシンパは多く、また本人も策略謀略なんでもアリな腹黒参謀である。
敵に回してはならないと思う者も多い。
そしてアルルは、様々な改革を実行してきたやり手のルーキーではあるが、こちらは魔王軍の大幹部である悪魔王の一人娘である。
悪魔王は、地方領主側にも少なくない数居る悪魔族全ての種族を統括する王でもあり、この機嫌を損ねるのは大変よろしくないと思われていた。
当然、面倒くさい改革だの法だのを押し付けてくるアルルを小憎たらしいと思いはしても、その父親の事を考えると手が出せないのだ。
この二人を排斥する格好の口実が『魔王に賛同して会談実現のため動いた』というものであったが、その口実も会談は魔王の独断という声明により絶たれ、結果魔王不在の間、領主らは反乱を起こす事が出来なくなってしまっていた。
あくまで魔王が不在の間の平穏である。
戻った直後戦乱へと変わりかねない危機的状態ではあるが、二人はのんきであった。
「会談も、まあそれなりに順調に進んでるらしいし。なんていうか、する事がないわねぇ」
ラミアが暇なのは、軍の動きが乏しいから、というのが大きい。
現状魔王軍が戦闘行動を取っているのは対南部諸国のみ。
北部は現状維持のままだし、中央部は会談により撤退が決定していた。
南部諸国も吸血王配下がそれなりにやる気を出してくれているので、ラミアはあまりやる事がない。
「でもラミア様、陛下はなんか、人間世界から変な技術者募るとかいう話ですよ? よろしいのですか?」
あんまり暇そうに見えたのか、だらけているラミアに、会談二日目の話題を振ってみる。
既に水晶経由で伝えられていた事ながら、アルルは驚きを通り越して呆れてしまっていたのだ。
対して、ラミアは手をフリフリ、ぼーっとしたまま気だるそうにしている。
「ああ、いいのよ別に。陛下に関してはいつものことだし、正直もう慣れたわ。実際、これが元で人材交流が進めば、魔界の面倒ごともいくつかは改善されるかもしれないし」
「確かに、魔族的な事情で改善しようにもできなかった点を解決するのに人間を呼ぶのはそれはそれで効率的ですが……変な文化や技術が伝播したら困りませんか?」
アルルとしてはラミアの言い分も解からないではないのだが、正直な話、魔王の『趣味』にはあまり興味がなかった。
彼女も他の魔族同様、魔王の趣味趣向は『変なもの』にしか映っていなかったのだ。
「まあ、どんな文化が伝播したって、それが魔族のあり方を変えてくれるなら良いんじゃないかしらねぇ。私も、今回の戦争で色々と思い知ったわ。魔族は今のままじゃダメなのよ、きっと」
だらけたまま、玉座に腕を回す。
「本当なら、私が変えなくてはいけないものだったはずなのに。私は変化を嫌ってそれを妨害し続けていたんだもの。五億年かけて妨害し続けた結果が、今の無駄に硬質化してしまった魔族の文化だわ」
過去に依存し、今に凝り固まった魔族の性質。
これは他ならぬラミアが、それまで生まれそうになっていた新たな価値観・手法の芽を自らの手で摘み取っていたからに他ならなかった。
誰より変革を嫌い、古いままの手法に拘り続けたのが、このラミアだったのだ。
「古いまま、過去の優れた方法を工夫するだけじゃダメなのよ。それじゃ、過去より勝る今が来てしまったときに何も出来なくなってしまう。そんな事に気付くために、私は膨大な数の兵を無駄死にさせてしまったし……何より、大切な部下まで失ってしまったわ……」
はあ、と深いため息。ラミアは疲れているらしかった。
「ラミア様……お疲れでしたら、無理をせずにお休みになられては?」
アルルも気遣うが、ラミアは手を挙げ首を横に振る。
「大丈夫よ、ありがとう。これ位でどうにかなる私じゃないわよ。それよりもねアルル。貴方のそれは良いと思うわ」
「それ……?」
「陛下のやろうとする事に、とりあえず疑問を抱ける事。私はなんかもう、なんでもいい感じになってきちゃって、陛下のする事にはあんまり逆らえなくなってるのよ。アンナもそうだけど、この魔王城は、いつの間にか陛下のシンパばかりになってる。私もそう。貴方もきっとそうよね」
「……まあ」
アルルには、その言葉に反発する気は起きなかった。
アルルとて、今の魔王は嫌いではなかった。
無能だと思っていたし、今でもよく解らないことばかりしてくる上司ではあるが、自分のやる事をつまらない理由で妨害したりしないし、何より差別的な理由で馬鹿にしてきたり、女だからと色目を使うこともない。
むしろ任せてくれている。期待されているというのは、アルルには心地よかった。
自分の働く場を与えられ、自分の能力を最大限に活かせる場所に配置してくれている。
人を見る眼はある人なんじゃないかと思い始めていた。
だから、アルルとしても、そんな魔王がつまらない事でその座から引きずりおろされるのは嫌だったのだ。
「だけど、あの方はいろんなことに無頓着だわ。周囲に対しての自分のなさった事の影響は全く考慮しないし、ご自身の決断がどれだけのモノを失うのかについても、全く考慮に入れていない」
「……解る気がします。あの方はなんというか……『失う事』を全く恐れてないんですよね。むしろ興味がないというか……」
