#15-2.情報重視の代償
「観測手より、敵軍の主力と思われる部隊が見つかったと」
伝令の声に、将軍は嬉しげに眉を上げた。
「でかしたっ!! で、場所は? どこにいるのだ?」
「はい、敵軍の位置は……こちらの西、一千の距離です」
「一千か……思ったよりも遠いな……」
「敵は馬を失い、機動性を発揮できていない模様。恐らく自棄の突撃なのでは」
「ふん、馬と別働隊を囮にしたのは悪くない戦術だが、肝心の本隊の動きが遅れるようでは意味がないな。所詮この程度か」
そもそも、勝って当たり前の戦いなのだ。
内政攻撃によって骨抜きにしたはずの敵軍が未だ戦術らしいものを発揮した事に驚きはしたが、仮にぶつかり合っても敗れるとは思っていなかった。
「よし、迎撃体制。陣の向きを変えるぞ。西よりの攻撃に備えよ!! 横陣を取れ!!」
将の指揮により、ラムクーヘン軍はその備えを変えていく。
程なく陣形が整い、敵の本隊の方向に対して、ハンド・カノンが最も火力を発揮できる横陣形に備えられていく。
「敵は歩兵ばかりだ!! 構わん、鴨撃ちにしてやれ!!」
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
兵達の士気は高い。誰もが勝ち戦と疑わなかった。
だから、彼らは気付けなかったのだ。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!」
必死の形相。重鎧を着込みながら、鈍重にも走り出すガトー兵達を前に、ラムクーヘン軍は砲撃を開始しようとする。
しかし、ガトー兵らは突然ぴたりと足を止めてしまった。その距離、およそ二百。
「な、なんだ……?」
困惑したのはラムクーヘン側の将兵である。
砲火の前に立ち止まる等自殺行為だが、彼らはハンド・カノンの射程ぎりぎり向こう側で足を止めて見せたのだ。
そして、その位置で盾を前に、防御姿勢をとっていた。これに何の意味があるというのか。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!」
そうかと思えば、突然喚声を上げる。
だが、それで突撃するのかと思えばそうでもなく、盾やランスの柄をがしがしと地面に叩きつけ音を鳴らすのみ。
「……何なのか知らんが、前進して蹴散らしてしまえ」
敵は射程にぎりぎり届かない程度。数歩前に出ればそれは射程内に収まるのだ。
ここに来て敵の意味不明の行動に一瞬迷ってしまったが、将軍はそれを振り払い、攻撃させようと前進させる。
「観測手よりっ!! 敵軍の後方に、増援と思しき大軍が向かっていると!! その数五万っ!!」
「なんだとっ!?」
そのまま押しつぶしてやろうと思っていた将軍は、この伝令の言葉に心底驚かされてしまう。
「五万だとっ!? 馬鹿を言うな!! ガトー王国軍は最大でも三千出せるかどうかしかないはずだ。五万など、どこの大国が出せるものか!!」
「羽を生やした蛇のからみついたリンゴの軍旗です!! 大帝国アップルランドの軍勢です!!」
「大帝国がっ!?」
「将軍大変です!! ぱそこん上に、大帝国より我が国に対し、宣戦布告が――」
別の伝令が大層焦った様子で走り寄り、驚愕の情報をもたらす。
「バカなっ!? このタイミングでかっ!!」
ありえない。起きてはいけない。冗談ではない。
様々な思考が頭の中に浮かぶ。これはまずい、と、背筋に寒いものが走る。
「撤退!! 全軍、敵の追撃に警戒しつつ、撤退!!」
敵軍とは二百の距離がある。戦車がある以上、敵の歩兵隊はこちらに対し有効な追撃は出来ないはずだった。
だが、ガトー軍の後方に居るのだという大帝国軍は不味い。
ハンド・カノンを最大限有効に扱っても、五万もの大軍を一万二千で覆せるはずがなかった。
まして、世界最強の誉れ高い大帝国の軍勢である。
ガトー軍は愚か、自軍と比べてもその練度・士気の高さは遥か上を行く。
勝てるはずがなかった。今退かなければ、押しつぶされる。
この瞬間、完全勝利間近だった彼らは、ただ逃げるだけの敗北者へと成り代わったのだ。
こうして、アルトリアの戦いは辛くもガトー軍の勝利に終わった。
ラムクーヘン軍の戦死者三名。ガトー軍の戦死者二百十五名。損失で見れば明らかにガトーの敗北だが、五倍以上の敵軍相手に国は守られたのだ。
「即座に撤退判断ができるなんて、中々優秀な司令官ねぇ。おかげでこっちも助かったわ」
そんな結果解りきっていたとばかりにどや顔で、エリーセルはにまにま戦場を眺めていた。
「でもこの手、二度は使えませんよね。ネタが割れれば意外と簡単な事ですし」
「そうねー。長丁場には向かない作戦だわ。でも私達の役目って、『本当に』大帝国がこの国に介入するまでの時間稼ぎだから」
つまりブラフ。帝国軍なんていなかった。
「でもエリーセルさん、観測手を潰せたのは大きかったですけど、転送なんて便利な事が出来るなら、敵の将を直接潰してしまえばもっと楽だったのでは?」
カレンはというと、素直にそれを喜ぶ事もできないのか、顎に手をあて、もっと良い方法はなかったのかと考えてしまっていた。
どうにも、多数の死傷者が出たというのが納得いかなかったらしい。
「んー、まあ、命捨てる覚悟あるならできたかもしれないけど。でもねカレン。将軍一人殺せれば確かにその時は動揺するでしょうけど、あちらは元々は『騎士団』としてまとまってた集団だから、多分一人潰してもすぐに別の誰かが同じ事をやりはじめると思うわ」