「そうね。興味がないのかもしれない。どれだけ多数の兵が死のうと、どれだけ多くのモノが苦しもうと、目的が果たせればそれで良いのかもしれない。それしか見えてない方なのかもしれないわ」
だが、別にそれ自体は今代の魔王に限ったものではなかった。少なくとも、ラミアは『それ』には慣れていた。
「でも、そんなのとはもっと違う……何かが、あの方には欠落しているように感じる事があるわ。今までの魔王とも違う、もっと重要な何かが」
玉座から手を離し、音も無くアルルの元へと歩み寄る。
「何かが……」
アルルは、ラミアの言葉にうつむき、その言葉を反芻していた。
「貴方は知らないでしょうけど、陛下はこの世界の方ではないわ。遥か異世界、どこの国かも知らないけれど、他所からきた魔族だったのです」
「陛下が……? では、私達と価値観などが違うのは、その所為では? そもそもの文化が違うのなら、それが理解できないのも不思議では――」
自分の上司が異世界の者だったという事に驚きはしたアルルであったが、だが、そこに一種の回答のようなものが見えた気にもなっていた。
だが、ラミアは首を振る。
「いいえ。あの方は、少なくとも私と出会った頃は、まだあのような方ではなかったわ。それに、共連れも居たのよ。とても美しい……アンナにも引けを取らない美しい娘よ。そして同時に、とても恐ろしい力を持っていた」
「それは……その共連れの方は、一体――」
「解からないわ。ただ確実に言えるのは、その共連れの娘は、何らか事情があって今はもう居ないという事。そして、ある時を境に、あの方は今のような変な趣味に走り始めた……私には、そんな風に見えたわ」
魔界有数の実力者から、ただの変わり者魔族への没落。その間に何が起きたのか、それはラミアにすら読めなかった。
「……」
神妙な面持ちで、顎に手をあて考え始めるアルル。
ラミアも満足げに、その様子を上から眺めていた。
「あの方は、もしかしたらその欠けた物を取り戻そうとしているのかもしれないわ。失ったものを、穴埋めしようとしているのかもしれない」
考えるだけ考え、それでも答えの出る様子のないアルル。
ラミアはまた、自分のペースで話を進めていた。
「……その為に、また色んなものを失うかもしれないのに?」
魔王のやっている事、やろうとしている事は、同時に多くのモノを失う結果にも直結していた。
魔族の未来のため、などと言うが、それは同時に、少なからぬ数の魔族を滅びの道へと追いやる行為である。誰のための未来だというのか。
魔王の行動には、酷い矛盾が存在していて、そしてそれが何ら対処されず放置されているのではないか。アルルにはそう感じられた。
「それでもやらなきゃ気が済まないんじゃないかしら? 最近の陛下は、どこか焦っているようにも見える。きっとこれから、どんどん色んなものを失っていくでしょう。それでもやりたいのよ、あの方は」
「……そんなの、無茶苦茶です」
「そうね。無茶苦茶だわ。だからこそ、貴方はこのお城にあって、陛下の歯止めになりなさい。あの方は、貴方の言葉はそれなりに真面目に聞くようだからね」
「私が……?」
「陛下にとって、貴方は自分の後釜に相応しい存在らしいから。私もまあ、貴方は政治について誠実だから、きっと良い魔王になれるとは思うけれど」
アルル自身は夢にも見ていなかったが、彼女は魔王から自分の後継者として見られていたのだ。
思わぬ抜擢に、アルルもつい落ち着き無くそわそわし始めてしまう。
「そんな、わ、私がそんな、陛下の後になどと……」
「私は別に気にしないわ。私はいつだって、その時代の魔王に従うだけ」
「そうだっ、ラミア様が魔王になれば――」
「嫌よ。私は軍事に専念したいもの。魔王なんて面倒くさいか何もやる事がない地位なんてまっぴらごめんだわ」
アルルの希望は儚く砕け散った。
「な、なんで私が――おかしいじゃないですか。私はただ、政務担当として登用されただけで――」
「別に、何もおかしくないわ。貴方は賢いし、知恵も回る。軍事に関しては口出ししない方が良いけど、政治に関しては私なんかより遥かに立ち回りが上手い。度胸もあるわ。悪魔王の娘というのも脅しが効いてる。四天王には通じない脅しだけどね」
ぐい、とアルルの首に腕が回されていた。顔と顔が近づく。アルルは赤面していた。
「覚悟なさいアルル。陛下の身に何かあれば、貴方には魔王になってもらうわ。傀儡になんてなろうとしないで、自分なりのやり方で、陛下の後をお継ぎなさい」
「そんなっ」
いつの間にか涙目になっていた。
なんでそんな先の話をするのか。これではまるで――
「――とにかく。陛下の事を止められるのは貴方だけなんだから、その鋭さ、反骨心ていうのかしらね? そういうのは失くさないで頂戴。解ったわね?」
「……はい」
「ん、よし。それじゃ、参謀本部に戻ろうかしらね。ああ、陛下のおかげで魔王城の防備に兵を回せて楽で良いわぁ」
涙目のまま頷いて見せたアルルに、ラミアは満足げに離れ、手をフリフリ、音もなく去っていった。
「……ラミア様」
その様に、何か不吉なものを感じたアルルは、去っていく後姿をじっと見つめる事しかできずにいたのだった。