「そうなんですか? でも、現代戦においては頭から潰していくのが一番効率的だと教わりましたけど」
偉そうに人差し指を立てながら説明するエリーセルに、カレンは素直に疑問を問う。
「そうなのです。現代にはあまりない組織だからね、騎士団って。『軍』と違って、それぞれが誇りとか重んじたりする人が多いの。それから、基本優秀である事が前提だから、まあ、優秀な指揮官兼戦闘員が集まってるようなものね。貴方達と同じ」
言ってしまえば、勇者だけでチームを組んでるようなものである。
今回の戦に関しては、カレンたち学生さんがまさにそれであり、指揮の舞台では騎士団VSひよっ子勇者チームのような構図になっていた。
「北部と関わって現代戦のノウハウを学びながら、それでいて決戦ではラムクーヘン独特の騎士団仕様の戦術になるって感じかしら。現代戦自体が北部と中央部以外ではあんまり例がないから、まあどこの国も手探りの段階って感じよね」
「勉強になります。人間同士の戦いって、こんな風になるんですね……」
エリーセルの説明に感心しながらも、だが、カレンは悔しそうに歯噛みしていた。
「人間同士で戦うの、嫌?」
そんなカレンの瞳を覗き込みながら、エリーセルは問う。
「嫌です。私達は、魔族と戦うために勇者として鍛錬を積んだりしてたはずなのに……こんな、人間同士の戦いで初陣だなんて」
戸惑いながらも、カレンははっきりと言ってのけた。
やる事はしっかりやってくれたので愚痴というよりは耐えられず出てしまった吐露なのだろうが、自分の力がこんな事に使われて良いのかと、本心では辛い気持ちになっていたらしい。
彼女たちは、エリーシャも講義した事のある帝都大学の勇者学部の生徒である。
この戦いには、カレンをはじめ十一人が参加していた。
エリーセルと同じくガトーに派遣された『スペシャリスト』の内訳である。
まだ若い彼らは、戦いが始まる前は興奮もしていたし、自分の力が実地で通じるかわからずナーバスになったりもしていた。
同時に、人間との戦いになる事そのものが勇者として学んでいた彼らにとって全くの想定外であり、そのような事に巻き込まれた今の状況に、いくらかの戸惑いもあるらしかった。
「でも、時代は変わるわ。人間は、魔族ばかりではなく、人間にも剣を向けなくてはいけなくなった。貴方達は、その先駆けとして兵達を導かなくてはいけない」
「……でも」
「時代は変わっても、勇者のする事は同じ。国が為、守りたい何かの為、軍を率いて敵を討つ、それだけ」
「でもっ、私は、同じ人間を殺すのって、何か違うと思うんです」
「同じよ。だって、人間はもう気付いてしまったもの。魔族は、ただ襲い掛かってくるだけの凶悪な存在ではないという事に。人間と同じで、話す事が出来て、話しあえるだけの理性を持っていて、そして、外見以外には、人間とそんなに違いがないことに」
貴方達が剣を向けようとしていたのも人間と大差ない相手なのよ、と、エリーセルは畳み掛ける。
カレンは言葉を失っていた。
「私も色んな戦場に居たわ。凄惨な戦いも何度も目にした。この剣を何度血に塗れさせたのか解からないくらい」
剣を陽に光らせながら、口元をにやけさせる。
「斬り捨てている内に、その内何も感じなくなるわ。大切な心は、鍵を掛けてしまいこんでおきなさい。戦場では、そんなものはただの重石だから」
自分とそんなに大差なさそうな年齢に見えるこの少女が、カレンには歴戦の古強者のように感じられてしまった。
自分たちのリーダーなのだと言われたときは驚かされたが、自分なんかより遥かに知恵が回り、実際動けるこの飴色の髪の少女に、カレンは、カレン達は、いつしか従わされていたのだ。
逆らえないのではない。逆らう気すら涌かない謎の説得力が、エリーセルの言葉と存在にはあったのだ。
「貴方は、軍人さんの助けになりたくて勇者になろうと思ったの?」
「……いいえ。私は、街の人とか……戦う力のない人達のために」
「なら、この勝利を喜びなさい。軍人さんは沢山死んだわ。でも、殺されたかもしれない民は救われたんだもの」
それも、たった二百かそこらの犠牲で。
数万同士がぶつかりあっていたかつての魔族との決戦に比べれば、遥かに少ない数の犠牲で敵軍にお帰り願えたのだ。
それで国が焦土にならずに済んだ。民が犠牲にならずに済んだ。これほどの大勝利はそうそうないのではないかと、エリーセルは自分で自分を褒めてあげたい位だった。
「貴方達は出来る限りの事をやってくれた。私一人でも勝てただろうけど、きっとこんなに少ない被害に抑えられなかったもの。私は貴方達に感謝してるわ。これからもよろしくね」
まだ戸惑いが残っていたらしいカレンに、しかしエリーセルは構いもせず手を差し出す。
「……はい」
何か納得いかないものを感じながらも、その自信ありありな表情に勝てず、流されてしまう。手を取ってしまう。
「じゃあ、とりあえず撤収しましょうか。敵軍の迎撃に成功したし、これで少しでも活気が戻ってくれれば良いんだけど」
エリーセルは、もう戦場など見ていなかった。
何もラムクーヘンとの戦争のみが重要課題ではない。一時的に戦災は免れたものの、国そのものは既にかなり不味い段階まで追い詰められているのだ。これを建て直さなくてはいけない。
忙しいのだ。バカ正直に合戦している暇などない位には。
こうして、ラムクーヘンとガトーは戦争状態に突入した。